【7話】
村松美桜は諦めなかった。
幼馴染の彼にどれだけ無視をされようとも声をかけ続けた。
「おはよ」
彼が玄関扉を開けて出てきたところに、待ち構えていた美桜は挨拶を投げる。しかし視線はやはり逃げていった。
「ねえ、何かあったの? 何で無視するの?」
構わず歩き出す彼に並んで問いかけるも、当然返事はない。堪らず彼の手首を捕まえると、それは強引に引き剥がされた。
「……っ」
爪を立てられたのか、手の甲で出血している。ふとその痛みを見つめている間に、彼の背中はあっという間に離れていった。
美桜はしばらく呆然とする。
彼が暴力を振るうなんてありえない。間違いでも相手を傷つけてしまったらすぐに頭を下げる性格だ。
それなのに振り返りもしなかった。今の彼はすっかり変わり果ててしまったのだと実感し、得体のしれない悲しみが生まれる。
けれど美桜は血を指で拭って、また追いかけた。
彼の味方であり続けると誓ったから。
雉尾大介は、廊下の先に友人を見つけて顔を綻ばせた。
「おっす加納!」
元気の良い挨拶に、しかし返事はなかった。一度だけ視線を向けただけで、彼は雉尾の横を通り過ぎていく。
「お、おいっ?」
無視された事に雉尾は疑問符を投げるが、遠ざかる背中は振り向かない。
「どしたんだあいつ……」
一体何があったのだと眉を顰める。先日会った時も少し変な態度ではあったが、それはちょっと悩みがあるとかそんな感じだった。
それに、話している内に顔色は良くなったようだったのに。
何も知らない雉尾は首を傾げ、そうしている間に彼を見失った。
「おい」
通りがかったところへと思わず声をかけたが、彼は相変わらず反応しない。その明らかに無礼な態度に永見は舌打ちをした。
「ちっ。返事ぐらいはしろよっ!」
その訴えもやはり無視されて。永見は募る苛立ちをぶつけるよう、床を足の裏で思い切り蹴る。
「お前っ、ムカつくんだよ! もう美桜に関わんな!」
遠ざかる背中へと一方的に告げ、彼女は睨み続けた。
彼が親友を傷付けないように。
ユーリは、他人事のように目の端で捉えている。
教室内。今日も幼馴染として彼に声をかける美桜。そんな様子を他クラスから来た永見が不服そうに眺めていて、生まれる苛立ちは教室中に広がり空気を重くしていた。
「あの二人、まだ喧嘩してるのかな?」
「喧嘩なのでしょうか。元々ああいう関係なのかもしれませんよ」
「えー? ずっとあんな感じってあるかなぁ?」
ユーリは昼休みになると隣席の女子生徒と机をくっつけて昼食の準備を始める。各々が弁当やら菓子パンを鞄から取り出したところで、もう一人、その食卓に参加した。
「陽未、悠里、何の話してるの?」
「あ、楓。まあちょっと、うちのクラス雰囲気悪くってさ……」
4組所属のその女子は事情を知らず、空気の重さにすぐには気づかなかった。渦中を指差されても「ふーん」と相槌だけ打って近くにあった椅子を拝借する。
彼女は隣席の女子生徒との中学時代からの仲で、ユーリは既に出来上がっていた二人の輪に混ぜてもらった形だ。最初こそ注目されていたユーリだったが、今ではまるで人が変わったかのように普通の高校生活に馴染んでいる。
この教室の中心は、自分ではないと息を潜めて。
ただそれは、他のクラスメイトも同様で。ここ1年2組の生徒達は新入生とは思えないほどに静まり返っていた。
それはまるで、この先訪れる嵐を予感しているかのようだった。
他クラスの生徒には、1年2組の不穏な空気は届いていない。
「ねー、ノート貸してくれない? さっきの授業、全然聞いてなかったの」
「まあいいよ」
「助かるぅー。ほんとあんたと仲良くしてて良かったわ」
「へへっ。あたし良い子だからねー」
おさげの女子からの感謝に、一際小柄な女子生徒は冗談めかして笑った。
2組以外の新入生クラスは、どこも新しい親交でにわかに賑わい、当然の姿を保っている。中には2組から一時的に逃げてきて、羨む生徒もいた。
県立
彼らが通うこの学校に突飛な特徴はない。
全校生徒約600人。各学年6クラス。地元では進学校寄りだが、目ぼしい経歴がある訳でもなく、ましてや事件など滅多に起きはしない。
けれどこの年、運命と神はその舞台を注視する。
そうして
◆◇◆◇◆
「……雅文」
懲りない呼びかけを、雅文は机に突っ伏しながら聞いていた。
耳心地の良い声。万人受けしそうなその声音は、それだけで敵対心を和らげさせる。
しかし今の雅文には、それも関係ない。
内にある火を自覚し大きくして、準備は出来たとゆっくり顔を上げた。
「………」
「え、あっ、雅文っ」
2週間ぶりに重なった視線。余りの唐突さに美桜は驚きが先に出て、それでもすぐ、心配の眼差しへと変わった。
その幼馴染は、自分が恋する相手。
久しぶりに彼女の顔を見て、雅文は改めて熱を実感していた。
……ああ、やっぱり好きなんだ。
その顔をいつまでも見ていたい。憧れだけでなく欲情もあって。過去の己に偽りなんてなかったのだと再認識した。
そして、いつか決めた事を思い出す。
それは誓いであり、願いであり、覚悟であった。
今目の前にしている事に比べればどうでもいい事かもしれないけれど、せめて自分を見失わないように最後まで抱えていたかったのだ。
彼女を救ったその先。
その時の自分はきっと、あらゆる苦しみを乗り越えたはずだから。
それなら、自分も自分を認めていいだろう。
この想いが報われるのを夢見ていいだろう。
だから。
99回殺されて、最後の自分に辿り着き。
全てが終わったら、この気持ちを伝えるんだ。
100回目のきみへ。
その目標を、実感した熱を、雅文は切り離す。
でもこの決別は一時的だ。
必ず成し遂げ、再び抱えるから。
そう決意し、雅文は恋していた幼馴染に向けて口を開いた。
今までを壊すため。
——〖序章〗完——
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