第13話 三人の容疑者

「スージーや島の人たちは、魔導書がどうやってここから出たと思っているの?」

「魔導書が扉越しに名前を呼んだという可能性は低いと考えています。どうやっても鍵のかかった扉と魔法のかかった部屋を突破できませんから。知能の高い魔導書がそんな無謀な計画を立てるとはどうしても思えないんです」

「たしか魔法使いの体を奪ってもその人の魔法は使えないんだよね?」

「はい。それに体を乗っ取った後は本に触れていなければ【封印の魔法】が使えないんです。おそらく魔導書は書庫を出てから【強奪の魔法】を使った可能性が高いと思います」

「でも、そうなると……」


 事前に失礼なことを言うかもしれないと謝っている。それでも口にすることをためらう。


「島民の誰かが書庫に侵入して魔導書を盗み出したのでしょう」

 言いづらいことをスージーが先に言ってくれた。

 しかし彼女にとっては、友人知人を疑うことになるから辛いだろう。


「待った。昔、島の外から泥棒が来たことがあると言ってたよね。それなら、またどこからか泥棒がやってきて盗んだのかもしれないよ」

 わずかに残る可能性を指摘するが、スージーは静かに首を振った。


「転移穴が安定していた時期ならその可能性もありました。しかし今だと海を渡ってくるか、空を飛んでくる必要があります。港に怪しい船が来たという話は聞きませんし空も同じです。しかもこの島に住む人のほとんどは顔見知りです。もし知らない人が歩いていたらすぐに誰かが気づきますし、土地勘のない人ではどこかに隠れることも難しいと思います」


 反論の余地がない。

 やはり彼女の言う通り、この島に住む誰かがやったのだろう。


 だが島の住民は数百人以上いる。

 その中からたった一人の犯人を見つけることができるのか。

 いや複数犯という可能性もある。

 島の人間全員を封じ込めるなんて大規模犯罪は綿密な計画が必要だろうし、協力者が何人いてもおかしくない。


 容疑者はどうやって見つければいいんだろう。

 手口や動機、アリバイという観点で絞り込んでいけばいいのかな。

 でも手口なんて魔法があればなんでもできるし、動機だっていくらでも思いつくし、アリバイを聞きたくても人はもう残っていない。


「誰が、どうやって、なんのために……」

「ナナツナ様。どうぞ」


 スージーがチョコレートのかけらをくれた。頭がボーっとしてきたところなのでありがたくもらう。彼女も一かけら口に入れて残りはローブのポケットにしまった。


「魔導書を盗んだと思われる犯人は、もうわかっているんです」

 いきなり新事実を聞かされて喉がつまりそうになる。


「この書庫にかけられた魔法は、三人の魔法使いによるものです。魔法は、かけた本人なら自由に解くことができます。その人たちは魔導書が消えた日にすでに姿を消していることがわかっています。だから、この三人が協力すれば書庫の中に入ることができると思うんです」


 フードに隠れたスージーの表情は、まったくわからない。

 だがその声は、暗く淀んでいるように聞こえた。


「その人たちの名前は? どんな魔法を使うの?」

 ようやく呼吸が落ち着いてきたのですぐに尋ねる。


「一人目は歌の魔法使い。

 歌に魔力を込めた【歌の魔法】を使います。彼の歌を聴くだけで落ち込んでいた人が元気になったり怒っていた人が冷静になったりするんです。この書庫には、扉を開けて入ってきた人間に今すぐ歌いたくなる気分にさせる魔法をかけています。

 二人目は踊りの魔女。

 歌の魔法使いの奥さんです。【踊りの魔法】と言って、彼女の踊りを見るだけで勇気が湧いてきたり楽しい気持ちになったりします。この書庫には、扉を開けて入ってきた人間に今にも踊りたくなる気分にさせる魔法をかけています」


 人を癒したり楽しませたりする効果のある歌と踊りか。

 さっきは思わず笑ってしまったけれど、どちらも人の役に立つ魔法だと思う。


「三人目は……」


 そこでスージーの言葉が詰まる。

 静かな図書館で小さな息遣いがよく聞こえる。


「たしか館長さんは紐で縛られたんだよね。なら扉を開けて入ってきた人間を……」

 話しやすくなるよう助け舟を出そうとして気づいた。


「待った。たしかそれって……」

 僕はその魔法を知っている。

 すでにこの目で見ている。

 それを使うのは……。










 こちらの制止を聞かずにスージーが事実を告げる。










です……」

 言い終えると同時に彼女は膝から崩れ落ちる。

 フードの奥からは嗚咽おえつが漏れてきた。


 声が重く沈んでいたのも、話しづらそうにしていたのも、ようやく納得がいった。

 友人知人どころか家族を疑うのだから。そんなの辛いに決まってるじゃないか。


 スージーは、唇を強く噛んでなんとか涙を止めようとしている。

 こんな時どうやって慰めたらいいんだろう。

 なんと声をかけたらいいのか言葉が思いつかない。

 僕は肩を並べて座ることしかできず、情けなくて奥歯を噛みしめる。


「黙っていて、すみませんでした……」

 スージーは頭を下げて謝ってくれたが、その声は今もまだ少し震えている。


「話してくれてありがとう」

 僕もすぐにお礼を言う。これは嘘偽りのない本心だ。

 辛い気持ちを押し殺して真実を語ってくれたのだから。感謝以外の言葉が見つからない。


 容疑者は歌の魔法使いと踊りの魔女、そして数字の魔女。

 他にも協力者がいる可能性はあるが、とりあえず三人の名前と魔法を忘れないうちに手帳に記しておく。


「この人たちの本名はわかってるの?」

「……母はわかります。他の二人は、本名を隠していたからわかりません」


 時代が変わっても魔導書の脅威を忘れず、昔からの習慣を守り続けていた人たちが容疑者。しかも彼らは書庫の管理を任されていた。そんな人たちがどうして魔導書を盗んだのだろう。そのうえ島中の人たちを本に封じ込めるという恐ろしいことも実行している。


 日々の暮らしに嫌気がさしたのか。

 世界征服でも企んだのか。

 それとも個人的な恨みか。


 スージーに尋ねたところ、その点に関してもすでに予想がついているらしい。 


「おそらくですが、研究のためではないかと」

「研究って……魔法の?」

「魔法使いは、より高い魔力とより良い魔法を子孫に残すために日々研究を重ねています。文献を読んだり仲間と議論したり実験したり旅したり。研究のためならどんなことでもします。魔法使いにとって魔法の効果を高めることが第一なんです」


 目的のためなら手段を選ばない人がいるのは魔法使いも同じらしい。世界が変わっても共通する倫理観というのかな。できれば周りの迷惑も考えてほしいけれど、今はそんなことを言っている場合ではないので黙っておく。


「魔法使いには、先祖代々引き継いでいる研究がそれぞれあります。はるか昔から現在までずっと悩まされ続けている問題と言い換えてもいいです。それを解決するために、幅広い知識や高い知能を持つ、魔導書を、盗んだのでは、ないか、と……」


 悲しみがぶり返してきたのか、スージーの言葉が途切れ途切れになる。


 研究に行きづまった末の犯行か。

 動機としてはあり得そうだ。

 頼りになる存在が身近にいたらすがりたくなるのも当然だ。


 しかし、いくら研究のためといっても数百人もの人を巻き込むのは決して許されることではない。僕は拳を握りしめて絶対に魔導書を見つけるという意志を固める。


「三人がどんな研究をしていたのか知ってる?」

「歌と踊りのご夫妻は、かつて存在した少数民族の歌や踊りについて研究していました。当時を知る人はもう生きていませんし、世界中どこを探しても記録は残っていないそうです。

 数字の魔女。母と私は完全ではない数字の魔法を完成させるためいっしょに研究してます。最後の数字に魔力を込めるだけなのですが、何度やっても失敗してしまうんです」


 数字の魔法は汎用性はんようせいが高くて便利だと思う。

 僕もいろいろな場面で助けられている。

 それなのに不完全とは、未完成とは、どういうことだろう。


「なにか欠陥けっかんでもあるの?」

「欠陥というより欠番です」

「最後の数字……欠番……それってゼロのこと?」


 その答えが合っているという風にスージーは深くうなずいた。


「私のご先祖様、初代数字の魔法使いは1から9の数字に魔力を込めることに成功しました。しかし、0の数字だけは魔力を込められなかったという手記が残っています。それから数百年経った現在でも0に魔力を込める方法は見つかっていません」

「魔法のことはよくわからないけど、そんなに難しいの?」

「そうですね。ナナツナ様は0の数字にどんな印象をお持ちですか?」

「えっと、無とか、なにもないとか?」

「こちらの世界でも同じです。1から9の数字の魔法は、コツをつかめばすぐできるようになりました。でも0だけは、たくさんの魔力を込めても無効化されてしまうんです」


 容疑者たちは、数百年という途方もない時間をかけても成果が出せない研究を続けていた。だが魔導書なら昔の歌や踊りも0に魔力を込める方法も知っている可能性がある。そのために三人が共謀きょうぼうしたとしてもおかしくない。


 誰がやったのか。

 なぜやったのか。

 この二つは見当けんとうがついた。

 あとは……。


「どうやって扉を開けたのか」


 僕は独り言をつぶやきながら扉に手を触れる。

 硬くて冷たい金属が体温を奪っていく。


 書庫の魔法は彼ら自身で解くことができる。

 しかし扉の鍵は、そうはいかない。


「まさかとは思うけど、館長が共犯者ってことはないよね?」


 唯一扉の鍵を開けられる鍵を持っている人で魔導書盗難の第一発見者。その際に体を張って書庫の中にも入っている。だがそれは共犯関係を隠すための陽動の可能性もある。姿を消したのも魔導書に封じ込められたのではなく、仲間と合流して隠れているのかもしれない。


「館長さんは仕事を終えた後に職場の人たちといっしょにお酒を飲んでいたそうです。その時に飲みすぎて酔った館長さんを家まで運んだと同僚の人が言っていました。家に帰ってからは朝まで寝ていたと家族が話してくれています」


 スージーの話が事実ならアリバイになる。

 館長が共犯者という可能性は薄いか。


「扉は頑丈だから簡単には壊せないし、無理やり扉を外しても重くて運べないだろうし……」


 いや、わざわざ扉を開けて入る必要はないのか。

 壁を軽く叩いてみると土や砂のようなものがこぼれ落ちる。手で触っただけで崩れるなら道具を使えばもっと簡単に壊せるのではないか。たぶん、複数人でやれば一時間もかからないだろう。あとは、これを元通りにできる魔法があれば……。


「この島に物を直す魔法を使える人はいる?」


 もしこの世界に修復魔法があるなら天井や壁を壊して侵入すればいい。魔導書を盗んだ後に直してしまえば誰も気づかない。書庫の魔法を解く三人の他にもう一人共犯者がいれば済む。そうすれば完全犯罪が可能となる。


「修復魔法はあります。ただし直せるのは、痛んだり傷ついたりした本だけです」

「本だけか。ちなみにその魔法を使えるのはどんな人?」

「館長さんです。先祖代々図書館の運営と蔵書の管理を任されている一族なんですよ」


 本しか直せないと嘘をついている可能性も考えたけれど、館長にはアリバイがあるし、鍵を持っているならわざわざ壁を壊して入る必要もないだろう。


 魔法さえあればなんでもできるから厄介だ。

 そのせいでいくつも可能性が生まれてしまう。


 ひとまず容疑者三人の魔法から考えていこう。

 歌の魔法、踊りの魔法、それから……。


「あっ」


 そこで気づいた。気づいてしまった。

 数字の魔法を使えば鍵がなくても扉を突破できると。

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