第16話 本探しと襲撃

「もう一度聞きたいんだけど、魔法使いは決まりを守っているんだよね?」

「世界の法則は絶対です。たとえどんな手段を使っても破ることはできません」

「なら、どうして魔導書はこんなことを……」


 神が与えた試練か。

 それとも魔導書と人間を争わせて楽しんでいるのか。


「『神様でも気がつくまい』と言われています」

「どういうこと?」

「島のことわざです。誰も気づかないことや予想していなかったことが起きた時に使います。まさか神様も魔導書が本来の役目を忘れて人間を襲うなんて思いもしなかったでしょう」


 そういうことか。

 僕のいた世界のことわざ『お釈迦様しゃかさまでも気がつくまい』と似ている。

 この世界の人たちにとっては神様が身近な存在なのかもしれない。

 

「魔法使いが法則を破らなくて退屈だから勝手に動き始めたってことは考えられない?」


 神様は人間の常識が通用しない。

 それなら神の使いも独自の行動原理で動くと考えられる。

 僕の知っている神話でも荒唐無稽こうとうむけいなできごとがいくつも書かれていた。


「どうでしょう。魔導書には他にも役目があるからむしろ忙しかったと思います。今では考えられないことですが、大昔は魔法使いたちの研究に協力してくれていたそうですから」

「え、そうなの?」


 意外だ。

 人間と魔導書が友好的な関係を築いていた時代があったとは思いもしなかった。


「魔導書という呼び名は、魔法使いを導く書、という由来なんです。島の外からもたくさんの魔法使いがやってきたという記録が残っています。当時は開かずの書庫はなくて、誰でも自由に相談できたんでしょうね。正直、ちょっとうらやましいです」


 なるほど。

 魔導書が創られた目的は、人間の監視や懲罰だけでなく研究補助もあったのか。

 この世界の神様は人間に対してあめむちを上手く使い分けているらしい。


「魔導書がおかしくなったのはいつ頃から?」

「数百年ほど前です。なんの前触れもなく突然おかしくなったそうです。誰も世界の法則を破っていないのに島中の魔法使いを封じ込めていった記録が残っています。七つ名の魔法使い様が現れて退治したという伝説が生まれたのもこの時です」

「魔導書がおかしくなった原因はわかってるの?」

「すみません。それについては史料が残ってないんです。今の魔導書は口を利いてくれませんし、島の歴史に詳しい人も正確なことはわからないと言っていました。数年前から転移穴が急におかしくなったのと同じく原因不明です」


 人間は未知なものに恐怖するというのは事実らしい。

 今まさにそれを全身で感じている。

 疲れのせいか思考も鈍くなっている。

 僕は小指に力を込めてなんとか気合を入れる。


「あまり考えたくないけど、魔導書が新たに魔法を創り出したという可能性は?」


 魔導書が使えるのは【強奪】と【封印】の二つの魔法だけ。

 魔法使いの体を奪ってもその人の魔法は使えない。

 しかし、その知能と知識を駆使して魔法を創ることもできるのではないか。

 なぜなら魔導書は、世界の法則に縛られない唯一の存在だから。


「いくら魔導書でも神様に与えられた魔法以外は使えません。人間と違って魔力を持たないから新しい魔法を作ることはできないんです」


 スージーが断言する。

 僕は彼女の言葉と本の記述を信じて大きくうなずいた。


 もちろん万が一という可能性はあるけれど、奇跡や偶然を考えだしたらキリがない。

 今はそんなことより誰の体を奪ったのか。

 どこに隠れているのか。

 どうやって開かずの書庫に侵入したのか。

 それらの答えを見つける方が大事だ。


「ん?」


 ふと気になるものを見つけた。

 本のページの隅に親指ほどの大きさの黒い染み。横には他の生き物と同じように文字が書かれている。うっかり墨を垂らしたというわけではなさそうだ。この世界で黒くて丸い生物といったら……。


「ここに描かれているのは妖精?」

「はい、妖精さんです。初めて読んだ時に汚れと勘違いして母に笑われちゃいました」


 スージーが恥ずかしそうに頭をかく。

 僕は苦笑しながらも心の底から共感した。


「妖精は神様からどんな力をもらったの?」

「『生きる力』と書かれています。妖精さんは長命だからピッタリですよね」


 たしかに。

 長老は数百年前から生きているようだし、あれだけの数がいるのだから繫殖力も高いと思う。妖精ってどんな風に生まれるんだろう。あとでポチに聞いてみようかな。


 本を閉じると黒い表紙に金色で書かれた題名が目に映る。この世界の文字が読めない僕でも綺麗な本だと思う。

 そこでずっと気になっていたことを思い出す。


「魔導書は、どんな見た目をしているの?」

「これと同じくらいの大きさで青い表紙をしています。暗い書庫でもよく見えるんですよ」


 目の前にある本は単行本くらいの大きさで分厚くて重いから両手で持つ必要がある。しかし、こんなものを抱えて外を歩けば目立つに決まっている。かといって衣服のポケットには収まらないし、鞄や袋に入れて持ち歩いても怪しまれるに違いない。


「魔導書は目立つうえに持ち運びにくいなら、やっぱりどこかに隠したんじゃないかな」

「一応、みんなの家の中や手荷物を探してみたんです。だけど見つかりませんでした」

「物を小さくしたり見えなくしたりできる共犯者がいたら……」


 念のため手帳を読み返すが、そんな都合のいい魔法があるわけなかった。

 みんな必死に探しているのに未だに人も本も見つけられていないのは、まだ探していない場所があるのか。それとも隠れるのがとても上手いからなのか。


 もし僕が犯人ならどう動くか。

 姿を見られてはいけないし、魔導書を取られてもいけない。分厚くて重い本とはいえ、常に触れていないと魔法を使えないから手放すわけにもいかない。その状態で数百人もの名前を呼ばないといけないなんて……難易度が高すぎる。


 いや、待てよ。

 ずっと本に触れている必要はない。

 【封印の魔法】を使う時だけでいいんだ。

 本を隠しておいてそこに人が通りかかったら名前を呼ぶ形でもいい。周囲に気づかれないように一人ずつ確実に封じ込めていけばいい。


 それを実行するのに最適な場所が一つだけある。


「『木を隠すなら森の中』」

「すみません。どういうことでしょうか」


 僕の言葉は翻訳されたらしいが、意味まではスージーに上手く伝わらなかったらしい。


「僕のいた世界のことわざ。物を隠す時は同じものが集まっているところに隠すのがいいって意味。もし本を隠すなら本がたくさんある場所だと気づかれにくいよね」

「それってまさか……図書館のことですか?」


 スージーが戸惑った様子で館内を見回す。


「ここはもう探した?」

「研究用の個室や事務所、職員の更衣室など、人が隠れられそうな場所は探しました。でも、本棚には触ってすらいません。それどころではありませんでしたから」


 やっぱりそうだ。

 魔導書を倒すためには、最初に体を乗っ取られた人の名前を呼ぶ必要がある。そのせいで人捜しが優先されて本探しは後回しにされていたんだ。


 しかも図書館には、開かずの書庫がある。

 厳重に保管されていた本が誰でも自由に触れることができる棚に収まっているとは思わないだろう。だが知能の高い魔導書ならそんな人間の盲点を突いてきてもおかしくない。


「ここにあると決まったわけじゃないけど、探してみる価値はあると思わない?」

「はい。探しましょう」


 やる気に満ちた返事が聞こえてきたので僕もうれしくなってくる。


「たしか魔導書は分厚くて表紙が青色だったよね。他になにか特徴はある?」

「本のどこにも題名や著者の名前が記載されていません。それから本を開いても最初から最後まで白いページが収まっているだけです。見た目の特徴と言えるのはこれくらいですね」

「珍しい本だね。神様の創作物だからかな」


 それだけわかりやすい特徴があれば、この世界の文字が読めない僕でも見つけられそうだ。


 携帯端末で時刻を確認すると図書館に来てから二時間以上経っていることに気づいた。

 僕は右の列、スージーは左の列の本棚を探していく。薄暗くても窓から差し込む光だけで色や文字の有無くらいの判別はできるだろう。


 棚に収まっている本の背表紙には、どれも題名と著者名が記載されている。一般的な本ならそれが当たり前だ。けれど今探しているのは、神の使いとも言われる特別な本だ。


「こっちにはなかったよ。スージーの方はどう?」

「こちらもありません。次の棚に行きましょう」


 上の段の左端から下の段の右端まで確認するが、やはり背表紙に題名や著者名が入っている。それでも青い表紙の本を見つけた時は念のため手に取る。しかし、実際に開いてみると文章が載っているページが目に飛び込んできた。


「はあ。またダメか」


 その後も棚を移動しながら収まっている背表紙見て中身を確かめる。立ったりしゃがんだりするだけでも体力を使うが、なんとか集中力を切らさずに探し続ける。


 しかし、魔導書らしき本が出てくることはなかった。


 いつの間にか探していない本棚は、左右の列に二つずつしか残っていない。確認作業を始めたばかりの時は遠くにあった玄関の扉が、今はすぐ近くにある。少しでも可能性があるなら確かめた方がいいと思うけれど、このままでは徒労に終わってしまいそうだ。


 横目でスージーを見る。棚から本を取り出して開いて棚に戻す作業をしている。彼女もまだ魔導書は発見できていないようだ。フードをしているからわからないけれど、落胆や失望の表情を浮かべているのではないか。


 期待させるようなことを言って申し訳ない。

 ことわざを引き合いに出しながら自信ありげに語ったのが恥ずかしい。

 好きな女の子の前だからってカッコつけるようなことを言うんじゃなかった。


 今からでも開かずの書庫の突破方法を再検討しようか。

 推理は苦手だけど、その方が犯人の特定にも繋がるし、時間の有効活用にもなるだろう。


「あの、スージー。やっぱり……」

「まだ本棚はあります」


 表情に出ていたのだろうか。先を越されてなにも言えなくなる。

「一階がダメでも二階もあります。がんばりましょう」


 その言葉は僕の背中を優しく押してくれたようだった。

「……そうだね。がんばろう」


 これまでと同じように上段からゆっくりと視線を左右に動かしながら下段に向かっていく。やはり背表紙には文字が入っているし、青い表紙の本を開いてもページには文章が載っている。


 それでも気を落とさず探し続ける。

 この程度のことで諦めるわけにはいかないんだ。


 目の動きが最下段の真ん中あたりで止まる。

 そこには背表紙を逆向きにして収められている本があった。

これまではきちんと整理整頓されていたが、この棚だけは疎かになっていたのかもしれない。念のため背表紙に題名と著者名が入っているどうか確認しよう。


 片手で引き出そうとするが、ピクリとも動かない。本が分厚くて重いだけでなく、両脇には指一本入れられる隙間がなくて取り出しにくいのだ。


 態勢が悪くて力が伝わっていないのかもしれない。僕は床に腰を下ろして両手で本を抜こうとする。力を入れすぎると本を傷つけてしまう恐れがあるから、できるだけ慎重にゆっくりと動かしていく。


「もう、ちょっと」

 すぐ近くで紙がこすれる乾いた音やなにかが床に落ちる高い音が聞こえた。少し遅れて木と木がぶつかり合う鈍い音もする。


「危ない!」


 スージーの叫び声が館内に響いた直後、いくつもの衝撃が襲いかかってきた。


「痛っ!」


 すぐに本から手を離して頭を守り、体を小さく丸めてなんとか耐える。

 降り続けていた衝撃がようやく止まり、目を開けて状況を確認する。なにが起きたのかすぐには理解できなかったが、床に散らばった大量の本がすべてを物語っていた。

 痛みをこらえて顔を上げると、木製の棚がゆっくりと倒れてくるのが見えた。


「逃げてください!」


 悲鳴にも似たスージーの甲高い声で、放心状態だった僕はようやく我に返る。


 だがもう遅い。

 すべての本を吐き出して空っぽになった棚が勢いよく迫っている。

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