第12話 鍵と魔法の二重密室
どうしよう。かくれんぼは得意でも謎解きは苦手なのに……。
いや弱音を吐いたらダメだ。
スージーと約束したんだから。気を引き締めていこう。
「魔導書は【強奪の魔法】で誰かの体を乗っ取らないと一歩も動けませんし【封印の魔法】も使えるようになりません。どうやって開かずの書庫から出たのか。最初に乗っ取られたのは誰なのか。どうかナナツナ様もいっしょに考えてください」
スージーは、折り目正しく頭を下げてお願いしてくる。
「それについて聞きたいことがあったんだ。ポチが言っていたけど、この島の人たちは本名を隠す習慣があるんだよね。それなら魔導書は、どうやって島民の名前を知ったのかな」
うっかりプロポーズしてしまったことを思い出してまた体が熱くなる。
「その習慣なんですが、実はほとんど
「え、そうなの?」
「昔は本当の名前を知るのは家族だけでした。それが恋人に教えるようになり、そのうち親友にも教えるようになり、役所で戸籍が作られるようになると、いつしか本名で呼び合うことが当たり前になっていました。今でも本名を隠しているのは、ごく一部の人だけなんです」
「魔導書と七つ名の魔法使いの戦いはずっと昔のことだからね。なんかわかるかも」
古い時代の習慣を現代になっても守り続けるのは難しいだろう。僕の住む国でも昔は本名を隠していたと歴史の授業で習った。しかし、未だにその習慣を守っている人はいない。
この島の人たちも同じ。たとえ魔導書という恐ろしい存在が身近にいても、それさえも次第に日常の一部になっていったのかもしれない。
まるで時代が魔導書に味方しているようだと思ったが、笑えない冗談なので黙っておこう。
「ほんの数日で島の人間全員封じ込められたのは、習慣が薄れて戸籍が作られたことが大きいと思います。魔導書は役所にある戸籍も奪って逃げたようですから」
「ということは、スージーの本名もすでに知られてるかもしれないんだ?」
「すみません。もっと早くお話しなければいけなかったのですが……」
「僕に謝ることじゃないよ。でも、顔は隠しておいた方がいいね」
本名を簡単に知ることができるというのなら、もう一つ聞きたいことができた。
「この扉の防音性は、しっかりしてる?」
「簡単には壊れないほど分厚く
だとしたら、魔導書が開かずの書庫から逃げ出した方法を一つ思いついた。
「誰かが書庫の前でうっかり本名を名乗って、それを聞いた魔導書がその人の名前を呼んで体を奪ったんじゃないかな。一般利用者がこんな奥にある書庫まで来るとは思えない。だから、最初に名前を呼ばれた人は図書館職員の可能性が高いと思う」
魔導書が使う魔法の一つ【強奪の魔法】は、名前を呼んで体を乗っ取るものと聞いている。それなら壁越しや扉越しに名前を呼ぶだけでもいけるのではないか。
「残念ながらその方法では難しいと思います」
スージーが申し訳なさそうに言う。
僕も無理があると思っていたので気にしない。
「そうだよね。いくら本名を隠す習慣が薄まっていたとしても、魔導書が保管された書庫の前で名乗るほど危機感が薄いわけないよね」
「いえ、私たちも同じことを考えました。しかし、その方法だと体を奪えても魔導書は書庫の中に残ったままなんです。扉には、いつも鍵がかかっていて中に入ることはできません。大陸一の職人さんが作った特殊な鍵を館長さんだけが持っているんです。どんなに手先が器用な人でも合鍵を作ることはできないと思います」
「魔導書は知識も豊富なんだよね。だったら、ピッキングを知ってるんじゃない?」
「ぴっきんぐとは、なんですか?」
「えっと、鍵開けの技術。針とか細い工具を鍵穴に入れて開けるんだよ」
しかし、たまたま体を乗っ取った人が都合よく工具を持ち歩いているだろうか。それにピッキングは知識があっても技術のない素人では不可能だと聞いたことがある。自分で言っておきながらこの方法も無理があるように思えてきた。
「昔、魔導書を盗もうと島の外から泥棒がやってきたことがあるそうです。でもその人は扉を開けられず、結局なにも盗らずに逃げていったと聞きました」
やはりダメか。
念のため鍵穴の周辺を確認するが、素人目で見ても傷はないようだ。
「じゃあ、こういうのはどうかな。魔導書は、扉越しに体を奪った人になりすましてしばらく過ごす。その間に役所の戸籍や館長の持つ鍵を盗む計画をたてる。時期を見て両方実行した後、書庫に保管されたままの本を回収して島の人たちの名前を呼んで封じ込めていった」
他人になりすますことは簡単ではない。家族や友達に疑われたらすぐにバレてしまう。
だが疑われる前にすべてを終わらせてしまえば問題ない。
知能の高い魔導書ならすぐ計画を立てられるだろうし、数日程度なら調子が悪いと言えば周囲の目もごまかせるだろう。本を取り戻したらすぐに家族や友達、そして館長を先に封じ込めれば怪しむ者もいなくなる。
「ナナツナ様。それも違うと思います」
「そっか。いくら魔導書でも人を騙せるだけの演技力はなかったか」
「書庫から魔導書が消えたことに最初に気づいたのは館長さんなんです」
「え? じゃあ鍵は……」
「盗まれていません。魔導書が館長さんになりすましたということもないと思います」
「そうだね。もし魔導書が館長の体を乗っ取っているならすぐに姿を隠している」
同じ理由でスージーになりすましているということもないだろう。
こんな時に
気を取り直して鍵を使わずに書庫に入る方法を考える。扉の下には、指一本程度が入りそうな数センチほどの隙間がある。床に顔を付けて中を
「
「確認したのですが、古い扉なのでネジは
「床下や天井は調べた? どこかに秘密の抜け穴が……あるわけないか」
「ええ。そういったものは見つかりませんでしたね」
「うーん、他にはなんだろう」
制服の胸ポケットから生徒手帳とペンを取り出してこれまで得られた情報を書き込む。
まだまだ情報が足りない。
魔導書のことはもちろん、保管された書庫やそこから逃げた日の状況についてもっと知る必要がある。
「スージー。今の段階でわかっていることをすべて教えてほしい。僕はこの世界の知識や常識がないから変なことや失礼なことを言うかもしれない。それでも、できるだけ詳しく教えてほしいんだ。お願いできるかな?」
フードを被ったままなので表情は見えないが、彼女は少し沈んだような声で話し始める。
「今から三日……いえ、もう四日前ですね。館長さんと職員さんが日課である書庫の確認作業をしました。館長さんが肌身離さず持ち歩いている鍵で扉を開けて、職員さんといっしょに中を見ます。ここには数百年前から魔導書しか保管されていないのですぐに終わるはずでした。しかしその日だけは、魔導書がどこにも見えなくなっていたんです」
「書庫の中が暗くて見間違えたり、床に落ちていたりってことはないよね?」
「私や他の人たちも確認しました。魔導書が消えたのは間違いありません。ナナツナ様。書くものをお借りできますか?」
生徒手帳とペンを渡すと、スージーは書庫の間取り図を描いて見せてくれた。
「書庫は横幅が扉と同じくらいで、二十歩ほどまっすぐ進めば壁にぶつかる細長い部屋です。おかげで扉を開けるだけで中を確認できるようになっています。魔導書は書庫の一番奥、壁の前にある台にいつも置かれています。室内には、窓も照明もありません。だから、光の加減で見間違えたということもないでしょう」
「魔導書がいなくなった時間帯はわかってるの?」
「書庫の確認作業は朝と夜の二回行います。夜に見た時はあったそうなので、閉館後から翌朝の確認作業までの間に消えたのだと思います」
「少し気になったんだけど、この扉は書庫の中からも鍵をかけられるの?」
「かけられますよ。図書館の玄関の扉と同じような平たいつまみがあります。あ、ナナツナ様も事前に紐や糸を引っかけておけば外からでも鍵を開けられると思ったんですね?」
「母親が見ていたミステリドラマにそういうトリックがあったから」
「みすてりどらま……とりっく……?」
「気にしないで。それよりスージーたちも同じことを考えたんだね。じゃあこれも……」
「はい。書庫の確認作業は朝も夜も二人体制で行うんです。館長さんと職員さんがいっしょに嘘をついていたら別ですけど、二人ともそんなことはしていないと言っていました」
二人体制というのは都合がいい。お互いに危険な行動や不正行為をしないよう監視できる。魔導書が職員になりすましている可能性も捨てきれないが、わざわざそんなことをするくらいならさっさと身を隠すか、みんなの名前を呼んで口封じした方が早いだろう。
「書庫に入ることはできる? 中がどうなっているのか見ておきたいから」
「すみません。魔導書が消えたとわかってから誰も入ることができないように閉めたんです。間違って入ってしまったら大変なことになりますから。たった一つの鍵を持っている館長さんも封じ込められてしまったので、もう開けることはできません」
特別な鍵がなくなった今となっては、本当に開かずの書庫となってしまったのか。
「取手に触れても大丈夫?」
「もちろんです」
スージーの言うことは信用しているが、念のため確かめておきたい。
取手を握って引くと高い金属音が聞こえた。今度は押してみた。こちらも同じように金属音が響くばかりで開く気配はない。
「たしかに開けることも入ることもできないね」
鍵がかかっているのは間違いない。
無理やりこじ開けることもできないだろう。
「書庫には魔法がかけられていると言ってたね。大変なことになるってどうなるの?」
おそらく侵入者を捕まえるための魔法だろう。僕はアクション映画に出てくる警備システムを想像する。部屋中に張り巡らされた赤いレーザーや重さを感知する床など。愚かな侵入者を悲惨な姿に変えてしまうものも珍しくない。
スージーは、すぐに答えようとはしない。
やはりこの書庫に入った人も話すのも恐ろしい目にあうのだろうか。そんなことを想像したら怖くなってきた。
「話したくなかったら無理には……」
「いえ、大丈夫です……」
スージーは、フードで顔を隠したままゆっくりと話し始める。
「魔導書が消えたと気づいた朝、館長さんが中に入ってしまったんです。部屋に魔法がかかっていることを忘れるほど
背筋に冷たい汗が流れるのがわかった。
手足が震えないように力を込める。
「全身を紐で縛られた状態で歌ったり踊ったりし始めたんです」
「うん?」
「館長さんは男性で体も大きいから通路に
「あはは! 全身縛られて歌って踊るって! なにそれ! あはは!」
こらえきれずに笑い出してしまった。
そんなB級コメディ映画みたいな魔法ある?
いや、あるのか。
たしかスージーの世界には人を傷つける魔法が存在しないと聞いている。だとしたら、防犯目的であっても人に危害を加えるようなことをしてはいけないのだろう。
けれどその方法が縛って歌って踊らせるなんて……ダメだ。笑いが止まらない。
「ナナツナ様! 笑い事じゃありません! 本当に大変だったんですよ!」
珍しくスージーが大声をあげたので僕はすぐに頭を下げる。
しかし笑ったおかげか、魔導書の恐怖や世界の危機という重圧を一瞬忘れることができた。不安や緊張が完全に消え去ったわけではないけれど、ほんの少しだけ薄れた。
それに大切なことが頭から抜け落ちていると気づけた。
現実的な方法ばかり考えてきたが、ここは僕のいた世界じゃない。魔法が使える世界だからトリックなんて必要ないんだ。
前提条件を間違えていた。
僕の持つ知識や常識は、一切通じないと思った方がいい。
もっと発想の幅を広げよう。
そうしなければ魔導書を見つけることは絶対にできない。
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