第32話 また会う日まで

「はあ……はあ……」 


 スージーがひどく疲れたように息を吐く。

 その直後、倒れるように寄りかかってきたことに気づいてすぐに目を開いた。


「スージー! しっかりして!」


 何度呼びかけても起きる気配がない。

 このまま目を覚まさないんじゃないか。

 そんな不安がほんの一瞬頭をよぎったが、すぐに振り払ってまた声をかけ続ける。


「ナナツナ様……」


 ようやく目を覚ました彼女が震える指先を地面に向ける。


「スージー……これって……」


 さっき砂浜に書いた数字の0から不思議な光が放たれている。

 穏やかな夕日の橙色だいだいいろとは違う。神々しさを感じるほど真っ白な光源が穴の奥にあるのだ。


 この世界の住人ではない僕でもすぐにわかった。

 これは転移穴だ。

 僕の住んでいた世界からスージーの住む世界へ来るときに入った穴に違いない。


 驚きのあまり思考がまとまらない。

 だが、なにか言わなくちゃいけないと思って口を開く。


「ありがとう……本当にありがとう……」


 言いたいことはたくさんあるのに、感謝以外の言葉見つからなかった。


「約束、しましたから」


 ようやくスージーの意識がはっきりしてきたのか、自分の足で立てるだけの体力と話す気力が戻ってきたらしい。


「ありがとうございます。ナナツナ様のおかげで数字の魔法が完成しました」


「少しでも役に立てたのならよかった」


「信じてもらえるかわかりませんが、この転移穴はナナツナ様の世界と繋がっています」


「信じるよ。スージーの言うことなら信じられる」


 根拠なんかない。

 魔力も持たない魔法も使えない僕が言ったって説得力はない。


 けれど自信を持って断言できる。

 数字の魔女の【0番の魔法】は絶対に完成していると。


「0番の魔法は創られたばかりの魔法です。どれだけこの状態を保っていられるのか、また0番の魔法を使ったらナナツナ様の世界に繋がるのか、正直わからないことばかりです。急かすようで申し訳ありませんが、できればすぐに転移穴に入ってください」


「わかった。みんなにもお別れのあいさつをしたいけど、そんな暇はないだろうね」


 これまで知り合った魔法使いたちや妖精たちの姿が次々に思い浮かんでいく。


 妖精たちと森で果物や木の実を集め、スージーと作ったジャムは、とてもおいしかった。


 魔法使いの子どもたちやスージーとかくれんぼをしたのは、すごく楽しかった。


 伝説の魔法使いの銅像を作りたいから型を取らせてほしいと頼まれた時は、かなり困った。


 スージーのお父さんに誘われて海辺で初めて釣りをしたらたくさん魚を釣ることができた。


 スージーとお母さんが作ってくれた肉や野菜をじっくり煮込んだ島の郷土料理は絶品だった。


 ひどく怖い思いもしたけれど、とても楽しい思いもさせてもらった。


 普通に生活していたら知ることのできない世界を知り、ここでしか得られない体験ができたと思っている。


「今までお世話になりました。ありがとう」


「お礼を言うのは私のほうです。ありがとうございました」


「じゃあ、そろそろ行くよ」


「気をつけて、帰ってくださいね」


「スージーも体調に気をつけて」


「……はい」


 最後に一つだけ彼女に伝えたい想いがあったけれど、胸の内に秘めたまま帰ることにした。

 どんなことでも話すと約束していてもこればかりは言えない。

 この世界からいなくなる僕が言っても迷惑になるだけだから。


 転移穴に向かうが、歩きにくさを感じたので足下を見る。絶対にほどけないよう固く結んでいた靴の紐が、なぜかぐちゃぐちゃになっていた。


 不可解な現象に首をかしげる。

 まさか彼女と縁を結べという神様からのお告げか?


 いや違う。

 辺りを見回すと、岩の陰から小さくて黒い物体が手を振っていた。

 どうやら仲間想いの妖精による恩返しという名のおせっかいだったらしい。


「本当に、義理堅い種族だなあ、妖精っていうのは」


 ありがとうポチ。

 臆病で小心者な僕の背中を押してくれて。


「スージー!」 

 僕は勢いよく振り向いて叫んだ。


「は、はい!」

 急に呼ばれたスージーは目を丸くして驚いている。


 言え。

 今言わなければ絶対に後悔する。

 勇気を出して言うんだ。









「僕の本当の名前を聞いてください」









 恥ずかしくて顔が熱くて仕方ない。

 けれど勇気を出して言い切った。

 

 しかし、好きな人に告白するのがこんなに緊張するなんて思いもしなかった。

 空から落ちた時よりも、魔導書と対峙した時よりも、今が一番怖い。


 どんな顔をしたらいいのかわからなくてお辞儀したまま固まっている。

 波の音に混じって砂浜を踏みしめる足音が近づいてくるのがわかった。


「ナナツナ様。どうか顔を上げてください」

 耳元でスージーがささやく。


 しかし、答えを聞くのが辛くてなかなか上がらない。

 今すぐ転移穴に飛び込みたい衝動に駆られたが、返事を聞かずに帰るのはもっと辛い。

 そんなカッコ悪い僕の耳元でもう一度ささやく声がする。









「私の本当の名前を聞いてほしいんです」









 聞き間違いではないかとすぐに前を向く。


 するとそこには、僕が好きになった彼女の優しい笑顔があった。


 うれしくて涙が出そうになるのをこらえて笑みを浮かべる。


「僕の本当の名前は――」


「私の本当の名前は――」


 僕とスージーは言葉を交わし、互いの小指を絡めて、また会おうと約束を交わす。


 たとえどんなことがあっても必ずこの約束は果たされるだろう。


 なぜならそれは、ナナツナの魔法使いが使える唯一の魔法だから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

伝説の魔法使いの子孫に間違われた僕は魔導書消失の謎を解く 川住河住 @lalala-lucy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ