第21話

 燦々と照りつける太陽の下、やっと引っ越しが終わった。真夏の引っ越しって、過酷!

 引っ越し業者の人にコンビニで買った冷たいお茶を渡してお礼を言うと、とっても気持ちの良い「ありがとうございました!」が返ってきて嬉しくなった。

 

 寝泊まりする拠点が整うというのは、なんとも気持ちが良い。寝具を新調したので、カバーはどんなのにしようか悩む。自分的には水彩画風の大きな花柄で淡い色味の柄が好きだけど、リーリは無地が好きそうだった。ここは私の部屋なんだし、合わせるんじゃなくて私の趣味を全面に出すことにしよう!

 

 仕事の時以外はリーリのことばかり考えてしまっているのに、この前キャンセルになった来日の次の日程はまだ決まっていない。私が会いに行っても良いけれど、やっぱり、日本にも来て欲しいな。

 

 メッセージや写真、動画のやり取り、通話という手段で心の距離を保っているけれど、彼が言っていた「電波では届かないもの」が、じわじわと不足してきているような気がしてきている。

 彼がつけている香水の銘柄をそれとなく聞き出して同じものを通販サイトで取り寄せておいた。真新しい寝具にその香水を少しだけ振りかけると、彼が傍にいるような気持ちになった。

 

「・・・はぁ。逢いたいなぁ。」

 

 呟くと同時に電話が掛かってきて慌てて通話ボタンをスワイプした。

 

『こんばんは!引っ越しは終わった?』

 

 ちゃんと頃合いを見計らってかけてきてくれたのね。

 

『うん!今日から母に遠慮せずに通話できるから嬉しい。』

 

 声を聞くと、寂しい気持ちは一時的に緩和される。無線のイヤホンマイクを繋いで、残っている雑貨を片付けながらの通話に切り替えた。昔と比べると、国際電話もしやすい環境で良かった。

 

『実は、ユーユに言っておきたいことがあるんだ。』

 

 そんな、前置きが必要な「言っておきたいこと」ってなんだろう。『何?』と少しだけ身構える。

 

『この前は、ユーユの気持ちを深く考えずに、早い段階でご両親に挨拶させて欲しいってお願いして、困らせてしまったよね。これからは2人の歩幅を合わせたい。だから、次は年末年始の連休にご両親に挨拶しに行っても良いかな。ユーユがご両親にその事を言うタイミングも必要だし、早いならもう少し後だと・・・』

 

『リーリ・・・』

 

 ネガティブな話を想像していたので、嬉しさの反動が大きい。

 

『早くない。早くないよ!この前も、来てくれるって言ってくれて、本当に嬉しかった。リーリが私の両親に挨拶してくれるのも嬉しい。でも、両親に挨拶ってことは、入籍して結婚するってことでしょ?そしたら私は会社を辞めてマレーシアに行く事になるのかなぁって、少し不安には思ってた。』

 

 彼はほっとした感じで、『そっか。』と呟いた。私の本心も伝えることが出来てよかった。

 

『仕事のことは、会社にもありのままの課題を打ち明けるべきだと思うんだ。このままじゃ何かを諦めなきゃいけないし、心残りのある状態で過ごしていくのは良くないと思う。片桐さんや、ユーユの上司にも相談しながら、一番良い形を作っていこう!』

 

 建設的な意見に尊敬と賛同を伝えた。惚れ直すとはこういうことなのね。ため息が漏れる。

 

『今、ため息ついた?何か嫌なことがあったら言って欲しい。』

 

『そういうため息じゃないよ。リーリのことを更に好きになってため息が出ちゃったの!』

 

 こんな照れるような言葉も英語だと簡単に伝えられる。電話の向こうで凄く喜んでいるのが分かる。

 

『実は、日本語も勉強してるんだ!ご両親へのご挨拶で、ユーユに通訳して貰うのも悪いかなって思って。』

 

『え?私の両親には、英語が通じるし、私が英語を教えて貰ったのは母なんだけど・・・。ごめん!早く言えばよかったね!』

 

 彼は驚いて、『えっ!?これじゃまるで、片桐さんじゃないか!』と冗談を言っていた。

 

『日系企業に勤めてる訳だし、日本語が出来るには越したこと無いから勉強は続けるよ。それに、ユーユのため息とか、呟きとかも理解したいし。』

 

 私も英語をもっと勉強しよう!もっと表現力を身に付けて、好きという気持ちをたくさん伝えていきたいな。

 

 

 

 引っ越しをして職場が近くなり、通勤も快適になった。実の母とはいえ、夜に長電話をしたりしてるとお互いに気を遣ってしまうので、知らず内に溜まっていたストレスも軽減される。

 


 私生活がうまく行くと、仕事も捗るし楽しい!

 

「・・・それでは、新生産管理アプリへの入れ替え作業については、私どもがお見積り金額の範囲内で対応させていただくということで社内でも決裁をとって参りましたので・・・」

 

 アプリベンダーとの最後の打ち合わせで、攻防が続いていた「入れ替え作業をどちらがやるのか」は、こちらの希望を通して貰えた。

 

「ありがとうございます!御社のお心遣いには大変感謝しております。今後ともよろしくお願いします。」

 

 ベンダーの担当者が帰っていくのを見送り、姿が見えなくなると、同席していたメンバー全員とハイタッチで喜びを分かち合った。

 

「島田さん、やりましたねっ!」

 

 鈴木くんたちと笑いながらフロアに戻る。

 

「嬉しいっ!入れ替え、やってくれるって!こっちでやったら何日もかかって大変だったよ。向こうの誠意に答えて、こっちは新しいアプリの仕様を叩き込まなきゃね。」

 

 新規開発課は主に製造や生産に関わるシステムを扱うため、生産管理や原価計算、在庫管理、更には品質管理のことなども基礎として理解していないといけない。課内で勉強会でもやって、知識の底上げを図ろうかな。

 木下くんも入社してもうすぐ半年で、安定感も出てきたし、鈴木くんもパワハラの一件から責任感が強くなって、新規開発課はまとまりが出てきた気がする。柴田さんも内気な性格がだんだんと外にも向いてきているようで、頼もしい!

 

 フロアに戻って新生産管理アプリの勉強会資料を作っていると、宮本代理から声がかかった。

 

「実は、前に少し話した妻の父の容態が急変して、危篤に入ったそうだから今から早退させて貰います。管理課の方は主任にお願いしたんだけど、ちょっと不安なところがあるのでフォローをお願いできますか?すぐに応答できないこともあるけど、メッセージは見れるようにしておくので、よろしくお願いします。」

 

 明日と明後日もお葬式になる可能性がある。「かしこまりました。お気をつけて。」と返事をして、管理課の方を見ると、みんな我関せずといった風で、一抹の不安を覚えた。

 

 

 

 翌日、宮本代理はお葬式が入り、お休みする旨のメッセージが入った。常務にも連絡は入れてあるらしいけど、担当の常務はシステム部の出身ではないから何かあったときの対応は難しそう。何もないことを祈ろう。

 

 午前中は特にイレギュラーもなく、平和に過ぎていった。宮本代理は明日は出社するそうなので、あと半日、平和に過ぎますように。


 お昼休憩に、自席でホワイトコーヒーを飲んでいると、隣の席の鈴木くんが話しかけてきた。

 

「島田さん。宮本代理の訃報があったので言いづらかったんですけど、実は昨日、生まれました。」

 

 スマホで生まれたばかりの赤ちゃんを見せてくれた。

 

「わぁ!おめでとう!可愛いっ!たしか、女の子だったよね?名前は決めたの?今日は特別休暇でお休みしても良かったのに。」

 

 産まれたばかりなのにちゃんと目が開いてカメラを見ている。あの中村さんもお母さんなのねぇ。

 

「心に愛と書いて「ここあ」です。特別休暇は、妻とも話し合って辞退することにしました。ご迷惑をかけた罪滅ぼしのつもりです。」

 

「罪滅ぼしなんて、子どもには関係ないじゃない。育休はとらないの?」

 

「そんな!育休なんて!島田さんの気持ちは嬉しいんですけど、そこも妻と話し合って、取得は見送ることにしました。妻は憧れていた専業主婦なので、育休をとらないことに対して不満もないそうです。」

 

 専業主婦かぁ。確かにそういう選択も有りよね。それぞれの生き方や働き方がある訳だし、男性も育休を取る権利はあるけど、それを行使するかどうかはそれぞれの家庭の事情もある。

 

「中村さんにもおめでとうって伝えといてね!」

 

 鈴木くんは照れながらスマホの写真を見返している。

 赤ちゃんかぁ。羨ましいなぁ。私には無理かなぁ。仕事も家庭も子どもも、って望むことは欲張りなことなんだろうか。リーリは子育て経験があるから、もう子どもは欲しくない可能性だってある。私ももう36歳だし、出産するとなると年齢や体力的な問題だって出てくる。年を取るスピードは、遅くはならない。

 

 (課題かぁ。山積みだなぁ・・・)

 

 外を見ると雨が降り始めていた。

 雨が好きかどうかを彼から聞かれた時のことを思い出した。マレーシアは今日も雨かな。

 

 プルルル プルルル プルルル・・・

 

 管理課の内線がやたらと鳴っている。さっき川中主任が早退して、管理課には2人しかいない。管理課の内線が埋まっているので終わり次第折り返さすと伝えるように、新規開発課でも内線を取るように指示を出した。それでも内線が鳴っているので私も受話器を取ると、テレワークをしている社員からだった。

 

「VPN接続でログインしようとしたら、ユーザーはログイン済みと警告が出て入れない、という症状ですね?」

 

 私が声に出して内容を確認したら、みんなの視線が一気に集まった。

 

「こっちも同じ内容です!」

 

 テレワークの社員には後でかけ直すと伝えて内線を切り、管理課の島へ急ぐ。

 

「VPN接続にトラブルが起きてるの?」

 

 管理課の2人は「トラブルは特に起きてないと思うんですけど・・・」と言ってキーボードを操作している。

 

「もしかしてこれ、サイバー攻撃じゃないですか?授業で習いました。VPN接続を乗っ取って、ウィルスを仕掛けたり、情報を取られたりするって・・・」

 

 木下くんの話にみんなの表情が凍る。

 

 それって、緊急事態じゃない!インフラのことは専門外なのに、どうしよう!


 今の組織の指示系統を整理する。誰かの力を借りないとどうにもならない。

 

「木村さんは川中主任に戻ってこれないか聞いてください!鈴木くんは宮本代理に一報を入れて!私は常務に連絡します!」

 

 常務に内線を入れるとすぐに応答してくれて、状況を説明すると常務も困ってしまった。

 

「あの、マレーシア工場の劉課長がセキュリティのことに詳しいと伺っていますので、彼にリモートで応援を要請しても宜しいでしょうか?」

 

 常務は劉課長のことを認識していて、すぐに応援を要請するように指示があった。常務から海外事業部にも連絡を入れておいてくれるらしい。

 

 仕事で一緒になるのは久しぶりだな。Web通話で劉課長を呼び出すとすぐに繋がった。

 

『「Hello ?」島田課長、お久しぶりです。どうしましたか?』

 

 彼は嬉しそうに応答してくれたけど、私はそれに答える余裕がない。

 

『「Hello !」劉課長、助けて下さい。本社がサイバー攻撃にあっているようで、私は専門外でどう対処すれば良いのか分からず、困ってます。上席の宮本課長はお葬式でお休みなんです!』

 

 いっぱいいっぱいの状況を察したのか、優しい声がイヤホンから届く。

 

『大丈夫だよ!落ち着いて対応すれば大丈夫!さぁ深呼吸をして。まず、VPN接続を切断して被害拡大を防ごう。切断は出来る?』

 

 彼の声と言葉に落ち着きを取り戻す。

 劉課長の指示をシステム部のみんなに伝えると、管理課の庄司くんがVPN接続を切断した。

 

「主任は?戻ってこれないの?」

 

 鈴木くんが木村さんに問いかけると、「課長なんだから島田さんに対応して貰えって・・・」と彼は困っていた。

 

「はぁ?何が課長なんだから、よ!呪ってやる!」

 

「柴田さん、素が出てるって!」

 

 怒りが隠しきれない柴田さんを木下くんがなだめている。

 

『島田課長、画面を繋いで下さい。出来れば日本のシステム部のみんなも状況を見ておいた方がいいと思うので、みんなで確認していきましょう。』

 

 みんなを席に戻して画面を共有し、私の端末をリモート許可して劉課長に操作してもらい、作業を見せていく。

 

『VPN接続が乗っ取られる原因として考えられるのは、機器が最新の状態に出来ていないことです。VPN機器の更新は適切に行われていましたか?このアイコンがVPNで、アップデートの確認をすると・・・、最新ではないですね。まず、これを更新しよう。次にウィルススキャンを行います。スキャンを走らせたらその間に、VPNを乗っ取って何をしていたかを確認しよう。ログを表示させて・・・』

 

 次へ次へと流れるように説明が進められ、劉課長はたまに私の通訳を待ってくれている。みんなも食い入るよう画面を見ていて、ログが表示されるとざわついた。

 

「これは、ブルートフォースアタック・・・」

 

 パスワードの入力と不正解のINCORRECTという文字が大量に並んでいる。

 

『木下さん、よく知っていますね!鍵を開けるプログラムを使ってこじ開けようとしている。この攻撃を受けたフォルダは重要なのかな?ログを見る限り突破はされていないようですね。』

 

 攻撃を受けたフォルダは日本語で「財務部」とタイトルがつけられている。

 

『スキャンが終わりました。ウィルス感染は特にしていないようだから、VPN接続を再開してもとりあえずは問題ないですよ。今回の報告と課題提議は僕の方でも簡単にまとめておくから、出来上がったら島田課長に連絡します。「お疲れさまでした。」』

 

「ありがとうございました!」

 

 最後にみんなのカメラをオンにして、お礼を言ってWeb通話を終了した。

 とりあえず、なんとかなって良かった!


 さっき内線がかかってきた人たちに折り返しの連絡をいれ、常務にも報告を入れると「劉課長はなかなかの実力者だね。」と劉課長を評価していた。

 

 宮本代理からは少し時間が経ってから電話が掛かってきて、状況を報告すると胸を撫で下ろしていたけれど、主任の対応には「ぇえ?」と怪訝な声を漏らしていた。

 

 リーリから個人スマホの方にメッセージが届いた。

 

『"今日はユーユの声もたくさん聞けたし、同僚も見れたし、攻撃してきた人にちょっとだけ感謝。会社には秘密ね!"』

 

 初めて食事に連れていってくれた時のことを思い出した。

 

『私も、焦って大変だったけど、感謝することにします!』

 

 

 

 後日、この事件のお陰で、リーリは緊急招集され、なんと近日中に出張で日本に来ることが決まった。

 

 不謹慎かもしれないけど、ちょっとじゃなくて凄く感謝かも!

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