【19話】‐16/99‐

 ユーリの目の前に皿が置かれた。盛られているのはタレで味付けされた豚肉と複数の野菜。出来たてで湯気が立っている。

「では、いただきます」

 手を合わせ、箸を取る。

 まずはとメインの豚肉とすっかり茶色く染まったキャベツを一緒につまみ、口へと運んだ。匂いだけで白米が恋しくなるが、茶碗は用意されていない。

 黙々と食べ進めていくユーリに、向かいの椅子に座っていた希李が少し不安げに問いかける。

「どう?」

「……。いまいちですね」

 口内を空にしたユーリは、率直な感想を告げた。続けて、料理人に向けていた視線を皿へと戻し、その欠点を指摘していく。

「まず、調味料が多いです。食材が食感だけしか感じられません。それと、一部の野菜に火が通っていませんでした。その原因は恐らく量だと思いますので、野菜の種類を一つ二つ減らしてはどうでしょうか」

 スラスラと挙げられる助言に、希李は若干顔を引きつらせた。

「……ユーリ、結構的確に言うんだね」

「食は奥が深いですからね」

 どこかキリっとした顔で言って、ユーリは食事を再開させる。コメントは辛口だったものの箸を止める事はなく、あっという間に皿の上を平らげていった。

 しばらくして「ごちそうまでした」と礼儀を示す友人に、希李は思わず失笑してしまう。

「へへっ、料理ってむずいねぇ」

「美味しかったですよ」

「いや美味しかったんだ」

「焼き肉のタレは何でも美味しくします」

 俗っぽい言葉を告げる神の使いに希李はまた笑みをこぼす。例えお世辞であっても嬉しかった。

 感想を聞き終えた希李はすぐに立ち上がり、片付けていなかったフライパンを再び握る。そして助言を参考に料理へ再挑戦していった。手の空いたユーリはその様子を後ろから興味深げに眺めている。彼女はまだ料理をした事はないようだ。

 軽い会話を交わしながら肉と野菜を炒めていると、ふと玄関の方で扉が開く音が聞こえ、希李はすぐに火を止めてキッチンから顔を出した。

「おかえりー」

「た、ただいま」

 当然のように出迎える希李に、家主である雅文はぎこちなく返す。バイトから帰るのを待ってくれる事はもう何度目かになるが、未だ慣れない様子だ。

 どこかソワソワとしながら靴を脱ぐ雅文を、希李はじっと見つめている。

 そこにいるのは間違いなく加納雅文と言う一人の少年。しかしその真実は全くの別人で、どれだけ目を凝らしても認識は書き換えられたまま。

 そうとは知らず、彼はその肉体を殺していく。

 彼の嫌う悪を、希李は見ないフリをすると決めた。だから少しでも彼のためになろうとしているのだ。それは以前から変わらない決意ではあったが。

「ご飯作ってるから待ってて」

「あ、うん。分かった」

 少し照れ臭そうな返事を聞き、そそくさとキッチンへと戻る。

 すると、さっき食べたのにつまみ食いをしようか葛藤している一人の少女を見つけて、希李は晩御飯の完成を急ぐのだった。


◆◇◆◇◆


 時は戻り、学校の屋上へと続く扉の手前。

 階段の終端に腰かける希李に誘われ、ユーリも隣に座る。すっかり怒りを鎮めた希李は、解決していない種明かしの再開を促した。

「99って数字は、ノルマじゃなくて残機って事だったんだね」

「その通りです。それはつまり、雅文が99回殺されたとして、望みが叶えられる保障がないという事でもあります。単に、神様が用意出来た最大数ですので」

「じゃあ、全部無駄になる可能性もあるんだ」

「はい」

 この真実による最大の不安に、神の使いは隠す事なく頷いた。とは言え言い振りからして全く根拠がない手段という訳でもないのだろう。

「まあ、信じるしかないのかな」

「途中で投げ出すにも、雅文に伝えないといけなくなりますので」

「出来るなら最後まで隠し通したいもんね」

 消費される99の命。その恨みは自分に向いてくれるだろうか。彼は何も知らないのだから、恨まないで欲しいなと希李は思った。

「ところでさ、加納君の元の体はどうなってるの?」

 話題はずっと気がかりだったものへ。彼の精神が99の肉体を転々としているなら、加納雅文自身の体はどこにあるのか。

 もうないのかもと半ば諦めながらの質問だったが、意外にもそこには救いがあった。

「雅文の体は、雅文が現在使用している体の持ち主に使われています。それと残機にも含まれていませんので、全てが終われば彼の魂は元の肉体に戻るようになっています」

「へぇ、そこは思ったより親切なんだ」

 今までの隠ぺいに比べてそんな感想を抱くが、ユーリはそういう訳ではないと神の慈愛を否定した。

「親切と言うより、神様が結果を変えられないためです。運命による観測点である3月8日、村松美桜が死ぬ瞬間に、魂と肉体が食い違う人間が存在していた場合は、そこから全てが明るみに出て修正が行われてしまいます」

「なるほどね。にしても結果を変えられない、か。じゃあもしかして、99人は元から死ぬのが決まってたりするの?」

 ユーリは頷いた。そもそも99の命を救うのはもう無理な事だった。加えて、無価値の人間の死に様が変わっても、結果の変化には含まれない。

 運命には見向きもされていない人達。そこには当然、加納雅文も含まれている。

 自分はどうなんだろうな、と考えかけた希李だったが、答えを求めるのはやめた。

「聞く感じ、結果が一緒になる範囲なら結構やりたい放題ってわけだよね」

「細かな制限はありますが、そう捉えていただいて問題ありません。希李が撮影していた動画の様子もその例です」

 警察がやって来たのにあっという間に日常を取り戻した教室。明らかに異様な光景ではあったものの、記録に残るのは驚嘆で満ちた平常な景色だけ。人の記憶は曖昧なのだから、いくらでも異常の埋め合わせが出来るのだろう。

「加納君の別人のような振る舞いも、実際に別の人の体だからって事だよね、多分」

「そうでしょう。思考能力等は肉体に作用される事が多いですので」

「けど、別の脳を使っても、加納君でいられるってのはよく分かんないな」

「それについては、人間の自我は魂にあるからです」

 ハッキリ告げたユーリに、続きを促すよう希李は首を傾け、それに神の使いが応える。

「魂の持つ機能は、記憶と思考の決定権であり、脳とは切り離して存在しています。脳が持つとされている記憶機能は、実際は魂の記憶を再生するものなのです」

 例えるなら、肉体がコンピューターで、魂が有する記憶は外部メモリ。思考の決定権と言うのは、コンピューターを操るコントローラーと言った所だ。

 どうにかゲームにも当てはめられ、希李も一応は理解をしたらしい。

「ま、なんとくは分かったよ。神様にも結構ルールはあるんだね」

 終始、希李の表情に驚きは少なかった。呼び出した当初に浮かべていた怒りも、すっかり微笑みで上書きされている。

 その様子を観察していたユーリは、変わった人だと評価する。知識で知っている以上に人間は様々な性格を有しているのだと。

 質問は終わりと希李は立ち上がった。

「とにかく、これで心置きなくユーリとも一緒にいられるね」

 すっかり親しみを抱く希李に対して、ユーリの方はいまいち距離の縮め方が分からなかった。とりあえずと行動を真似るようにしてユーリも腰を持ち上げる。

 気づけばもう1時間以上この場にいたようで、屋上の扉から覗く空の色は変化しつつあった。それに希李も気付いて、ユーリと視線を合わせる。

「それじゃあ帰ろっか」

「ええ、そうですね」

 提案され頷き、希李を追いかけ進入禁止のチェーンをくぐる。どうやら今日も、彼女は加納家を訪れるらしい。

 献身的な行動に、以前読んだ漫画で見かけた『一途』という言葉を思い出す。まさに希李にこそ当てはめるべき言葉だと。

 恋愛とはやはり奥が深いのだなと改めて思い、そこでふと疑問を覚えた。

「希李は、親しみの証として私の名を呼んだようですが、雅文の事はなぜ苗字のままなのですか?」

 会話の中に何度も出てきた呼び名。自分よりも長い付き合いで、更には親しみの情も深いはずなのにどうしてだろうか。

 その指摘に、背の低い少女は気まずげに視線を逸らす。

「え、いや……恥ずかしいじゃん」

 珍しく顔を赤くする希李に、ユーリはより興味を抱いたのだった。


◆◇◆◇◆


 体育の授業。

 その内容は体育祭に向けての練習がほとんどとなっていて、生徒達はグラウンド内で三つほどのグループに分かれ、それぞれの選択種目を予習している。

 本番までもう数日と迫っているが、1年2組は体育祭をそれほど重要視していないようで全体的に気の緩んだ雰囲気だ。

 そんな集団の一つに、悪意が入り込む。

「……やる気になったんだ」

 突然歩み寄って来た加納雅文に、美桜は睨みながら言う。すると彼は相変わらずの嫌らしい笑みを浮かべて白々しく返した。

「いやぁ、やるからには勝ちたいからさぁ」

 二人が立つのはトラック競技用のレーン。前方では少し前に出発した二人の生徒が隣接する足を紐で繋ぎながら走っていて、すぐ側では美桜とペアを組む予定だった女子がさりげなく距離を取っていく。

 加納雅文が適当に割り振られた競技の一つが、二人三脚だった。

 その競技の性質上、誰かが彼のパートナーにならなくてはならず、誰もが嫌がった結果、美桜が名乗り出たのだ。

 参加しないのならそれで良いとすら思っていたが、彼が望むような事をするはずもない。だからこそ余計に美桜の言葉には棘が込められる。

「勝ちたいならもっとちゃんと練習してよ」

「ごめんごめん、体調悪くってさ」

 誠意の欠片もない謝罪に美桜はあからさまに怒りを募らせるが、発散までは抑えた。もうこんなやり取りも数知れず、慣れてしまっているのだ。

 そしてそれは加納雅文の方も同様で。気安く近づいた彼は、権利があるとばかりに肩へと右腕を回して来た。

「それじゃあ、優勝目指して頑張ろうぜ」

 薄っぺらい鼓舞に、美桜は何も言わず足首を繋ぐ。

 それは信頼の紐ではなく、監視の鎖だった。

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