第26話#1
安田常務の食事会が終わり、二次会も流れた。あからさまにほっとしている様子が伝わってしまったのか、庄司さんに「この後何か用事があったの?」と突っ込まれる。
いや、大した用事は無いけど。どう返事をしようか迷っていると、スマホが震えて画面を確認する。
「"お疲れ様です。会食は終わりましたか?英会話教室の件で少し話をしたいので、お時間があるときに連絡ください。"」
柴田さんからだった。今日、仕事終わりに英会話教室を下見に行ってくれることになっていた。
「なになに?彼女??ごめん、合コンとか誘わない方がよかったかな・・・。」
「この前の合コンは勉強になったので大丈夫です!ちょっと連絡入れたいのでこれで失礼します。お疲れさまでした。」
とりあえず、彼女がいるのかどうかは明言せずに庄司さんから離れて静かな場所に移動し、会食が終わったことと、電話をかけて良いかを柴田さんにメッセージで送った。すぐに既読になり着信したので応答する。
「お疲れ様です。思ったより早く終わったんですね。」
「はい。誰も二次会に行こうとは言い出しませんでした。英会話教室、どうでした?もう家ですか?」
まだ外にいるらしい。第一候補の英会話教室は2人で受講するには平日の枠がいっぱいなんだそうだ。
柴田さんが説明したいことと俺が質問したいことが多くて、だんだん電話でやり取りするのが面倒になってくる。
「今どこにいます?直接会って話した方が早そう。」
居場所を聞くとここから地下鉄で2駅のところにいるらしく、合流することにした。
すぐに地下鉄で移動し、柴田さんがいる駅の階段を上りきると、彼女はちょこちょこっと駆け寄ってきた。
今日は英会話塾に行く予定があったからか、ブラウスにタイトスカートを合わせていて、いつもよりメリハリボディが際立っている。こんなシチュエーションにはなかなか遭遇しないから、仕事帰りのデートみたいな気分になっちゃうな。
カフェに入り、俺も柴田さんもブラックのホットコーヒーをオーダーした。俺はさっきビール飲んじゃったから落ち着きたい。
「結局、木下さんとここが良いって決めてた教室は、平日の枠が火曜日に1人、木曜日に1人空いているだけで、土日なら2人一緒に受講出来る枠が空いています。他の教室なら平日でも枠が空いているところがあるらしくて、これが他の教室の一覧なんだけど・・・」
目を付けていた教室は会社から近く、柴田さんと俺の通勤ルートの間にある。土日に2人で受講するのであれば会社から近い必要はなく、俺と柴田さんが移動しやすいところにある方が良いかな。
「どうします?1人ずつ受けますか?」
彼女の顔をみると、うるうると不安そうな表情。
「人見知りだから1人で受講するのが怖いので、出来れば一緒に受講しても良いですか?」
そんな風に上目遣いでお願いされたら断れないし、なんかキュンとしてしまった。
「良いですよ。柴田さんの人見知りは最初だけだと思いますけどね。じゃあ、どの教室にしましょうか。曜日と時間帯も決めましょう。平日にします?土日は用事ないですか?土日の方が残業とかの煽りを受けにくそうな気もしますね。」
「こんな風に話せるの、なぜか木下さんだけなんです。島田さんにも鈴木さんにもまだ少し緊張してしまうほどで・・・。私は平日の夜でも土日でも、用事はないのでいつでも大丈夫です。土日の方が気持ち穏やかに通えそうですよね。」
確かに、島田さんや鈴木さんと話すときは完璧に敬語だし、業務外の話をしているところは見たことがない。
「でもこの前、山田とは普通に話していませんでした?」
「木下さんが傍にいたからです。実はこの前、山田さんからお買い物に誘ってもらったので行ってみたんですけど、会話を続けられずに困らせてしまって。ほんとに申し訳なかったです。」
そうだったのか・・・。なんで俺には普通に話せるのかな。波長が合うのか?
「じゃあ、土曜日に、柴田さんの家から一番近い教室にしましょうか。時間は教室に聞いてから決めましょう。早速明日、行ってみませんか?」
柴田さんの家は、俺の家から会社方面ではない路線の電車で5駅離れていた。彼女の最寄駅のすぐ近くに英会話教室があり、調度良い。
彼女は「そんなそんな!木下さんの移動が多くて申し訳ないよ!」と言ってきたけれど、2駅も5駅もそんなに変わらないことと、先輩に移動させる訳にはいかないと冗談交じりに力説したら、笑いながら「ありがとうございます。」と言ってくれた。
そして明日は午後2時に待ち合わせて、英会話教室に行ってみることに決めた。
用件が終わり、時間を確認すると日付が変わりそうだった。まだ終電には余裕がある。
「夜遅いし、送っていきますよ。ついでに待ち合わせ場所も決めましょう。」
1人で帰れるって言いそうなので、待ち合わせ場所を決めるタスクを追加したら、恐縮しながらもお礼の言葉が帰ってきた。
電車は少し混んでいて、なんとなく彼女をドア側に追いやって俺が壁のように立つと、ほっとしたような表情だった。
「英語が出来るようになったら、例の動画も海外進出ですか?」
「そっか、それも良いですね。たまに外国の名前の方からも高評価を貰ってます。」
リカ活の話をする時の柴田さんはほんとに楽しそう。良いなぁ。俺にも打ち込める趣味みたいなものが見つかると良いな。英語はその扉を開く鍵になるといいな。
柴田さんの最寄駅に到着し、改札を抜けて駅のランドマーク的なモニュメントがある場所まで移動すると、待ち合わせ場所をここでと決めた。
「送ってくれてありがとうございました。ここで大丈夫なので。」
「いえ。出来るだけ明るい道を通って帰ってくださいね。お疲れさまでした!」
お互いに会釈をして別れ、俺は帰りのホームへと移動する。柴田さんはいつもこの駅から出社してるのか。朝も早くから会社にいるし、しっかりしてるイメージ。なんであんなに人見知りなんだろう。
終電の1本前の電車で家に帰宅すると、家族は誰も起きていなくて、真っ暗だった。
あまり音を立てないように部屋に入ってジャケットを脱ぐ。俺もそろそろ、一人暮らししようかな・・・。って、そんなに貯蓄がある訳じゃないし、もう少し節約しておくか。
スマホが震えて画面を確認すると、柴田さんからだった。
「"無事に家に着きましたか?明日から楽しみです!よろしくお願いします。"」
律儀だなぁ。無事に着いたことと、こちらこその内容を返信し、お風呂に入る。
明日も柴田さんと会うのか。なんか変な感じ。
はっ!そういえば何着ていけば良いんだろう。カジュアルで良いんだよな?柴田さん、どんな服着てくるんだろう。リカ活してるくらいだから、ファッションとかは拘ってるのかな。
翌日。家で昼ご飯を適当に食べ、久しぶりに、カジュアルな服装で家を出ようとしたら、離れて住んでいる兄貴が帰ってきた。
「よぉ。また遊びに出掛けるのか?」
兄貴とは仲が悪くもないけど良くもない。兄貴はとにかく俺に厳しく、上から目線で話してくるから、俺からは距離をとるようになってしまった。兄貴的には、両親が俺には甘すぎるんだそうだ。
「再就職してからは遊びに出掛けてないから久しぶりだし、これから行くところはスクールだから遊びだけじゃないよ。今日は泊まるの?」
「ふーん、少しは大人になったんだな。実家なんだから泊まるよ。お前は?夜は帰ってくるの?」
普通に帰ってくるつもりだったけど、「分からない。じゃ、行ってきます。」と言って兄貴に背を向けた。小学生くらいまでは普通に遊んでたんだけどなぁ。何かきっかけがないと、心の距離は今のままかな。
時間の10分前に待ち合わせ場所に到着した。柴田さんはまだ来てないみたいだな。
待ち時間にこれから行く英会話教室のサイトを見ていると、隣に気配を感じた。
「あ、あの・・・、木下さん、ですか?」
顔を上げると、ジーパンにざっくりとしたニット姿の柴田さんだった。服装は思ったよりカジュアルで、あまり体型を拾っていない。
笑顔を向けるとほっとした顔で、「よかった!お待たせです!」と挨拶してくれた。
「全然待ってないです。柴田さん、いつもと雰囲気違って新鮮ですね。そのニットのくすんだアイボリーの色味とか、インディゴのジーパンの形もけっこう好きです。長めにひいてるアイラインとか、チークの入れ方も可愛い!あれ?メガネは?」
素直な感想を伝えたら、彼女は顔を真っ赤にして「そんな!恥ずかしいっ。褒めてもらえるのは嬉しいけど、たくさん見ないでください。私、視力は悪くないんです。いつもはPC作業用にブルーレイカットの度無しメガネをかけてます・・・。」とうつむいてしまった。
「そんなに恥ずかしがらずに胸張っていきましょうよ。せっかく可愛いのに、勿体ない。さぁ、英会話教室に向かいましょうか。」
メガネは度無しだったのか。いつもかけているメガネはフレームがしっかりあるタイプで、柴田さんの小さな顔のかなりの面積を隠していたことに気付く。こんなに美人だったとは・・・。
会社の姿に比べると、今の柴田さんはかなりの戦闘力で、気合い入れてないとふらふらっと堕ちそう。
歩き出そうとすると、服の裾を引っ張られた。
「木下さん、そっちじゃないです。」
おっと、はずい・・・。
笑って「土地勘無いんでついていきます。」と言ったら、彼女は笑って「はいっ!案内しますね。」と少し前を歩き始める。
なんとなく、会話をしたくなって隣に並ぶと目が合い、ニコッとしてくれた。だから、もぉ。ヤバイな、可愛い。
「声かけるの、躊躇っちゃいました。」
ん???誰に?
「今日の木下さん、髪の毛もお洒落な感じにセットしてるし、スーツや作業着の時とはイメージが違って・・・。」
俺にか。今日は久しぶりに前髪を下ろしたスタイリングにしたからかな。
「どうですか?柴田さん的にはアリですか?一緒に英会話通うんだし、ナシなら直すんで・・・。」
「全然!直すところない。かっこいいですよ!」
かっこいいですよ!だって。素直に嬉しいし、ちょっと照れる。
英会話教室には待ち合わせ場所から徒歩5分ほどで到着した。近くて良いな。
受付で教室の説明を受けたいと伝えると、小さな教室に案内されて待たされた。
「設備は清潔そうだしちゃんと管理されてますね。」
柴田さんはそういうところを見るんだな。俺は掲示物にばかり目をとられていたな。
扉が開いて「Hi!」とにこやかなお兄さんが入ってきた。
「本日はお越しいただきありがとうございます。私はこの教室で講師をしているアレックス・シンプソンです。アメリカ出身です。よろしくお願いします。」
話を聞くと、この時間帯に俺と柴田さんだけの少人数クラスで、アレックス先生にレッスンを担当してもえるらしい。料金も思ったよりかからないみたいでよかった。最終目標はビジネスシーンで通用すると言われているTOEIC800点にした。600点、700点と段階を踏んで会話も上達させていきたい。
「失礼ですが、お二人のご関係は?カップルですか?」
どっちが答えるのかの空気を読むため、柴田さんを見る。もちろん柴田さんは口を開かなさそう。
ちゃんと会社の先輩と後輩って言おうと思ったけど、ちょっと悪ノリしちゃおうかな。
「はい。付き合い始めたばかりです。」
予想通り、柴田さんは「えっ!?」という表情だ。先生も空気を読み取ったらしい。
「そうですか。英語でさらに仲が深まると嬉しいです。来週から、よろしくお願いします。」
先生と握手を交わして教室を出ると、早速柴田さんが「なんであんなこと言うんですか?」と頬を膨らませた。
「その方が面白いかなと思って。ボケたつもりだったのに柴田さんがつっこんでこないから、カップルになっちゃったじゃないですか。」
彼女を責めるような言い回しにしたら、悲しそう。申し訳なくなり、「ごめんなさい・・・。来週訂正します。」と言ったら、「今さら良いよ。そのままで。」と不貞腐れている。
意外と早く終わっちゃったなぁ。帰りたくないなぁ。兄貴がいるから居心地悪い。
無意識にため息をついていたらしく、「私の方こそ、ごめんなさい・・・。」と小さな声が聞こえてきた。
「あ、違います!柴田さんにため息ついていた訳じゃなくて。今、家に兄貴がいるので、なんか、家に帰るのが気が重くて・・・。まんが喫茶にでも行こうかな。」
「そうなんですか?じゃあ、木下さんも少し遊びに来ます?」
どこに?どっかに遊びに行く予定だったのかな?
「何して遊ぶんですか?」
「来たら分かりますよ。すぐ近くなので。」
この辺りのカフェなどのお店情報を聞きつつ柴田さんの歩幅に合わせてついていくと、7分くらいで目的地に到着した。柴田さんはマンションのエントランスに入っていく。
「え?もしかして、柴田さんの家に行くんですか?」
「はい。せっかくなのでリカたちをお見せしようかと。ダメでした?コーヒーくらいは出せますよ。」
いやいやいやいや、ダメじゃないけど。いいんですか?の世界だって。
「一応俺、男ですけど。警戒しないんですか?」
「木下さんのことは信頼してますから。初めてです。家族以外の男性を部屋にいれるの。」
マジか・・・。
信頼してますから、っていう言葉って、呪文のようだな。言われてしまうと簡単には手を出せない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます