第22話 残されたもの
「おーい。ナナツナのにいちゃーん」
「ナナツナ様。ちょっといいですか?」
一人でゆっくり考えすぎていたらしい。玄関先で待っている彼らが呼んでいた。
「今行くよ」
呼びかけに応えながら小走りで向かう。
「どうしたの?」
「次に探すところを考えていたんですが」
「いかにも怪しい場所が多すぎてなあ」
スージーもポチもため息まじりの困ったような声を出す。
「どんなところが候補に挙がっているのか聞いていい?」
「まずは民家です。魔導書も人間の体を乗っ取ったら食事をしないわけにはいきません。どの家にも食材が残っているでしょうから各家を移動しながら隠れている可能性は高いです。問題は、すべての家を回るにはかなり時間がかかってしまうことですね」
「たしかに一軒一軒探しているうちに犯人に逃げられる恐れもあるね。他には?」
「畑や牧場です。背の高い作物が植えられている畑に頭を低くしたら見つけにくいです。牧場もたくさん家畜がいるから隠れやすいと思います。ただ、どちらも敷地がとても広いんです。もし探すならポチさんの仲間のかたに協力していただかないと難しいかもしれません」
「どこを探すにしても人員と時間が足りないか。僕らだけで探せそうなところはある?」
「ここから飛んですぐのところに大きくて四角い建物があるよな。そこなんてどうだ?」
「ポチさんがおっしゃっているのは集会所ですね。ただ、すみません。そこは鍵がかかっているからもう入ることができません……」
スージーが申し訳なさそうに補足説明してくれる。
「集会所は広くて部屋数も多いです。だから盗まれた戸籍を隠すのにも最適だと思ってみんなで探してみたんです。だけど、中からは犯人も戸籍も魔導書も見つかりませんでした」
その話を聞いて二階の倉庫を思い出す。棚には、ほこりの溜まっていない綺麗な四角い跡がくっきり残っていた。あれは戸籍の入っている箱を取ったからできたものだろう。
「そういえば犯人は盗んだ戸籍をどこに隠したんだろう」
島の人口は数百人以上いる。一箱あたり十人分の戸籍が入っていると計算しても合計二十個から三十個は軽く超えるだろうし、紙は軽くても枚数が増えればかなりの重さになる。
そんな大量の箱を一人で運べるとも思えない。やっぱり主犯格の他にも共犯者がいる?
「わかりません。箱ごと盗まれたのでそれなりに広い部屋に隠しているとは思いますが、どこを探してもまったく見つからないんです」
「大事なのは中に入っている戸籍だよね。だったら箱は、どこかに捨てたんじゃないかな」
「捨てたってどこに捨てるんだ? 森にも山にも川にも箱なんてなかったぞ」
ゴミのポイ捨てに厳しい妖精のポチが口を挟んでくる。
「箱をそのまま捨てるんじゃないよ。解体して燃やして灰にすれば証拠も残らない」
その答えに納得してくれたのか、ポチは小さな体を前後に揺らしている。
初日の犠牲者が少ない理由もわかった。
役所の一階を荒らしたり、倉庫の鍵を壊したり、戸籍の箱を運び出したり、安全な場所に隠したり、箱を捨てたり、やることが多すぎる。これでは、たとえ綿密な計画を立てて複数人で犯行に及んでも時間が全然足りない。
「ただ、箱を捨てても書類をどこに隠したのかって問題は残るんだよね」
箱がないとはいえ島民全員分の戸籍となると数百枚以上だ。いくつかに分けて隠したとしても相当大変だし、未だに一枚も見つかっていないのは異常だと思う。
犯人は、自分の身を隠して動きながらどうやって管理していたんだろう。
「もしかしたら、箱といっしょに書類も燃やしてしまったのではないでしょうか」
「燃やしたらなくなっちまうじゃねぇか。それでどうやって名前がわかるんだよ」
「燃えてもいいんです。最終的に情報さえ残っていればいいんですから」
「なんだそりゃ。そういう小難しいのやめてくれよ。俺は考えるのは苦手なんだ」
ポチが両手で頭を抱えて丸くなる。最初は僕も意味がわからなかった。
しかし、犯人が神様の創作物である魔導書だと考えたらすぐその答えに行きついた。
「魔導書は、戸籍を読み込んでその情報を頭に記憶したんだね?」
本に脳があるのかわからないけれど、これほど確実で安全な隠し場所は他にないだろう。
スージーは小さくうなずいてから話し始める。
「魔導書は数千万種以上いると言われる生物の名前も特徴もすべて知っています。それ以外にも植物や鉱物、世界中の文化や歴史にも造詣(ぞうけい)が深いでしょう。それなら、たった数百人程度の島民の顔と名前を覚えるなんて簡単なことだと思うんです」
また胸の奥で不安や恐怖が騒ぎ出して心臓が締めつけられる。こればかりは【治しの7番】でも治せない。
この痛みを鎮めるには、魔導書を見つけ出す以外に方法はないだろう。
「ったく。魔導書ってのは本当に厄介だな」
ポチが愚痴をこぼした。まったくその通りだと思い、僕も小さくうなずく。
話し合いの末、時間がかかってもいいので各家を一軒ずつ探すことにした。
最初に訪問するのはスージーの家だ。これは彼女自身の希望であり、疑念を持つポチへの提案でもあった。
「私は母が犯人でないと信じています。でも、犯人でないという確かな証拠はありません」
「なるほど。そこで俺が匂いをたどっていけば犯人かどうかわかるってわけだな」
魔導書が消えてからすでに四日経っている。匂いはすでに消えてしまっている恐れもある。しかし、少しでも可能性が残っているなら試してみる価値はあると思う
「ポチさん。どうかお願いします」
スージーが深々と頭を下げて頼み込む。
「僕からもお願い。ポチの鼻を頼らせてほしい」
できれば好きな人のお母さんを犯人だと指摘したくないと心から願う。
「おう。任せろ!」
元気よく返事するポチからは警察犬のような勇敢さが感じられた。
玄関の鍵を解いてから扉を少しだけ開けてポチに外の様子を確認してもらう。
「大丈夫だ。誰もいねぇ」
その返事を聞いてからスージーと僕も外に出る。
「うわっ」
さっきまで穏やかだった風が、今は砂や土ぼこりを巻きあげながら激しく吹いている。ポチはなんとか飛ばされずに耐えているが、これでは匂いをたどれるかどうか心配だ。
真上にあった太陽も少しずつ傾いている。スージーの家はここから離れているので急がないと日が暮れてしまうかもしれない。
「スージー。道案内をお願いできる?」
「もちろんです。ポチさんは大丈夫ですか?」
「問題ねぇ。早く行こうぜ!」
僕らは転移穴に入った時のようにみんなで手を繋いでから足を一歩踏み出す。先に進むためにさらに足を出そうとした時、違和感を覚える。
「あれ?」
いつの間にそうなっていたのか。足元を見たら左足の靴紐がほどけていた。
「スージーとポチは先に行ってくれる?」
「いいえ。待ちます。ナナツナ様を一人にするわけにはいきませんから」
僕はもう一度周りに誰もいないことを確認する。
「大丈夫だよ。紐を結び直したらすぐに追いかけるから」
「でも……」
「早くお母さんの無実を証明したいでしょ?」
ただでさえ日が経っていて匂いをたどれるかどうかわからないのだ。このまま風が強くなったら完全にわからなくなってもおかしくない。それに、できれば暗くなる前に他の家も確認しておきたい。
「わかりました。気をつけて来てくださいね?」
「もちろん」
ようやく繋いでいた手を離してくれた。
「ポチ。スージーのことをよろしくね」
「おう! ナナツナのにいちゃんが戻ってくるまでしっかり守ってやるよ!」
彼らが手を繋いでゆっくり歩いていく。時々名残惜しそうにスージーが後ろを振り返ってくることには苦笑してしまう。待たせてはいけないと思って僕も急いでしゃがみこむ。
「うぇっ」
風が運んできた砂が目と口に入り込んできた。急いでいる時に限って運が悪いなあ。
涙で目を細めながら口に入った砂を吐き出して紐をきつく結び直す。念のためもう片方の靴紐もほどけないように結び直そうとした時、なんの音もなく紐が切れた。
「えぇ……」
まだ生まれて十数年しか経っていないけれど、突然靴紐が切れるなんて本当にあるんだ。
だが切れたのが端っこだけでよかった。これなら少し結びにくいだけで歩くのには問題ない。今度は切れないように慎重に丁寧に、それでも強固に結び直した。
「なんだか縁起が悪いなあ」
このうえ黒猫が目の前を横切ったらどうしよう。幸い左右前後を見渡しても猫も犬も妖精もいなかった。
「さてと……」
立ち上がろうとした直前、涙でぼやける視界に役所の玄関の扉が入ってくる。
「あれ……」
溜まっていた涙は引っ込み、頭の片隅である可能性が思い浮かぶ。
「待った……」
なぜか思考が整理され、独り言がもれ始める。
「まさか……」
すぐにでもスージーとポチを追いかけないといけないのに、足は役所へ向いている。
「そんなことって……」
役所の玄関まで戻った僕は扉の下に手をやる。
そこには、指一本が入る数センチほどの隙間があった。図書館で開かずの書庫を確認した時と同じ程度の隙間だ。
「嘘だろ……」
全身に鳥肌が立ち、心臓が激しく動き、息は荒々しくなっていく。
「なんで……どうして……」
急がないと。行かないと。伝えないと。
だが心とは裏腹に体が上手く動いてくれない。
どうする。どうしよう。どうすればいい。
考えろ。考えろ。考えろ。
「ッッ!」
唇を強く噛んで痛みで目を覚まさせる。そのうえ両手で顔を叩いて気合を入れる。
「なにがあっても……どんな内容であっても……すべて話すんだ……」
最後に小指を見て約束を思い出させる。だがそのせいで胸が締めつけられるように痛む。
なんとか足を引きずって少しでも前へ進もうとする。
左右や後ろを見ている余裕なんてなかった。しかし前だけを見ているのに視界は暗い。
「スージー……ポチ……」
胸を手で押さえながら先を行く仲間を呼ぶ。
「行っちゃダメだ……」
しばらく進むと、ひらひらしたローブの後ろ姿とふわふわした黒い体毛が見えた。
今すぐ合流したいのに足がすくむ。
声を出したいのに喉が掠れて上手く言葉にならない。
「お母さんッ!」
甲高い叫び声が響き渡る。
前を向くと建物の陰に消えるローブの端が見えた。
僕にはそれが男なのか女なのかまったくわからなかった。
しかしこの島の住人は全員、魔導書に封じ込められてしまっている。
ならさっきの人影は、犯人以外にあり得ない。
魔導書が最初に乗っ取った人間か。もしくはその共犯者。
「待って! お母さん!」
さっきも今も叫んだのは僕じゃない。スージーだ。
彼女は消えた人影を追いかけようと足を動かす。
「ポチ! 行かせちゃダメだ!」
僕は地面を蹴るように走る。さっきまで棒のように動かなかった足が嘘のように軽い。
急げ。今ここで追いつかないと取り返しのつかないことになる。
「おい! スージーのねえちゃん! やめてくれ!」
ポチの小さな体が勢いよく振り回されてうろたえるような声をあげる。
「行かせてください! お母さんが……私のお母さんがいたんです!」
スージーは、ポチの手を必死に振りほどこうとしている。
「ダメだ! スージー! 行っちゃダメだ!」
僕は大声を出しながら手を伸ばして彼女を止めようとする。
だが呼びかけは届かなかった。
とうとうポチの手を振り払ってすぐに呪文を唱える。
「【さよなら3番】!」
その魔法は別れの言葉と似ている。
スージーの体は一瞬で消え去り僕の手は空を切った。
「す、すまねぇ。ナナツナのにいちゃん」
「追いかけて! このまま真っすぐ飛んで!」
「お、おう!」
ポチはすぐに前を向いて飛んでいく。僕も急いで後を追う。
僕はこの世界の魔法について詳しくない。
しかし数字の魔法だけは違う。ずっとスージーの隣で見続けていたのだから。どんな効果や制限があるのか少しは把握している。
【さよなら3番】は瞬間移動を可能とする魔法だが、決して万能というわけではない。次に移動する位置を見定めてからでないと使えないため、少し探せばすぐに見つけられる。
予想通り、ローブを着た人間が消えた建物の前にスージーは立っていた。
ポチが先を行き、僕も少し遅れてついていく。
「お母さん! 待って! 行かないで!」
スージーが泣き叫びながら建物の角を曲がって再び姿を消す。
「スージーのねえちゃん!」
勢いよく飛んでいたポチは角を曲がり切れずにそのまま真っすぐ行ってしまう。
「スージー! 戻るんだ!」
喉が張り裂けそうなほどの大声で叫ぶ。
そうしていないと頭がおかしくなりそうだから。
ようやく建物の角まで来ると足を止めずに勢いをつけて曲がった。
「スージー!」
最後に名前を呼んだ時、彼女の姿はどこにもなかった。
濃紺色のローブが地面に残されているだけだった。
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