第25話 ナナツナの魔法使い
「あいたっ!」
思い切り地面を蹴って穴へ飛び込むつもりが、大きな石を踏んだうえに転んでしまった。
「おいおい。大丈夫かよ。ケガしてねぇか? 薬草持ってくるか?」
見かねたポチが心配するように駆け寄ってきてくれた。
「う、うん。大丈夫。気にしないで」
口ではそう言いつつも固い地面にぶつけた膝が痛くてしばらく立ち上がれそうにない。
せめて最後くらいカッコよく別れたかったのに、最後までカッコ悪いところを見せてばかりだ。
まあいいか。
もうどうせこの世界のことは忘れるんだから。
スージーにもポチにも二度と会うことはないんだから。
情けないと思われてもべつにどうだって……。
「あれ?」
思ってもいないことを考えていたせいなのか、あるはずのないものが目に飛び込んできた。
「嘘だろ。なんでこんなところに……」
僕は壁に顔を近づけてじっと見つめる。
薄暗いけれど、転移穴の光だけでハッキリとわかる。
この模様を僕は知っている。
生まれてから何度も見ているから間違えるわけない。
「今度はどうしたんだよ。頭ぶつけておかしくなったのか?」
冗談なのか本気で言っているのかわからないポチを無視して僕は凝視する。少し
これは七宝。うちの家紋だ。
この世界と僕の世界では似たような言葉や文化があるとわかっている。だったら似たような模様があってもおかしくない。でも、それにしたって似すぎている。
「こんな偶然あるのか。いや、偶然というなら僕とスージーが出会ったことだって……」
「おーい。ナナツナのにいちゃん。一人で考えてないで俺にも教えてくれよ」
「ポチ。この模様についてなにか知ってる?」
七宝に似た模様は、三人の棒人間の絵の少し下に描かれている。あの時は足下までよく見ていなかったから気づかなかったが、これも伝説の魔法使いと関係あるのかもしれない。
「七つ名の魔法使いは不思議な格好だったと言ってたろ。それは七つ名の魔法使いが着ていた服の模様だ。すごく珍しいから描き写しておいたって聞いたぜ」
「この模様って一つだけ? 同じ模様がいくつも描かれていなかった?」
「あー、そういや、じじいが『目が回るかと思うほどたくさんあった』と言っていたような。岩の壁に絵を描くのが大変だったから一つ描いただけで満足しちまったんだろうな」
やっぱりそうだ。
これは七宝繋ぎ文様に間違いない。ということは……。
「じゃあ、伝説の魔法使いの正体って……」
もしかすると、まだなにか勘違いしていることがあるかもしれない。
まだ見落としていることがあるかもしれない。
すべて確かめる必要がある。
それまで帰るわけにはいかない。
ローブのポケットに入っているチョコレートを探る。
しかし、右のポケットにも左のポケットにも内側のポケットにもない。
「まだなにか探してんのか?」
「スージーの服にチョコレートを入れておいてもらったんだけど、入ってないんだよ」
図書館では何度か二人で食べたし、役所ではポチにも分けてあげたけれど、全部食べ切っていないはずだ。ずっといっしょにいたからスージーが一人で食べたとも思えないし。
「そりゃそうだろ。これはスージーのねえちゃんの服じゃねぇからな」
「どういうこと?」
「俺たち妖精は一度嗅いだ匂いは忘れない。これはスージーのねえちゃんの匂いと似てるけど、ちょっと違う。たぶん、あの子の母ちゃんの服なんだろうな」
「やっぱり妖精の嗅覚ってすごいね」
色も形も似ているからポチに言われるまでまったく気がつかなかった。
しかし考えてみたら当たり前か。
もし魔法使いたちが魔導書に封印されるたびに衣服がその場に残されていたら、今頃は町中に衣服が落ちていることになる。
「でも、どうしてスージーのお母さんはローブを残して消えたんだろう」
家の壁を曲がった直後に取っ組み合いのケンカでもしたのか。その際にスージーがお母さんのローブを引っ張ったからその場に残ったのかもしれない。
けれどローブは頭からすっぽり被って着る形をしている。そう簡単に脱げるとは思えないし……。
うん、やっぱり違うと思う。
もしケンカなら大声が聞こえるはずだし、魔導書を持つ歌の魔法使いが黙って見ているわけがない。僕やポチが迫ってきているのはわかっていたんだから、スージーを封じ込めたらすぐにその場から立ち去るに決まっている。
「ナナツナのにいちゃん。あの子の母ちゃんが犯人の一人っていうのは間違いないな」
ローブの匂いを嗅ぎ続けていたポチが腕を組みながら教えてくれた。
「なにかわかったの?」
「この服には三つの匂いが付いている。スージーのねえちゃんの匂いとあの子の母ちゃんの匂い、それから俺の妹の匂いだ」
「三つだけ? それ以外の人の匂いは?」
「ねぇな。嘘だと思うなら自分の鼻で確かめてみろよ」
ポチが嘘をつく意味はないので本当だと思うし、人間の僕の鼻で真偽はかぎ分けられない。
ただ、違和感はある。
どうしていっしょにいたはずの歌の魔法使いの匂いはなかったのか。
風が強く吹いているから匂いが飛ばされたのだろうか。
しかし、それだとスージーやポチの妹の匂いが残っていることの説明がつかない。
「開かずの書庫……魔導書……特殊な鍵……特別な魔法……扉の隙間……戸籍……」
頭の中にある情報を整理するために重要な単語を再び口に出していく。
まだ足りないものがある。それがなにかわかれば……。
「なあ。もういいから帰ってくれよ」
なかなか帰ろうとしない僕にしびれを切らしたポチが急かしてくる。
「待った。もう少しでなにかわかる気がするんだ」
「そろそろ転移穴が消えるかもしれないぞ」
「わかってる」
「次はないかもしれないんだぞ」
「わかってるから。少し静かに……」
目の前にいるポチが息を吸って体を大きく見せていた。
その瞬間、頭の中でなにかが弾ける。
「そうか。そうだったんだ」
すべての謎が繋がった。
最初から推理なんて必要ない。
魔法もトリックも考えなくてよかったんだ。
開かずの書庫にどうやって侵入したのか。
魔導書が今どこに隠れているのか。
これからなにをすべきか。
そして僕が何者なのか。
今ようやくわかった。
「僕は元の世界へ帰らない。これから町へ行く」
「はぁ? 今さらなに言ってんだよ!」
「お願いだ。ポチにもいっしょに来てほしい」
「……行かねぇよ。もう終わったんだ」
黒い体毛に隠れた口からふてくされたような声が聞こえてくる。
「まだ終わってない。僕たちは魔導書に負けてない」
「スージーのねえちゃんも妹もみんな死んだんだぞ!」
「スージーは死んでないよ。もちろんポチの妹さんも他の人たちも」
「俺はスージーのねえちゃんと約束したんだ! あんたを無事に帰すって!」
「約束だったら僕もしてる。それに僕が約束を破ったら針千本飲まなきゃいけないんだよ」
「は、針千本!?」
素直で単純なポチが黒い体毛をぶるっと揺らした。
「ど、どうしてそんな約束しちまったんだ。い、今からでもなかったことに……いや無理か。せめてスージーのねえちゃんの墓の前で謝っとけ。な? そうしよう」
「だから死んでないって。今も僕らの言葉が通じるのはスージーの魔法のおかげなんだから」
「でもよ、俺たちは文字が読めないし魔法も使えない。ただの人間と妖精になにができる?」
たしかに僕はスージーのように魔法は使えない。
ポチのような特殊技能も持っていない。
名探偵のように優れた推理はできない。
敏腕刑事のように迅速的確な捜査もできない。
しかし、こんな僕にもできることはある。
「必ず魔導書を見つけるよ」
声に出して言ってみると、魔法がかかったみたいに勇気と元気が湧いてきた。
「僕は伝説の魔法使いの子孫――ナナツナの魔法使いだからね」
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