【24話】‐29/99‐

 暗闇に空いた穴から瞳が覗いている。

「んーもうちょい」

 そう呟いた白波瀬は、空洞の壁を少し削り取った。余分なその砂は、トンネルの外側に張り付けて再利用する。

 海にやってきてしばらく。白波瀬は無邪気に砂遊びをしていて、希李もその手伝いをしていた。

「今更だけどこれって、何作ってるん?」

「血圧測る奴?」

 どうやら目標も決めずにトンネルを作っていたらしい。それでよくここまでこだわりを持てるなぁと感心しながら、希李は濡らした砂を固めて山にする。

 白波瀬のために集めたその材料は、作業が滞っているせいで中々減らない。トンネルより高く盛ったところで、希李は手を止めた。

 いよいよ暇を持て余し、なんとなくビーチを見渡して。

 すると希李は、「あ」と声を漏らす。

「どした?」

「いや……」

 普段は他人の独り言など気にしない白波瀬なのに、何かに勘づいたのか顔を上げる。とっさに希李は誤魔化そうとしたが、向けていた視線は既に辿られていた。

 そうして白波瀬も、その揉めている集団に気づく。

「あーあいつか」

 三人の女子に一人の男子がちょっかいをかけているところだった。水着を着ている女子に対して、男子はTシャツにハーフパンツ、裸足と用意もなく砂浜に来たような格好だ。

 ナンパじみたその光景は、ビーチではありふれたものだろう。けれども希李の眼差しは愁いを帯びていて。ならばあれがお目当ての男だとは、さすがの白波瀬にも分かった。

 顔を知れて満足したのか、白波瀬の興味はトンネルに戻る。それから少しの沈黙の後、何気なく問いを投げてきた。

「声掛けねーの?」

「……。うん、いいや」

 そう応えると希李は、視線を水平線の方へとやった。動かないでいるから冷えたのか、少しだけ下がっていたファスナーを上げる。

 白波瀬は内心で、水着を見られない事を残念がるのだった。


◆◇◆◇◆


「おっと」

 加納雅文は、迫った拳を後ろに下がり避けた。

「近寄んな! 帰れ!」

 拳を放った永見は猛獣の如く牙を剥く。その背中には美桜とユーリを庇って、男が近づかないよう威嚇をしていた。

 あまりに尋常じゃない様子に思わず周囲も視線を集め、野次馬が輪になっていく。そんな状況をまるで気にしていない加納雅文は、笑顔を保ちながらまた、足を踏み出した。

「話ぐらい聞いてくれよー」

「死ね!」

「オレ、心入れ替えたんだよー。だから、前みたいに仲良くなりたいんだって」

 永見の罵倒を無視して軽薄な笑みを見せる。その言動が信用出来ないとは、人の好い美桜もさすがに思い知っていた。

 警戒を解かない相手に、加納雅文はどうにかこうにか言葉を繋げる。

「そういや美桜、ちょっと前誕生日だっただろ? それのお祝いがしたいんだよ」

「……今更過ぎない?」

 野次馬の目を気にして永見を落ち着けた美桜は、突拍子のない話題に眉をしかめた。

 美桜の誕生日は6月12日。もう随分と前だ。その指摘にも男はあっけらかんと言う。

「ああいやほら、オレ色々あって精神不安定でさ。忘れてた」

 あまりにもその場限りの発言に、美桜も口を開けなくなる。すると代わるように永見が悪態をついた。

「適当な事ばっか言ってんなよ。ほんと殺すぞ」

「怖いなー」

 本気の殺意にも加納雅文は「あはは」と笑うだけ。まるで歯牙にもかけない。美桜の方が心配になるほどだった。

「もういいから帰って。出来るなら話もしたくない」

 このままでは本当に永見が人前で手を上げてしまう。例え自分のためとはいえ加害者にはなってほしくないと思い、美桜もハッキリ告げた。

 すると男は黙って、その場に立ち尽くす。ようやく諦めてくれたのかと美桜は永見とユーリと共にその場から離れようとして、

 直前、手首を加納雅文に掴まれた。

「てめっ」

 反射的な永見の怒りを遮り、彼は告げる。


「美桜、好きだ」


「……っ」

 引き寄せられ、至近距離からの告白に美桜は思わず息を呑んだ。

 けれどすぐ、永見の拳が迫り加納雅文の頬を殴る。男は美桜から引き剝がされ、無様な声を上げながら砂浜に尻餅をついた。

 それでもこの気持ちは嘘ではないと、彼は自分の胸に手を当て訴える。

「おれ、ほんとに心入れ替えたんだ! だからその証明をしたい!」

 野次馬から見れば、その熱意は真実に捉えられたかもしれない。けれど今までを知っている美桜にとっては、酷い寒気しかしなかった。

「……さっきから何なの。言ってること、変だよ」

「本気だから」

 怯えた声にもまっすぐな瞳が返される。じっと見つめれば見つめるほど、そこには先ほどの軽薄さは見当たらなくて。

「っ」

 なんだか、以前の彼を久しぶりに見たような気分になった。

 ずっと同じ道を歩いてきた幼馴染。弱いけれどとても優しくて。泣き虫なのに絶対諦めなくて。そんな、誰よりも誇らしく思えていた彼。

 目の前の男にはまだ、彼が残っているんじゃないかと感じてしまって。

 一瞬揺らいだ美桜に対して、加納雅文はけろっと表情を変えた。

「じゃあ、あっこから飛び込み成功したらオレと付き合ってくれ!」

 突拍子なく岩場を指差す。その落差に美桜は混乱した。

「は? 何言って……」

「よーし行くぞー!」

 美桜の疑問を置いて加納雅文は走り出していた。裸足のまま岩場へと踏み入る。立ち入り禁止の看板も無視して、天然の階段を止まる事なく登った。

 誰もがポカンとしている。野次馬に囲まれる美桜達も、岩場を駆け上がる男を見上げて時を止めていた。

 しばらくして海面から約十mの場所に立った加納雅文は、愛する女性に向けて手を振った。

「みおーッ! 見ててくれーッ!」

 その声は砂浜中に響き、状況を知らない人達の視線も集める。女性の名前を呼ぶ男。それだけで、意中の相手にアピールをしていると分かるだろう。

 そして、彼女も注目に巻き込まれる。

 野次馬達が呼ばれた美桜を見つめ、更に遠巻きに眺めていた者達もそこにあの男と関係する女性がいるのだと悟った。

 周囲の認識が固められていく。男の言動が彼女と繋がれていく。

「……」

 まるで仕組みを全て理解したかのような行いに、その少女は恐ろしく思った。

「………」

 また、別の少女は寂しさを抱き、やはり目を逸らした。

 愛を叫んだ男が跳ぶ。

 突き立つ岩場から波打つ水面へと向けて。

 無謀な挑戦に衆人達は呆気にとられたままその大きな水音を耳にした。

 高く跳ねた飛沫はすぐに呑み込まれ、波が砂浜で押し引きする。賑わっていたはずの砂浜は、まるで人が消えたかのように静寂となって。

 それを破るキッカケも現れないまま。

「え、ヤバいんじゃない?」

 1分以上経ってようやく、誰かがそう言った。


◆◇◆◇◆


「っ!?」

 初めての溺れた感覚に、雅文は飛び起きた。

 肉体はリセットされたはずが、肺に入った水を吐き出そうと咳が出る。思わず口に手を当てて、そこでようやく違和感に気が付いた。

「おい大丈夫かっ!?」

「……え」

 上体を起こした自分の顔を、誰かが覗き込んでいる。知っている顔だ。

 雉尾大介。中学時代の友人。膝上まで覆う競泳用水着を履いている彼は、心配するよう雅文の背中に手を置いていた。

 それに、やけに視線を感じる。

 雅文の周囲では大勢の人が囲っていて、一定の距離を保ちながらもじっと様子を窺っている。その中には美桜や永見達の顔も並んでいた。

 砂浜。視界の端には、意識の途切れる直前に跳んだ岩場もある。

「あ……」

 雅文はようやく気付いた。

 全身を包む倦怠感。重い頭。消えていない傷。

 自分は、生きている。溺れはしたが、死ねなかったのだ。

 雅文の体は頭から爪先まで濡れていて。その側では同じように水を滴らせる雉尾。息が少し上がっているようで、彼が水底へ沈んだ自分を引っ張り上げたのだとはすぐに察せた。

 そんな彼が、肩を強く掴んで問い詰めてくる。

「お前、なんであんなことしたんだよ! 死ぬとこだったんだぞ!」

「あ、え……」

 言葉が出ない。今の自分は誰だ。いつもはどうしてたんだっけ。

 仮面の被り方を忘れてしまい、隠れそびれた本性は惨めにたじろぐばかり。どうすればいいとか、何をすべきとかも考えられずに顔が引きつっていく。

 更には、弱いソイツは周囲の声をやけに拾った。


「急に立ち入り禁止の場所に」「頭おかしいんでしょ」「それで助けられてるって」「結局何がしたかったの」「注目されたかっただけでしょ」「死んでた方がマシだったんじゃね」


 すぐ側にいた雉尾の声が遠ざかって、自分を責めるナイフばかりがチラつく。よほど自分の身が可愛いのか、向けられる切っ先に心は悲鳴を上げていた。

 死んでしまえていたなら、この場から離脱出来たのに。助けられたせいで余計な苦しみを味わわせられている。

 その原因が、今も目の前で声を荒げている。

「おい、返事しろって!」

「っ」

 ついに雅文は我慢出来なくなって、雉尾の腕を振り払った。そのまま立ち上がり、方向も定めずに走り出す。

「あ、おい!」

 止める声など無視をして、囲っていた野次馬を押し退けた。そのまま砂浜を抜け、今も刺してくる視線からひたすらに逃げていく。

 必死に走れば足の裏が痛みを叫んだ。裸足で岩場を登ったものだから、いくつもの傷を刻んでいるのだ。

 これも、死んでいれば消えていたはずなのに。

 歯がぎりと軋む。止められない感情が涙を滲ませた。

 自分は何のためにこんな事をしているのだろう。

 決めた覚悟も揺らぎ始めていて。それでも雅文は足を動かす。

 地面に残った血の跡は、進むにつれて濃くなっていった。




 砂浜を飛び出した男に二人組の少女が気づく。あどけなさの残る顔つきは、まだ中学生のようだ。

「さっき飛び込みした人じゃん」

「やっぱり……」

「? ハナ、知り合い?」

「……うん、たぶん」

 頷いた少女は赤い足跡をじっと見つめる。

 そうして立ち止まったまま、食い違う面影を思い返していた。

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