対第六 戦闘記録 3
「どーん」
気の抜けた掛け声とは裏腹に、爆発した矢の威力は凄まじいものであった。
まずやってくるのは、視覚の全てを覆いつくす真っ白い光だ。
光とはいっても、それは明るいとか眩しいだとか、そういう次元ではない。
いきなり別の空間へ飛ばされたかと錯覚をする程の鋭い閃光は、それをくらった者の平衡感覚と思考力を完全に奪い去った。
そこへ追撃としてやってくるのは亜音速の衝撃波である。
込められた魔力が爆発的に燃焼し、膨張した大気が矢を中心とした爆風波となって周囲を駆け巡るのだ。
最も近くにいた姫子松は衝撃により景気よく吹き飛ぶと、数メートルも離れている闘技場の壁に体を打ち付けられた。
暫くは闘技場を背に立っていたものの、光と三半規管へのダブルパンチで平衡感覚を失っている彼女は、口から血を流しながらやがて地面へとずり落ちる。
逆に矢から遠かった奥見の被害は姫子松と比べて軽傷であった。
それでも、地面を転がったせいで全身に痛々しい擦り傷と打撲痕を作り、地面を舐めながら目を回している。
『さ、炸裂ッッ!!!牽制かと思われていた最初の矢は壮大な布石だった!!』
『【デトネーション】か。まさか初っ端から仕掛けていたとはな』
「……ってぇなぁ、誰がここまでやれって言ったよ」
長澤はあからさまにイラついた様子でそういうと、耳に手を当てながら姫子松の元へと歩いていく。
幸いにも奥見の盾が間に入っていた事で爆風の直撃を免れる事が出来たのだ。
「ダメっ……!」
榊原は二人の危機に気が付くと我を忘れて仲間の元へ駆け出すが、敵を前に隙を晒した彼女の背中には射手によって矢が突き立てられた。
「付き合ってと言った。三度目はない」
清水はそう警告すると、榊原の後頭部に弓を弾いて狙いを定める。
誰もがもう終わりだと思った。
観客は勿論のこと、実況の川路は嬉々として結果を確信する。
「勝負は決した、降参しろ」
誰もが諦めた。
生徒等は第七の最女に対して「よくやった」と賛辞を送り、そして、彼女等に賭けていた勝者投票券を破り捨てた。
終わりだと諦めたのは何も観客だけではない。
榊原もまた、身動きの取れない姫子松に刻一刻と迫る長澤を眺めると、僅かに握られていた刀を地面に落とした。
己が傷付くことは構わない。
半分とはいえ鬼の血が混じったこの体はひどく頑丈だ。
幾本もの矢を受けようと、全身から血を流そうとも、それでも未だに力は溢れて止まらない。
しかし、彼女の仲間はそうもいかなかった。
矢を受ければ力が抜けるし、血を流せば眩暈が起こる。
だからせめて、死ぬ事のないこの闘技場の中で、死ぬ程の痛みをあえて受ける必要はないだろう。
榊原は肩から流れ滴る血液を刀の代わりに握りしめると、掌に全ての怒りを込めて口を開いた。
「えぇ、仲間への追撃をやめてもらえるのなら、私は……」
今すぐにでも降参します
「 我 張 れ ぇ ぇ ぇ ぇ ! ! !」
その瞬間、観客席の方から周囲の人間に心臓を飛び出させる程の声を上げる人物が現れた。
あわや試合の妨害となり得るような声援は。場違いで馬鹿でかい信頼は、しかし、榊原に続きの言葉を飲み込ませた。
闘技場はシンと静まり返り、長澤が歩く度に聞こえる靴底の音だけがその場に反響する。
やがて、その音に混じり誰かのくぐもった声が聞こえてきた。いや、それは声と言うよりは嗚咽に近く、やけに湿り気を帯びた音だった。
咽て咳き込み、ヒュー、ヒューと喘鳴にも似た不安定な呼吸を繰り返しては、また息を詰まらせている。
「何がそんなに面白い」
長澤は闘技場にもたれ掛かった満身創痍の少女に問うたが、この様子では返事などできる訳もない。
「……誰?」
そうこうしていると、地面に横たわっていた奥見が意識を取り戻した。
彼女はよろよろと上半身を起こし、努めて懸命に状況を把握しようと首を動かす。
「毬……?毬!?」
奥見はボロ雑巾のように地面へ打ち据えられた姫小松を見つけると、未だに踊り狂っている内蔵を鷲掴み、無理矢理に地面へ足を突き立てる。
滑らかで綺麗だった肌と乳白色の長い髪は血泥塗れで以前の見る影もない。
しかし、ただ一点、彼女の瞳に宿る炎だけは悠然かつ轟々と輝きを放っていた。
「どいつもこいつも痛め付けてるのに嬉しそうな顔しやがって気色悪りぃ。第七はマゾ集団か何かかよ」
長澤は唾と共に言葉を吐き捨てると、死に損なった姫小松の頭上に拳を振り上げる。
奥見は走った。
インプレグナブルの動くよりも速く、己の脳が司令を出すよりも、ただ早く。
目が霞み平衡感覚を失っている中、振り下ろされる鉤爪を剣の先で止める事が出来たのは奇跡か、はたまた努力故か。
「 そ こ だ ッ ! 」
観客はまたしても声を張り上げる。
戦闘の内容に騒然としていた闘技場は、頭のおかしい部外者の出現によって再び静まり返った。
奥見 玲もまた、その声に呼応するかの如く出鱈目に吠える。
二人の力のステータスには、おおよそ二倍もの差があった。
そして弱者は怪我をしており、その差は更に広がっているはず。
それでも長澤の拳はゆっくりと、しかし着実に押し返されつつあった。
何のことはない。
戦いが終わるよりも早く、弱者の発する気迫に気圧されただけの事である。
「 い て ま え ッ ッ ! !」
観客は叫んだ。
姫子松は返事こそしなかったが、赤黒い血に塗れた顔には確かにいつもの天真爛漫な笑みを浮かべていた。
そして、小さな掌にはその見た目に似合わぬ程の凶悪な魔力が込められていく。
その光景を見て清水は焦っていた。
あんな物が自陣営に打ち込まれては、俊敏の高い自分はともかく横山は一瞬で消し炭になってしまう。
だから矢を構えた。急いで弓を装填し、勢いよく弦を弾き絞る。狙いは勿論魔法使いのコメカミだ。
それは同時に敵の前衛から視線を外す行為でもあったが、それはなにもパニックで判断を誤った訳ではなかった。
『魔法使いを撃っても、直ぐに逃げれば攻撃は届かない』
彼女は敵前衛の俊敏性を何度も目の当たりにした経験を総動員し、瞬時にそう判断したのだ。
榊原は地面に落とした剣を拾い直すと、地に沿って空を駆ける。
凄まじい速度ではあるものの、それでは確かにあと一歩分届かない。
清水の右手から離れた矢は驚くべき精度で姫子松へと飛来するかの様に見えた。
刹那の間、榊原は剣の柄を逆手に握り返すと全身全霊でもってそれを
ぶん投げた。
寸分違わず一直線に迫る日本刀をそのまま受ける訳にもいかず、清水は身をよじって剣を躱すが、寸前にケチが入った事で矢の角度がほんの数ミリだけ横にずれる。
たかが数ミリ、されど数ミリ。
出発点から間違った軌道で放たれたその矢は、姫子松の元へたどり着くも髪を掠めるだけに終わった。
美波はその事が分かっていたかのように納得した顔をすると、近くにいた横山の首根っこを掴んだ。
「 ぶ ち か ま せ ッ ッ ッ ! ! !」
俺は叫喚した。
喉が張り裂けようと、周りの観客から白い目で見られようと、戦争管理委員に叱られながら連行されようと、それでも息が続く限り声を出し続けた。
「ケホッ……あいつ、うるさない?」
姫子松が戦闘中と思えぬ程に和やかな口調で呟く。
レイは長澤を押し倒すと、盾で動きを封じてから身動きの取れなくなった相手の喉笛を切り裂いた。
「うるさいかも」
二人が顔を見合わせて笑い合ったのもつかの間、姫子松は突如として大量の赤黒い血を吐き出した。
それは、彼女に残された時間が残り僅かだということを表している。
「美波、あー、なんや……スマン」
彼女のか細い声が届いたかは分からない。
ただ、榊原は横山を両手で抱き締めると、そのまま力を込めていく。
「は、放して!やだ!それだけは嫌だよ!」
横山は己の末路を悟り、なりふり構わず榊原の事を殴りつけるが、彼女の物攻で美波を倒せる程のダメージを出せる訳もなかった。
「貴方も付き合ってくれるのでしょう?」
榊原は再三言われた言葉を清水に返すが、彼女は姫子松に弓を射る事で必死だった。
「釣れないわね」
彼女の声は誰にも届かず、虚空へと霧散する。
「最大威力の紅焔と共に、せめて華々しく死んでくれ!」
美波が微笑みを浮かべた途端彼女を中心にしてファイアーアローが炸裂し、近辺にあった全てのものが轟音と共に灰燼に帰した。
奥見 玲は考える。
「ね、ねぇ。貴方の仲間、死んじゃったけど……」
確かに、お互いに一人になってしまった。
「狂ってる」
彼女の常識に当てはめるのであれば、仲間が死んだのは、その人間が相手よりも弱かったからだ。
しかし何故だか今は、今だけは、彼女らの事を弱かったと切り捨てることはできそうになかった。
「そう見えちゃうか。でも、僕たちは正常だよ」
だからせめて正当化をした。
仲間が倒れた事を、そして、その仲間の事を強かったと思う自分自身を。
奥見 玲は疑った。
強さを疑った。弱さを疑った。常識を疑った。親の教師の友人の言葉を、自分の歩んできた人生を疑った。
すると、答えなら驚くほど直ぐに浮かんだ。
勝ちたかった
それだけ。
今まで不遇なステータスで辛酸を舐め続けて来た彼女等は、勝利への渇望というモノをすっぽりと忘れ去っていたのだ。
願えば虚しく、望めど至らず。
手を伸ばしても届かずに、ただ空を切るばかり。
だから、気持ちを心の底にそうっと閉じ込めた。
波を立てないように、荒を立てないように、埃の一つさえ舞わないように。
傲りは忘れ、誉れは嘗て、哀れに穢れた誇りと共に永遠に。
「弱者が悪なら、弱者が勝ちたいと思う事も悪なのかい?」
宣戦布告をされたとき。
本当は動揺した。
本当は怒りたかった。
本当は逃げ出したかった。
でも隣で自分の事の様に動揺する人がいた。
人目も気にせず自分以上に怒った人がいた。
半泣きでみっともなく逃げ出した人がいた。
「全部コウのせいだ」
波風を立てたのも、勝ちたいと思ってしまったのも、誇りを取り戻したのも全部。
レイは走った。
ふらつく足に鞭を打ち、ぼろぼろになった盾に身を隠し、バスタードソードを片手に持って風を切る。
清水は弓を構えると、これが最後の一撃になるという確信を持ってレイに照準を合わせた。
「あなたは魔力を込めた矢があの一本だけだと思っている」
清水が咄嗟に言った言葉、それは真っ赤なウソだった。
本当ならば素知らぬ顔をして起爆をすれば済む話である。
しかし、そう言われればレイは地面に落ちた全ての矢が【デトネーション】である可能性を考慮するしかない。
清水は残存する全ての魔力をギリギリと震えて鳴る弓の弦に伝わせる。
そして、レイから数メートルも離れた左側へ打ち込んだ。
「これで逃げ場はない。どこに行っても爆発する」
今までに放たれた矢はレイを取り囲むように地面へ突き刺さっていた。
矢のない場所など、もう清水の近くにしか存在しない。
罠だ。安い罠だ。見え透いている。それでも踏み込むしかなかった。
「逃げ場なんていらないよ」
篝に火は灯されてしまったのだ
彼女はもう二度と、勝利への渇望を捨てることはできないだろう。
誰にも止められない、誰にも邪魔できない、誰にも妨げられない。
何故なら彼女は、彼女等は。既に狂ってしまっているのだから
「そんなもの、無粋だ」
「【操矢】」
清水がスキルを発動すると同時、先ほど打ち込まれた矢が生き物のように振動して地面から抜け落ちる。
レイは相手がスキルを使った事を理解していた。しかし、この状況は彼女が望み、仲間の犠牲をもとに成り立ってる。だから足を止めることは出来ない。
魔力を込められた矢は清水の意思に従って宙を飛ぶ。レイの心臓へと向かって、一直線に。
盾を動かして清水の退路を塞ぎ、苦し紛れにばら撒かれた矢は反射を頼りに左腕で受ける。
ダメージは小さくないが、代わりに相手の四方を闘技場の壁とインプレグナブルで囲うことに成功した。
動きを制し、逃げ場を潰し、あまつさえ悪足掻きすら正面から受けきると、バスタードソードを振りかぶる―――
血潮が舞った
清水の首にはバスタードソードが突き立てられ、真っ赤な血が拍動にあわせて三度跳ねる。
しかし、レイは嬉しがるでも安堵するでもなく、ただ、その眼をガンと開いたまま静止していた。
彼女の心臓にもまた、矢が突き立てられていたのだ。
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