第2話 伝説の魔法使い……?
「ナナツナ様! 世界に再び危機が訪れています! あなたの力をお貸しください!」
「えっと、言ってることがよくわからないんだけど……」
「すでに数百人もの島民が魔導書に封じ込められました! どうかお願いします!」
「待った! 話を聞いて!」
「ご、ごめんなさい」
そこで彼女も落ち着きを取り戻してくれたのか、ようやく会話ができるようになった。
「僕はただの人間! うちの先祖は田畑を耕すだけの農民! 魔法なんて使えないよ!」
数字の魔女は、信じられない、と言いたげな顔をしている。
「昔ここで隠れていた子どもたちを次々に見つけましたよね。あれは違うのですか?」
「それは、かくれんぼっていう子どもの遊び。魔法を使わなくても見つけられるよ」
「でも、あれだけの能力があれば……きっとすぐに……」
数字の魔女はなにやらつぶやいた後、真剣な
「私の住む島には、はるか昔から一冊の生きた魔導書が存在します。その本は、世界中のありとあらゆる知識を
「恐ろしい魔法?」
「名前を呼んだ相手の体を乗っ取る魔法です。それだけではありません。魔導書は乗っ取った体で自由に動き回り、次々に人の名前を呼んでは本に封じ込めることができるんです」
外国の物語に出てくる名前を呼んで返事した人を吸い込むひょうたんを思い出した。
だが今聞いているのは物語ではない。
異世界で実際に起きている現実なのだろう。
恋は盲目と言うけれど、彼女が嘘をついているとは、僕にはとても思えなかった。
「ある日突然、魔導書は人間の体を奪って島中の人たちを本に封じ込めていきました。誰もがダメだと思ったその時、どこからか不思議な格好をした魔法使いが現れました。その方は魔導書を倒してすぐにまたどこかへ消えたそうです。どこから来たのか、どんな魔法を使うのか、それはわかっていません。ただ一つだけわかっているのは『ナナツナ』と名乗ったそうです。それが伝説の『七つ名の魔法使い』様です。魔導書に対抗できたのは、七つの名前があったからと言われています。たしかあなたは、お友達からナナツナと呼ばれていましたよね?」
「そうだけど、なんで知ってるの? あの時は言葉が通じなかったはずだよね」
「幼い私がこちらの世界に迷い込んでしまった後、すぐに母が助けに来てくれました。その時に【語学の5番】を使ってくれたから、言葉が聞きとれるようになったんです」
あ、そうだ。
思い出した。
かくれんぼをしていたら彼女の母親だと名乗る人が現れたんだ。その人は言葉が通じて安心したけれど、さっきまで泣いていた女の子も突然話せるようになったことには驚かされた。あれも魔法のおかげだったのか。
「私も母も驚きました。まさか七つ名の魔法使い様の子孫が異世界にいるなんて……。しかし、その魔導書が再び動き出したんです。どうかあなたの力を貸してくださいませんか?」
数字の魔女が目を輝かせてじっと見つめてくる。
期待の眼差しとはこういうものかな。
視線を合わせることができない。
真実を話すのが辛い。
しかし相手が真剣に話してくれているのに、こちらが正直に話さないのは失礼だろう。
「やっぱり僕は伝説の魔法使いの子孫じゃない。ただの人間だよ」
申し訳なさで胸をいっぱいにしながら重い口を開く。
「ナナツナというのは
「私の世界にもあります。数字の魔女というのが屋号にあたります」
「なら話は早い。ナナツナは、七つの名前って意味じゃない。そもそも字が違うんだよ」
僕は学ランの胸ポケットから生徒手帳を、鞄からペンを取り出して『七繋』と書く。
「うちの屋号はこっち。七つの繋がりでナナツナ。たまにシチツナって呼ぶ人もいるけど」
数字の魔女は、手帳の文字をじっと見つめる。
首を左右に傾けたり、手帳を上下逆転させたり、いろいろな角度で文字を解読しているようだった。
僕の書いた字が下手だったのかと不安になる。
それとも魔法を使うために集中しているのだろうか。
しばらくして手帳を返してくると、彼女は顔をうつむかせながら言う。
「すみません。【語学の5番】は、文字には効果がないんです」
「なら図を描いて説明するよ」
僕は手帳の別のページに円を描き、その真ん中にトランプのダイヤのマークを描く。四つの辺が直線ではなく曲線のやつだ。それからダイヤの部分を黒く塗りつぶしたらできあがり。
「魔法陣に見えるかもしれないけど、家紋って言うんだ。家ごとにある紋章ってわかる?」
「はい。わかります」
「これは
数字の魔女がうなずいたのを見てから七宝の右に同じ七宝を書く。左にも、上にも、下にも、七宝をどんどん書いていく。手首が疲れてきたところでペンを置いて説明を再開する。
「こんな風に七宝をいくつも繋げたものを
「しっぽうつなぎもんよう……しそんはんえい……えんぎがいい……ぶっきょう……」
あ、しまった。
ついいつもの調子で説明してしまった。
僕のことを屋号で呼ぶのは、小さい頃からの友達や近所に住む人くらいだ。地元の小学校や中学に入ってもナナツナと呼ばれる機会が多い。
そのため新しくできた友達や教師から本名とまったく関連のない呼び名の由来をよく聞かれた。その度に黒板やノートに図を描いて説明していたので、彼女が異世界から来た人であることをすっかり忘れていた。
「一応、本名も教えておこうか。僕の本当の名前は……」
「ダ、ダメです! 本当の名前は言わないでください!」
突然、数字の魔女が顔をまっ赤にしながら止めてくる。
「え? なんで?」
「ま、まだ知り合ったばかりですし……もう少し、その……な、仲を深めてから……」
よくわからない。
知り合ったばかりだからこそ自己紹介するんじゃないの?
でもそうか。
僕の世界と彼女の世界で言葉や文字が違うように生活習慣や文化も違うのだ。もしかしたら異世界では、知り合ってしばらく経ってから自己紹介するのかもしれない。こちらの常識を無理やり押しつけるのはよくないか。
そういえば本で読んだことがある。
不思議な力を扱う人は本当の名前を明かすことを嫌うと。
たしか名前には力が宿るんだっけ。
世界が変わっても共通する文化ってあるんだなあ。
「ごめん。もっと早く気づけばよかった」
「い、いえ、大丈夫です」
「それから伝説の魔法使いじゃなくて悪かったね」
「こちらこそ、勘違いしてすみませんでした」
さっきまで輝いていた彼女の瞳が、今は曇っているように見える。
期待してくれているのがわかっていただけに辛い。
ひどく申し訳ない気持ちになってくる。
「僕は君になにもしてあげられない」
余計な言葉が口からもれた。
だが今さら否定することも訂正することもできない。
せめて情けない顔が見えないように下を向く。
「そんなことありません」
その言葉を聞いた僕は、すぐに顔を上げる。
「伝説の魔法使いの子孫じゃなくても、魔法を使えなくても、私にとっては命の恩人です。あの時は、本当にありがとうございました」
いつどこで覚えたのか、数字の魔女はこちらの世界の人間と同じようにお辞儀する。
その姿を見たら自己嫌悪している暇なんてないことに気がついた。
お人好しだろうと、魔法使いじゃなかろうと、今言わなければ絶対に後悔する。
「なにか手伝えることはない? 僕にできることがあったらなんでも言ってよ」
これもなにかの縁。
せっかく神様が縁を結んでくれたのに、このまま帰したら罰当たりだ。
「ありがとうございます。だけど、命の恩人を危険に巻き込むわけにはいきません。魔導書はとても危険ですから。私だけでなんとかします」
いつの間にか数字の魔女の瞳に輝きが戻ったようだった。
だが彼女の言葉からは、絶対に諦めないという覚悟のようなものが感じられた。
よく見ると靴やローブの端には、茶色い泥のような汚れがついている。手も荒れていて小さな傷がいくつもある。
もしかして、魔導書に襲われて逃げてきた時にできたのだろうか。
それらの生々しい情報が、彼女の話に真実味を与えていく。
世界の危機というのは、誇張ではなく事実そのものだと。
嘘とは思っていなかった。
だが認識が甘かった。
僕には無縁のできごとだとしても、彼女にとっては直面している現実なのだ。
「ナナツナ様」
数字の魔女の声で我に返る。
「そろそろ行きます」
「あ、うん。気をつけて帰ってね」
「はい。ナナツナ様もどうかお体を大切になさってください」
「……ありがとう」
数字の魔女は
「【
彼女の体は見えない糸で吊るされたかのように浮き上がり、そのままゆっくりと夕焼け色の空に溶け込んでいく。
また声の出し方を忘れそうになったが、今度はすぐに思い出した。
「電線! 黒い紐! 触ったら危ないから! 気をつけて!」
本当に異世界から来たなら知らないと思ってすぐに注意を呼びかけた。
「ありがとうございますー! さようならー!」
数字の魔女は自由自在に飛びまわり、そのうち視界からいなくなった。
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