第14話 信じられない

「今からとても失礼なことを聞く。もし間違っていたら怒ってくれていいから」


 僕は正座した状態でスージーに面と向かって尋ねようとする。

 しかし、自分の意思とは正反対に口が開いてくれない。口元に手をやってもあごが固くなって動こうとしない。


 嫌われてもいい。殴られてもいい。

 少しでも可能性があるなら聞かなくてはいけない。

 小説の探偵もドラマの刑事も「感情に流されるな」と言っていた。僕もそのおきてに従おう。

 犯人を見つけるためには、魔導書を倒すためには、絶対に必要なことなんだ。 






「【さよなら3番】を使えば鍵がなくても侵入できると思いましたか?」






 突然、首を絞められたかのような衝撃が走って呼吸が苦しくなった。


「たしかに3番の魔法を使えば一瞬で移動できます。でも万能ではありません。例えばここから見えるところで一番遠いのは玄関前です。あそこまでならすぐ行けます。けれど、近くでも本棚の向こう側には行けません。なぜだかわかりますか?」


 僕は昨日のことを思い出す。

 この世界にやってきてすぐに彼女はなんと言っていたか。


「位置を正確に把握しないといけない。本棚の向こう側は見えないから移動できないんだ」


 空から地面に落ちている時に3番の魔法をすぐに使えなかったのはそれが理由だ。あの時は日が暮れかかって辺りは暗かったし、生い茂る木々が視界を邪魔していた。そのせいでスージーは、地面に着地する寸前まで待ってから魔法を使う必要があったのだ。


「正解です。同じ理由で中が見えない書庫に入ることができません」

「……ごめん。なんとおびをすればいいか」


 僕は生まれて初めて土下座した。昔の人間なら腹を切って責任を取っていただろう。


「気にしないでください。ナナツナ様は魔法に詳しくありませんから」


 少し困ったような、それでも優しげなスージーの声が降ってくる。


「ちなみに【ニコニコ2番】でも扉の鍵を複製することはできません。人に危害を及ぼす魔法にあたるため、どんな鍵でも増やすことは禁止されているんです」

「……その可能性は思いつかなかったよ」


 歌の魔法や踊りの魔法で人を洗脳したり操作したりできるか聞いたら不可能だと言われた。なんとなく予想していたが、館長に魔法をかけて鍵を使わせるように仕向けることも無理か。


 魔法は万能でないという言葉が身にしみる。

 それなのに、平気で人を傷つける魔法が使える魔導書というのは本当に厄介だ。


 体を透明化する魔法があれば朝と夜の確認作業で扉が開いた瞬間に侵入できるか。あるいは魔法で扉に大穴を開けることができないか。


 いや、どちらも人に危害を及ぼす魔法だから使えない。というか存在すらしないだろう。


 こんなことなら母親といっしょにミステリドラマをたくさん見ておけばよかった。

 友達のオススメしてくれた推理小説をもっと読んでおけばよかった。


 だが今さら後悔しても遅い。

 重くなった頭を左右に傾けながら考え続けるしかない。


「大丈夫ですか? チョコレート食べますか?」

 スージーが心配そうに声をかけてくれた。

 単純な僕は、それだけでやる気がわいてくる。


 あ、そうだよ。

 わざわざ問題を複雑にする必要はない。もっと簡単に考えればいいんだ。

 僕は立ち上がって図書館の出入口の方を指さして言う。


「スージー。外に出よう」

「扉を突破する方法がわかったんですか!?」


 突然の提案にスージーは驚きの声をあげる。


「ううん。全然わからない」

「え……あの……?」


 今度は首をかしげて困惑したような声を発する。


「犯人と思われるのは三人でしょ。だったらその人たちを捕まえて話を聞き出せばいいんだ。ここで開かずの書庫の謎を考え続けるよりもずっと効率がいいし確実だと思うんだよ」


 謎解きは苦手でもかくれんぼは得意だ。数百人の島民を一人残らず見つけろと言われたら何日もかかってしまう。だが三人くらいならなんとかなると思う。人が入りづらい山や森は妖精たちが探してくれているし、僕たちは住宅街や商店街を中心に探していこう。


「そう、ですね……」


 なんとも歯切れの悪い言葉が返ってくる。

 鈍感な僕でも心残りがあると察した。


「スージー。思っていることや気になっていることはすべて話してほしい」


 僕が再び床に腰を下ろすと彼女はすぐに口を開いてくれた。


「ナナツナ様」

「なに?」

「魔導書を盗んだのは、本当に母なのでしょうか」

「……どうだろう」 


 その可能性は高い。

 しかし、娘であるスージーの前では言いづらいから言葉を飲み込む。


「信じられないんです……」


 返事は思いのほか早くやってきた。


「歌の魔法使い、踊りの魔女、数字の魔女……。この三人以外に書庫に入ることができないのはわかっています。ただ、どうしても信じられないんです。私が言うのもなんですが、母は物を盗んだり人を傷つけたりなんかしません。そんなひどいことができる人ではないです」

「昔会ったことがあるけど、優しい人だったよね」


 神社で迷子になっていたスージーを見つけた瞬間、目に涙を浮かべて強く抱きしめていた。幼い僕に対しては、何度も頭を下げてお礼を言ってくれた。

 髪の毛や目の色、着ているものや使う魔法はもちろん、まじめで礼儀正しい性格も似ている親子。危険を承知で転移穴に飛び込んで異世界へ行く勇気のあるところもそっくりだ。


「歌と踊りのご夫婦もそうです。元気で明るい島の人気者なんです。私も悲しいことがあった時にお二人の魔法に助けられたことが何度もあります」

「スージーのお母さんと歌と踊りのご夫婦のアリバイ……は通じないか。魔導書が消えた日の夜から朝にかけてどこにいたのかわかってる?」

「すみません。その日は友達の家に泊まっていたんです。朝起きたら島中の人たちが騒いでいて、家に帰ったら母だけでなく父もいなくなってました。歌と踊りのご夫婦とその子どもたちもすでにいなくなっていたみたいです。どこでなにをしていたのかわかっていません……」


 三人ともアリバイなしか。

 これでは容疑を晴らすことができない。


「島のみんなも、疑うより心配してくれているんです。そんなことするはずないって。なにかの間違いだって。だから残っている人たちで島中を探したのですが、どこにも見つからないんです。そのうち私は転移穴に落ちて、いつの間にかみんな封じ込められてしまいました」

「魔導書が消えたとわかった日に行方不明になっている人は他にもいるよね。それでも三人が怪しまれるのは、開かずの書庫に魔法をかけた人たちで、ずっと研究に悩んでいたから?」

「はい。でも研究に関しては、他の魔法使いにも言えることなんです」

「みんなそれぞれ課題を抱えているってこと?」


 スージーは大きくうなずいた。


「魔法の研究は一代で終わるものではありません。一つ解消しても新たな課題が生まれます。そのため私たちは、定期的に書庫に訪れて魔導書に協力してほしいと話しかけてきました」

「交渉は扉越しにするの? それとも魔法を解いて書庫の中に入るの?」

「扉の鍵は館長に開けてもらいますが、魔法はかけ直す手間があるので解除しません。だから出入口の前に立って話しかけます。でも魔導書は、一言も口を利いてくれないんです」


 協力する気配のない魔導書にごうを煮やした魔法使いの誰かが盗み出したのだろうか。

 だけど本当に研究が動機なのかな。

 もしそうなら新たな疑問が浮かび上がってくる。


「研究のために魔導書を盗んだとして、どうして島の人たちを封じ込めたんだろう」


 魔導書に魔法の研究の協力を求めて交渉を重ねてきた。

 しかし説得は失敗。そのせいでずっと研究が止まったままの人もいるだろう。なんとしても魔導書を手に入れたいという気持ちはわかる。

 だが島中の人たちを封じ込める理由がわからない。


「そうなんです! 私もそれが気になっていたんです!」

 

 スージーがこちらに顔を近づけながら聞いてくる。


「魔導書は【強奪の魔法】で最初に名前を呼んだ相手の体を乗っ取ります。そうしないと自由に動けませんし、名前を呼んだ相手を本に封じ込める【封印の魔法】も使えませんから。でも、そんなことしたら自分の研究ができなくなります。それっておかしいですよね?」


 たしかに。研究に利用するために魔導書を盗んだのに体を乗っ取られてしまったら本末転倒だろう。それとも、この世界の決まりに反した邪悪な魔法でも開発するつもりだったのか。


「また失礼なことを聞くけど、人の命を犠牲にして創られる魔法なんてないよね?」

「魔導書が使う魔法は【強奪】と【封印】の二つだけです。それらは命までは奪えません」


 しかし、このまま封じ込められたままでは命を失うのと同じだと考えたら悪寒おかんが走る。

 体といっしょに頭も冷えたおかげか、僕にしては珍しく冴えたことを思いついた。


「もしかすると、魔導書に利用されたのかもしれない」

「どういうことですか?」

「スージー言ってたよね。時々書庫の中から魔導書の恨み言が聞こえてきたって」

「ええ。ここから出せ、自由にしろって。扉が閉まっている間、ずっとなにか言ってます」

「魔導書にとっては、それが交渉だったんじゃないかな。ここから出したら研究に協力してやるっていう。スージーは聞く耳を持たなかったけど、他の誰かは聞き入れたかもしれない。昔から協力を拒み続けてきた魔導書が話しかけてくるんだからうれしいに決まってるよ」


 複数の魔法使いたちが扉を開けて説得に来る時は口を利かず、扉越しに恨み言を発していたのは利用しやすい個人を見つけるためだろう。わざわざ開かずの書庫の前まで来るほど研究に詰まっている人間をおびき寄せるための甘言かんげんだったのだ。


「協力者を得た魔導書は開かずの書庫を突破する方法を伝えた。深夜なら誰もいないだろうし、防音性の低い扉なら大きな声で話せば通じると思う。その際に協力の条件として本名を教えることを提案したんじゃないかな。少しの間だけとか気が済んだらすぐに体を返すとか言って。本名を隠す習慣は薄れていたし、それらしい理由を言えば教える人もいると思うんだ」


 魔法使いは研究のため、魔導書は自由のため。

 互いの目的のために協力するつもりが、実際は魔導書が一方的に利用する形となった。魔法使いは止まっていた研究が進められる喜びで舞い上がっていた恐れがある。そのせいで騙されたことに気づかなくても無理はない。


「もし従わなくても『裏切り者がいると叫ぶ』と脅(おど)したのかもしれない。そんなことされたら島にいられなくなるから聞き入れるしかない。あとは書庫を脱出した後にその人の本名を呼んで体を乗っ取り、役所から戸籍を盗んで島中の人たちを封じ込めていった」


 魔法使いにとって研究がなにより大事であることは魔導書も知っているだろう。はるか昔から人間を観察していたのだから気づかないわけがない。


 そこで数百年間ずっと口を閉ざすことに決めたのだろう。開かずの書庫からの脱出と島中の人間を封じ込める機会を得るために。


 この推理が正しいのか間違っているのかはわからない。


 だが、もし本当に実行したのなら恐ろしい執念しゅうねんだと思う。


 名前を隠す習慣が薄れて戸籍が作られるかどうかもわからないのに、その時が来ることを信じて待ち続けたのだから。


 途方もなく長い時間を暗い書庫の中にたった一冊で。


 異世界に来てから一番の恐怖を覚えた。

 心臓が痛くなり、全身鳥肌が立ち、寒気がしてくる。両手を固く握って唇を噛みしめていないと歯が鳴りそうだ。


「もっと早く気づいていれば……母を止めることができたかもしれないんですね……」


 黙って聞いていたスージーが暗い声で後悔の言葉を吐き出す。


「私のせいで……島のみんなが……」


 彼女も恐怖に飲まれそうになっている。

 その姿を見ていたら不思議と冷静になってきた。


「お母さんがやってないと信じてるんでしょ?」


 僕の声を聞いたスージーが頭を上げる。


「たしかに書庫の魔法を解ける三人なら侵入できる。だけど三人とも昔からの習慣を守っていたんだよね。そんな人たちが魔導書に脅迫されたくらいで簡単に本名を名乗るかな」

「名乗らない、と思います」

「まだ扉の開け方もわかってないんだ。それまでは魔法使い全員に犯行の可能性がある。なら僕もスージーのお母さんがやってないと信じるよ」


 推理や捜査に私情を持ち込むなと聞く。

 だが僕は探偵でも刑事でも魔法使いでもない。


 ただの高校生だ。

 単純な人間は少しくらい感情に流されたくらいがちょうどいいのだ。


「ありがとうございます」


 その直後、フードの奥から元気で明るい声が聞こえてくる。


「ナナツナ様。必ず扉を突破する方法を見つけましょう」


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