草原ダンジョン1

 未だ遠方に薄っすらと明かりが見えて来ただけの早朝も早朝。

 鋼は凡そ30分以上も早くやって来た事を後悔しながらも、自販機で買ったホットココアを啜った。


「流石に時間までは来る訳が無いよな」


 そう言って20Kgはあろう大きく膨らんだバックパックを地面に下ろせば、眠る草木に溜まった朝露が重みを増して静かに落ちる。


 鋼はスマートフォンと睨めっこをしながら、今から向かうダンジョンの注意事項を再度確認し始めた。


 さて、おさらいである。

「草原ダンジョン」という場所は脱初心者を目指す勇者が初めに訪れる場所だけあって、かなりシンプルな内部構造となっていた。

 周囲は10キロメートル四方で大きな壁に囲われており、ギミックとしてはスライムや子餓鬼を始めとした様々なモンスターが徘徊するのみである。


 加えて接敵頻度も高くないので、凡その勇者たちからは退屈で面白みのないダンジョンだと嫌煙されていた。 

 しかし、しかしである。


 この草原ダンジョンには朝晩の区別があるのだ。

 ……何を当たり前の事をと思っただろうか?


 では、この街頭がひとつもない牧草地で夜を迎える事を想像して欲しい。


 辺りは当然真っ暗である。

 たとえ微かに見える月明りと小さなキャンプファイヤーを頼りに夜の番をしても、夜目の利かない現生人類では活発に動き回るモンスターの気配を察知する事すら出来ないだろう。

 

 遮蔽物も逃げ場も無い場所で、何時、何処から、誰に襲われるかも分からない空間で、或いは現れもしない敵を探して睡眠時間を削って目を凝らし神経をすり減らす。


 精神の弱い者ならば発狂してもおかしくはない筈だ……



「やっ、はやいね」


 色々と思案をして険しい顔になっていた鋼の背中が、爽やかな声と共に叩かれた。


「玲こそ30分も早いじゃないか」

「大丈夫、昨日の夜はぐっすり眠ったから」


 どうやら玲は昨日購入した装備を既に着ているらしく、振り返った鋼は彼女の姿に目を奪われてしまった。


 Yシャツの上にはオーバーサイズの白いナイロンモッズコートを肩から掛け、下には何の意味があるのか幾つものベルトが彼方此方から垂れ下がったカーゴショガーパンツを履いている。


 腰にはモールと弾納を、背中にMP5を担いだ姿は、さながら場違いな格好で戦地へ赴く新米傭兵の様だ。


「いい装備じゃないか。似合ってるぞ」


 8年前ならばその厨二臭い恰好に道行く人間は恐れ戦いたかもしれないが、今となってはこれでも落ち着いた部類である。


「何で二人ともおるん?」


 寝起き眼の姫子松は自分の髪と同じ、真っ赤に燃える様なポンチョコートで現れた。膝下から覗く眩しい肌は、彼女に内包された溢れんばかりの生命力を表しているようにも見える。

 

 付き添いの美波は派手な姫子松とは対照的に、いつもの制服の上からブレザーの代わりにミリタリーの薄いジャケットを着ただけのシンプルな格好をしていた。


「全員が揃ったのなら都合が良いわ。少し早いけれどダンジョンへ向かってしまいましょうか」


 現在時刻は5時35分。

 こんな時間からダンジョンへ向かう奴は、相当に気合の入った奴か相当な馬鹿だけだろう。


 ◇


 爽やかな春風が吹きすさぶ早朝のこと。果てしない丘陵の広がる草原では、一組の新制馬鹿パーティーが『子餓鬼』の群れと対峙していた。


「毬、援護を!」


 名前を呼ばれた赤髪の少女は子餓鬼へと向けて自身の体長に迫る大きさのバスタードソードを振りかぶり、取り巻きの子餓鬼を相手取る。敵の持つ粗雑なこん棒と鍔競り合いになるが、日々の手入れと彼女自身の膂力が功を制して手ごたえは上々であった。


 群れの中でも一際大きな子餓鬼は、腰蓑の上にぽっこりと乗っかった腹を摩りながら醜悪な笑みを浮かべて鬼娘の美波へと襲い掛かる。

 やせ細った腕から振るわれたとは思えない速度で迫るこん棒だったが、美波は寸でのところで身を捩り躱す事に成功した。


「やっぱ無理やわ!玲、助けてくれ!!」

「誤射ったらごめんネ!?」


 弱い奴から片付けるのは狩りのセオリーだ。

 玲が短く返事をして毬と鍔競り合いになっていた小柄な子餓鬼へ鉛玉の雨をぶつけると、そいつはものの数秒でボロ雑巾となり地面に倒れ伏した。


「うわぁ、ナイスヒット……」


 一歩間違えたら。いや、間違えられたら自分も同じ目に合っていたのだと想像し、毬は引きつった笑みを浮かべながら呟いた。


「後はあなただけね?」


 美波がそう言って大柄な子餓鬼に向かって走り出したので、玲も援護の為に腰のホルダーから細長いグレネードを出して放り投げる。


「フラッシュ!!!」


 ソレが地面へ落ちた瞬間、暴力的なまでの閃光と爆音が辺りを穿った。

 事前の打合せ通り身を翻して耳を塞いでいた美波は、身を縮こめて蹲っている子餓鬼へと凄まじい速度で肉薄する。


 子餓鬼の後ろへと通り過ぎた彼女が立ち止まって無銘の「天霧」を鞘にしまうと、ゴブリンの体が斜めにズレて上半身だけが地面へと落下した。



 人仕事を終えた少女達はその身に受けた返り血もそのままに、少し離れた場所でカメラを構えていたコウの元へ元気よく帰っていく。

 


「ねぇ、今回は結構よかったんじゃないかい?」


 彼女等のマネージャーは色々と言いたい事があったが、しかし。

 今は戦闘の理論よりも、もっと重要な「経験値稼ぎ」という命題が残っている事を思い出して口を閉ざした。


「…………アァ、良カッタゾ」

「やっぱりね!」


 彼がこうも急ピッチでレベリングへ励むには理由があった。

 

(ならば次の『運動会』までには彼女等自身に可能性を示してやる事くらいは訳もないのだろう?)


 久遠先生との間に交わされてしまった約束の日まで残り1ヶ月を切っていたのだ。

 そして、運動会を期日にしたという事は「そこで何かしらの結果を残さないといけない」という事が暗に示されていた。


 もし、何の成果も得られなかったとしたら?

 ……その時は勇者パーティーから追放されて逆恨みざまぁをする機会すら貰えずに、汚されたプライドも押し付けられた膨大な借金もコンクリートと共に東京湾へ沈むしかあるまい。

 

 絶対に姫子松だけは連れて行くがな!!

 コウはそう決心すると、哀愁の混じった溜息を吐き出して地面に腰を下ろした。


 そのまま暫くの間は右へ左へ飛跳ねる三人を眺めていたが、ふと、手元のスマートフォンへ視線を移す。


 画面にはゆっくりと、非常にゆっくりと流れゆくコメント欄が映っていた。

 ライブの同時接続人数は驚異の50人。


 テレビに取り上げられはしたものの、一行のチャンネル登録者数は未だに3桁であった。それに、朝6時から開始した初めてのライブとなれば、これでも十分に多い方だと言える。


 AM 6:30 [to You] : 溜息をついたら幸せが逃げるんだぜ?


 それは学校における数少ない友人。優斗から送られてきたコメントだった。

 コウはそれを見て僅かに微笑むと、怒りに任せてユーザーをBAN。10分間の発言禁止を強制した。


 AM 6:30 [ヌアライ] : 優しさに溢れたコメントが消された気がしたんだけど。

 AM 6:31 [野良野郎] : やだねぇ、すさんでるねぇ

 AM 6:31 [M!eL] : 何が悲しくて朝から溜息を聞かないといけないの


 その瞬間、配信のコメント欄が少しだけ活気を取り戻した。

 勿論コウの溜息が要因ではなく、美少女たちが子餓鬼を倒す画ずらに引かれた者達が大半を占めている。


 AM 6:31 [りりりりりら] : その状況が不満ならお前、俺と変われよ変わってくれよ!!

 AM 6:31 [流離のサムライ] : 貴様の喘ぎなぞ聞きたくはない。早く戦闘を見せろ。


 残念ながらコメント欄に鋼の味方は居なかった。

 戦闘への参戦はおろか、顔すら出していないので当たり前ではあるのだが、それでも悲しいものは悲しい。


 話を聞いて欲しい訳でも、心情を理解してほしい訳でもなかったが、せめて労いの言葉くらいは欲しいものである。


「はいはい、どうぞご覧くださいませ」


 鋼は力なくそう言うと、地面の近くから映像を撮っていたカメラを目線の高さまで持ち上げた。


 AM 6:32 [りりりりりら] : それにしても、好き好んで銃を使う亜人なんて珍しいな。数日前まではバスタードソードを担いていた筈なんだが。


「コメント感謝します。えぇーっと……りりりりりらさん?玲は好き好んで銃を使っている訳ではないんですよ。剣を振り回す立ち回りと種族スキルを併用する事が苦手みたいなので後ろに下げているだけです」


 バスタードソードから小銃へと転身させた張本人。鋼は力なく答えた。


 AM 6:33 [ヌアライ] : よく分からないんだけど、亜人ってそんな簡単に武器を変えるんだっけ?


 AM 6:34 [M!eL] : 私の知る限りではあまり替えたがらないね。少なくとも銃を持つ亜人なんて聞いたことが無いよ。


 AM 6:36 [野良野郎] : それに銃は弱い癖して維持費が高いからな。1分間トリガーハッピーしただけで数万も飛ぶんだぜ?モンスターを倒す毎に赤字だっつうの。


 AM 6:37 [流離のサムライ] : DPMダメージ パー ミニットは幾らだ?


 AM 6:37 [野良野郎] : 市販の小銃かつ、相手の物防が1なら6000だな。


 AM 6:38 [M!eL] : 物攻が5、レベルが50の人間ですらスキルを使わなくても小銃のDPMは越すよね。


 AM 6:38 [りりりりりら] : 高い上に弱いから初心者以外は誰も使わないのか。


 AM 6:38 [ヌアライ] : 富豪や要人がレベルを上げる為に使われた例はあるよ。


 AM 6:39 [M!eL] : やな使い方


 AM 6:40 [to You] : お前等配信の楽しみ方おかしくね?美少女がいるんだから愛でろよ。


 AM 6:41 [りりりりりら] : 美少女がんばえー


「子供用番組に張り付く大きなお友達だ。それにしてもりりりりりらさんって言いにくいな」


 AM 6:42 [解説屋] : あの、「りりりりりら」さんの読み方は「ゴリラ」だと思いますよ?


「駄洒落かよ。しかも面白く無いし」


 AM 6:42 [M!eL] : あーあ

 AM 6:42 [野良野郎] : 可哀想に……俺とパーティー組むか?

 AM 6:44 [5りら] : いや、全然効いてないし。むしろ俺も名前変えたかったし。


 やはりコメント欄に鋼の味方は居なかった。

 しかし、今となっては味方が居ない理由も明白である。


「そろそろ狩りに戻ろうか……そうだ。フラグレを補充して貰うんだった」


 伸ばされた手に予め用意しておいたフラッシュグレネードを置いた鋼は、そのまま玲にカメラを向けた。


「代わりにファンサくれ」

「何それ?」

「ファンサービスの略や。配信を見てる連中に声でも掛けてやって」

「うーん……応援よろしくね!!」


 そういって玲がウィンクをして見せた瞬間。コメント欄では数百円のスーパーチャットがファンサの文字と共に華々しく舞い、文字の波に流れて行った。


「ざっとこんなもんよ」

「わぁすっげ。ボロイ商売だな」


 AM 6:46 [5りら] :それは禁句だろ!


 AM 6:46 [野良野郎] : そういえば、スパチャってどう振り分けられるんだ?


「俺の総取りだが?」

「それは前に話し合ったじゃない。宛先の名前が書かれているスーパーチャットはその人の通帳に、書かれていなければ共有の通帳に入れてパーティーの運営費にするのでしょう?」


 美波は淡々と述べるが鋼のスマホ画面を見てはいなかった。故に今回送られてきたスーパーチャットに宛先が書かれていない事も知らなかったのだ。


 AM 6:47 [to You] : おい、聞いてねぇぞ。


「言ってないからな」


 AM 6:47 [ヌアライ] : 因みに、パーティーの運営をしているのって……?


「俺だな」


 AM 6:47 [5りら] : それならマネージャー君の総取りで間違ってないじゃん


 AM 6:47 [野良野郎] : それは前に話し合ったじゃない(キリッ)


 AM 6:47 [M!eL] : ポンコツ可愛い


 顔を赤くして恥ずかしがる美波は、すっかりコメント欄のおもちゃとなっていた。

 

「美波が視聴者と打ち解けれたみたいで、お母さん安心やわ」


 毬はそう言い残して、未だ文句を垂れる美波と爆笑の玲を連れて再び狩りへと戻って行った。

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