最終章
第26話 開かずの書庫が開く時
胸に手を当てると心臓が激しく動いているのを感じる。
大きく深呼吸してから扉をノックする。
「おーい。いるんだろ?」
扉に耳を当てても物音一つ聞こえない。
いや大丈夫。ここにいるのは間違いないんだ。
もう一度息を吸ってから口を開く。
「どうやって開かずの書庫から魔導書を盗み出したのか。ようやくわかったよ」
扉の中で息をひそめているだろう犯人に向かってゆっくりと語りかける。
「図書館の開かずの書庫には特殊な鍵と特別な魔法がかかっている。普通に考えればこの二つを外せる人が犯人ということになる。鍵を持っているのは館長だけ。魔法をかけたのは、歌の魔法使いと踊りの魔女と数字の魔女。つまりこの四人が協力すれば開かずの書庫なんて簡単に侵入できて魔導書もすぐに盗めてしまう。でも、現実はそう単純にできていない」
館長にはアリバイがあるし、開かずの書庫の鍵は盗まれていなかった。魔導書が盗まれたとわかった日の朝も扉には鍵がかけられていたし、書庫の中にも魔法がかけられていた。
「それなら魔法をかけた三人がなんらかの方法で扉の鍵を開けて入ったと考えるのが自然だ。歌の魔法使いの歌で館長の記憶を消したり、踊りの魔女の踊りで島民全員を洗脳したり、数字の魔女の魔法で鍵を複製したり。だけど魔法は万能じゃない。ここには神様によって創られた絶対の秩序があるからそんなことは不可能なんだ」
世界の法則には『魔法使いは人間に危害を及ぼす魔法を作成および使用することができない』と書かれているらしい。僕は文字が読めないけれど、スージーが嘘をつくとは思えないし、今までにそれを破った魔法使いは一人もいないとも言っていた。もし世界の法則に穴があるなら、すでに魔法を悪用する事件が各地で多発していてもおかしくないだろう。
「世界の法則に穴はないから悪用はできない。なら応用はどうか。考えたけど、これもダメだ。この世界の魔法は、用途がどれも限定的なんだ。【針の穴に糸を通す魔法】は針の穴以外に使えないし、【洗濯の魔法】や【乾燥の魔法】も衣服以外に使用することができない」
神様から魔力を授かった人間たちが創った魔法は、生活しやすくするための道具にすぎない。しかし道具は、使い方を間違えれば凶器にもなる。そんな危険を見越して世界の法則は創られたのかもしれない。神様はなんでもお見通しだから。
「そこで僕は、数字の魔法に目を付けた。【六角6番】という柔らかくて薄い六角形の盾を操る魔法がある。これを扉の隙間から入れて内側の平たいつまみをつかめば、傷一つ付けずに鍵を開けることができるんだよ」
スージーは【六角6番】の魔法の用途が盾とは一言も言っていなかった。だから、盾以外の用途に使ってもまったく問題はない。
「だから犯人は、歌の魔法使いと踊りの魔女と数字の魔女の三人」
言い終えてから首を横に振ってすぐに口を開いた。
「でもそれは間違いだった。真犯人は別にいる」
相手の動揺を誘ってみたけれど、そもそも姿が見えないので反応がわからない。
僕は構わず話を続ける。
この機会を逃せば次はないのだから。
「たしかに【六角6番】を使えば特殊な鍵がなくても開かずの書庫の扉は開けられる。でも、平たいつまみを回すだけでいいなら魔法を使う必要はないんだ。糸や紐は使われていなかったらしいけど、直角に曲げた針金を扉の下の隙間から入れてもいいんだからね」
硬い金属だと平たいつまみを回す際に小さな傷が付く恐れもあるが、先端に薄い布を巻いておけば問題ないだろう。この方法を使えば役所の玄関の扉も各家の扉も開けられる。これにより島民全員が犯行可能となるので容疑者は数百人以上となる。
「問題は、書庫の中にかけられた魔法だ。これのおかげで容疑者を三人に絞ることができる。逆にこれのせいで容疑者を三人に絞らされていたとも言える。魔法を解かなければ書庫内にある魔導書までたどり着くことができないんだから仕方ない。でも、少し考えたらわかったんだ。魔法を解かなくても書庫内に侵入できる存在がいることに」
ここで一息ついて頭の中にある情報を整理していく。
大丈夫。今度は間違っていない。
「神様が創った世界の法則に穴はない。けれど、魔法使いが使う魔法には穴があったんだよ。書庫内には歌の魔法使いの『扉を開けて入ってきた人間を歌いたくなる気分にさせる』魔法。踊りの魔女の『扉を開けて入ってきた人間を踊りたくなる気分にさせる魔法』。数字の魔女の『扉を開けて入ってきた人間を紐で縛る魔法』。この三つがかけられている」
これらの魔法のどこに穴があるのか。
特殊な鍵を使って扉を開けて正しい方法で入った館長にも容赦なく効果が出ている。ということは、不正な方法で入室した犯人にも同じ効果が出ると思って間違いないだろう。
しかし書庫内には、犯人も魔導書も残っていなかった。
「穴というのは魔法をかける対象のこと。三人の魔法は『扉を開けて入ってきた人間』に限定されている。それなら、扉を開けて入ってきたのが人間以外の生き物ならどうなるんだろう」
この世界の魔法は用途が限定されていて応用が利かない。
逆にそこが仇になったんだ。
「この島には人間以外の生き物が住んでいる。でもその生き物は、臆病で人間には近づかないと知られている。そんな生物が自分たち人間と同じ言葉を話せるなんて誰も思うわけがない。まさか町の図書館にやってきて開かずの書庫に入るなんて考えもしないだろうね。だから魔法をかける対象を人間に限定していてもおかしくない」
開かずの書庫に保管されていた魔導書は、扉越しに言葉を発することで脱出のための共犯者をおびき寄せようとしていた。だがそれは研究に行きづまっている魔法使いでなくてもいい。人間の言葉が通じるなら、まじめで素直で純粋な種族でもよかったのだ。
「開かずの書庫に侵入して魔導書を盗み出したのは……妖精だ」
そもそも前提条件が違った。
島の人間を全員封じ込めたから妖精を封じ込めたんじゃない。
一匹の妖精の体を乗っ取った後に人間たちを封じ込めていったんだ。
こちらの先入観を上手く利用した犯罪計画にまんまと騙されてしまった。
「臆病で人間に近づかない妖精は、時代とともに変わっていたんだ。人間の言葉や文化に興味を持つ若い妖精は町へ行くようになり、図書館の存在を知って入ってみたんだろう。妖精の体は柔らかくて、ふくらんだりしぼんだりするから隙間さえあればどこでも侵入できる」
僕とスージーが図書館の二階の書架を探していた時にポチがやってきた。玄関も窓もすべて鍵がかけられていたのに、どうしてポチは館内に入ることができたのか。
少し思い出せばすぐに気づく。
けれど追いつめられていた僕らは、そんな単純なことにも気づけなかった。
それにポチは、スージーの【括りの9番】で紐に縛られた直後にすり抜けていた。もし開かずの書庫の【括りの9番】がすべての動物を対象にしていたとしても、妖精なら簡単に脱出できるだろう。
「魔導書は、開かずの書庫にやってきた妖精の名前をすぐには呼ばなかった。いや、呼べなかったんだ。いくら知能が高い魔導書でも妖精の鳴き声までは理解できなかったから。そこで妖精が人間の言葉を話せるようになるまで待って【強奪の魔法】を使ったんだろ?」
おそらく人間の言葉を教えるかわりに名前を告げるよう妖精に対して要求したんだと思う。ポチよりも妹さんの方が人間の言葉を早く覚えられたのは、優秀な先生がいたおかげだろう。妹さんが人間の町によく行っていたという長老の証言もあるから間違いない。
「体を乗っ取った後は開かずの書庫を出て役所に向かう。妖精の体なら鍵を使わなくても隙間から侵入できるからね。事前に妖精から戸籍の保管場所を調べさせておいたのかもしれない。でも倉庫の扉だけは平たいつまみではない。そのせいで時間がかかっても壊すしかなかった」
魔導書の記憶力があればその場で数百人分の情報をすぐ覚えられるかもしれない。それならわざわざ戸籍の箱を外に運び出さなくてもいい。
しかし、そうなると容疑者が絞られすぎる。
だから、あえて一階を荒らして戸籍も盗むことで人間たちの捜査をかく乱したんだ。
「妖精は小さな体に似合わず力持ちだから分厚くて重い魔導書も運べるし、空を自由に飛べるから見つけにくい。鍵のかかっている家にも隙間から侵入できるので一日に何百人も封じ込めることも簡単だろう。わざわざ動かなくても草むらや建物の陰で待ち伏せしてもいいし」
僕とスージーが図書館の一階の棚を探すことになった時、どこかで話を聞いていたのだろう。裏返しの本の罠を設置した後はタイミングを見計らって最後の棚を押せばいい。薄暗い館内では黒くて小さな妖精の体は見つけにくいから。
「図書館でスージーを封じ込めなかったのは、魔導書を持ち歩いていなかったからだろ?」
魔導書は、暗くてもわかる青い表紙と聞いている。そんなものを持ったまま移動したら小さな妖精の体でも気づかれてしまう危険性がある。
「ふう」
ここまで一人で話し続けたせいで少し疲れてきた。
「そろそろ出てきてくれよ。中にいるのは、もうわかってるんだから」
自分でも驚くほど集中しているのがわかる。呼吸も鼓動も落ち着いている。
「どこを探しても怪しい姿はない。そりゃあ妖精の体ならそう簡単には見つけられないよね。だけど、分厚くて重い魔導書を持っているんだから隠れ場所は限られてくる」
人間の家も山や森といった妖精たちの住処も探されている。
けれど島内にはたった一つだけ探すことができない場所がある。
いや、すでに一度探して二度目は探せない場所になった。
「せっかく数百年ぶりに出られたのに、今も引きこもっているんだね。開かずの書庫に」
推理したわけじゃない。
かくれんぼに置き換えて考えればすぐに気づいた。
かくれんぼでは、一度探した場所には誰も隠れていないと思って再び探そうとは思わない。これもまた人間の先入観を上手く利用した手口だろう。
僕とスージーが図書館の開かずの書庫の前に来た時も中で盗み聞きしていたんだろう。すぐにスージーの名前だけ呼ぶこともできたが、ナナツナという呼び名から伝説の魔法使いのことを思い出して警戒したに違いない。
「はっはっは」
静かだった扉の向こうから突然笑い声が聞こえてきた。
僕は開かずの書庫から離れて様子を見る。
しばらくすると高い金属音が鳴り、黄土色の取手が回り、ゆっくりと扉が開いていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます