第20話 新たな容疑者

 最後の窓を閉めてから階段の前で合流する。二階に魔導書が隠れていないとも言い切れない。もしものことが起こった時のために順番を決めてから行くことにする。


「じゃあ僕が先頭で、スージーが真ん中、ポチが最後尾という順番で進もう。いいかな?」

「しんがりは俺に任せろ!」


 ポチが自信満々な声を発しながら空中で一回転する。


「しんがりって……よくそんな言葉知ってるね」


 この世界には僕のいた世界と似たような言葉があることはわかっている。若い妖精は人間に興味があるから、どこかで聞いたことがあるのかもしれない。


「【夜明けの4番】【六角6番】」


 呪文が唱えられて発光する球体と六角形の薄い盾が次々に出現する。

 これでいよいよ二階へ行く準備は整った。


「ナナツナ様」


 階段に足をかけようとして声をかけられた。振り返るとスージーの小さな手が伸びていた。まだ心の備えが不足していたことに気づいた僕は手を握り返す。


「行こうか」

「はい」


 時間や手間がかかってもいい。みんなの安全を第一に考えてゆっくりと進む。

 一段目に片足を載せると板がきしむ。音が大きいのは図書館の階段よりも古いせいだろうか。しっかり体重をかけても問題なさそうだったので今度は両足を載せてみる。心がざわつくような音が耳を抜けるが、板が割れる気配はなさそうだった。


「問題なさそうだね」

「よかったです。でも気をつけて進んでくださいね」

「後ろは誰もいないぞー」


 声をかけ合いながら二段目三段目と登っていく。段数が少ないおかげで図書館の時よりも早く二階へたどり着くことができた。


 二階の廊下を歩きながら戸を開けて室内を確認していく。大きな机とイスが並べられた会議室や用を足すための洗面所らしき部屋を見つける。念のため隅々まで確認したけれど、誰かが隠れていたような形跡はなかった。


「この先に倉庫があります」


 言葉通りに進むと小さな引き戸を見つける。床には壊されたという錠が転がっている。手に取って見ると、硬いもので何度も叩かれたらしく原型を留めていない。

 どうやら魔導書は、玄関の鍵を手に入れることができても倉庫の鍵までは盗めなかったようだ。


 建てつけの悪い戸をなんとか開けると狭い室内に棚が並んでいる。しかし、棚が並んでいるだけでそこには書類も本もなにもない。あるのは髪の毛やほこりくらいのものだ。


「なんもねぇな」


 ポチが棚の上を二本足で歩きながらつぶやいた。


「ここには戸籍の入った箱がいくつも並んでいました。それを魔導書がすべて盗んだんです」

 スージーが悲しそうな声で事実を述べる。


僕は手を握る力を少しだけ強める。

「倉庫内をもう一度確認してみよう。なにか犯人に繋がる証拠が見つかるかもしれない」


 ポチは天井や床、僕とスージーは棚を見ていく。床には足跡、棚には毛髪が何本か残っていたけれど、この島には科学鑑定の技術がないので犯人特定は不可能だ。


「なんもねぇな……」

 ポチがまた同じことをつぶやいた。体毛の向こうでは落胆の表情を浮かべていそうだ。


「ナナツナ様。ポチさん。ちょっといいですか?」

「おっ。スージーのねえちゃん。なにか見つけたのか?」

「いえ、私の話を聞いていただきたいんです」

「うん。スージー、教えてくれる?」


 そういえば一階でなにか言いかけていたことを思い出す。



 突然の告白に僕は声が出なくなり、宙に浮かんでいたポチも静かに降りていく。


「黙っていてすみませんでした。ついさっき思いついたものですから」


 落ち着いていた心臓の鼓動が激しくなり、それに突き動かされるように喉が震える。


「どうしてそう思ったのか、理由を聞いてもいい?」

「役所に勤めているからです。もちろん玄関の鍵を持っているので自由に出入りできます」


 やけにスージーが役所に詳しい理由はそういうことだったのか。

 しかし……。


「役所の職員なら他にもいるでしょ。それだけで犯人と決めつけるのは無理があるよ」

「父は戸籍を扱う仕事をしていました。だから倉庫の鍵も持っているんです。だから、みんなが帰った後に一人だけ戻ってきて戸籍を盗むことも簡単にできたと思います」

「倉庫の戸に付いていた錠は壊されていたよね。なぜ鍵を持っているのに使わないの?」

「それは自分が犯人だと疑われないためです。倉庫の鍵を持っているのは父だけです。もし錠を壊さずに鍵を使って戸を開けていたら真っ先に疑われてしまいますから」

「一階が荒らされているのも倉庫の鍵を探したと思わせるための偽装工作ってこと?」

「はい。私はそう考えました」


 なまじ筋の通った主張だから反論しづらいけれど、はっきりと否定する必要がある。


「それは違う。スージーのお父さんは、魔導書に体を奪われていないよ」

「なぜですか?」

「偽装工作に無駄があって時間がかかりすぎるから」

「だけど、それをしないと疑われてしまいますよ」

「スージーは、大事な鍵を薬草や動物の干物がたくさん詰まった箱の中に入れる?」

「入れません」

「じゃあ、本や書類といっしょに鍵をしまうことはある?」

「いいえ。そんなに大切なら机の引き出しにしまって……」


 こちらの質問の意図に気がついたのか、スージーがフードを被った頭を上げる。


「一つ目の無駄は一階を荒らす作業。鍵を探したと思わせたいなら、せいぜい引き出しを引っかきまわす程度でいいはずだよ。棚を倒したり箱の中を全部出したりする必要はないと思う。しかも夜中に大きな音を立てたら近所に住む人たちに気づかれる恐れがあるよ」

「できるだけ音を立てないように、気をつけたのではないでしょうか」

「二つ目の無駄は錠を壊す作業。偽装のためだとしても鍵を使って倉庫に入った後にやればいいんだよ。犯人にとっては戸籍を盗むことが最優先事項なんだから。それにこれを見てよ」


 僕は廊下に落ちていた錠をスージーに見せる。


「錠が壊されたと思わせるだけでいいなら少し傷を付けていかにも壊れたように見せればいい。でも実際は原型がわからないくらい叩かれている。なぜだと思う?」

「倉庫の鍵を持っていなかったから、ですか」

「その通り。おそらく犯人は、これを壊すのに相当な労力と時間をかけているよ」


 僕のいた世界の泥棒や空き巣は、侵入に五分以上かかる場合は諦めると聞いたことがある。

 しかしこの犯人は、どれだけかかっても倉庫に入る必要があった。戸籍を盗んで島民全員を封じ込めるという野望があったから。


「魔導書が開かずの書庫から抜け出したのは、夜から翌朝にかけてだったよね」

「ええ、正確な時間帯はわかっていませんが……」

「朝になるまで島の人たちは何人くらいの人が封じ込められた?」


 辛いことを思い出させる質問で申し訳ないが、大事なことなので聞いておきたい。


「三十人ほどです。その翌日からは百人くらいの人が一気に……」

「魔導書はたった三日で百人の島民を封じ込めることができるのに、初日は数十人程度しか封じ込めなかったのはどうして?」

「それは、時間がなかったからでしょう」

「もし僕が犯人なら偽装工作なんてしない。時間がもったいないからね。戸籍を盗んだらすぐにできるだけ多くの島民を封じ込める。朝になったら図書館から魔導書が消えたことも役所から戸籍が盗まれたことも気づかれる。そうしたらみんな警戒して一人では外出しなくなるし、家に鍵をかけて閉じこもる人もいてやりづらくなるからね」


 もし本当に犯人が倉庫の鍵を持っているなら戸籍を持ち出した夜のうちに島民全員を封じ込めることもできた。魔導書や戸籍が盗まれたことを知られていないうちに犯行に及ぶのが一番安全だから。


 けれど実際はそうならなかった。ということは……。


「スージーのお父さんは犯人じゃないよ。魔導書に乗っ取られたのは別の人だ」

「でも証拠がありません……図書館にも役所にも自宅にも……なにも残っていません……」

「もし仮にスージーのお父さんが犯人だとしても、開かずの書庫の問題はどう説明するの?」

「それは……数字の魔女……母が共犯者になって……なんらかの方法で……」


 まだその答えは出ていなかったらしい。積み上げてきた論理が音もなく崩れていく。


「あの……父は本当に……犯人じゃないんですか……?」

「少なくとも僕はそう思ってるよ。スージーは違うの?」

「ち、ちが……い、いえ……その……」

「犯人候補の一人である数字の魔女と夫婦だから、共犯者じゃないかと不安になった?」


 上手く説明できないようだったので言葉を継ぐと彼女は小さくうなずいてくれた。


「スージーはお母さんが無実だと信じてるんでしょ?」

「……信じています」

「だったらお父さんのことも信じてみない?」

「……信じたいです」


 その言葉が聞けてよかったと思う一方で、謝らなければいけないことがある。


「ごめん。僕が役所の人の体を奪った可能性もあると言ったせいだね」


 彼女の母親の容疑を晴らすための発言が父親に容疑をかけるはめになるとは思わなかった。そのせいで余計な不安を与えてしまった。


「ナ、ナナツナ様は、悪くありません。わ、私が、勘違いしたのがいけないんです」


 フードの奥から泣くのを我慢しているような声が聞こえてくる。


 疲れているのは僕だけじゃなかった。むしろスージーの方がよっぽど疲れている。


 両親が犯人かもしれないという不安に耐え、自分の本名がいつどこで呼ばれるかわからない恐怖に怯え続けていたんだ。これまでずっと気丈に振る舞っているけれど、いつ限界を迎えてもおかしくない。


 スージーの抱えている辛さや苦しみは、どんな魔法でも取り除くことはできない。

 それでもできることはある。

 一分一秒でも早く魔導書を見つけ出すことだ。


「おい。スージーのねえちゃんの両親がどうしたって?」

 ポチが短い腕を組んで見上げている。


「話せば長くなるんだけど……」


 ポチも妹を魔導書に封じ込められている。言葉や態度には出さないけれど、きっとスージーと同じくらいの辛さや苦しみに耐えていると思う。


 しかし、なんと説明したらいいんだ。今は積極的に協力してくれているが、スージーのお母さんが容疑者と知ったらどんな反応をするかわからない。怒って協力しなくなるだけならまだいい。もし妹を封じ込められたことを恨んで襲いかかってきたらどうしよう。


「ナナツナ様。私から説明させてください」

 いつの間にかスージーの声が芯のあるものに戻っていた。


 それから今の段階でわかっていることをすべて話した。

 開かずの書庫にかけられている魔法のことも、容疑者が三人いることも、その中に自身の母親がいることも伝えた。


 床にじっと座っているポチは、ずっと黙ったままだ。


 今は魔導書という共通の敵を見つけるために手を組んでいるが、その関係は同じ被害者同士だから成り立っていた。しかし、スージーが容疑者の家族ならポチは被害者の家族という立場になる。それがわかったらこの関係はすぐに瓦解がかいするかもしれない。


「ヒィンヒィンヒイィィィィン」


 突然ポチが鳴き出した。

 しかし僕もスージーも意味を理解できないので首をかしげるしかない。


「ヒィンヒィンヒイィィィィン」


 またしても妖精の鳴き声を発する。


「ポチ。なんて言ってるのかわからないよ」

「ポチさん。もう一度言ってもらっていいですか?」

「ヒィンヒィンヒイィィィィン」


 やはり死にかけの馬の悲鳴のようで聞いているだけで気が抜けてくる。

 それから何度も鳴くので僕もスージーもこらえきれずにとうとう笑いだした。


「あはは」

「ふふふ」

「やっと笑ったな」


 そこでようやくポチが人間の言葉を話してくれた。その声に敵意はないように感じる。


「スージーのねえちゃん。あんたも大変だったんだな」

「ポチさん……怒ってないんですか……?」

「なんで怒らなくちゃいけないんだよ。あんたが魔導書を盗んだわけじゃねぇだろ」

「もちろんです。だけど、私の母が犯人かもしれないんですよ?」

「かもしれないってことは、まだ犯人かどうかわかってないんだろ?」

「それは、その通りですが……」

「俺にとっては犯人が誰かなんて関係ねぇ。妹さえ無事に帰ってきたらそれでいいんだ」


 ポチは大きな声で断言する。

 顔は見えなくてもその声を聞いたら、とても嘘をついているようには思えなかった。

 それからポチはゆっくり浮かび上がると、スージーの頭を撫でながら語りかける。


「今までよくがんばったな。えらいぞ」


 僕の目に映るその光景は、まるで本当の家族のように優しさにあふれていた。


「これからも、私たちに、協力してくれますか?」

「当たり前だろ。俺はスージーのねえちゃんにたんこぶを治してもらった恩がある。妖精ってのは、こう見えても義理堅い種族なんだぜ。最後まで協力するぞ」

「ありがとうございます……ポチさん……本当にありがとうございます……」


 スージーは両手を脇に付けて深々とお辞儀する。

 僕は気づかれないうちに目元をぬぐってから尋ねる。


「ずっと気になってたんだけど、ポチって何才なの?」


 さっきまで静かに飛んでいたのに、急に曲芸のような飛び方をしながらポチが笑う。


「へっへっへ。妖精に年齢を聞くもんじゃねぇよ」

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