第23話 魔導書を盗んだのは
人は本当に絶望した時、涙が出ないものらしい。
いや、僕には涙を流す資格なんかない。
感情に流されずにもっと早く犯人を指摘していたら、こんなことにはならかったのだから。
あの後、町から森にどうやって戻ってきたのかまったく覚えていない。おそらくポチが誘導してくれたんだろうけれど、そのポチはすぐにどこかへ行ってしまった。
「はあ……」
初恋の人を助けたいなんて自分勝手な理由で無理やりついてきた結果がこれか。
僕にもできることがあるなんて調子のいいことを言い、好きな人の笑顔を見たいからなんてカッコつけたことを考えて、結局役に立たないどころか迷惑をかけている。
手に持っていたローブをもう一度確かめる。柔らかな手触りの厚手の生地で作られている。これなら寒さや雨風、ちょっとした衝撃ならしっかり守ってくれそうだ。
しかし、これを身に付けていた人はもう……。
「どうしよう……」
いやいやダメだ。
弱気になるな。
一人で自己嫌悪に浸っている暇なんかない。
たしかスージーは言っていた。
魔導書に封印されてもその人が死ぬわけじゃないと。
そうだ。まだ大丈夫。
今からでも遅くない。自分にできることを考えて動くんだ。
「ナナツナのにいちゃん」
振り返るとポチが地面に二本足で立っている。
「ポチ……」
なにか声をかけたいけれど、どんな言葉が適しているのかすぐには判断がつかない。
ここまで連れて来てくれたことへの感謝?
それとも魔導書を逃がしたことへの謝罪?
そうだ。
感謝の言葉を伝えて謝罪して、今後のことについて話し合おう。
そうしよう。
「終わりだな」
先に口を開いたのは、ポチの方だった。
「終わり?」
言葉の意味はわかっている。
けれど聞き返さずにはいられなかった。
「スージーのねえちゃんがいなくなった。これで島民は全員封じ込められたってことだ」
「うん。でも、終わりではないでしょ。まだ、僕とポチたち妖精がいるんだから」
「終わりだろ。スージーのねえちゃんがいないのに、どうやって魔導書を倒すんだ?」
なにも言えずに口をつぐむ。
ポチの言っていることがあまりにも正しいから。
魔導書を倒す方法は、本を奪って最初に体を乗っ取られた人間の名前を呼ぶこと。
しかし、僕やポチでは犯人を捕まえることはできても名前を呼ぶことはできない。仮に戸籍を見つけられたとしても僕らは文字が読めない。だから犯人の本名を知ることすらできない。
「ポチが文字を覚えてくれたら……いや僕が覚える。図書館の本を読んで勉強するよ」
「文字を覚えるまでにどれだけかかる? それまで魔導書は待ってくれんのか?」
またしてもなにも言えなくなる。
僕よりもポチの方がずっと冷静に状況を判断している。
どこからか別の妖精がやってきて一鳴きすると、またすぐに飛び去っていった。
「ナナツナのにいちゃん。あんた運がいいぜ」
「……運がいいわけないだろ。この状況でそんなこと言うなよ」
「そうじゃねぇ。今なら元の世界へ帰ることができるぜ」
「え?」
「洞穴に転移穴が生まれた。仲間が入って確かめたら見たこともない場所に通じてるってよ。おそらくナナツナのにいちゃんの住んでいる世界だろうな」
胸の奥がざわついた。
元の世界に戻ることは考えなかったわけじゃない。
だが開かずの書庫の侵入方法や犯人の正体など、他に考えることが多すぎて考える余裕なんてなかった。そのことは魔導書を倒した後にスージーとゆっくり相談すればいいと思っていた。
「悪いことは言わねぇ。今すぐ帰った方がいい。転移穴が不安定なのは聞いているだろ。次にいつどこで現れるかわからねぇし、もし現れたとしてもナナツナのにいちゃんの世界に通じているとも限らねぇ。今帰らないと、このまま一生ここで暮らすことになるかもしれないぞ?」
「……まだ魔導書を倒していない。スージーやポチの妹さんを助けるまで僕は帰らないよ」
「妹の話はしないでくれ」
怒鳴ったわけでも叫んだわけでもないのに、ポチの声に圧倒される。足下にいるのは小さな妖精のはずなのに、長い年月を生きてきた大きな動物が立っているかのように錯覚する。
「さっきの話し合いで決まった。俺たちは、妹のことを忘れて元の生活に戻る。だから、あんたもここであったことはすべて忘れて元の世界へ帰ってくれ」
今のポチには、なにを言っても絶対に揺るがないという意志を感じた。
妹のことは諦めたのかと聞けるわけない。
小さな手を血が出そうなほど強く握り込んでいるのが見えたから。
本当はポチだって忘れたくも諦めたくもないに決まっている。
それなのに、感情を無理やり押し殺しているんだろう。
「ごめ……」
謝罪の言葉が口から出かかってすぐにやめた。
ここで土下座してもなんの慰めにもならない。
僕がここにいる限りポチはずっと苦しみ続ける。だったら素直に転移穴へ入るのが大人なんだろうけれど、わがままな子どもの僕にはどうしてもできそうにない。
「ポチたちが元の生活に戻るのはわかった。でも僕は、これからも魔導書を探すよ」
「ダメだ。あんたはこのまま転移穴に入って元の世界へ帰るんだ」
「どうして? 森には近づかないようにするし、妖精には頼らないよ。だから……」
「俺はスージーのねえちゃんから頼まれたんだ。『もし自分の身になにかあったらナナツナ様を元の世界へ帰してあげてほしい。約束したから』ってな」
たしかに僕とスージーは月夜に指切りした。
でもそれは、僕が魔導書を倒した後の話だ。
そのことを伝えようとしたらポチがさえぎるように話を続ける。
「スージーのねえちゃんには恩がある。その恩を返すためにも約束を守らせてくれ」
「ポチ……僕は……」
「俺はナナツナのにいちゃんにも恩がある。妖精は義理堅い種族なんだぜ。俺がここで約束を破っちまったら一生の恥だ。仲間からなにを言われるかわからねぇ。だから、頼む」
ポチは深々とお辞儀する。
なぜか僕には、その姿がスージーと重なって見えた。
しばらくするとポチが森の奥へ向かって飛んでいく。遅れて僕もついていく。
この先には洞穴があることには気づいていたが、ポチの寂しそうな後ろ姿を見たらなにも言えなかった。いや、なにか言える立場にないと痛感した。
しかし、この結末を招いてしまった責任をとるためにもせめてこれだけは話しておきたい。
いったい誰が、どうやって開かずの書庫から魔導書を盗み出したのか。
「魔導書を盗み出したのは、歌の魔法使い、踊りの魔女、数字の魔女。結局、開かずの書庫に特別な魔法をかけていた三人の容疑者が、そのまま犯人だったんだよ」
声は聞こえているだろう。
けれどポチから返事はないし、振り向こうとすらしない。
構わず話を続ける。
たとえ反応がなくてもすべてを話す義務があると僕は思っている。
「開かずの書庫には、特別な鍵がかけられている。その鍵は館長さんが肌身離さず持ち歩いていて、それを使わなければ扉を開けることはできない。合鍵はないし、泥棒の鍵開けの技術でも歯が立たない。扉をすり抜ける魔法や壁に穴を開ける魔法も存在しない」
飛んでいるポチは、木の葉や枝に何度もぶつかるせいで動きがどんどん鈍くなっていく。
「でも、ある人の魔法を使えば開かずの書庫の鍵は簡単に開けられるんだよ」
推理が苦手な僕でも最終的に出た結果から逆算すればすぐに答えがわかった。
「ポチも見たことが……いや、その体で味わったことのある魔法だよ。なにかわかる?」
ポチが空中で静止してから答える。
「……紐の魔法か」
「惜しい。僕も最初はそうだと思った。でもその魔法は、動物を縛るためのものだ。たぶん鍵は開けられない。世界の法則で悪用できないように設定されているんじゃないかな」
それにスージーは、鍵に紐や糸を引っかけて開けた可能性はない、と図書館で言っていた。おそらく扉の内側にある平たいつまみには、紐や糸による傷跡が付いていなかったのだろう。ということは【括りの9番】を使った可能性もすでに否定されていると思っていい。
「もったいぶらずに早く言えよ! 誰がどうやって開かずの書庫に侵入したんだ!」
宙に浮いたままのポチがしびれを切らして大声で怒鳴ってくる。
「開かずの書庫の鍵を開けたのは数字の魔女。使ったのは……【六角6番】の魔法だ」
「は? それって柔らかいやつだろ。あんなのでどうやって開けるんだ。鍵穴に突っ込むのか? 扉が閉まらないように挟んで置いたのか? どっちも無理に決まってるだろ!」
考えることは苦手と言っているけれど、ポチは頭がいいと思う。
異なる種族の人間の言葉を話せるほどの知能があり、木の実や果実の汁で擬態するという知識もあるのだから。今もいろいろな可能性を提示しては不可能だと否定している。
「そのまま使うわけじゃない。応用するんだよ」
「応用ってなにをどうするんだ?」
「開かずの書庫の扉の下にはほんの少しだけ隙間がある。そこから【六角6番】の六角形の薄い盾を滑り込ませて書庫の中に侵入させるんだ。こんな風にね」
僕は地面に落ちていた葉っぱを盾に見立て、水平にした状態で左右に動かして見せた。
「それから扉の内側の平たいつまみを回すんだ。盾は柔らかな素材でできているから、しっかり鍵を掴んで回せると思う。これで鍵は外れる」
今度は葉っぱを地面に対して垂直な状態にして、パタンと折り曲げてからひねって見せる。
「それから扉を開いて室内の魔法を自分たちで解けば簡単に侵入できる。そして魔導書を盗み出したら今度は逆のことをすればいい。これで密室の完成だ」
驚いているのか呆れているのか、ポチは体が上下ひっくり返った状態で浮いている。
無理もない。
こんなにも簡単で単純な方法だったとは、僕も予想していなかったから。
僕は役所の玄関の扉の下にも隙間があることを知ったおかげで気づいた。
おそらく三人は、同じ方法で各家の戸を開けて玄関から堂々と侵入して次々に住人を封じ込めていったのだろう。図書館や役所も開かずの書庫も平たいつまみだから、民家も同じ鍵が使われていると思う。
しかし、この方法が使えない場所もある。
役所の戸籍を保管する倉庫だ。あそこだけは錠前だから壊すしかなかった。
数字の魔女なら夫が鍵を持っていることは知っていただろうが、その保管場所まではさすがに知らなかったのかもしれない。役所の職員には守秘義務があるから。
大量にある戸籍の箱も三人で運べばなんとかなるだろう。しかも一人は空を飛べるのだから。どこかの建物の屋上へ隠すこともできるし、用済みになった箱を遠くの海へ捨てに行くこともできる。
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