エンゲージ

1


「襲われた姉ちゃん、完全にパニックになってるわ」


 勇者協会から離れて市街地へと逃げ出した女性を眺めながら、姫子松は鋼の背中でそう零した。


「もしくは、他の人間に擦り付けようとしている可能性もあるな」

「うーわ。それは流石に捻くれすぎやろ」


「旧大陸の人間はムウ大陸出身者と違って好戦的じゃないが、その代わりに陰湿だからな」

「それってコウとあの姉ちゃん。どっちの事言うとるん?」

「自分の事を陰湿なんていう訳ないだろ」

「なるほど陰湿やわ」


 そうこう言っている間にも戦闘を走る女性は人気の多い所へと向かっていく。

 道行く人は子餓鬼を見るや逃げ惑い、いたずらに騒ぎを大きくしていた。


「なぁ、子餓鬼はなんでダンジョンから出られる程に強くなったんや?」


 自分で奔っていない姫子松は騒ぎの中でも余裕の表情でそう聞いたが、その疑問は世界中で長らく不明だった事でもある。


「ダンジョンで人間が死ぬと、その人物が今までに貯めて来たレベルやスキルなんかの力がダンジョンに還元される事は知っているか?」

「……還元。ダンジョンはその力を使ってモンスターを生み出してるんか?」


「そうだ。じゃあ、ダンジョンで強い人間が死ぬとどうなる?」

「より多くの力が手に入るなぁ」

「今回の場合はその力でアイツ等を生み出したんだろう」


 彼女は鋼の答えに納得して「なるほどなるほど」と呟く。


 それは8年も前の出来事。

 ダンジョンが発生してから直ぐに、日本中でモンスターが溢れるという事件が発生した。


 原因はレベルやスキルを手に入れて己の力を過信した中規模パーティーの一斉死とされており、誰一人として帰ってこなかった事から、強力なボスモンスターに遭遇したというのが現在の見解だ。


 彼らの消失は日本中へダンジョンでの死についての新事実を知らしめると共に、強力なモンスターを地上に解き放つ結果となった。



 しかし、姫子松はもう一度首を傾げる。


「でも勇者協会はその人間ならダンジョンをクリア出来ると判断したんやんな?」


 勇者協会の主な仕事は勇者の実力を把握する事と、彼らへの任務の斡旋である。


 つまり姫子松は、協会が「今回ダンジョンで命を落としたと思われる勇者の実力を見誤ったのか」という事を聞いていた。

 しかし、勇者協会は日本にモンスターが溢れた日から発足され、何年もの間勇者達を支えて来た優良企業である。


 判断を間違えた可能性は限りなく低いだろう。


「死んだ奴の運が悪かったか、間抜けだったか」


 ……もしくは端から勇者協会に属さないモグリの勇者だったか


 付け足された言葉が明日の自分を示唆しているように思えて、姫子松はブルリと震える。


「な、なぁ、玲と美波は子餓鬼に勝てるんやんな?」

「珍しく弱気だな」

 

 姫子松はそう聞くが、それに関しては常日頃から最女部員の戦闘について考えている然しもの鋼にも分からなかった。


 確かに、ダンジョンで出会う子餓鬼程度ならば問題は無いのだろう。

 彼らのレベルは精々が15前後であり、脅威になる様なスキルも覚えないからだ。


 しかし、それがダンジョンの外へ出た個体となれば話は変わって来る。レベル30とは言わないが、20後半は覚悟しておくべきだろう。


 だが、鋼はあくまでも毅然とした態度で言い放つ。


「勝つか負けるかじゃない。マネージャーの仕事は部員を信じる事だ」

「誰の真似や?」


 そのセリフは粉う事無く久遠の真似であったが、その言葉に嘘偽りは無かった。


「馬鹿言え、俺のオリジナルだ」

「センスないわ」

「仕舞にゃ下すぞ」


 何時ものペースを取り戻しつつある姫子松だが、腰が砕けていたのは本当である。

 既に震えは治ったが、元気に走り回るにはもう少しだけ休憩が欲しかった。


「それにしても、3匹の子餓鬼は二人から殴られっぱなしやけど各個撃破なら出来るんと違う?」

「仲間が殺されたら逃げるぞ」


 姫子松は時間稼ぎに放った質問にも真面目に答える鋼を見て笑うと、少しだけ本気で頭を働かせ始めた。


「あんな形でも恐怖は感じるんやな。でも、じゃあ、なんであの姉ちゃんを執拗に追いかけとるんや?普通は攻撃して来る二人から倒すやろ」

「子餓鬼はピラニアと一緒で血の匂いに敏感なんだ。獲物が血を流したら最後、死ぬまで追い続けるぞ」


「けったいな生態してるなぁ、そりゃあ他の人間に見向きもせんわ」


 彼女は戦闘を走っていたを不憫に思いつつ、歪んだ口をゆっくりと開いた。


「なぁ、ちょっとだけ良い作戦を思いついてんけど」

「……喋りながら考えたのか?」


 鋼は額から玉の様な汗を流しつつ、姫子松に懐疑的な視線を送る。


「誰かさん曰く状況判断とそれに応じた指示がうまいらしいからな」

「そりゃあ見る目のある奴だな。さぞ、顔も頭も性格も良い事だろうよ」

「確かに、イイ性格はしてるな」

「……ほざけ」


 流石の鋼も、重りを持ちつつ喋りつつ、前の二人を追うとなれば長くは持たなかった。息も絶え絶えに苦し紛れの嫌味を返し、少しだけペースを落とす。


「疲れて来とるやん」

「誰のせいだよ」

「可愛い女の子と触れ合えるねんで?許せよ」

「お前もう元気だろ。降りろ」


 姫子松は乗り物の肩をバシバシと叩くと、顔から楽しげな笑みを消した。


「これが最後の質問や。この近くに空き地、もしくは人気のない場所は?」


 鋼は靄掛かった思考で条件に合う場所を懸命に思い出そうとしていたが、外れの方にあるとは言え、それでも此処は東京都内である。

 人の居ない場所など、直ぐに思い付く訳もなかった。


 ドブ川までは距離があるし、魔法学園はここからでも十数分はかかってしまう。しかし、そんな悠長な事をしている暇もなかった。


「空き地じゃないが、この先にあるスーパーマーケットは木曜が定休日だぞ」


 それは、沙魚川家が普段から通い詰める家計に優しい大きなお店だ。

 脳みそへ十分な血液が送られていない中、その事を思い出したのは奇跡と言っても良い。


「ハハっ!!コウ、あんた頭おかしいわ!!」


 姫子松は上機嫌にそう言いながら、鋼の頭を激しく揺さぶる。


「あっやばい、気持ち悪くなってきた」


 先頭を走る集団まで十数メートルといった時、鋼は膝に手を付いて立ち止まった。


「すまん、ちょ、限界」

「軟弱め。まぁ後の事は任せとき」


「誰のせいだ」という言葉は嗚咽に混じって消えた。

 既に、昼食を吐かない様に耐えるだけで精一杯だったのだ。


 姫子松は鋼の背中から降りて走り出す。


「その代わり、今晩はお前の傲りな?」


 鋼は返事の代わりに親指を立てた拳を振り上げると、姫子松の背中を見送ってから地面に膝をついた。


2


 逃げ出した女性を追いかける榊原は何度目かになる斬撃を子餓鬼に叩きつける。

 しかし幾ら仕掛けても高い防御力に弾かれて、彼女の攻撃が子餓鬼に致命打を与えることは無かった。


「お姉さん!止まれそう!?」

「む、無理ですよぉ、状況見えてますかぁ!?」


 玲が大きな声で先頭を走る女性にそう呼びかけるも、帰ってきたのは予想通りのなんとも情けない返事だ。

 

「玲はゴブリン達に追われている時に足を止められるのかしら?」

「うーん、無理だね」


 だが、玲としても本当に彼女が止まれると思ってそう聞いた訳ではなかった。

 

「それにしても、どうして子餓鬼は他の人間を追いかけないのかしら?」

「弱そうだから?」

「貴女って意外と口が悪いわよね」

「はっはっは!攻撃力は低いのに口撃力は高いってね」


 その言葉が自分にも当てはまっていると感じた榊原が口を閉ざすと、後ろから「ぜぇぜぇ」と息を吸う声が聞こえて来た。


「や、やっと追いついたわ」


「お疲れ。それってカメラだよね、コウは?」

「へばったから置いてきた、これは形見や」

「僕らにばかり働かせて運動をしていないからそうなるんだよ」


 玲は今にも倒れそうな姫子松の背中に手を回して走りを補助してやると、今際いまわの際にある鋼に対して愚痴を零した。

 

「それより、あいつ等倒せそうか?」

「僕らの攻撃力じゃ無理だね」


「ウチの魔法ならどうや?物防が高いなら魔防は低い可能性あるんと違う?」


 打つ手を無くして途方に暮れていた二人は、姫子松の提案を快諾した。


「でも、毬の魔法じゃ周りに被害が出るんじゃないの?」

「それに関してはコウから人の居ないところを教えてもらってるで」


 榊原はそう言って胸を張る姫子松を手放しで褒め称えた。


「ここの通りを真っすぐ行くと、右手に誰も居ないスーパーがあるらしいわ」

「スーパーで魔法!?」

「ウチも耳を疑ってんけどな。コウは作戦を聞いた後、黙って親指を立て取ったで」


 それは確かに嘘ではないが、自分にとって都合の良い解釈を織り混ぜて限りなく虚偽に近い真実を生み出していた。


「各個撃破で逃げられるくらいなら叩けるときに掃討してしまいましょうか。沙魚川君の許可もある事ですし」


 榊原は姫子松の言動に怪しい所を感じていたが、だからといって自分が代案を出せる訳でもなかったので彼女の意見を全面的に肯定する。

 決して贔屓ではない。


「お姉さん聞こえてた!?」

「き、聞こえてましたけどぉ!スーパーは閉まってるんですよねぇ!?」


 彼女は不安定に震える声でそう返す。


 そう、スーパーは閉まっていた。

 誰も居ないなら好都合だな!と言う訳ではなく。文字通り、店はを下ろして閉店しているのだ。


「あー、美波あれ破れるか?」


 玲は遠目に見えて来たスーパーを視界に収めて口元を引き攣らせた。

 

 しかし、前を走る女性は足を縺れさせながらも、どうにかこうにかギリギリで走っている状況である。ここまで来たら不可能でも押し通るしかなかった。


 榊原は姿勢を低くして前を走る集団を追い抜くと、日本刀を抜いてスーパーの前で立ち止まる。


 初めに横に斬った。シャッターが持つ流れに従って、最大限の力を籠めて。


 しかし、20㎝程進んだ所でたわんだ鉄に阻まれて、刀が途中で止まってしまった。

 

 刀といっても結局の所は唯の鉄である。薄い刃で鉄を斬るというのは、それ程までに難しいのだ。


 彼女は刀を引き抜いて深く息を吸う。

 全身に酸素を行き渡らせると、高ぶった精神が落ち着きを取り戻した。


 一閃。


 シャッターに当てる刀の位置は根元から先端に変えている。


 あくまでも刀へ負荷を掛けない様に力を抜いて、鉄の表面を撫でる様に優しく、優しく、そして……速く

 

 榊原は刀を縦に下ろすと地面の近くで切り返して斜め右上へ、そこから稲妻を描く様に最初に入刀した部分まで腕を動かした。


 ビデオカメラ越しにそれを見ていた姫子松には、榊原の刀の軌道を読む事は到底出来なかっただろう。なにせ、シャッターを切る時に鳴った音はたったの一度きり。慣性を殺して切り返した時でさえ、音が途切れることは無かったのだ。



 数秒遅れてようやく斬られた事に気が付いたシャッターが、ガラスと共に店の中へ倒れた。


「中に入ったら十数える間に裏口から逃げなさい。少しでも遅れたら子餓鬼が襲う前に私が貴方を叩き斬るわよ」


 目の前で鉄を斬った人物にそう言われれば、嘘だとわかっていても背筋が凍ってしまう。

 子餓鬼に襲われている女性は一片の躊躇もなく榊原の切り開いた三角形の入口へ頭から飛び込んだ。


 勿論、モンスター達も彼女の後を追ってスーパーマーケットの中へ入ろうと押しかけていた。


「行かせないよ」


 玲は子餓鬼の後ろからバスタードソードを振りかぶり、右側に居る一体へと斬り掛かる。


 剝き出しの、生身の肉体へ当たった剣は「ガキン」という、おおよそ人体から出てはいけない音に阻まれてしまった。


「防御スキル、厄介ね」


 子餓鬼は生まれ落ちたその瞬間から【ライフプロテクション】というスキルを覚えている。効果は、50ダメージまでの攻撃を使用者の代わりに肩代わりする盾を体の周りに生成する事が出来るという物だ。


 そして先程の「ガキン」と言う音は、その盾が壊れたという証でもあった。


 玲がジンジンと痛む手を押さえている間にも、子餓鬼等はスーパーの中へと歩みを進めていく。


 ……しかし、榊原は奴らに攻撃を仕掛けない。

 再び剣を握りしめた玲も後を追わず、過ぎ去った背中すら振り返らず、ただ、姫子松へと笑いかける。


 ライフプロテクションを破壊したのは、先程の個体で「最後」であった。

 こちらが傷を負う、血を流すリスクを鑑みれば、奴らに攻撃を仕掛けるのは最小限で構わなかったのだ。


「じゃぁ、お疲れさん」


 姫子松は3匹目の子餓鬼がスーパーマーケットの中へ入った事を確認すると、入口に開いた三角の隙間へ、全力の【ファイアーアロー】を叩き込んだ。

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