第17話 罠

「【いの1番】!」


 スージーの呪文が耳に届く。

 同時に、胸に飛び込んできたなにかに僕は吹っ飛ばされた。

 

「ぐあっ!」


 とっさに受け身を取ったおかげで硬い床に頭を叩きつけることは回避できた。

 しかし、もろに打ちつけた背中と腰が痛い。

 今すぐ起き上がりたくても動けそうにない。このままだと意識まで失いそうだ。


「ナナツナ様! 目を覚ましてください!」


 重いまぶたをしっかり開くと、心配そうなスージーの顔を視界に捉える。


「よかった。気がついたんですね」


 不安そうだった表情が少しずつ安心したものに変わっていく。今はローブのフードが外れているから彼女の顔がよく見える。おかげで立ち上がる気力がわいてきた。


「えっと……なにが……」


 思わぬ事故や痛みの連続で記憶が曖昧になっている。

 そのせいで今の状況を把握できない。

 本を引き抜こうとして棚が倒れてきたのは覚えている。

 そして棚がぶつかる直前、スージーが呪文を唱えてすぐに僕は後ろへ飛ばされたんだっけ。

 

 あの魔法はなんだったのか。

 空気の塊を飛ばしたり風を吹かせたりする効果なのか。


「すぐに魔法をかけますね。【治しの7番】」


 以前にも妖精のたんこぶを一瞬で治した回復魔法は人間にも効果抜群だった。全身の痛みや疲労がどんどん消えていく。

 僕は両手を床に付いてすぐに体を起こす。肩を回したり腰や背中を触ったりしてもまったく痛みが残っていない。


「ありがとう。助かったよ」

「突き飛ばしてすみませんでした……」


 なんのことかよくわからなかった。だがすぐに僕の胸に飛び込んできた正体に気づく。


「【いの1番】は、ほんの一瞬すばやく動けるようになる魔法なんです。【さよなら3番】ではどうしても間に合わないと思って……本当にすみません……」

「いや、僕が本を無理に取ろうとしたのがいけないんだよ」

「ナナツナ様のせいではありません。あれを見てください」


 スージーに促されて顔を向ける。

 さっきまで調べていた右側の棚がすべて倒れ、床には大小さまざまな本が散らばっている。傷ついているだろう本のことを考えると胸が痛んだ。


 だが同時に違和感を覚える。

 僕が調べていたのは玄関側から数えて二番目の本棚だ。それが倒れたせいでこれまで調べてきた本棚も連鎖的に倒れていったのはわかる。


 しかし、まだ調べていなかった最後の本棚も倒れているのはなぜだろう。


「玄関からの風が原因だと思います。以前にも同じことがあったんです。危ないから棚を固定しようと思っていたんですが、魔導書が消えてそれどころではなくなってしまいました」


 そういえば僕が調べていた本棚が倒れる前に音が聞こえてきた。あれは玄関に一番近い本棚が倒れたせいで本が床に落ちた音やこちらの棚にぶつかった時の音だったのか。


 真相に納得しかけたところで新たな違和感が生まれる。


 たしかに玄関近くにある本棚なら風の影響を受けやすい。けれど右側の本棚より玄関に近い左側の本棚の方が倒れなかったのはどうしてだろう。もし仮にそれが原因だとしても隙間風で本がたくさん詰まった重い棚が倒れるとは思えない。


 偶然? いや違う。

 この状況でそんな楽観的な結論は出せない。


「逃げよう!」


 僕はスージーの手を引いて走り、カウンターテーブルの向こう側に滑り込んだ。

 テーブルからほんの少しだけ顔を出して館内を見渡す。怪しい人影は見当たらないが、窓から差し込む光だけでは心もとない。


「スージー。明るくする魔法を使って」

「は、はい。【夜明けの4番】」


 突然の事態でも異を唱えず、彼女はすぐに呪文を唱えてくれた。温かな橙色の球体が図書館の天井へ浮かび上がり、次第に光を強めて館内全体を照らしていく。 


「ナナツナ様。どうかしたんですか?」

「本棚が倒れてきたのは風のせいじゃない。誰かが故意に倒したんだ」


 スージーの口から息だけがもれた。


「調べていた棚に一冊だけ逆向きに入れられていた本があった。あれは僕を足止めするための罠だ。それに気を取られている隙に本棚を倒したんだ。きっと本棚を探そうと話し合っていたところを盗み聞きして先回りしたんだと思う」


 僕が右列を担当することがわかったのでその内の一冊を選んだ。最下段の真ん中の位置は、左右どちらへ逃げても確実に押しつぶしてやるという殺意を感じる。あえて最後から二番目の本棚に仕込んだのも犯人が顔を見られないうちに逃げるための策だろう。


 失敗した。

 音には気づいていたのに、本を取ることを優先したせいで犯人を取り逃がした。

 魔導書の知能の高さをあなどっていたつもりはない。しかし、心のどこかで図書館は安全だと思い込んでいたのかもしれない。


「誰か玄関から出て行くところを見なかった?」

「いいえ。見ていません」


 スージーに隠れているよう伝えて館内を見渡す。

 やはり人の姿はなさそうだ。


 あとは左側の本棚の陰や閲覧席の下に隠れるか、階段を使って二階へ上がった可能性もある。棚が倒れる音が大きくて足音には気づきにくい。もともと館内は薄暗かったし、本棚が倒れた拍子にほこりが舞ったせいで余計に視界が悪くなったから見逃していてもおかしくない。


 いずれにせよ、絶対見つけてやる。

 もう二度と失敗しない。

 ここで終わらせるんだ。


「犯人はまだ館内にいる。これから探そうと思うけど、立てる?」


 あまり顔色がよくないスージーに尋ねると、ややあってから答えが返ってきた。


「……はい」


 無理していないかと心配になる。

 しかし、別行動をとるのはもっと危険だ。

 この場に一人で置いていくわけにもいかない。


「もし怖かったら耳をふさいでおこうか?」


 青ざめていた彼女の顔が少しずつ紅潮していく。


「あ、いや、変な意味じゃないよ? 魔導書に名前を呼ばれると封じ込められるんだよね。だったら、耳をふさいでおけば名前を呼ばれても安全かと思って」

「残念ながら【封印の魔法】は名前を呼ばれた時点で効果が発動するんです。島民の多くは、眠っている間に家に侵入されたせいで封じ込められてしまいましたから」


 そうか。耳をふさいでもダメなら大声を出して相手の呪文をかき消しても無駄だろう。


「あの、ナナツナ様」


 スージーがなにか言いかけてやめる。それからフードを被り直してまた口を開いた。


「手を繋ぎませんか。もしもの時のために、すぐそばにいた方がいいと思うんです」


 この状況でそんなことを言うのはやめてほしい。僕まで顔が熱くなってくる。

 だが、あえて断る理由もないので素直に従う。腕を伸ばそうとして目を大きく開いた。


 いつからそうなっていたのか、手が小刻みに震えて止まらない。

 無理をしていたのはスージーだけじゃなかったらしい。

 もう片方の手でなんとか抑え込もうとしても無駄だった。


「これでもう、大丈夫ですね」


 彼女の手が僕の手を優しく包み込む。

 いつの間にか震えは止まっていた。

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