第三章

第11話 開かずの書庫

 目を覚まして最初に感じたのは温もりだった。

 いつの間にか濃紺色のローブが体にかけられていた。すぐ隣にはスージーがいる。昨夜いっしょに話しているうちに眠ってしまったらしい。小さな寝息が規則正しく聞こえてくる。


 いつまでも寝顔を眺めていたいけれど、いろいろな意味で心臓がもたないのでやめておく。彼女を起こさないようにローブをかけ直してから一人で森の中を歩いてみることにした。


「ヒィンヒィン」


 木の上にいる妖精たちが朝を知らせてくれる。

 僕も手を挙げてあいさつを返す。


「おっ! 起きたか! ナナツナのにいちゃん!」

「見張りありがとう。おかげで安心して寝られたよ」


 どこからかポチが飛んできて肩に止まる。地べたに寝ていたせいで体中痛いけれど、彼らは寝ずの番をしてくれていたのだ。なんとか笑顔を浮かべてやり過ごす。


「いいってことよ。俺たちは目も鼻も利くからな。怪しい人間は森の中に来なかったぜ」


 妖精は、暗い中でも動くものをすぐに察知できて一度嗅いだ匂いは忘れないらしい。聞けば聞くほど犬のようだ。その驚異的な動体視力と嗅覚を魔導書探しに大いに役立ててもらおう。


 元の場所に戻ってくると、スージーが身支度を済ませて待っていた。

「おはようございます。ナナツナ様。ポチさん」


 僕は生徒手帳とペンを胸ポケットに入れて、残りの荷物は洞穴に置いていくことにした。

 ポチたち妖精には森や山を探してもらい、僕とスージーはひとまず町へ向かう。

 生い茂る木々の葉をどけながら進んでいくと建物が見えてきた。


「もうすぐ森を抜けられます。足下に気をつけてくださいね」

 スージーが明るい表情と声で話しかけてくる。


 地面が踏み固められたような道に出るとレンガや石や木を組み合わせた建物が並んでいる。屋根は赤や青、黄色や緑などカラフルなものが多い。どの家にも煙突が付いているということは、煮炊きをするかまどや部屋を暖める暖炉だんろがあるのかもしれない。


 知らず知らずのうちに浮かれていることに気づき、顔を両手で叩いて気を引き締める。

 ここは紛れもなく現実であり、今なお人間を襲い続ける恐ろしい化物がいるのだから。


「僕たちはどこを探そうか。人が隠れやすそうな場所だと……民家?」

「図書館へ行きましょう。ナナツナ様に見ていただきたいものがあるんです」


 スージーはフードを被って顔を見えないようにして声をひそめて話す。

 僕はうなずいて後ろをついていく。

 しばらく歩いていたら急に彼女が足を止めた。


「どうかした?」

「……あそこが私の家です。父と母と私の三人で暮らしています」


 スージーは一軒の家を指さす。大きな煙突が付いている赤い三角屋根が見えた。あそこで魔法の研究をしたり食卓を囲んだりしていたんだろう。しかし彼女の両親は、すでに魔導書に封じ込められてしまっている。僕も家族のことを思い出して鼻をすすった。


「先にスージーの家へ行く? 着替えや必要なものがあれば取っていこうか」

「いえ、先を急ぎましょう。魔導書に封じ込められた人たちを早く救ってあげたいです」


 首を大きく横に振る姿は想いを断ち切ろうとしているように見えた。言葉の端々から未練があるように聞こえるのは気のせいではないはず。


 なにか声をかけたい。

 だが、なにも思いつかなくて学ランのポケットに手を入れる。

 すると、人間も魔女も妖精も笑顔にしてくれる食べ物が入っていることに気がついた。


「スージー。持っていてくれる?」

「これは……ちょこれいと、ですか?」

「昨日魔法で増やしてもらった時にポケットに紛れ込んだみたい」

「また増やしましょうか」

「ううん。魔力を温存するためにも魔法はいざという時に使ってほしい」


 魔導書に乗っ取られた人を捕まえることは僕でもできる。しかし島の人間の名前は、スージーでなければわからない。その時が来るまで彼女には元気でいてもらわないと困るのだ。


「わかりました。疲れた時はいっしょに食べましょうね」

 スージーは、ローブのポケットに板チョコをしまってから歩き出す。


 しばらく道なりに進んで行くと野菜や穀物を育てている畑が見えてきた。奇妙な色や形をした野菜がたくさん植えられている。生で食べるのか、それとも火をかけないと食べられないのか。食べ方を聞いてみたいけれど、この畑で農作業をしている人の姿はどこにもない。


 さらに進んで行くと何種類もの動物の鳴き声が混じって聞こえてきた。妖精以外の異世界の生きものにも興味はあるけれど、今は人間を見つけることの方が重要だ。


 商店が多く並んでいるという町の中心にも勇気を出して行ってみた。建物の陰に隠れながら移動する。店先に並べられたままの野菜や果物は、水分を失ってしおれている。川か海で釣ったと思われる魚は、小さな羽虫にたかられて強烈な生臭さを発している。


 吐き気を催したが、海から吹いてくる潮風の爽やかさがそれを打ち消してくれた。

 狩猟かなにかに使うのか、弓矢や槍といった道具が置かれている店も見つけた。どこかに魔法を使えるようになる道具を販売している店があるのだろうか。

 スージーのことは信頼しているが、自分の身を守るためになにか一つ持っておこうか。


 心臓の鼓動が速い。

 その原因が急ぎ足のせいだけでないことはわかっている。

 生存者がいてくれたらと思う一方で、もし犯人ならすぐに捕まえなければならないという緊張感が走る。


 スージーが二階建ての建物の前で足を止めると、フードを目深まぶかに被ったまま話す。


「着きました。ここが島の図書館です」


 異世界の図書館は、高い塔や豪華な建物を想像していた。

 だが実際は、他とあまり変わらないレンガや木を組み合わせた建物だ。玄関先の看板には、なにか書いてある。異世界の文字は独特で、やはり記号に見える。ひらがなやカタカナ、漢字やアルファベットとは違う。


 扉を開けて中に入ると、すぐにスージーが平たいつまみを回して鍵を閉める。

 薄暗いが、窓から差し込む光が歩きやすいように照らしてくれる。等間隔で並ぶ本棚、読書や勉強をするための机とイス、本の貸出返却手続きをしそうなカウンターテーブルなど簡素な内装だ。


 一階の奥へ進むと本棚はなくなり、黄土色おうどいろ取手とってが付いた大きな扉が現れた。


「ナナツナ様に見ていただきたいのは、魔導書が保管されていた書庫です」


 世界の危機の元凶。

 島の人間たちを封じ込め、今なお妖精たちを襲う恐ろしい存在。


 不在とわかっていても凶悪な死刑囚や凶暴な猛獣のおりの前に立たされた気分になる。


 寒気を感じて全身が総毛立つ。

 心臓が痛みだして呼吸をするのも辛くなってきた。

 ダメだ。飲まれるな。

 息を大きく吸って吐き出すことで精神を安定させる。


「ここには、誰も入ることができません。

 そのため『開かずの書庫』とも呼ばれています」


 突然スージーが思いもよらないことを言いだした。


「でも魔導書は、盗み出されたんだよね?」


 そうでなければ島中の人間を封じ込めることはできない。


「その通りです。しかし扉には特殊な鍵が、そして室内には特別な魔法がかけられています。本当なら扉を開けることも、書庫に入ることも、絶対にできないはずなんです」

「鍵と魔法のかかった部屋……?」


 なにそれ。聞いたことがない。

 いや、ここは異世界。聞いたことなくて当然だ。


 元の世界の言葉に置き換えるとこれは密室。

 

 推理小説やミステリドラマに出てくるやつだ。

 探偵や刑事が頭を悩ませながらどうにか解決するのだ。


 まさか高校生の僕が異世界で密室に出会うとは思わなかった。

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