第24話 さよなら異世界

「魔導書に体を乗っ取られたのは、俺の妹を封じ込めたのは、数字の魔女だったのか」

「それは違う。スージーのお母さんは、魔導書に体を奪われていないよ」

「なんでだよ! スージーのねえちゃんが走り出す前に母親を呼んでたじゃねぇか!」


 たしかに呼んでいた。

 しかし、数字の魔女の正体が魔導書ではないと自信を持って言える。


「図書館で本棚が倒れてきたのはポチも知ってるよね。あれをやったのは数字の魔女だ」

「襲ってきたってことは、やっぱりそうじゃねぇか。どうして今さらかばおうとするんだよ」

「待った。最後まで話を聞いてよ」


 意外にもポチは素直に黙ってくれた。


「僕は本棚に魔導書が隠されている可能性をスージーに伝えた。それを盗み聞きしていた数字の魔女は先回りして本を逆向きにして罠を仕掛けた。そして僕が本に気を取られているところを数字の魔女が最後の棚を押して連鎖的に棚を倒すことで下敷きにしようとしたんだよ」


 あの時、僕とスージーは図書館に入るとすぐに開かずの書庫へ行った。だが、その前に館内を隅々まで探していたらよかったんだ。そうしたらどこかに隠れていた数字の魔女を見つけることができていたし、このような結末は迎えていなかった。


「だけどスージーも僕も逃げる数字の魔女の姿は見ていないし、館内からもいなくなってた。それは自分の手でなく魔法で本棚を倒していたから。たぶん【括りの9番】だ。数字の魔女は、最後の棚に紐を引っかけておいて姿が見えない場所で僕らの動きを監視する。そして最後から二番目の棚を調べ始めたところで紐を引っ張って倒したんだよ」


 おそらく数字の魔女は研究用の個室にでも隠れていたのだろう。

 僕らは鍵がかかっているから入ることができないと判断したが、そんなものは【六角6番】を使えば簡単に入室できる。

 もしくは図書館職員を封じ込める前に鍵を奪っておいたのかもしれない。

 扉を壊してもいいから、部屋の中までちゃんと確認しておけばよかったと今さら後悔しても遅い。


「魔導書は【強奪の魔法】で魔法使いの体を奪ってもその人の魔法は使えない。だから数字の魔法が使われているということは、数字の魔女は魔導書に乗っ取られていないんだよ。それに魔導書は分厚くて重いから。そんなものをずっと持ち続けるのは女性には難しいと思う」

「じゃあ、誰が最初に名前を呼ばれたんだ」

「三人の中で唯一の男性である歌の魔法使いだ。女性よりは体力も筋力もあるだろうし」

「でも魔導書は、どこにあるんだよ。あんなの持ってたら簡単には動けないだろ」

「【封印の魔法】を使う際には本に触れていなければならない決まりがあるけど、必ず手で触れろとは言われてない。だから、本を体に巻きつけておいたんだ」


 この島の魔女や魔法使いは、ゆったりとしたローブを着ている。これなら体に本を巻きつけていても気づかれにくいし、フードをしっかり被れば顔もほとんど見えない。

 もし怪しまれたら人目のつかないところに誘い込んで相手の名前を呼べば口封じできてしまう。


「一瞬だけ見えた服は数字の魔女のものだと思う。あれを見せられたら母親が犯人でないと信じているスージーでも気が動転するのも無理はないよ。スージーを上手くおびき寄せたら建物の陰で待っていた歌の魔法使いが【封印の魔法】を使った。それから僕とポチが来る前に数字の魔女が【さよなら3番】で遠くまで瞬間移動してからどこかの陰に隠れたんだよ」


 一日に数百人単位で島民を封じ込めることができたのも数字の魔法の助力があったからだ。手を繋いでいれば術者以外も瞬間移動できることは僕も体験している。

 【封印の魔法】を使った後に【さよなら3番】ですぐに離れることで犯人たちは上手く逃げ続けていたのだろう。


「なんであの子の母ちゃんは……いや、もういい。さっさと行くぞ」


 ポチは前へ向き直って飛び始める。

 僕もなにも話さずに後ろをついていく。


 おそらく「なぜ数字の魔女はスージーを封じ込めたのか」と聞きたかったのだろう。


 動機については、スージーが言っていた通り、魔法の研究のためだと思う。

 家族思いのポチには理解できないかもしれないが、家庭より仕事を優先する人はどこの世界にもいるのだ。


「あんなに優しかったお母さんが、娘にこんなひどいことをするなんて……」


 幼い頃に迷子になったスージーを力強く抱きしめる光景が脳裏に浮かぶ。

 人は変わるというけれど、彼女のお母さんもそうなのだろうか。

 数百年もの間ずっと欠番となっている0の魔法は、大切な娘を犠牲にしてまで創りたいものなのか。


「開かずの書庫……魔導書……特殊な鍵……特別な魔法……扉の隙間……戸籍……」


 集中して考えるために一つ一つの重要だと思われる単語を口に出していく。

 すでに犯人も犯行方法もわかっているのに、まだ推理すべきことが残っているんじゃないか。

 そんなことはあり得ないとわかっているのに、そう思わずにはいられなかった。


「着いたぜ」


 顔を上げると、いつの間にか洞穴の入口まで来ていた。

 草むらが風と共に小さな音をたてながら揺れている。

 緑の植物の陰に黒い体毛が隠れている。時折、ヒイィンという妖精の鳴き声も聞こえてくる。

 僕を見送るために鳴いているというよりは、よそ者をさっさと追い出そうとしているような気がした。


 いや、被害妄想はやめよう。

 むしろ被害者は妖精たちなんだから。

 伝説の魔法使いと同じ呼び名で不思議な格好をしているだけの凡人が、期待させるようなことを言って申し訳ない。


「お世話になりました……」

 僕は草むらに向かって深々とお辞儀する。


「あんたの荷物は中にある。いつ転移穴が消えるかわからねぇ。早く行ってくれ」

 ポチに急かされて僕は洞穴の中に入っていく。


 傾きかけた太陽の光が木々の間を抜けて洞穴の中を照らしてくれている。おかげで【夜明けの4番】がなくても歩きやすい。

 鞄を肩にかけて奥に進んで行くと、神社で見たのと同じ楕円形の大きな穴を見つける。そこから発せられる光が伝説の魔法使いと魔導書の戦いの壁画を照らしている。


「本物の伝説の魔法使いが来てくれたらよかったんだけどな……」


 ポチの口からもれた本音が僕の胸に突き刺さる。

 言った後にまずいと思ったのか、ポチは体を前に傾けながら謝ってくる。


「すまねぇ。こちらの世界の問題に巻き込んだのは俺たちなのに……」

「ううん。ポチの言う通りだよ。本物が来ていたら、こんなことにはならなかったんだ」


 噓偽りのない正直な答えだ。

 怒りも悲しみもない。あるのは申し訳なさと悔しさだけ。


 どうして転移穴は僕の住む世界に通じたんだろう。

 なぜそこにいたのが僕だったんだろう。

 もっと頭のいい人だったらよかったのに。

 頭脳明晰な探偵とか犯人検挙率の高い刑事とか。


 今さら考えてもどうしようもないことばかりが心の内にうずまいていく。

 頭を左右に振って嫌な気持ちを吹き飛ばす。

 それから明るい声を作って話す。


「じゃあ僕は行くよ。いろいろとありがとう。果物や木の実おいしかったよ」

 せめてものお礼を述べてからしっかりと頭を下げる。


「……おう」

 ポチから返ってきたのはそれだけ。

 少し寂しいが、たった一言でもうれしかった。


「さよなら、スージー」


 この場にいない彼女にも別れのあいさつを済ます。こんな時でも涙が出る気配はなかった。


 もし七つ名の魔法使いの正体が七つ名の神様だという仮説が正しかったらどうだろう。

 僕が転移穴に入ったら現れてくれるだろうか。少しでも可能性があるなら試してみる価値はある。というよりも、役立たずの人間がこれ以上いても無駄なだけだ。


 さっさと転移穴に飛び込もう。

 こちらの世界のことはすべて忘れて元の生活に戻るんだ。

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