第13話

 メッセージの着信音に、慌ててスマホの画面を確認する。

 

『"おはようございます。真悠子さんが宿泊しているホテルのロビーで待ってます。"』

 

 どうしよう、なんだか緊張しちゃうな。

 

 今日は休日でも平日と同じ時間に起きて、メイクもヘアセットも、いつもより念入りに準備をしてしまった。

 服は、この前Noraちゃんと買い物に行ったときに一目惚れして自分用のお土産として買った、中華デザインのブラウスと、裾に然り気無く刺繍が入っているきれい目なガウチョパンツを選んだ。

 彼は仕事の時はいつもワイシャツやポロシャツを着ているけど、今日はどんな服装なんだろう。並んでも違和感が無いといいな。

 

 ロビーに降りてその姿を探すと、ソファに座っている後ろ姿を見つけた。

 横顔を確認して、『劉さん、お待たせしました。』と声をかけると、すぐに視線を落としていたスマホから顔を上げて、「Hi!」と笑顔で立ち上がった。

 劉さんはジーパンにネイビーの開襟シャツを綺麗に着こなしている。

 

『なんだかいつもと違う雰囲気で、緊張してしまいますね。』

 

『そうですね。どんな服を着て来ればいいのか、迷っちゃいました。』

 

 劉さんの少し後ろをついていくと、駐車場だった。

 

『僕はその感じ、好きですよ。とてもお似合いです。今日は車の方が便利だと思って、車で来ました。どうぞ、助手席に乗って下さい。』

 

 彼の愛車だと思われる黒色のステーションワゴンの助手席のドアを開けてくれて、私が乗り込むとドアを閉めてくれた。マレーシアは右ハンドルの左通行で、交通ルールは日本と似ている。

 彼の車の中は綺麗に保たれていて、彼と同じ良い香りがする。私のシートベルトを確認すると、車を発進させた。

 

『どこに行くんですか?』

 

『寺院と国立公園を予定していますが、いかかでしょう?』

 

 行き先を決めつけずに提案する姿勢が彼らしい。もちろん賛成の意見を伝える。

 寺院はよく見かけるけどちゃんと見たことがなかったから楽しみ!

 

『これから訪れる寺院は仏教なんです。真悠子さんは、仏教ですか?食事をするとき、手を合わせてますよね。イスラム教やヒンドゥー教の寺院もあるので、またの機会にぜひ。』

 

『仏教というか、日本では幼稚園でも小学校でも、食事の前に「いただきます」と言って手を合わせるように教育されます。自分の宗派については特に拘りは無いと思いますけど、「いただきます」は、命をいただいて生かしてもらっていることへの感謝という意味があるので、その気持ちを忘れないようにやってます。他の宗教の寺院も興味深いです。楽しみにしています。』

 

 劉さんの運転はとても穏やかで、急ブレーキも急ハンドルもなく、右左折時にはしっかりと回りを確認して曲がる。そんなところからも、彼への信頼が厚くなっていく。

 

『「いただきます」は、生かされていることへの感謝だったんですね。素敵な考え方だと思います。』

 

 劉さんの実家は仏教だけど、自分自身は特に宗派は無いらしい。仏教と言っても、日本の仏教とはちょっと違うみたいだ。

 まずは道中で飲茶ランチをして、寺院へ向かうことにした。

 

 

 飲茶は、自分が食べたい飲茶を、パン屋さんのような形式でお盆に乗せていくと伝票を書いてくれる形式だった。

 私は今まで、中華街に行った時くらいしか飲茶を食べる機会がなく、飲茶に思い入れも無かったので、劉さんにお勧めされた「ふかひれ焼売」を口に入れたら衝撃が走った。

 

 ずっごい美味しい!なにこれっ!

 

『幸せそうですね、ははっ!』

 

『とても美味しくて、驚いてます!顔に出てますか?』

 

『真悠子さんは表情が豊かで、見ていて飽きません。特に、美味しいものを食べる表情を見ているときは、幸せが移ります。』

 

 そんなつもり無いんだけどな。恥ずかしがっていると、『褒めてますよ。』と言ってくれた。

 

 

 飲茶を食べ終えて車で移動すると、15分くらいで寺院に到着した。

 煌びやかなお寺の装飾や、ここに建立された歴史などを見て回る。見ごたえがあるし、劉さんも色々と説明してくれて凄く楽しい!お土産もゆっくり見ていたら、かなり時間が過ぎていた。

 楽しい時間はあっという間だなぁ。

 お寺は高台にあってかなり暑く、汗を拭きながら車に戻る。トランクにクーラーボックスを積んでいるようで、劉さんは冷たいミネラルウォーターを渡してくれた。

 

 国立公園には1時間くらいで到着予定で、熱帯雨林があるらしい。

 

『僕は仕事が忙しいと、こういった場所とかでゆっくりと過ごす時間を持つことで、生活の調和を取ります。』

 

『このところ忙しかったですし、そういう時間は大切ですね。前職も忙しかったんですか?』

 

 私の質問に、少し辛そうに微笑んだ。

 

『そうですね。イギリスに留学していた話はしたと思うんですけど。実は、大学を卒業した後もイギリスに住んでいて、この国に戻ってきたのは2年半前なんです。イギリスのセキュリティソフトのIT企業で開発を担当していました。忙しかったですけど残業や休日出勤はあまり無くて。でも、家事と育児はほとんど僕がやっていたので、たまに息子と緑の多い公園に行って、息抜きしていましたね。』

 

 今まであまり話に出てこなかった、前の家庭の影に、少しドキッとした。

 

『息子さん、ということはお子さんがいらっしゃったんですね。1人ですか?』

 

『はい、1人です。息子と言っても、血縁関係はなくて。大学生の時にアルバイトをしていたお店で知り合った女性と、24歳の時に結婚したんですけど、彼女の連れ子ということになります。とても賢くてかわいらしい子です。』

 

 前妻との出会いの話を聞くと、何故か胸がチクッと痛む。

 

『お子さんのこと、可愛がっていたんですね。』

 

『彼は両親共にイギリス人なので、僕とは全然見た目が違います。ブロンドの髪に白い肌、青い瞳。彼の母親は家事や育児をほとんどやらなかったので、彼の世話をしていた僕に、当然かもしれませんけど懐いてくれました。僕のことを「Daddy」と呼んでくれて、僕の手料理が一番美味しいそうです。』

 

 息子さんのことを思い出して、微笑んで語る口調はとても優しく、彼のことをとても愛していることが伝わってきた。

 

 

 国立公園に到着し、熱帯雨林の中をゆっくりと散歩する。森林浴の木陰は涼しくて、風が吹くと気持ちが良い。

 

『真悠子さんは、子どもはいないんですか?』

 

『はい。結婚していた期間も3年くらいで、今はもう、あまり覚えてないです。』

 

 劉さんは『そうでしたか。』と呟いて、熱帯雨林を進んでいき、林を抜けるとビーチに辿り着いた。

 

『「すごい!」綺麗ですね!』

 

 ちょうどサンセットのタイミングで、綺麗なグラデーションが琴線を揺らす。

 劉さんの横顔を見ると、涙を流していたので、そっと、ハンカチを手渡した。

 

『ありがとうございます。』

 

 お礼を言われたけれど返事は言葉に出さず、笑みを返してサンセットの方に視線を戻した。

 

 結局、夕陽が水平線に隠れるまで眺めていて、辺りは暗くなってきてしまい、慌てて車に戻る。

 夜ごはんはどこで食べようか、という話になり、車だと劉さんはビールが飲めないから申し訳ないと言ったら、『じゃあ、僕の家に来ませんか?』と誘われた。

 誘い方が極々自然で、難色を示す方が恥ずかしいのでは、という判断になり、彼の家へお邪魔することにした。

 

 

 途中で、行ってみたかったAEONのスーパーに寄り、テイクアウトや食材、飲み物を調達する。AEONのスーパーは、ほぼ日本と同じような陳列の仕方で、懐かしい感じがした。

 

『真悠子さんは、料理するのは好きですか?』

 

『凝ったものは作れないですけど、家庭料理は作るの好きですよ。「味噌汁」とか、「肉じゃが」とか。いつか、日本に遊びに来てくださいね!おもてなしする時に作ります。』

 

 劉さんは、『それは楽しみです。』と嬉しそうに笑って、上機嫌でショッピングカートをレジに進める。私も、楽しみだな。

 

 

 彼が住んでいるアパートは5階建ての最上階で、屋根付きの駐車場があった。綺麗な建物で、キョロキョロしながら後をついていく。

 

『ここです。ちなみに僕は、玄関で靴を脱ぐ方式にしてます。』

 

 彼は日本人の私が迷うところを、前もって誘導してくれるので、いちいち迷わずに済む。

 

『お邪魔します・・・。』

 

 なんとなく緊張しながら靴を脱いで、リビングへと足を進める。外は暗くてよく見えないけど、オーシャンビューで、部屋の中もお洒落な感じだ。

 

『インテリアはイギリスっぽいですね。センスが良いです。』

 

『まぁ、向こうでの生活も長かったですからね。センスが良いとの評価は嬉しいです。』


 早速、2人で夜ごはんの準備をして、ワインで乾杯する。すっごく久しぶりにワインを飲んだ。美味しい!

 劉さんは簡単におつまみを作ってくれた。それに加えてAEONで買ってきた生春巻きとか、中華炒めとかも美味しくて、ワインが進んでしまう。

 劉さんもワインが好きみたいで、結構飲んでいる。

 

『劉さんはお酒は強い方ですか?』

 

『酔うとよく喋るようになるらしいですけど、記憶を無くしたことは無いです。真悠子さんは?』

 

『私は少し温かくなるくらいで、特に変わらないですね。』

 

 メインのご飯を食べ終え、ソファにどうぞと誘導されて何気なく外を見ると、雨が降っていた。

 雨は次第に強くなり、雷も鳴り出す。

 

『激しい雷雨ですね。帰れるかな・・・。』

 

 劉さんは外を見ると、『これは、危ないかもです。』と呟く。

 

『今日は、徹夜で飲みますか!』

 

 劉さんはちょっと酔ってきてるような気がする。夕方の夕陽の涙を思い出すと、何か吐き出したいものがあるのかな、と思い、『じゃあ、飲み明かしましょう!』と乗ってみることにした。

 

 一応、宿泊先のホテルに、今夜は友人の家に泊まることになったので戻らない旨を伝え、明日は戻りますと伝えると、『お気をつけて。』と返ってきた。

 

 

 彼のお気に入りというジャズピアノの音楽を聴きながらワインで談笑する。好きな音楽とか、食べ物とか、場所とか。

 

『あと、好きなものかぁ。好きな香りは・・・、劉さんのつけている香水?良い香りで好きです。車も同じ香りで気分よかったです。』

 

『え!?これ、そんなに香りが漏れてます?量減らそうかな。』

 

 他の人に香っていないつもりだったらしい。

 

『その香り、市販のものなんですか?』

 

『そうです。ユニセックスの香水で、ウッディな香りが気に入ってて。この香りを嗅ぐとリラックスできるので、お守りみたいな感じでつけてます。Mark、あ、息子の名前はMarkって言うんですけど、僕の真似してつけてます。』

 

 可愛らしい話に笑みが溢れる。息子さんの話をしているときは、ほんとに幸せそう。

 

『息子さんと離れるのは、辛かったんじゃないですか?』

 

 少し間が空いて、『彼の提案なんです。』と聞こえた。 

 彼はグラスを置いて、ふぅっと息を吐く。

 

『順を追って話しますね。僕が24歳の時に結婚した相手は13歳年上の女性で、出会ったのは大学生で20歳の時でした。その時、彼女には別の夫がいました。不倫を、してしまったんです。』

 

 衝撃で言葉がでない。少しだけ裏切られたような気持ちになってしまった。

 

『程なくして彼女が妊娠しました。きっと、僕の子どもだと思いました。彼女もそう思ったみたいで、夫に「この子はあなたの子じゃない」と打ち明けて離婚したそうです。そして、生まれてきた子どもは、どう見ても僕の子どもではありませんでした。彼女は離婚したことを後悔していました。こうなったのはあなたの責任だと言われて、残りの大学生活も一緒に暮らして生活を支え、就職して収入が安定してきた頃に入籍しました。だから、Markは産まれてきてからずっと、僕が世話をしてきました。オムツを変えるのも、ミルクをあげるのも。でも、寝顔も笑った顔も泣き顔も全てが愛おしくて。Markの成長を見届けることが生き甲斐になり、夫婦関係なんて、もうどうでもよくなってしまったんです。』

 

 かなり壮絶な体験をしてきていたことに驚いたけれど、彼の、どこか俯瞰で物事を見つめるような落ち着いた態度は、こういう重い体験があったからだったのかなと、妙に納得がいった。

 

『彼女が他の男性と関係を持っていることは、入籍して2年目くらいの時に何となく分かりました。仕事という名目でよく家を空けていたし、男性用の香水の香りがすることもあって。そんなある日、いつものようにMarkを学校に迎えに行って帰ると、彼女が先に帰っていたときがあり、玄関を空けると電話の話し声が聞こえました。僕たちが帰ってきたことには気付いていなかったみたいで、聞きたくない言葉を聞いてしまったんです。』

 

 自分自身の離婚の原因となった、夫の不倫が発覚したときの辛い気持ちが甦る。辛くて言葉が喉を通りづらいのか、劉さんは「はぁ・・・」と深く息を吐いた。きっと話した方が気持ちが楽になる気がする。そっと劉さんの手を握ると、私の目を見つめて頷いた。

 

『たぶん、僕のことで間違いないと思う。彼女は、「彼は使用人と同じ」って言っていました。確かに、そうだなって思って・・・。出会ったときはすごく惹かれて、不倫はダメだって分かっていながら関係を持ってしまうほど好きだったはずなのに、どうしてこうなってしまったんだろうって、本当に落ち込んで。Markには分からないように、と配慮したつもりだったけれど、彼は僕のことをよく見ていました。「お父さん、自分のことも大事にして」って、あんなに幼い子どもに言わせてしまったことが不甲斐なくて。いつかは離婚しないといけないなって考えていたんですけど、Markが10歳の時、僕を自分の部屋に連れていって、こう言いました。「僕は11歳から全寮制の学校に入ることに決めた。だからお父さんは、自分の人生を大切に生ることに決めてください」って。妻にMarkの入寮の話と離婚の話をしたら、快諾されました。』

 

 大変な結婚生活だったんだな。握る手の強さを強めて、声に出さずに励ます。

 

『Markも頑張っているし、彼の言うように僕も頑張らないとな、と思ってこの国に帰ってきました。親に挨拶しに行ったら、「今さら帰ってきて何するんだ?」って言われて、あまり歓迎されてないことが分かって。僕は、誰にも必要とされてない、居場所がないってことを身に沁みて感じ、自分の存在意義を見失いました。それでも生きていかなきゃいけないし、今の会社の求人を見つけて応募したら採用されて、今は仕事が生き甲斐になってきています。』

 

 気付いたら、正面から抱き締めて、力無く笑う彼の背中に腕を回していた。

 

「お疲れさまでした。」

 

 彼は『え?』と言うと、私の背中に腕を回した。

 

『劉さんは、ちゃんと責任をとったと思うし、Mark君の人生が狂わないようにと、貴方らしい気遣いで今まで頑張って来たことに対して、「お疲れさまでした」。それに、私たちは生かされている身なので、最初から居場所なんてどこにもありません。私にも居場所はないけれど、これだけは確信をもって言えます。あなたの存在は、私の中にはしっかりあるし、これからも無いと困ります。存在意義は、それだけじゃ足りませんか?』

 

 2人の抱き締める力がぎゅっと強くなる。

 

『・・・ううん、充分だよ。それに、それは僕にとっての真悠子さんも同じで、これからも無いと困る。』

 

 2人とも涙が溢れてきて、体温が上がっていくのが分かる。温もりと鼓動のリズムが心地よくて、ただ、ずーっと、ぼーっと、ソファの上で抱き締めあっていた。


 ずいぶん長い時間抱き合っていたように感じる。涙が乾いて落ち着くと、なんだか可笑しくなってきて、やっと身体を離して隣り合って座り直した。

 

『ねぇ、真悠子さん。』

 

『はい?』

 

『ううん。なんでもない。ありがとう。』

 

 何か言いた気だったけれど、追求はしなかった。その後も、彼は私の腰に手を当てたままで、これから行ってみたい場所や、食べてみたい食べ物、お互いの幼少期の話なんかをして時間が過ぎていった。


 本当に徹夜をして夜を空かし、いつしか雷雨もおさまって、外が明るくなってくる。

 

『本当に朝だ。』

 

 笑いあってバルコニーに出ると、水平線から日の出が綺麗に見える。

 

『おはようございます。』

 

 どちらともなく朝の挨拶を言うと、また笑顔が溢れた。

 溜まっていた何かを吐き出した後のような清々しさを感じる。

 

 その後は、劉さんにホテルまで送ってもらい、明日の仕事に備えて体の調整を行った。


 昨日着ていた服をランドリーに出そうと思って片付けると、フワッと劉さんの香りがして、なんだかくすぐったい気持ちになった。

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