第14話

 劉さんと島田さんに話を聞いてもらった翌日。

 この世界が夢なのか現実なのかは置いておいて、俺は休日というのにPCに向かい、イスラム教徒であるムスリムと結婚する場合はどのような制約があるのかについて真剣に調べていた。

 マレー系のマレーシア人は、ほぼムスリムだと聞いていたからだ。

 

 ムスリムの女性が頭につけているスカーフ「ヒジャーブ」を、Noraさんはつけていない。

 だから普段は彼女がムスリムだという感覚があまり無いけれど、この国ではヒジャーブの着用は個人の自由とされているみたいなので、Noraさんもきっとムスリムなんだろうなぁ。

 

 もし、俺とNoraさんが結婚する場合はどうなのるかをWebで検索しまくった。マレーシアに住んで生きていこうと思うと、改宗が必要になるかもしれない。ムスリム女性はムスリムと結婚しないといけないそうだ。

 日本で結婚する場合は特に改宗までは求められないらしいけれど、そのために日本に帰るのもなんだか違うような気がする。

 

 愛があれば、越えられない壁はない!

 

 ・・・のか?本当に??

 

 イスラム教に改宗したら、俺が愛する博多ラーメンも食べれなくなるし、とり皮とビールで乾杯も出来なくなる。あんなに旨いもん無いのに・・・。

 

 こんなことで俺は、本当にNoraさんを愛していけるのだろうか。

 それに、こんなんだから、今まで結婚できなかったのかもしれない。

 

 

 結局日曜日も、ムスリム女性と結婚した日本人男性のブログとか、入籍する場合の具体的な手続きについての説明まとめサイトとかをダラダラと見てしまい、しっかり休んだ感じがしないまま月曜日を向かえた。

 

 今日から2週間、日本の工場スタッフが応援にきてくれて、試運転と現地スタッフの職長候補へ教育指導を行う。

 工場のスタッフは係長や課長クラスのメンバーが来てくれることになっているけど、英語が話せるメンバーは少なく、暫くは通訳で時間がとられそうだな。

 マレーシアは、公用語はマレー語だけれど、共通語は英語なので、現地採用したほとんどの社員が英語を話せるのでありがたい。

 

 

 気合いを入れて少し早めに会社に着くと、劉さんがエントランスに入るところだった。

 

『おはよう!今日から試運転が始まるので、よろしくお願いしますね。』

 

 考え事をしていたのか、後ろから声をかけたらビクッ!と驚いていて、こっちもビクッ!となってしまった。

 

『おはようございます。こちらこそ、よろしくお願いします。日本語が不安ですが、翻訳ソフトでなんとか頑張ります。』

 

 そういうITツールも有効に使わないとな。

 

『何か考え事してたの?』

 

 彼は何故か照れ始める。


『い、いえ。少し寝不足で、ぼーっとしてただけです。仕事中はちゃんとしますから。』

 

 暑くなってきたし、寝づらいのかな。日本の夏に比べるとかなり快適だと思う。システム部は山場を越えて疲れが出たのかもな。無理してほしくない。

 

「片桐さん、おはようございます♡」

 

 その声が耳に入ってくると、ドキッと心臓の動きが速くなる。

 

「Noraさん、おはようございます。日本からの出張者への対応、よろしくお願いしますね。」

 

 ヤバい、眩しい!

 最近、彼女から放たれるキラキラがハンパない。

 

「はい!1時間後にバスが到着する予定なので、ホールに飲み物の準備をしますね!」

 

 今日の予定もしっかり頭に入っているようだ。

 笑顔で準備をしている彼女を眺める。

 

 やっぱりなんだか、夢のようだな・・・。

 

 俺の視線に気付いたのか、こっちを見てニコッと笑顔を振り撒いてきたので、なんだか照れてしまった。

 

 

 応援スタッフが到着し、工場の中は一気に賑やかになった。ちょっと観光気分が否めないのは仕方がないかと思っていたら、彼らは作業着に着替えると仕事モードに切り替わった。


 Noraさんが自己紹介をすると盛大な拍手が上がり、構内の説明をしても盛大な拍手が上がった。

 まるでアイドルだな。なんだか知らないけど良い気がしなかった。

 

 やっと工場の各担当にバラけて機械を動かし始める。劉さんと島田さんも立ち会いにやって来て、島田さんは一番大きな機械を動かしているメンバーと話していた。

 

「篠田さん!お久し振りです。今日は遠いところありがとうございます!」

 

 篠田さんという人だったのか。

 俺はまだ、応援メンバーの名前と顔が一致していない。島田さんは全員の顔と名前を知っていて、初対面じゃない感じで話している。

 

「島田ちゃん!髪型が変わって雰囲気変わったから、緊張したじゃん!こっちに長期出張してるって聞いてたから会えるの楽しみにしてきたよ。頑張ってるね!」

 

「ふふふ、ありがとうございます!プログラムの方はどうですか?表記が英語なのでどうかなと思って。」

 

 篠田さんは分からないところはスマホの写真翻訳機能アプリを使って翻訳しているみたいだ。そのアプリについて、島田さんと劉さんが話している。

 気になって、どうしたのか聞きに行った。

 

「このアプリ、セキュリティ的には大丈夫なのかなと思って。写真を送る形ではないみたいなので、大丈夫そうだね、ということになりました。」

 

 写真をアップして翻訳するタイプのアプリは、情報流出の危険性もあるらしい。篠田さんもほっとした様子だった。

 

 

 お昼休みになり、応援メンバーを食堂に誘導する。食堂も今日が試運転だ。

 さっきの篠田さんが、島田さんに一緒の席に誘い、島田さんが隣にいる劉さんも誘い、俺やNoraさんも呼ぶので皆で向かい合って食べることになった。

 

「島田ちゃんは急にこっちに来たみたいだけど、大丈夫?」

 

「はい!皆優しくて親切だし、暖かくて快適ですよ。篠田さんもこの前骨折してたのに、大丈夫ですか?」

 

 篠田さんは「それは良かった。俺はこの通り、もうすっかり治ったよ。」と言って、食堂の麺料理を食べると、美味しさにビックリしていた。日本の食堂もこれにしてほしいらしい。

 

「そうそう、日本のシステム部に新人入っただろ?あの子、俺が声かけたんだよ。最初は情報技術を専門に勉強してきた子だなんて知らなくてさ、ネットゲームの対戦相手になった子をたまたま工場のバイトに誘ってって感じでさ。どこにどんな出会いがあるか分からないね。」

 

 島田さんは劉さんに通訳してあげている。劉さんは『どんなゲームですか?』と質問して、篠田さんが、なんかゲームの種類を答えると、『それ、僕もたまにやります。今度対戦しましょう!』と意気投合していた。

 俺はゲームのことはよく分からないので、外野感が強い。

 

「あと、うちの鈴木が兄貴のこと心配してるよ。飯田部長と折り合いが悪いらしくて、かなりストレス状態らしい。島田ちゃん、日本に帰るの早められないの?」

 

「少しそんな気はしてたんですよね。この後プログラムの修正があるので、帰国を早めるのは難しいかもしれないですけど、延びないようには頑張ります。鈴木くん、打たれ強い方なので持ってくれると信じてます。でも、もしキツくなったら仮病で休んじゃえって言っておいてください。後は何とかします。」

 

 工場とシステム部に兄弟で在籍している社員がいるみたいだ。

 劉さんは島田さんが何を話しているのか気になるらしく、Noraさんに通訳してもらって真剣に耳を傾けていた。

 課長としての島田さんの言動はとても部下思いで、部下との信頼関係がしっかりと構築できている様子は、俺も見習わなくてはと思う場面だった。



 試運転は大きな問題も無く順調に進み、あっという間に一週間が過ぎた。今日からは現地採用した職長クラスのメンバーヘの現地指導に入る。

 このメンバーは予め1年間、日本で研修を受けてきている。日本語も少しは分かるし、機械の操作方法も習得しているので、新しい機械に慣れる、といった教育内容だ。


 そして、部長の田川さんもマレーシア入りした。


「片桐くんっ!ついにここまで来たね!」

 

 握手をしながら肩を叩いてくる。田川さんは他の国の拠点についても管理しながら、マレーシア工場立ち上げでは現地採用した職長クラスの日本での研修を対応してくれて、賃金体系や就業規則の整備なども一緒に行った。

 賃金体系は、職長や役職者は特に、日本の賃金体系と同じような仕組みで作り、物価の差額を少しは反映しているけれど、マレーシアの中では高給の設定になっている。


「本当にありがとうございます。一時はどうなることかと思いましたが、来週はついに本稼働で開所式です。あ、こちら、システムの劉さんです。彼にはほんとに頑張ってもらって、今ではプライベートでも話を聞いてもらっちゃったりしてます。」

 

 近くにいた劉さんをつれてきて田川さんに紹介する。Webでは何度も顔を会わせているし、報告書なども田川さんの確認が必要なので関わりはあるけれど、田川さんと劉さんがリアルで対面するのは初めてだ。

 2人は英語で挨拶を交わし、固く握手をした後、話し込み始めた。

 

『君の評判はよく伺っているよ。経歴を拝見したところ、セキュリティソフトの会社でプログラムを担当していたそうだね。本社のシステム部は島田さんが所属している新規開発課と、インフラ関連の管理課があるのだけれど、管理課のセキュリティのところが少々脆弱だという課題があるんだ。この工場の立ち上げが落ち着いたら、本社から声がかかると思うから、よろしくお願いします。』

 

『そうですか、分かりました。この工場のシステムについての業務も、メンバー間での情報共有の仕組み作りと、各メンバーのスキルの底上げを図って、誰が休んでも仕事が回るように整備していきたいと考えています。お声がけいただいたときにはすぐに対応できるように準備しておきますね。』

 

 劉さんはきっとマネジメントも上手なんだろうな。虚偽報告した前任者が辞めたのは正解だったな。

 劉さんはリーダーになってからぐいぐいと頭角を現しているし、自信が出てきたのか、笑顔も増えた気がする。

 

 それに比べて俺は、大丈夫かな。こんなんじゃNoraさんに愛想つかされないかな。

 

 Noraさんの姿を探すと、日本からの応援メンバーに一生懸命通訳している姿を発見した。

 やっぱり、可愛いなぁ。お嫁さんにしたい。


 ほんとにお嫁さんになってくれるんなら、この先博多ラーメンが食べれなくても、とり皮とビールで乾杯が出来なくても、別にもう、いいんじゃないかな。

 それよりも、やっぱりNoraさんと家庭を築いて、楽しく暮らしたい。


 決心してNoraさんに話しかけた。

 

「Noraさん、今日、仕事の後時間ある?例の返事をしたいんだけど・・・。」

 

 Noraさんは強ばった顔で、「分かりました。時間は大丈夫です。」と言って通訳に戻っていった。

 

 あー、どうしよう。緊張してきた。

 

 

 日本の応援スタッフがバスで宿泊先に向かい、現地採用組も帰宅し、総務部の部屋には俺とNoraさんと他の総務のスタッフ2名と、警備のスタッフが残っていた。一人、また一人と帰っていく度に、緊張が増していく。


 ついにNoraさんと2人になり、意を決してNoraさんの正面に、少し離れて立った。

 

「Noraさん、例の返事なんだけど。あれからずっと考えて、本当に考えて、やっと、結論を出しました。俺は・・・、俺は、Noraさんとお付き合いするために、イスラム教に改宗しますっ!」

 

 ゆっくりとNoraさんの顔を確認すると、頭に「?」が浮かんでいるような表情だった。

 

「あ、改宗っていうのは、宗教を変えるっていう意味で・・・。」

 

「分かってますっ!」

 

 あれ?何か、ダメだった??

 

「片桐さん。どうして本人に確認しないんですか?」

 

 ・・・え??

 

「私はヒジャーブも着けていないし、こうして男性と2人きりの部屋に残ることもしています。これは、ムスリムならやらないことですよ。私の家はキリスト教だし、私もムスリムではありません。」

 

 ぇえーーーーーーーーーーー!!!

 

「でも、お酒は飲まないし・・・」

 

「お酒に弱いだけです!」

 

 そうだったの!?

 面食らった顔をしていたらしい。

 

「ほんとに、片桐さんったら。やっぱり放っておけません!」

 

「ってことは、お付き合いしてくれるってこと?もう俺、結婚前提ですよ?」

 

 Noraさんは少し涙を浮かべて、「はい!よろしくお願いします。」と言ってくれた。

 抱き締めたいところだけど、ここはマレーシアで会社だ。グッと押さえる。

 

「なんだか肩透かしだったな。すっごく悩んじゃったよ。イスラム教って誓約がかなり厳しいからさ。でも、良い機会になったな。俺はやっぱり、Noraさんのことが大好きです。」

 

 Noraさんはものすごく照れて、めっちゃ可愛い。

 どうしよう!女の子と付き合うなんて、どうするんだっけ?

 

 とりあえず、今度の休みの日はデートしよっか、ということになって、Noraさんは帰宅していった。

 まるで高校生ですねって、あの2人に言われたのを思い出す。いや、高校生どころか中学生・・・。

 

 36歳の真剣な恋は辿々しく始まった。

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