第8話 土のような食べもの
「ヒイィィィィン!」
今度は空から聞こえた。
もう日が落ちてよく見えない。
だがあの鳴き声は……。
「ナナツナのにいちゃん! スージーのねえちゃん!」
「ポチ! 無事だったんだね!」
「ポチさん! おかえりなさい!」
ポチがヒィンヒィン鳴き始めると、彼の仲間と思しき妖精たちも同じように鳴き返す。 なにを話しているのかわからないけれど、田んぼから聞こえてくる
時折、数匹の妖精がこちらに体を向ける。僕とスージーのことを警戒しているのだろう。
「ポチ通訳して。僕たちは敵じゃないって。魔導書を倒すために来たと伝えてほしい」
「もう話してる! だが全然聞かないんだ! 安全だという証拠を出せと言ってる!」
ポチは小さな両手を動かしながら必死に説得してくれているようだ。
さっき空から落ちてくる時に見えたけれど、この島は予想以上に大きくて広い。もし魔導書が山や森に隠れているとしたら僕とスージー、ポチだけでは絶対に見つけられない。自然に詳しく数の多い妖精の協力は必須だろう。
「スージー。なにか友好の証になるようなものは持ってない?」
「魔導書探しの最中に転移穴に落ちてしまったので今はなにも……」
それなら家に帰ったら持ってこられるだろうか。だが、それを妖精たちが許してくれるとは思えない。ポチの妹がいなくなっている状況では、人間を信用できないだろう。
僕は鞄を開けて交渉の材料に使えそうなものを探す。
教科書、ノート、筆箱、空の弁当箱、体操着、タオル。
ダメだ。ろくなものがない。
せめて食べ物があればよかったのに。
諦めかけたその時、鞄の内ポケットになにか入っていることに気づく。
同級生からもらった板チョコだ。
すぐに箱と包み紙を開け、中身がよく見えるように掲げる。
「ポチ! 食べ物をあげると伝えてほしい! 僕の世界にある甘くておいしい食べ物だ!」
妖精は木の実や花の蜜が好きだと言っていた。それならチョコも食べてくれるのでは?
通訳担当のポチがなにやら伝えると、妖精たちは鳴きながらチョコを指さしてくる。
「それは土だ、そんなものは食えない、バカにするな、と言ってるぜ」
通訳担当のポチも短い両腕を組んだまま疑うように話す。
「たしかに茶色い食べ物って土に見えるよね……」
人間の子どもだって知らない人からもらったものを食べない。
野生の妖精なら余計に用心するだろう。
僕は板チョコを一かけら割って食べると甘さが身にしみた。
「よかったらスージーも食べる?」
茶色い食べ物に抵抗がないか不安だったけれど、彼女は興味深そうに眺めている。
「いいんですか? ありがとうございます」
その瞬間、スージーの顔がほころんだのがわかった。
「とってもおいしいです!」
「口に合ってよかった。チョコレートっていうお菓子でね、疲労回復にもいいんだ」
「ちょこれーと、ですか。たしかに元気が出てきた気がします」
「あはは。じゃあ、もう一つ……」
ふと違和感を覚えて下を向くと、いつの間にか大量の妖精たちが制服のズボンにくっついていた。
「わっ! 急にどうしたんでしょう」
隣のスージーのローブにも妖精たちがひっつき始める。
彼らはまたヒィンヒィンと大合唱を始めた。その意味は、ポチに聞かなくてもなんとなくわかった。おそらくギブミーチョコレートと言っているのだろう。
「ヒイィィィィィィィィィィィン」
一段と高い鳴き声がしたと思ったら大合唱がピタリと止んだ。
黒く覆われた地面に茶色が戻っていく。その開けた道から白い毛の妖精が現れた。まるで海を割った伝説の聖人みたいだ。
「チッ。偏屈じじいのお出ましだ。相手にすることねぇよ」
ポチが毒づいた。
たぶん、妖精たちの長老なんだろう。体の大きさは他と違わないけれど、白くて長い体毛はこれまで生きてきた歴史を感じさせるようだった。
「ヒィン」
「なんだよ。この二人は俺が連れてきたんだ。文句あるのかよ。ヒィン!」
「ヒィン」
「妹を助けるためだ! そのためには魔導書を倒すしかねぇだろ! ヒィンヒィン!」
長老の発言はわからなくてもポチの言葉だけでなんとなく会話の内容を察する。
やはり僕とスージーのことを警戒しているのだろう。
やはり友好の証として食べ物をあげるのは、浅はかだったのかもしれない。これでは動物の餌付けと同じだ。
「ヒィン」
長老が僕の方を向いて鳴いた。
「ナナツナのにいちゃん。じじいが『それを食べさせてくれ』と言ってるぜ」
妖精は警戒心が強くて人間に近づかないと聞いていたから意外だった。
しかし、体は小さくても器は大きいのかもしれない。その寛大な対応に感謝しつつチョコのかけらを渡した。
長老は両手でそれを持つと、匂いを嗅ぐように顔の前に掲げる。
「ヒィン」
そのまま体毛に隠れた向こう側にあるだろう口に入れた。
「あっ」
最悪なタイミングで大事なことを思い出した。
動物にチョコレートを与えてはいけないと。
特に犬が食べたら
「待った! 食べちゃダメだ!」
いつの間にか長老の体が地面に横たわっていた。
今はピクリとも動かない。
「ヒ、ヒイィィン……」
遅かった。
死にかけの馬の悲鳴のようだと思っていたのが本物の悲鳴になってしまった。
直後、一斉に妖精たちが襲いかかってきた。
僕の下半身にしがみつき、小さな両手両足を使って上半身に登ってくる。
「じじいが『う、うまい』って言ってるぜ! そんなにうまいなら俺にも分けてくれよ!」
ポチの言葉を聞いて長老を見ると、ヒィンヒィンとからかうような鳴き声を発している。
「よかったですね、ナナツナ様」
「うん……。でも、どうしよう。チョコレートはこれだけしかないんだ」
板チョコのかけらはそんなに多くない。細かく小さく砕いたら数は足りるかもしれないが、粉っぽくなってしまう。それではおいしさが伝わるかどうかわからない。
「それなら私に任せてください。【ニコニコ2番】」
なんともかわいらしい呪文が聞こえてきた。
思わず笑顔になる魔法か?
右手が急に重くなる。板チョコを求めて妖精が登ってきたのかと思ったら違った。
板チョコが一枚増えたのだ。驚いているうちにもう一枚増え、目を見開いているうちにさらに増えた。片手では持てないほど増えたところで、ようやく魔法の効果だと気づいた。
「2番の魔法は、物を増やすことができるんだね」
「はい。生きものやお金など、増やせないものもありますけど」
「それでもすごいよ。スージーがいてくれてよかった。本当にありがとう」
僕は両手で抱えきれないほどの量になった板チョコを割って妖精たちに渡していく。
最初はチョコの欠片を受け取るとすぐに離れる妖精が多かった。だが次第に人間への警戒が薄れていったのか、チョコを受け取ってからお辞儀する妖精やヒィンとお礼を言ってくるような妖精も出てきた。黒くて毛むくじゃらでも、見慣れるとだんだんかわいく思えてきた。
「一列に並んでくださーい! チョコレートはたくさんありますからねー。はい、どうぞ」
そのうちスージーも板チョコを渡す作業を手伝ってくれるようになった。
「ヒィンヒィン」
少しずつかじったりなめたりして食べる妖精や一気に丸のみする妖精など、みんなそれぞれ違う形でチョコレートを味わってくれているようだ。
そんな彼らを見て、僕とスージーは顔を見合わせて笑った。
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