第6話 いざ異世界へ
「ナナツナ様!」
「ナナツナのにいちゃん!」
数字の魔女は驚愕の声をあげ、妖精は歓喜の声をあげる。
「ダメです! 魔導書に名前を呼ばれたら一瞬で本の中に封じ込められるんですよ!」
数字の魔女がとても心配するような、少し怒っているような表情で話しかけてくる。
「大丈夫だよ。魔導書は僕の名前を知らないんだから」
「それは……たしかにそうかもしれませんが……」
「ずっと昔、魔導書は不思議な格好をしていたという七つ名の魔法使いに倒されたんでしょ? だったら、同じ呼び名で不思議な格好をしている僕は脅威になると思うんだよ」
「おおっ! それは名案だ! さすが俺の見込んだ男だぜ!」
妖精が大声で賛同してくれる。
しかし数字の魔女は、まだ納得いかないといった顔をしている。
「もし魔導書が魔法を使わずに襲ってきたらどうするんですか。ナナツナ様は私の恩人です。あなたの命を危険にさらすわけにはいきません。無関係な問題には巻き込めません」
無関係なんかじゃない。
これはもう君たちだけの問題じゃないんだ。
「もしも魔導書がこの世界にやってきたらどうする?」
途端に数字の魔女の顔が青白くなる。
「島の人間たちはすでに全員封じ込めた。そして今は妖精たちを封じ込めている。なら次は? 別の島や大陸に住んでいる人たちを狙うかもしれない。だけど君たちがこの世界に来られたということは、魔導書も同じ方法でやってくる可能性だってあるんだよ」
妖精も事態の重さに気づいたのか、地面に降りて話を聞いている。
もし魔導書がこちらの世界に来たらどうなるか。
知能が高いという魔導書なら数日のうちにこの国の言語、いや世界中の言語を理解できるようになってもおかしくない。そして世界各地の人間を一人残らず封じ込めるまでにどれだけの時間がかかるだろう。
異世界の現実だと思っていたできごとは、こちらの世界の未来かもしれないのだ。
「すみません。なんとお詫びしたらいいか」
「なにも考えずに来ちまった俺も悪い。すまねぇ」
数字の魔女と妖精がひどく申し訳なさそうに謝ってくる。
謝ってほしくて話したわけではない。
本当の目的は別にある。
「僕の日常を守るためには君たちの世界を救う必要があるんだよ。そのために魔導書を倒す。でも僕はただの人間。だから、君たちの力を貸してください。お願いします」
腰を曲げて深々と頭を下げる。
どうかこの願いを聞き入れてくれますように。
「おうっ! 任せとけ! 仲間にも声をかけて協力するぜ!」
妖精はすぐに威勢のいい返事をしてくれた。
数字の魔女からは返事がない。それでも僕は頭を下げて待ち続ける。
「ナナツナ様……ありがとうございます……私もがんばります……」
悲しみをこらえて喉の奥からしぼり出すような声が遅れて降ってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ずっと気になっていたことがある。
数字の魔女と妖精は、どうやってこの世界にやって来たのか。
この空のどこかは異世界の空と通じているのか。
それともなにか特別な儀式を行って境界線を越えてやってきたのか。
その答えは、神社の境内に植えられている松の木の根元にあった。
「大きな穴だね。でも、本当にこれが異世界と通じているの?」
穴は
「はい。今回も子どもの頃も、私はこの
「へぇ。転移穴って言うんだ。でも、こんなところに穴があるなんて知らなかったよ」
「いつも同じ場所にあるわけではないんです。私の住む島では町中や山の中、森の中に突然現れたり消えたりしますから。たぶん、こちらでも同じではないでしょうか」
「道を歩いていたら突然落とし穴ができて異世界に飛ばされるなんて怖いな……」
「もともと転移穴は、私の住む島と別の島や大陸へ移動するための手段だったんです。昔はいつも同じ場所にあって行き先も決まっていました。ただ、ある日突然おかしくなったんです」
「もしかして、昔の君がこっちの世界に迷い込んだのは転移穴がおかしくなったせい?」
「そうです。あの時も本当は母といっしょに別の島へ行く予定だったんです。それがまさか別の世界へ行くなんて思いもしませんでした。その頃から不安定になっていったので、私の住む島では転移穴を使ってはいけないと決められました」
当然だろう。
どこに飛ばされるかわからないのでは、命がいくつあっても足りない。
「でも、ナナツナ様とお会いできたのは、不安定な転移穴のおかげ、なんですよね」
数字の魔女が恥ずかしそうに顔を赤らめる。
それを見た僕の耳も熱くなるのがわかった。
まともに顔を見られないので下を向くと妖精が体を揺らして飛んでいる。黒い毛に覆われて表情は見えないはずなのに、なんとなくいやらしい笑みを浮かべている気がした。
「そ、そうだ。異世界へ行く前に呼び名を決めておこうか」
顔の
「ほら。これから妖精の仲間に会いに行くのに呼び名がないと区別がつかないし、数字の魔女のままだと魔導書に正体がバレるかもしれない。だから新しい呼び名を考えよう」
僕は生徒手帳とペンを取り出しながら提案する。
「俺はこういうの苦手だからなあ。ナナツナのにいちゃんが考えてくれないか?」
「あ、いいですね。もしよろしければ私の呼び名もナナツナ様が決めてください」
期待のこもった声でお願いされると断りづらい。
責任を感じるけれど、がんばってみよう。
妖精らしい名前とは。
魔女らしい名前とは。
あれこれ考えながらペンを走らせる。
「妖精の呼び名はポチ。数字の魔女の呼び名はスージー。どうかな?」
僕の貧弱なネーミングセンスではこれが限界だった……。
「いい! なんかいい! 気に入ったぜ! 今日から俺はポチだ!」
「スージーは音の響きがいいですね。ありがとうございます」
思っていたよりも好評らしくてホッとする。
「スージーのねえちゃん。島の文字では『ポチ』ってどう書くのか教えてくれないか?」
「いいですよ。ポチさんは勉強熱心ですね」
数字の魔女、スージーがペンで手帳に字を記す。
異世界の文字は初めて見る形をしていた。文字というより記号のようだ。
「妖精は人間と違って本名を隠す習慣がないからな。もし名前を聞かれてもすぐに答えちまう。妹はたぶん話したんだろうな。俺もついうっかり答えないように体に覚えさせておくぜ」
妖精、ポチも小さな両手でペンをつかんで必死に文字を書いていく。
「そういえばスージーの住む島では本名を隠すんだね。さっきは名前を言おうとしてごめん」
少し考えればわかることだった。
名前を呼ぶだけで存在を奪える魔導書がいるのだ。そんな世界で本名をさらすのは、こちらの世界なら全裸でサバンナを歩くようなものだろう。
「ナナツナのにいちゃんは、スージーのねえちゃんに求婚したのか?」
魔法による誤訳か、異世界風の冗談か?
高校一年生の僕がプロポーズなんてするわけがない。
「島の人間は結婚を申し込む時に自分の本名を伝えるんだ。申し込まれた相手は了承するなら自分の本名を教える。そういう決まりだって聞いたぜ。違うのか?」
ポチの疑問は僕を越えてスージーに投げかけられる。
恐る恐るそちらを見ると、彼女は恥ずかしそうに小さくうなずいた。
「ご、ごめん! そんなつもりで言ったわけじゃないから! し、知らなかったんだ!」
島の習慣を知らなかったとはいえ、穴があったら今すぐ入りたい。
「い、いえ、大丈夫です。
最近は、こ、恋人同士でも、本名を教え合う人もいますから」
スージーは、
「おーい! そろそろ行こうぜ! もたもたしてると穴が閉じちまう!」
ポチが大きな声で呼びかけてきた。
僕とスージーも顔を見合わせてうなずく。
人間と魔女と妖精は、それぞれ手を取り合って転移穴に飛び込んだ。
いざ異世界へ。
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