【2話】
入学式が終わり、新入生達はそれぞれの教室に振り分けられホームルームが行われていた。
1年2組。
廊下側から2列目、前から3つ数えた席で雅文は、一度は聞いた同級生の自己紹介を聞き流している。
けれど彼女の声は、どうしても無視する事が出来なかった。
「えっと、村松美桜です。趣味は音楽を聴くこと、ですかね?」
注目を集めるのが苦手で照れを誤魔化そうとする苦笑。それが嫌な感じではなくむしろ人の好さを滲み出していて、整った容姿もあり、男女関係なく興味の視線を向けられていた。
ガタッと彼女が座る音を聞いて、雅文は堪えていた息をゆっくり吐き出す。
声を聞くだけで吐き気がした。姿を視界に入れれば頭痛を通してあの瞬間がフラッシュバックする。
赤く染まった鞄とひしゃげた指。瓦礫の中に隠された姿は、もっと見るに堪えなかっただろう。
そして自分は、そんな彼女から逃げ出したのだ。
自己嫌悪が最後に混ざって一層気分を悪くしてくる。そんな心をどうにか落ち着けて、雅文は改めてとある同級生を見つめた。
「
その少女に注目していたのは雅文だけではない。
聞き心地の良い透き通った声音。丁寧な一挙手一投足はシミ一つない白い肌と合わせて透明感を表しているようで、その容姿は性別問わずに魅了した。加えて、新入生代表として式では登壇までしていたのだから尚更だ。
けれどなによりも目を惹く要素には、誰も言及しない。
銀色の髪。
その輝きを雅文は知っている。土手で出会った奇妙な少女。衣服の差異と雰囲気の変化はあれど、同一人物で間違いない。
これが夢なのか、はたまた今までが夢だったのかは分からないが、少なくとも《向井悠里》という同級生は記憶に存在しなかった。繰り返される一年の中で唯一の違い。
だから観察しないわけにはいかなくて。けれども、遠目では知れる事に限度がある。
結局何の情報も得られないまま、ホームルームは終わった。
教師への礼をこなしたクラスメイト達は思い思いの行動へと移っていく。中学時代の友人と合流したり即帰宅したり、あるいは新たな交流を広げようとする者もいた。
その中でも、例の少女は特に人気だった。
雅文が向かう前に、既に向井悠里の周りには数人の生徒が壁を作っている。女子を中心として、外周では羨ましそうな男子が様子を見ていた。
傍から見れば雅文もその男子の一員で。積極的に動けず二の足を踏んでいると、後ろから声をかけられる。
「雅文、もう帰る?」
右肩を叩かれ思わず振り返り、けれど込み上げてきた嘔吐感と頭痛ですぐに俯いた。
「あ、いや、まだ、かな……」
親し気に話しかけてくれた美桜に対して、雅文はぎこちなく返す。とっさにいつも通りを振舞おうとするも上手くいかない。
彼女は幼馴染で、同じクラスという事もあって高校でも仲は良い方だった。一緒に帰る事も多く、一方的な恋愛感情を抱いてはいたものの、目を見返せないという事はなかったはずだ。
それなのに……
自分の思考が分からない。何をすべきなのかもどうしたいのかも曖昧になって、ただただ感情に流されてしまう。
「なんかあるの? 待っとこうか?」
おかしな様子の幼馴染に、美桜はグイっと顔を寄せる。大きな瞳が覗き込むようにして、逃げる雅文の視線を捕まえた。
「……っ」
吸い込まれそうな黒。何度も自分を映してきた瞳。
見慣れ、求めすらしていたはずのそれが、急に渦を巻いて現実を崩していく。広がり歪む色は再び形を成していき。
彼女を、赤く醜く化粧する。
「……ごめん、やっぱ帰るっ」
雅文は耐えられずにまた逃げ出した。
鞄を忘れ、やるべき事も脇に置いて、今はとにかく彼女から離れたくて急いで教室を抜け出す。
自分は村松美桜の事が好きだ。幼馴染で、ずっと隣にいてくれた彼女を今も想い続けている。
なのになぜ、顔を見てしまうとこんなにも苦しいのか。
涙が滲んでいた。
今更になって恋する相手が死んだという事実が恐ろしくなって。彼女をじっと見ていたら、あの夢とも知れない記憶が再び現実になるような気がしてならなかった。
雅文が必死に走っていると、気づけば自宅に着いていた。
息が上がっている。でも何でかその息を口から出したくなくて抑え込む。平静を取り戻そうとするように、ゆっくりと玄関の鍵を開けた。
家に入り、扉を閉める。
一人きりの空間に閉じこもると、途端に力が抜け腰を落としていた。
「何なんだよ、これ……っ」
零れる嘆きの出所は、記憶の食い違いか美桜に対する感情か。
何にしても自分ではどうしようも出来なくて。思考の整理もつかないまま、ゆっくりと抱え込む準備をする。
その時、玄関のドアノブがひとりでに回った。
雅文が気づいたのは扉が開いてからで。閉じた光が差し込んできて、そう言えば鍵をかけ忘れていたと呑気に思い出していた。
「もしかして、入ってくるのに気付いていましたか?」
感情を限りなく薄めた問いかけ。扉が閉められると、減った光の中で頭髪の輝きがより際立った。
「そう言えば、忘れ物をしていましたよ。
語ったはずのない名前を呼び。
当然のように、雅文の鞄を差し出してくる。
向井悠里。
その見下ろす瞳は、やはりどこまでも冷え切っていた。
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