禍福は門無し、唯人の召く所


 ―――直後、昼前の最も明るい時間帯だった草原ダンジョンの空が、太陽が、早回しをしたかの様に不自然に暮れた。


 昔から人々は人間が営む昼の世界と妖の類が住まう夜とが混ざり合い交差する不安定な時間帯を恐れ、こう呼んでいる。

 

 逢魔おうまが時、と。


 魑魅に魍魎、悪鬼と羅刹。その他多くの怪異と逢わせる宵の闇。

 急激に涼しさを取り戻した黄昏のホールに一本の刀が現れた。


 いや、最初は一行にもそれが刀だとは分からなかっただろう。何しろ全身を包帯で包まれた上に根元では液体の様な闇が蠢いているのだ。


 そんなものを見てまず最初に、刀だ。と思う人間の方が珍しい。


「こういうのを何ていうんだっけ。藪から……ぼた餅?」

「蛇じゃないかしら。衝撃だけは伝わるけれど」

「鬼が出るか蛇が出るかって言う言葉はあるけど、鬼から蛇が出るなんて想像できへんわ」


「喋るのも結構だが、いつでも逃げられるように準備だけはしておけよ」


 その時は武器もカメラも全てを捨てて、全力で。

 鋼はそう付け足す前に視界の端で魔方陣をとらえ、そして絶句した。


 ボスモンスターを倒してから淡い光を発していた筈の魔方陣が不活性化。つまり、光を失っていたのだ。

 勿論、これでは転移装置が使えない。


「……逃げ場さん無くなったね」


 一行が呆然と明け暮れる間にも、闇はその一部を伸ばしてミノタウルを掴み、本体の方へと引き摺り始めていた。


 真っ先に気が付いたのは鋼だ。

 なんだか分からんが、とにかく不味いという考えが彼に咄嗟の判断を下させた。


 ベルトから下がったグレネードのピンを抜くと連行中のミノタウルへ投擲。

 魔石を奪われて防御力が下がっていた事もあり、続いて放たれた姫子松のファイアーアローと共にグレネードは牛の体を半分の大きさになるまで破壊した。


 闇は烈火の光に怯んで一瞬だけ勢力を弱めたが、それでも残った半分を何とか手元に手繰り寄せる。


 そうまでして牛の死体をどうしたいのか。


 訝しんでただ眺める事しかできない一行を他所に、暗闇は自身で牛の体を覆って黒く染め上げる。 


 闇はミノタウルを地面に這うへと引きずり込むと、途端に地面で薄く広がった。

 火にかけられた水の如く表面からは気泡が現れては弾けており、まるで闇が沸騰しているかにも見える。


 黒の流体はそのうち明確な意志を持って蠢くと、最初は粘土の塊みたいに不格好だった筈が徐々に人間台のサイズへと形を変えた。二人、四人とネズミ算式に増えて行き、やがて塊の数が数えきれなくなった頃。


 ソレ等全てが色を持ち、形を持ち、そして自我を持ち、モンスターとして四人へと襲い掛かった。


「まずいまずいっ!!作戦はどないするんや!?」

「全員命大事に。生きて帰ったら……一杯やろうや」

「いやそれ死ぬ人のセリフじゃない?」


 幸いにして怪異の動きはさほど早くは無かった。逃げ回るだけならば出来ない事も無いだろう。しかし、闇は未だにモンスターをつくり続けている。これではホールが妖怪で一杯になるのも時間の問題である。


「毬、ファイアーアローのCTは?」


 鋼が骸骨を殴り飛ばしながら聞く。後ろの仲間達を巻き込みながら倒れた骸は起き上がる事も無くその場で灰塵に帰した。


「ミノタウルの最後で温存したおかげやな。今からきっかり一分後や」

「存分に感謝してそれまで逃げきれよ。玲、盾の復活は?」

「二枚とも壊されちゃったから数時間は戻んないよ」


 鋼はそれらの情報と残り一つになったグレネードだけでどうやってこの場を収めるか。どう乗り切るかを考える。


「ははっ、詰んだか?」


 しかし無い頭を捻った所で絞り出された案は荒唐無稽か実現不可能なものばかり。彼はそこでようやく、今までの己がどれだけ毬の魔法と玲の盾に助けられてきたかという事に気が付いた。


 足止めであったりスリップダメージであったり防御目的であったり。完全なる攻撃スキルでは無いからこそ、彼女たちの持つ能力の有用性に気が付かず。また、そこから発展をさせようとも思わなかった。


 美波に関して言えばレベルが高いからと完全放置に近かっただろう。

 結果として、彼女はこの大量のモンスターを前に手も足も出ない。


 武器の扱いが堪能なのは彼女が天才だからではなくそれがスタートラインだから。

 鉄だって斬れると驚き、信頼し、胡坐を搔いていたのは唯の慢心でしかなかった。

 

 肝心な所で助ける事も出来ないのに何が補佐だ。責任も負えないのに何がプロデューサーだ。期待に沿えない。マネジメントが出来ない癖して何がマネージャーだ。


 頭を燃やせ。心を燃やせ。今が死線と思い知れ。

 頭を擡げ、心に描け。今巍然なら永遠に去ね。



 その瞬間、フルスピードのトップスピードで回転する鋼の脳裏にふと一つの疑問が浮かんだ。


 刀は何故封印されていたのか?


 彼は最初、闇の出どころは封印されている刀だと思っていた。封印の力が弱くなったからか、はたまた時間を経て刀が強くなったか。そんな事を想像していた。


 しかし、違う。スキルウィンドウには明確に「封印されている」と表示されていたのだ。神懸った力を持つステータスシステムさんが、力を漏らす程のみみっちい封印如を、それでも封印していると表現するのだろうか?


 否、断じて否である。

 故に闇は封印される側ではなくする側であったのだ。


 人間もそうだが、誰かが誰かを避ける時、虐げる時、閉じ込める時。そこには必ず邪魔だとか厄介だとかの悪感情が隠れている。


 では闇にとっての邪魔とは、より強く昏き混沌か?

 だとすれば封印など出来ないだろう。


 だから答えは光だ。闇と光は表裏一体、何方かが猛れば何方かが弱まる。それがこの世界の理なのだから。


(くそっ、最初から読み違えていたっていう訳かよ)


 これは、封印された刀が主人の器を見極める為に始まった戦いではない。

 封印の防衛システムに襲われる主人を利用して、己の封印を解く為に仕組まれたマッチポンプ。唯の八百長試合であったのだ。


 さしもの闇さんもこれには驚いただろう。なにせ刀に近づく不届き物を排除しようとする思いが逆に、封印を解除する手助けとなってしまっていたのだから。


 鋼は苛立ち半分、喜び半分で二分された感情の整理もそこそこに、歪にゆがんだ口元を開いた。


「作戦を言うぞ」




 榊原 美波。彼女は己の存在意義に度々疑問を感じる事があった。


 仰々しい言い方だが、何も生まれて来た意味を問いただしている訳ではない。女子最前線部における自分の有用性について少しばかり考えていただけだ。


 順当に考えればスピードアタッカー、もしくは回避タンクと言った所なのだろうが、しかしそれは玲でも同じ様な事が出来るだろう。


 それも、自分より高水準の所で。

 何故なら玲は美波よりも攻撃力の数値が高いのでアタッカーとして優れており、また、タンクとしては防御力の数値的に耐久度で劣っている。

 有用なところで唯一勝っている俊敏に関しても1しか変わらず、明確な差別点とは胸を張って言えないだろう。



 ……だから、今回の件は焦っていた。


 人生で4回しか貰えない享受スキルは選択肢を与えられず、それも名前さえ通っていないマイナースキルであったのだ。妖刀と言えば聞こえはいいが、要は厄介物を押し付けられただけに過ぎない。


 それでもこのスキルで何かが変わればいいと、部員や鋼の一助になれば良いと願いつつ使用した呪文のせいで、逆に彼等へ多大な迷惑をかけていた。


 百を超えるモンスターは倒しても倒してもその数を減らすことは出来ず、寧ろ先程よりもどんどんと増えて来ている気さえしている。


 この様な状況では自分の命はおろか、仲間達を無事に家へ送り帰す事が出来るかすら怪しい。

 

『なんだっけ?藪から、ぼた餅?』


 ……そうであったならどれ程に良かっただろうか。

 地面に落ちて砂利に塗れ、食べられなくなったぼた餅でも、仲間を失う事に比べれば断然良い。喜んで口にしよう。


 しかし、実際に自分の前にあるのは和菓子ではなく百鬼夜行だ。


(こんな事になるなら、スキルなんて使わなければよかった)


「何ぼさっとしてるのさ」


 その時、撃鉄を引いた玲の小銃から眩い光と硝煙が立ち込めた。彼女は9mm弾を怪異共にばら撒きながら、美波の方を見て笑う。


「作戦は聞いたよね?僕たちが刀までの道を切り開くから、後の事は任せるよ?」


 玲は空っぽになったマガジンを地面に落とすと、ものの数秒で手に持った弾倉を取り付けた。


「妖刀を手にしたところで何も起こらない可能性はあるけれど、それでも任せてくれるのね?」

「僕が死んだら子子孫孫まで恨むけどね」

「その時は私が最後の代よ」


 美波が走り出すと同時、前方に跋扈するモンスター共約30匹が爆炎に包まれて消えた。姫子松のファイアーアローと最後まで温存されていたグレネードだ。


「おっ、道空いたやん」


 これを過ぎれば毬は5分間魔法を使えず、現代兵器での援護も見込めない。

 正に最後のチャンス。


 美波はすっかり遠のいてしまった包帯巻きの刀を一瞥すると、一瞬の内にその場から姿を消した。


 焔で出来た一本道も、やがては怪異の人海戦術に押し返されて幅を狭め、今となっては彼女の姿を見る事すら叶わない。

 

 三人は送り出した背中を探す事は無く、唯、親指を立てながら怪異の波に飲まれて行く。美波もまた、そんな三人を振り返る事は無かった。


 彼女は右から、左から、後ろから、迫りくる妖の手を足を。避け、躱し、潜り、飛び越えて、唯一の安全圏。前方へと足を速める。


 美波はかつてない疾走に脚の筋繊維がズタズタになっている事を自覚しながらも、前へ、我武者羅に遮二無二、唯、前へ走った。


 服を捕まえられてはソレを切り離し

 腕や脚を捕まえられては己の肌ごと切り裂いた。


 そんな無理な強行突破を続けた結果。妖刀へと手をかけた時には、彼女の全身は血と裂傷に見るも無残なボロ雑巾の様な姿になっていた。


 包帯は解け、御符は溶け、露になった光輝く純白の刃を。汗は血と、血は灰と、混ざって泥の如し手で、それでも刀を握って振るう。


 一振りで妖が消えた。二振りで闇が消えた。三振りで夜が明けた。


 全てを無に帰した彼女は、どういう訳かその場に倒れ伏す。

 疲労のせいではない。出血のせいでもない。


 しかし、それでも、乱れた髪の間から覗かせた生気の失せた顔だけは、満足気に微笑んでいた。 

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