第25話

 システムセキュリティ強化プロジェクトの活動状況が担当の安田常務の満足いくものだったらしく、劉課長が日本出張で勤務する最後の3日目の夜に、メンバー全員がディナーに招待された。

 

「マジすか・・・。明日とか急ですよね、特に予定はないですけど。行かなきゃダメですかね。」

 

「たぶん強制ではないと思うけど、行った方がいいって!俺なら行くって。」

 

 木下くんが鈴木くんに諭されていた。

 


 リーリの日本出張中は、仕事が終わったら一緒の時間が待ってる!と思っていたけど、慌ただしく毎日が過ぎていってしまい、ゆっくり2人で話す時間はなかなか無い。

 けれど、料理が美味しいとか、今日も可愛いとか、料理や掃除や洗濯を自分もやらなくていいのか、やってくれてありがとうという気持ちはしっかり伝えてくれるので、それだけでも嬉しくて幸せだ。

 


 プロジェクト会議の3日目。とりあえず今日で課題提議と対応案に目処をつけることにして、最後の議題の「自分達で考えて講じたセキュリティを突破できるか」について議論と検証を行った。

 さすがみんなインフラの知識が豊富で、私では思い付かないこともどんどん意見として出てくる。

 中でも木下くんの意見は、皆がはっとしていた。

 

「僕は、仲間とか近しい存在が一番危ないと思っています。強固なパスワードにしたとしても、それを誰かに教えたり知られたらすぐに抜けれます。そもそもそういう仕組みが良くなくて、会社のシステムに入るときは共有出来る鍵ではなく、その人でしか開けれない鍵、例えば生体認証や社員証のICチップのようなものを取り入れるべきだと思います。そうすれば、何かあった時に誰かを疑うことも無くなるし、誰かが魔が差すこともなくなるんじゃないでしょうか。」

 

 仲間が一番危ない、かぁ。危機管理意識が高い。

 

「パスワードで入れなくすれば、ブルートフォースアタックも出来ないですね。」

 

「生体認証やICチップを読み取る端末か、顔認証とかなら高性能のアプリが必要ですね。」

 

 会議ではセキュリティ対策として生体認証かICチップでのログイン方法を取り入れていく方針で固め、具体的な導入方法はコスト等も調査しながら会社に提案していくことになった。今後は劉課長が、マレーシアからWeb会議を開き、活動は継続していく。

 

『3日間連続での会議「お疲れさまでした」。僕は、このプロジェクトではメンバーにも恵まれ、短期間ながら内容を詰めることが出来たと評価しています。今後も引き続きよろしくお願いします。』

 

 劉課長が会議を締めると、安田常務が「内容もスピード感も優秀です。私からも、今後もよろしくお願いします。」と劉課長に握手を求め、彼が応じると他のメンバーとも握手を交わして和やかな雰囲気で会議が終わった。

 常務が会議室を出ていくと、皆がほっとする。

 

「緊張の3日間だったね、夜もあるけど。二次会とかあるのかな。」

 

 木村くんが庄司くんと木下くんに話しかけている。

 

「安田常務はカラオケ好きだよ。昔、連れて行かれたことあるなぁ。」

 

 宮本代理は社歴が長いからよく知ってる。私も噂には聞いたことあるけど。

 

『ニジカイ?』

 

 二次会について説明すると、マレーシアやイギリスにも似たようなのはあるらしい。カラオケも体験したことはあるらしく、嫌いじゃないみたい。

 二次会があるとしたら、彼の歌声は初めて聴くし、どんな曲を選曲するのかも楽しみだな。私は歌いたくないけど。

 

 

 定時になり、安田常務が指定したレストランまで移動する。劉課長と私と木下くんでタクシーに乗った。

 

「接待飲食なんて初めてです。」

 

 緊張を解したいのか、木下くんが助手席から話してくる。

 

「無理に場を盛り上げようとしなくても大丈夫。ホテルのレストランらしいから、お酌とかもいらないはずだし、リラックスして臨めばいいよ!」

 

 私の言葉にほっとしている。私も若いときは、高級レストランの料理なのに緊張で喉を通らないって感じだったけど。

 

『レストランの料理が楽しみなんでしょ?』

 

『ちょっとだよ。ほんのちょっと!』

 

 リーリは完全に私のことを食いしん坊キャラだと認識している。『ちょっとね。』と笑っていた。

 

 

 会場は想定通り、ホテルの上の方の階にある高級レストランで、夜景をバックに円卓を囲んだ。

 私は通訳として安田常務と劉課長に挟まれる形になり、ゆっくり食べれなさそう。

 

「それでは、皆の頑張りを労い、わが社のセキュリティ向上を祈願し、乾杯!」

 

 若手の木下くんや庄司くんはノンアルなのかと思ったら、しっかりビールを飲んでいて、なんだか心配なような頼もしいような、親目線になってしまった。

 お料理はとても美味しかったけど、やはり通訳が忙しくて、あまり堪能出来なかった。安田常務は劉課長だけでなく、宮本代理や他のメンバーにもわが社のセキュリティをどうしていきたいか、どうしていくべきかの意見を聞いていて、皆がはっきりと自分の意見を答えていたので嬉しそうだ。

 

「いろんな意見が出るとそれが淘汰されてより良いものが出来上がってくると思います。自分の意見を恐れずに胸を張って発していってくださいね。」

 

 いい雰囲気で食事会が終わった。

 常務から二次会に誘われることはなく、ロビーでお礼を言ってお見送りし、宮本代理が残ったメンバーに「二次会は無しで良いよね。」と声をかけてくれて、皆で「はい!ありがとうございました。お疲れさまでした。」と挨拶をして解散となった。

 まだ交通機関が動いている時間で、それぞれの帰路につく。私の家にはバスが早そう。その事をリーリに伝えてバス停に向かう。

 

『交通はマレーシアの方が発達してる気がする。』

 

『そうかも。住みやすい場所だよね。』

 

 じっと見つめられ、彼は目を反らすと『早く来て欲しいな。』と呟いた。

 早く行きたい気持ちはあるんだけどなぁ。行動力とか判断力が弱いかも。

 

『ごめんなさい。』

 

 彼は首を振って、『今夜はたくさん話をしたい。』と、目を見つめて言った。

 

 

 部屋に着くと夜の22時で、お風呂にお湯を張る準備をすると、先にソファに座っていた彼の隣に座ってひと息つく。

 

『いいかな。話したいことがたくさんある。』

 

 うん、と頷くと、彼はお酒ではなく紅茶を持ってきてひと口飲んだ。

 

『まずは、僕の方の実家の話をしてもいいかな。』

 

『もちろん。何かあったの?』

 

 彼はモバイルPCでWebサイトを見せてきた。

 

『この前、うちの工場に出入りしている運送屋さんが僕の父の友人で、コンタクトを取ってきた。イギリスでの件は、両親には本当に申し訳ない気持ちだし、出来れば親子の関係を修復したい気持ちがあって、その人に連絡を取ってみようと思ってる。実は、僕の実家は事業をやっていて、事業内容はこんな感じなんだけど。万が一、両親が僕の話を聞いてくれて、関係の修復に前向きになってくれたら、家業を継ぐように言われる可能性もあるから、ユーユには知っておいて欲しくて。当初はイギリスでの留学が終わったら、マレーシアに戻って家業を継ぐ予定だったから・・・。』

 

 表示されているWebサイトを見てみると、なかなかの事業規模に見受けられる。家業を継いだら、どうなっちゃうのかな・・・。

 

『僕は今の会社のことが好きだし、辞めたくない。父の友人と名乗る人は片桐工場長経由でコンタクトを取ってきたから、片桐工場長には事情を話して僕の気持ちも伝えた。そしたら、働き方はたくさんあるんだから、親子の関係を修復したい気持ちを両親に伝えることを優先して、その後に家業を継ぐことになったら働き方を考えていけばいいんじゃないか、って言って貰えて。ユーユとの結婚を反対される可能性もあるにはあるけど、それはそうなったときに考えればいいかなって思ってる。もしそうなったときでも、僕はユーユと結婚する。』

 

 早く話したかったみたい。昨日の夜でも時間を作れば話を聞く時間くらいあったのに。気を遣わせてしまったかな。

 

『分かった。話してくれてありがとう。ご両親との関係修復は、私も願ってるから。応援してる。』

 

 彼は私の肩を引き寄せて、『ありがとう。なんか、パワーが湧いてきた。』と嬉しそうに笑った。

 リーリの実家の事業のWebサイトを見ていると、ご両親のものと思われる画像が出てきた。爽やかな笑顔で、よく似ている。

 

『きっと大丈夫だよ。リーリのご両親なんだし、こんなに素敵な人を生んで育てた方たちなんだから、理解して許してくれるんじゃないかな。』

 

 思ったことを言ったら、ぎゅうっと抱き締められた。

 

『ユーユのそういう考え方には救われるし励まされる。』

 

 今まで一人で頑張ってきたんだろうな。私も力になりたい。ぎゅうっと抱き締め返すと、キスが降ってきた。

 

『あと・・・』

 

 言葉を待っていると、彼は体を離して紅茶を飲んだ。

 

『あと・・・、ユーユのご両親と話したときの内容で、確認しておきたいことがあるんだけど。』

 

 なんだろう。元夫との離婚のことかな?

 

『その・・・。子どもも欲しいって言ってたよね?』

 

 そっちかー・・・!一気に顔が熱くなる。あの時は勢いもあったし、さらっと言えたけど。

 

『リーリは子育てしてきてるし、もう子どもは欲しくないかもしれないけど、私には憧れがある。この前、鈴木くんに赤ちゃんが生まれて写真を見せて貰ったんだけど、凄くかわいくて!もう、私には無理なのかなぁって思ってたけど、まだチャンスはあるのかなって思えてきたから、あの時あんな発言を・・・。』

 

 彼はそっと手を握って、しっかりと目を見つめる。

 

『僕も。僕も欲しいよ、2人の子ども。子育ては大変だけど、楽しいことも嬉しいこともたくさんあるし、2人の間に子どもが出来たら、Markにはしてあげられなかったこともたくさんしたい。例えば、家族で遊園地に行ったり、ピクニックしたり。この前、Markが来てくれたときにユーユのことを話したんだ。彼は、僕が新しく家庭を持つことをどう思うのか不安だったけれど、遠慮せずに幸せを掴まないとダメだって励まされてしまったよ。なんか、大人になったなぁって感慨深かった。』

 

 優しく笑う彼を見つめる。同じ方向を向いていたし、彼となら子育ても楽しく出来そう。良かった、嬉しい!

 家族計画が具体的になってくると、楽しみがいっぱいだな。

 

『それで、そのためには。その・・・、子どもは欲しいと思ってるだけじゃ生まれてこないから・・・。年齢のことも考えると早めに・・・。』

 

 いつもははっきりと自分の考えを伝えてくるのに、凄く照れていて歯切れが悪い。伝えたいことはよく分かるけれど・・・。

 

『・・・うん。それも分かってはいるんだけど、自信がなくて。ちゃんと出来なかったら、リーリも私に興味が無くなってしまうんじゃないかって・・・。』

 

 私の言葉に少し苛立った雰囲気が伝わってくる。20代の頃は、もっと自分に自信をもっていたのに、どうしてこうなっちゃったんだろう。

 

『ちゃんとって、何が出来ないの?僕って、誰と同じなの?前の夫だとしたら、一緒にして欲しくない。辛いことを思い出させてしまうかもしれないけど、離婚のことを教えてくれないかな。ユーユはよく謝ってくれるけど、謝りすぎなんじゃないかって気になることもあるし、ご両親の話からも、この前呟いていた「自尊心」が前の夫に傷つけられたんじゃないかって、気になってる。』

 

 一緒にしているつもりはなかったけど、失礼な言い方だったな。自尊心、調べてくれたんだ・・・。

 リーリが自分のことを教えてくれたように、私も話そう。

 

『夫とは24歳の時に、友人の紹介で知り合ったの。彼は飛行機のエンジニアで、忙しそうにしてた。でも、お互いに仕事が好きだったから意気投合して付き合い始めて。休日も体を休める方を優先してしまって、デートもそんなにしなかったな。私の家に来て寛ぐ彼に、居心地が良いのは私のことを好きだからなんだって思っていたんだけど、違ったみたい。結婚も、通うのが大変だから一緒に住むためにしたような感じで、結婚式も挙げなかった。お互いに仕事で忙しいから浮気をする暇なんて無いって思っていたし、家事は私が全てやっていたから、それで彼への愛情は伝わっているって、思い違いをしていたみたいで・・・。』

 

 もう、元夫のことが思い出せない。私はそれほど、彼に興味が無かったのかもしれない。

 少し間が空いて、リーリは前に私がしたように、手を握ってくれた。

 

『浮気に気づいたきっかけは、彼がスマホを握りしめて寝てしまっていたときに、偶然見てしまったトークアプリの画面で。私とは交わしたことの無い男女の会話が散りばめられていて、背筋が凍ったのを覚えてる。隠れてそんなことをされて、裏切られた気持ちが凄く大きくて、どうしてそんなことしたのか、出来るのかって問い詰めた。そしたら彼は、私がちゃんとしてくれなかったからだって。恋人とかお嫁さんを、ちゃんとしてくれなかったからだって言ったの。そっか、私はちゃんと出来てなかったんだなって、自信がなくなっんだと思う。ありがとう、話を聞いてくれて。私自身も今話していてやっと、こんな風になってしまった理由が分かった。』


 少し笑うと、リーリはいつかのように、正面から抱き締めてくれた。

 

『さっきは、ごめん。少し強い口調になってしまって。そんな奴の言葉で自信を失くさないで欲しい。だって、そうだろ?彼こそ、ちゃんと恋人や夫を出来ていたのか問いたい。絶対に出来ていないじゃないか。そもそも、恋人や妻は「するもの」ではなく関係を表しているだけで、いろんな形があるものだと思う。彼の言葉は言語エラーを起こしてるね。』

 

 言語エラーか。すとんと府に落ちてくる。リーリは私の肩を掴んで、結婚しようって言ってくれた時のように、しっかりと目を合わせた。

 

『僕はそんな奴とは違う!ユーユとの間にバグが起これば修正するし、文化や言葉の違いだって互換していく。僕を癒して自信をくれたのはユーユなんだ。ユーユにも自信を取り戻して欲しい。僕は絶対に裏切らないから。信じて!』

 

 ぎゅうっと抱きつくと、じんわりと何かが溶けていくような感覚になった。バグとか互換とかは、私に分かりやすいように使ってくれたのかな。ユーモアもあって、力が抜けていく。


 でも、どうしても私から彼に聞いてみたいことがあった。

 

『ひとつだけ、聞いてもいい?』

 

『何?』

 

 彼の隣に座り直す。

 

『前の結婚相手とのこと。リーリが不倫をするなんてイメージが湧かなくて。どうしてそういうことになったの?』

 

 ちょっと罰が悪そう。

 

『彼女はバイト先のカフェの常連客だった。最初は彼女に夫がいることも、年齢が10歳以上も離れていることも知らなくて、パブに誘われたから飲みに行った。そしたら、ベッドにも誘われて・・・。彼女は軽い気持ちの遊びだったみたいだけど、若くて経験も乏しい僕は、すっかり抜け出せなくなり、若気の至りです・・・。』


『もぉ、なんでそんな誘いにホイホイついてくの?』

 

 なんだかモヤモヤする。嫉妬もあるかも。

 

『だって、若かったし、誘われちゃったし。それで20代は異国で子育てすることになったから、ある意味運命だったのかな。今は絶対についていかないよ?ユーユ以外の女性には興味ない。』

 

 そんな言葉に簡単に機嫌が直ってしまう私は単純だな。

 

『ユーユは?僕以外の男に興味ある?』

 

『うーん。私、異性に対して興味が無かったのかもしれない。でも、リーリには興味ある。』

 

 リーリは嬉しそうに、私の腰を引き寄せる。何か言おうとした時に、お風呂の湯張り完了のメロディが鳴った。なんだかむず痒い空気になって、私がお風呂の準備をしようとソファから立ち上がろうとすると、後ろから抱き付いてきて、彼の膝の上に座る状態になった。

 

「ねえ。一緒に入ろ?」


 耳元で囁かれ、心臓がバクバクと大きく跳ねる。

 

「え、お風呂に?一緒に??」

 

 振り向いて彼の表情を見ると、照れてるけど、凄く期待の眼差しで見つめられている。

 いやいやいやいや、やっぱり恥ずかしい!

 やんわり断ろうとすると、先を読んだのか、更に抱き締める力が強くなった。

 

『今夜は、恥ずかしいくらいじゃ引き下がらない。酒に酔ってもいないし、これが僕の本当の気持ちだから。ユーユの素肌を見たいし、触りたいし、繋がりたい。』

 

 真剣で熱い眼差しに呼吸を忘れる。

 どうしよう・・・。これは、私も覚悟を決めるときなのかな。

 

『・・・じゃあ、ひとまずお風呂は別々に入らせて欲しい。心の準備を、させて下さい・・・。』

 

「分かった。」

 

 ほっとしたように日本語で答える彼は、凄く嬉しそうに照れている。私も凄く照れてしまって、お風呂に逃げ込んだ。

 

 湯船に浸かって深呼吸をする。さっきまでは不安が先に立ってたけど、リーリと話したお陰で憑き物がとれたようにリラックスした気持ちになってきた。

 そして、自分の本当の気持ちにも気付く。彼から体も求められていることが嬉しい。それに私も、彼の素肌を見たいし、触りたいし、繋がりたい。


 バスルームを交代する時は、お互いに目を合わせられなかった。

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