第四章

第19話 捜索継続

 僕とスージーは、ポチにも協力してもらって二階の本棚もすべて確認してみた。


 だが結局、魔導書らしき本は一冊も見当たらなかった。できれば一階の倒れた本棚を戻したいところだけど、時間がないのでそのまま放置する。


 玄関の鍵を外してから扉をそっと開ける。ポチが先に出て周囲に誰もいないことを確認してもらった後に僕とスージーも外に出る。


 空を見上げると、いつの間にか太陽が真上に来ていた。暖かな日差しが降り注ぎ、穏やかな風が吹いている。過ごしやすい気候のはずなのに、まるで心に雲がかかっているようで気分がどんよりとしている。


 開かずの書庫の侵入方法がわからない。

 魔導書が誰の体を奪ったのかわからない。

 犯人の居場所がわからない。

 これからどうすべきなのかわからない。

 そのうちわからないことまでわからなくなりそうだ。


 一つだけわかっているのは、すぐにでも謝らなければいけないことがあるということ。


「ごめん。犯人が図書館にいると思ったのは勘違いだったみたいだ」


 本棚が倒れた原因は、スージーの言う通り、隙間風だったのかもしれない。この島は四方を海で囲まれているから気候が変わりやすい。今は落ち着いていてもさっきまで風が吹き荒れていた可能性もある。強風は大木を折る力もあるから、本棚を倒すなんてわけもないだろう。


「私がもっと周りに気を配っていたらよかったんです」

「いや、スージーは悪くないよ」

「いえ、ナナツナ様は悪くありません」

「いやいや」

「いえいえ」

「そんなことより飯にしようぜ!」


 僕とスージーの間にポチが体ごと割って入ってきた。


「あの、さっきから気になっていたんですが、これはなんでしょうか」

 スージーが不思議そうな声をあげる。つられて僕も視線を向ける。


 図書館の看板前には、果物や木の実が山盛りいっぱいのカゴが置かれている。

 ここに来た時はなかったから誰かが持ってきたのは間違いない。

 こういったものを用意してくれる存在を僕は一人、いや一匹だけ知っている。


「俺が持ってきたんだ。二人とも朝からなにも食ってないだろ?」

 ポチに言われて思い出した。


 僕もスージーもチョコレートをつまんだくらいでまともな食事をしていなかったことを。すぐに食欲がわいて今にも腹の虫が鳴き出しそうな予感がした。


「ありがとうございます。重くなかったですか?」

「ここに来るまで誰かに手伝ってもらったんじゃない?」


 試しに両手で持ってみると人間の僕でも歩いていたらよろけそうな重さだった。


「おいおい。俺は妖精だぜ? このくらいの量どうってことねぇよ!」


 ポチは短い両腕を直角に曲げて小さな力こぶを見せてくれる。指で触ってみると犬や猫の肉球のようにぷにぷにと柔らかい。スージーは、なにかに取り憑かれたように揉み続けている。


「この島の妖精は小さくても力持ちでたくましいんだね」

「力だけじゃないぜ。妖精は手先も器用なんだ。このカゴだって俺が作ったんだからな」


 木の実や果物が積まれたカゴは、植物のつるや皮を編み込んで作られているようだ。持ち運びしやすいように木の枝を曲げた取手も付いていて頑丈そうな見た目をしている。色違いの木の皮を丁寧に編み込んでいるからおしゃれな雑貨としても売れそうだ。


 さっき読んだ本の記述を思い出した。

 神様が妖精に与えたのは『生きる力』。

 あれは、長命や繁殖力といった生命力ではなく文字通りの意味なのかもしれない。厳しい自然の中で生き抜くための知恵や技術という意味合いが強そうだ。


「ポチさんはすごいですね」

「へっへっへ。もっと褒めてくれてもいいんだぜ?」


 楽しそうに空中で宙返りしながら飛び回る。


「ありがとうポチ。こんなにたくさん用意してくれてうれしいよ」


 なぜか急に飛ぶのをやめて地面に降りて小さく丸まった。


「ま、まあ、木の実や果物を採るのは、ちょっとだけ、みんなにも手伝ってもらった」


 短い付き合いだけど、変なところで正直でまじめなところがポチらしいと思った。

 そこがまたおもしろくていい奴なのだ。この戦いが終わったらもっといろいろ話したい。


「い、いいから! 腹減ってんだろ! く、食ってくれよ! 俺が周りを見張るから!」


 僕とスージーは、それぞれ手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ始める。



 食事を終えた僕らは、島民の戸籍を管理していたという役所へ行ってみることにした。

「山や森はどう? なにか見つかった?」

「ダメだな。なにも見つからねぇ」


 道すがら捜索状況を確認してみると、ポチからは予想通りの答えが返ってきた。


「ナナツナのにいちゃんたちはどうなんだ?」

「どうやって魔導書が逃げたのか考えているんだけど、まったくわからなくて……」

「そうか。せめて犯人の目星がついていたら探しやすいんだがなあ」

「それは……」


 どうしよう。スージーの母親が容疑者の一人と言っていいものだろうか。


「着きました。ここが島の役所です」


 話を中断して前を向く。図書館と同じレンガと木を組み合わせた二階建てだった。玄関前の看板に島の文字が書かれているところも似ている。やはり記号のようにしか見えないけれど、役所と書かれているんだろうと察する。


「じゃあ入ろうか」

「おう!」

「中が大変なことになっているので気をつけてください」


 扉を開けたスージーが先に入ってから僕とポチが外を確認して戸を閉める。もしもの時のために誰も入って来られないよう平たいつまみを回して鍵をかけた。


「うわあ……こりゃひでぇ……」


 ポチが疲れたような声をあげる。

 前へ向き直ると、その通りの惨状さんじょうが広がっていた。


 置かれている机の引き出しがすべて引っぱり出され、棚や箱もひっくり返されている。床には書類や本がそこら中に転がり、色とりどりのインクもぶちまけられている。赤と黒の液体が混ざり合ったせいで変色した血のようだ。事前に聞いていなければ殺人現場と勘違いしたかもしれない。


「うっ……この臭いは……」


 不意に異臭が鼻を突いてくる。

 口で呼吸するようにしてなんとか耐えるしかない。


「すみません。保管されていた薬草や動物の干物が箱から出されたせいかと……」


 どうしてそんなものがあるのかと思ったが、ここは魔法使いの住む島だった。

 さらに思い出した。人間や魔女よりも臭いに敏感な種族がいたことを。


「ポチは大丈夫?」


 犬に負けないほど鋭い嗅覚を持っている妖精には拷問ごうもんかもしれない。


「問題ねぇ……」


 声を聞いただけですぐにわかった。明らかに無理をしていると。

 それだけじゃない。さっきまで宙に浮かんでいたのに今は床に横たわっている。


「無理だったら外にいてもいいんだよ?」

「問題ねぇ……」


 それでもポチは同じ言葉を発し続ける。僕にはそれが決意の表れのように感じられた。

 わざわざ仲間と離れてこちらと合流したのは、早く大切な家族を取り戻すためだろう。

 たとえ住む世界や種族が違ってもその気持ちは理解できる。


「できるだけ口で息をするといいよ。いっしょにがんばろう、ポチ」

「おう……」


 異臭にも少しずつ慣れてきたところで室内を見直して窓があることを思い出した。


「窓を開けて空気を入れ替えようか」

「私、玄関の戸を開けてきますね」

「ありがとう。お願い」


 換気してしばらく経つと口内に海の味が広がる。潮風がここまで運んできてくれたらしい。床の惨状は変わらないけれど、空気が少しずつさわやかなものに変わっていく。

 おかげでポチも元気を取り戻してまた飛べるようになっていた。


「よかったらチョコレートをどうぞ」

「おう。ありがとな」


 スージーが一かけら渡すと、ポチは両手で持って体毛に埋もれた口に放り込んだ。


 現場検証の作法なんてわからないけれど、落ちているものを踏まないよう気をつけて歩く。とりあえず床に散らばっている本を確かめていく。だが表紙にも中身にも文字が入っているから魔導書ではないらしい。


 スージーは薬草や動物の干物を箱にしまっている。僕も手伝おうかと思ったが、蛇やネズミやトカゲなど、得体の知れない動物の干物に触れる勇気がないのでやめておいた。


 ようやく鼻で呼吸しても苦痛を感じなくなり、まともに会話ができるようになった。


「犯人は一階に保管されていた戸籍を盗み出したんだね」

「いえ、戸籍があるのは二階の倉庫です」

「あれ、そうなの?」


 確認しておいてよかった。

 危うく間違った認識のまま調査を続けるところだった。


「手続きを終えたばかりの戸籍が一時的に置かれることはありますが、最後は二階の倉庫に保管するのが決まりなんです。最近は赤ちゃんが生まれた家も島に移住してくる人もいなかったので、新しい戸籍は増えていないと思います」

「じゃあ一階がこんなに荒らされているのはなんで?」

「おそらく倉庫の鍵を探したんだと思います。結局、犯人は鍵を見つけられなかったようです。倉庫の戸に付けられていた錠(じょう)が壊されていましたから」

「スージーは役所のことも詳しいんだね」

「いえ……そんな……」


 彼女はフードに隠れて見えない顔をさらにうつむかせた。


「おっし! じゃあ行こうぜ!」


 今すぐ行きたそうにそわそわしているポチが僕の手を引っ張ってくる。


「わかったわかった。その前に窓と扉を閉めよう。手伝ってくれる?」

「おうっ!」


 ポチが玄関へ向かったので僕とスージーは窓を閉めて鍵をかけていく。

 よく見たら半透明の窓ガラスは、どれも傷一つついていないことに気がついた。魔導書が誰かの体を乗っ取った後に窓を割って忍び込んだと思っていたが、どうやら侵入経路は別にあるらしい。


「どうかしましたか?」

「魔導書はどこから入ったのか、ちょっと気になって……」

「それなら玄関からです。前日の夜には戸締りして帰ったはずなのに、魔導書が消えた日の朝には扉が開いていたらしいです。複数の職員さんが言っていたので間違いないと思います」

「うーん、だとしても鍵のかかっている扉は、どうやって開けたんだろう」


 鍵を開ける魔法がないことはすでにわかっているし、いくら魔導書の知能が高くても奪ったばかりの慣れない体ですぐに鍵開けの技術を習得できるとは思えない。


「役所の玄関は、開かずの書庫のように特殊な鍵ではありません。ここに勤めている人から鍵を盗んだか、合鍵を作ったのではないかと言われています」


 たしか魔導書は、住人が寝ている間に各家に侵入して封じ込めていったんだっけ。そんな大胆なことができるなら鍵の一本や二本盗むくらい簡単だろう。もしくは……。


「役所に勤めている誰かの体を乗っ取ったという可能性もあるね」


 未だに開かずの書庫に侵入する方法がわかっていないから容疑者は三人のままだ。しかし、役所の職員の誰かが真犯人ならスージーのお母さんの容疑を晴らすことができる。


「あの、ナナツナ様。もし、そうだとしたら……」


「おーい! こっちはもう終わったぜ!」


 ポチが大きな声で呼びかけてきたので話はそこで中断する。

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