第9話 洞穴の壁画
ビイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!
突如けたたましい音が響いた。
妖精たちは動きを止め、スージーもビクッと体を震わせた。
音の正体に気づいた僕は、すぐに鞄に手を伸ばす。予想通り防犯ブザーのピンが外れていた。
ピンをはめ直すと音は止んだ。近くにいた妖精が興味本位で触れたのかもしれない。
「これは音を使った魔法? それとも武器かなにかですか?」
「周囲に危険を知らせるための道具かな」
危険人物を退散させる用途にも使えるから武器と言えなくもないのか。
「どうしましょう。妖精さんたちが固まったままですね」
スージーに言われて見るとチョコを取り合うように食べていた妖精たちがずっと動かない。この森は静かそうだから大きな音に慣れていないのかもしれない。しばらく待ってもダメならまた水をかけたら起き上がるだろう。
「ヒィン」
最初に起きたのは長老だった。長生きしているから肝が据わっているのか、耳が遠いのか。長老は僕のそばにやってきて制服のズボンの
「ナナツナのにいちゃん。スージーのねえちゃん。じじいが見せたいものがあるってよ」
遅れて起きたポチが通訳に入ってくれる。
長老とポチに連れられて僕とスージーは
「すぐに明かりをつけますね。【夜明けの4番】」
スージーが新たな呪文を唱えると小さな光の玉が出現した。穏やかな
入口が広いので奥まで長いのかと思ったらそうでもない。人間の足でも数歩で行き止まり。見せたいと言っていたものは、そこにあった。泥や土を
「森にこんなものがあったなんて知りませんでした」
スージーは
「なにを描いているんだろう」
壁には、棒人間のようなものが三人。
一人は地面に倒れ、その上に馬乗りしているようなのが一人、すぐそばにも一人立っているように見える。
「『はるか昔に起きた伝説の魔法使いと魔導書の戦いを描いた』と、じじいは言ってるぜ」
妖精の住む森にある洞穴の壁に描かれているから妖精の歴史だと思っていた。
しかし倒れているのが魔導書に乗っ取られた人間だとしたら、上に乗っているのは伝説の七つ名の魔法使いだろう。馬乗りになって動きを止めてから正体を確認したのかもしれない。
僕も同じことをやろうと考えていたからなんとなく気づけた。
納得しかけたところで違和感が生まれる。
すぐそばに立っている三人目は何者だ?
「じじいが『当時のことをそのまま描いている』って。俺はまだ生まれてなかったけど、昔のことは他の奴からもよく聞いてる。だから、じじいの言うことは間違いないと思うぜ」
ポチの話によると、長老がまだ若い頃に魔導書と伝説の魔法使いの戦いを目撃したらしい。当時のことを後世に伝えるため、仲間と共に絵を描いたそうだ。
「スージー。七つ名の魔法使いは二人組だったの?」
「私は聞いたことがないです。図書館に保管されている史料にもそういった記述はありません。でも、長老さんの話が事実なら新たな発見になりますね」
魔女の知的好奇心がくすぐられたのか、スージーは笑みを浮かべて瞳を輝かせる。
知られていなかった協力者の存在か。
なんとなく思いついたことを聞いてみる。
「他にも人間はいなかった? 具体的には、あと五人くらい」
七人の侍ならぬ七人の魔法使い。
だから「七つ名の魔法使い」と名乗ったのではないか。
「『いなかった。倒れている男と変わった格好の男とヒラヒラした服の男だけ』だってよ」
予想は外れたが、謎の人物の情報は得られた。
ヒラヒラした服とは、ローブのことではないか。
もしスージーが着ているようなものだとしたら……三人目は島の魔法使い?
「長老さん。七つ名の魔法使い様は、どんな魔法を使っていたのかわかりますか?」
今度はスージーが質問してポチが通訳する。
しかし若い妖精と違って人間の言葉を理解できない長老は、当時の彼らがなにを話していたのかわからなかったらしい。
「じじい。二人をここに連れてきたってことは協力してくれるんだよな。ヒィン!」
ポチは通訳が面倒になってきたのか、早く話を終わらせたがっているようだ。
長老がうなずくように体を前後に揺らしながらヒィンヒィン鳴く。
「『若い妖精は怖いもの知らずだから人間に興味を持ちすぎている。妹も町によく行っていた。そのせいで魔導書にやられた。しかし伝説の魔法使いに似た人間が来てくれたなら倒せるかもしれない。できる限り協力しよう』って。やったぜ、ナナツナのにいちゃん!」
似ているのは不思議な格好と呼び名だけだ。
長老はそのことを知っているのだろうか。
それでも僕は笑顔を作って宣言する。
「任せてください! 必ず魔導書を見つけ出して島の人たちと妖精を救います!」
また心臓が締めつけられるように痛みだす。それをごまかすように胸を叩いた。
洞穴を出て森へ戻ると、妖精たちが果実や木の実を用意してくれていた。彼らの警戒心は、チョコレートといっしょに溶けていったらしい。
「ヒィン」
「たくさん用意したから全部食ってくれって」
「わあ。ありがとうございます」
「あ、ありがとう……」
目の前には、毒々しい色の果実や食欲をなくさせる形の木の実が大量に置かれている。スージーはすべて食べられると言うけれど、別の世界から来た人間でも食べられるのか心配だ。
しかし、せっかく妖精たちが用意してくれたのに一口も食べないのは失礼だろう。チョコレートによって得られた信頼関係が崩れてしまう恐れもある。
できるだけ小さくて、色もそれほどおかしくないものを一口かじってごまかそう。
「ナナツナのにいちゃん。これ食ってみろよ。めちゃくちゃうまいぜ!」
「ナナツナ様。この島でしかとれない特産品です。ぜひ召し上がってください」
ポチとスージーが選んだのは、よりにもよって一番食べたいと思わせない色と形をした果物だった。両手で抱えるほど大きな球体で、表面には紫と黒の突起がいくつも付いている。食べ物というよりも魔物のように不気味な見た目をしている。
鼻を近づけると、今までに
「う、うん。じゃあ、それを、いただこうかな」
断ることができずに受け取ったものの、どうやって食べるのが正解なんだろう。この表面のぶつぶつした突起は、果物の皮と思っていいのだろうか。それなら包丁やナイフで
「皮にも栄養があるのでそのまま食べるのがいいですよ」
「俺たち妖精も丸ごとガブッといくぜ。種までうまいからな」
「な、なるほど。い、いただきます」
両手を合わせてから僕は思いきって果物にかじりついた。
「う、うまい」
気づけば妖精の長老とまったく同じことを言っていた。
硬い皮と柔らかな果肉の食感が心地良く、酸味と甘みが口いっぱいに広がる。独特な匂いも食べ進めるうちに気にならなくなり、いつの間にか種まで胃袋に収まっていた。
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