第26話#2

 ここまで来てしまったし、今さら引き返すのも気まずくなりそうなので、お邪魔することにした。

 エントランスに入ると、見た目は普通のマンションなのに、セキュリティの高さに驚く。防犯カメラもたくさんついているし、内扉を通過するときもロックを解除しないといけないみたいだ。

 キョロキョロしていると、「何か珍しかった?」と不思議そうだった。

 

「セキュリティが凄いなって思って。あの防犯カメラ、最新型ですよ。」

 

「凄い、最新かどうかまで分かるんだね!」

 

 セキュリティのシステムを勉強したときに、おまけで入ってきた知識だ。

 

「柴田さんがこういう安全なところに住んでいて、安心しました。俺以外は部屋に入れちゃダメですよ?」

 

 我ながら、今のは彼氏みたいな発言だったな。

 

「もちろん!じゃあ、たまには遊びに来てくださいね。私の友達、忙しくて構ってくれなくて。」

 

 なにそれっ!調子狂うって・・・。

 エレベーターでいつもより距離が近いのも、ニットに隠しきれていない大きな胸も、マジで調子狂う!

 

 エレベーターに乗ると彼女は7階を選択した。なかなか高い階に住んでるんだな。見張らし良さそう。

 エレベーターから降りて一度深呼吸をする。彼女の信頼を崩すわけにはいかない。調子狂ってても、気持ちを強く持て、俺!

 

 

 柴田さんは奥からひとつ手前のドアを開けて、「どうぞ。ちゃんと掃除してないし、スリッパもないけど。」と言って招き入れてくれた。

 部屋のドアは二重ロック。スマートロックを後付けしているようだ。

 

「お邪魔します・・・。」

 

 女の子の部屋に入るなんて、大学生の時にちょっとだけ付き合った彼女の部屋に入った時ぶりだな。

 なんか、いい匂いがする。

 ちゃんと掃除してないといってもきちんと片付けられていて、清潔感がある。それに、

 

「ラブリーな部屋ですね。」

 

 基本的には白色のインテリアで、クッションとかカーテンとかがパステル系の色味の花柄だ。

 ルームフレグランスが棚の上に置いてあったのでクンクンと嗅いでしまった。

 

「香り、気になりますか?フローラルと合わせてある白檀の香りです。嫌いな香りですか?」

 

「良い匂いだなぁって。なんだか落ち着く。」

 

 指示があり、ふわふわのラグが敷いてあるエリアに適当に座っていると、可愛らしいマグカップでホットコーヒーを出してくれた。

 

「ありがとうございます。なんか、全てのものがいちいちラブリーですね。ドールハウスみたい。」

 

「自分の世界くらい、好きなものを揃えて、好きなものに囲まれて過ごしたいし。」

 

 彼女は対面ではなく斜め横に座った。

 

「あの、気になったんですけど。部屋の扉には後付けのスマートロックもついてましたね。このマンションはセキュリティを重視して選んだんですか?」

 

「はい。ここまでやらないと不安で夜寝れなくて。実は私、ストーカー被害に遭ったことがあって・・・。」

 

 ストーカー!?こんなに大人しいのに?

 今はもう大丈夫らしいけど、当時は本当に怖い思いをしたらしい。「きっかけは?」と聞くと、棚からアルバムを出して持ってきた。

 

「恥ずかしいんだけど。これでストーカーに遭ったきっかけが分かります。」

 

 アルバムを開くと、お友だちと思われる女の子とのツーショットで始まった。今よりちょっとあどけない感じがする。


「大学生の頃です。彼女、私の親友の「ハナ」っていうんだけど、マンガとかアニメが大好きで、創作活動も当時から意欲的に行ってて。今はアニメーターをしていて、忙しくて構ってくれない。次のページのこれ、私です。一度で良いからこれを着てイベントに出て欲しいって押しきられちゃって。」

 

 ・・・・・えっ?これ?プロの人じゃないの?

 

 そこには戦闘系のアニメに出てくるヒロインに扮した柴田さんが写っていた。露出が高いコスプレで、彼女がいつも隠しているメリハリボディが、惜しみ無く披露されている。

 写真と目の前の柴田さんを見比べると、まぁ、言われてみると同一人物かなぁ。とにかく胸元が凄い。こんなにグラマーなんだ・・・。週刊誌の表紙を飾っているグラビアアイドルたちの俺の脳内イメージデータと比較すると、たぶんEよりは大きい。F、いや、Gカップくらいか?

 

「これは、かなり冒険しましたね。ちゃんとアニメの世界観を表現できてるし、プロかと思いました。撮影場所はコミックマーケットですよね?俺、参加したことないからよく分からないですけど、コスプレカメラマンってコアな人が多そう。」

 

「そうなんですよ。こっちに目線くださいとか、ポーズをとって下さいとか指示も凄いし、私が初心者なのをいいことに付きまとわれちゃって。その時はハナと仲間の人たちがガードしてくれてたんだけど、写真がネットに出回ると少しバズってしまって、身バレしてストーカー被害に遭いました。ハナはとても責任を感じて、大学時代は一緒に暮らしてくれた。でも、大学を卒業して、ハナは仙台に拠点を移すことになって、私は今の会社に就職が決まったから、ハナも一緒にセキュリティが高い賃貸物件を探してくれて、ここを見つけて引っ越してきたんです。」

 

 ネットに出回ったってことは、柴田さんのコスプレ写真は今もどこかに落ちてるのかな。一度怖い思いをしていると、ちょっとしたことでも不安だろう。

 

「もし、不安なことがあったら声かけてね。ちゃんと寝れてます?」

 

「ありがとう。怖い思いをしないように、防衛はしてます。痴漢に遭いにくいように、空いている少し早い時間帯の電車に乗って通勤したり、服装は地味に、シンプルに、オーバーサイズを心掛けたり。でも、思い出してしまうときはあって。そんな時は、声かけていい?」

 

 彼女の出社時間が早い理由や、体型を拾わない服装を選んでいる理由が怖い思いをしないようにだったことを知って、なんだか切ない。

 

「もちろん。いつでも、相手になるよ。逆に寝かせてあげれないかも。柴田さんは物知りだから、気になったことを聞くとちゃんと答えが返ってくるし、深堀りしちゃう。いつもすみません。」

 

「そんな!私の方こそ、話が楽しくて長話になってしまって、すみません。・・・たぶん、こういうところなんだろうな。木下さんには緊張せずに話せるの。最初はドライな感じの人なのかなっていう印象だったけど、中身は本当に優しくて、物腰も柔らかいし、謙虚だし、堂々としているのも尊敬してます。」

 

 そんな風に思ってくれていたなんて、照れる!

 

「ダメですよ、尊敬なんてしたら。こんなんだから・・・。こんなんだから、不倫に沼って貢いで、仕事も盗られて、心も病んで、自暴自棄になってしまったんですから・・・。」

 

 俺は優しくない。ただ、流されやすくて優柔不断なだけ。

 

「えっ!?貢いだの?いくらくらい?仕事も盗られてってどういうこと?聞いてもいいですか?」

 

 いつも秘密にしていたことだけど、なんだか柴田さんには知って欲しくなった。

 

「総額で150万くらいかな・・・。」

 

「っえ!選べば新車を買えるくらいの大金!どうして渡したの?」

 

 自分でも、あの時の俺は沼ってたと思う。

 

「出会ったときは結婚してるなんて知らなくて。大学のインターンでお世話になった会社の営業の方だったんだけど、同行させて貰ったときに仲良くなって、連絡を取りあうようになり、インターンが終わってからもご飯に行く仲になった。そのうち男女の関係に発展し、就職してからも関係が続いてたんだけど、ある時、彼女の身体に痣がたくさんあるのに気付いて、理由を聞いたらDVを受けたって告白されて。まず、結婚していたことに驚いて、別れを切り出した。でも、このまま私を捨てないで欲しいって縋ってきて、夫と分かれるから待ってて欲しいって。待ってたんだけど、3ヶ月経っても状況は変わらず、お金を渡さないと別れられないから貸して欲しいって言われて、彼女を暴力から遠ざけたい気持ちも後押しして100万円渡しちゃった。その1ヶ月後に、お金が足りなくて別れられていないって言われて追加で50万円渡して、その1ヶ月後にまだ別れられていないって言われて、やっと目が覚めていった気がする。」

 

「・・・やっぱり、大好きだったんだね。」

 

 前に不倫してたことを言ったことがあったっけ。柴田さんは不倫に対してはそんなに否定的じゃなく、意外に思った。

 

「正直に話すと、好きだったかどうかはもう、思い出せない。最後の方はただの同情で、恋愛感情ではないから。DV夫と別れて俺と一緒になって欲しいとか、そんな感情は1ミリも無かったし。大金を渡してしまったから、家に入れていた生活費を滞納しちゃって、親に勘づかれて。そんな矢先、会社で毎年行われている改善提案新人賞のためにコツコツ作っていたアプリデータを同期に盗られたんだ。盗ったことを会社に訴えると言ったら、不倫していたことを言いふらすって強迫されて。身動きが取れなくなり、会社を休んで部屋に引きこもりです。」

 

「その同僚、酷い!でも、そのアプリって、開発していない人が開発者のフリをしたら、ボロが出るんじゃない?」

 

 同じ職種の人なら誰でも分かると思う。他人が作ったアプリはアプリの設計書があっても、読み解くのに時間がかかる。

 

「その同僚が開発したアプリではないってことは、俺が退職した後に会社にばれたらしい。そんなことより、その同期のことを信頼していたので、裏切られたことにすっかり落胆して人間不信になっちゃって。鬱病って、普段なら耐えられることも二つ三つと重なると耐えきれなくなって発症するらしいんだよね。俺も、人が変わったように言葉がなくなったらしく、両親がものすごく心配して毎日話しかけてきてくれたから、正直に全てを話した。叱られると思ってたんだけど。・・・そうか、辛かったなって言ってくれて。不倫したことも、お金を渡したことも、会社を辞めたいと言ったことも否定せず、もう終わったことは忘れて、明日のことを考えていこうって励ましてくれたんだ。ほんとに救われた。心療内科にも通って、少しずつ回復して、とりあえずフリーターとして働き始めて。でも、特に寝る前に、今まで順調に歩んでいた道を踏み外してしまったことに対する劣等感や敗北感の渦がぐるぐるして、自暴自棄になり、出会い系アプリに登録して、手当たり次第に歳上の女性に話しかけるようになった。寂しさを持て余している女性達は言葉巧みに誘うと遊んでくれて、甘やかしてくれた。そんな俺のこと、尊敬なんて出来ないでしょ?」

 

 柴田さんは真剣に、辛そうな表情で俺の話を聞いてくれた。話してみるとけっこうスッキリする。

 

「女の子と遊んで気は紛れた?何人くらいの方と・・・。」

 

「気が紛れるというより、あの時はただ、誰かに慰めて欲しかったんだ。人数は、5人だったかな・・・。俺に魅力がなかったからだけど、全員ワンナイトで、会った次の日からは連絡が途絶えちゃった。」

 

 体の関係を持ったのに、もう、顔も思い出せない。

 

「それで、気持ちは落ち着いたの?慰めて貰って。」

 

「全然。まぁ、最中だけは良かったかな・・・。劣等感と敗北感の渦から抜け出したきっかけは、斎藤工場長の言葉なんだ。ネトゲで知り合った篠田課長に誘われて工場でアルバイトしてたとき、斎藤工場長から「君ならきっと大丈夫だよ。」って声をかけてもらって、少しずつ自信を取り戻した。劣等感も敗北感も、今は認めることが出来て、気持ちが強くなったと思う。あの時は飯田部長にもお世話になったから、鈴木先輩へのパワハラは複雑な気持ちだったな。」

 

 柴田さんも飯田部長には励まして貰ったことがあるらしく、同じように複雑な気持ちだったらしい。

 

「過去の、私の知らない木下さんのことは聞いてる限り最低だけど。その時の木下さんには直接触れてないし、今の木下さんのことは、変わらずに尊敬してる。コミュ力も高いし、仕事も出来るし。」

 

「なに?そんなに褒めても何も出ないよ?ミスが無い柴田さんに褒められるのは嬉しいけど。仕事は1人でやってる訳じゃないから、俺のスキルというより回りに助けられてるだけだし。仕事が出来るっていうのは、島田課長とか劉課長みたいな人だよ。」

 

 柴田さんの目を見ると、うっとりしたように微笑んだ。

 

「劉課長かぁ。島田さんとお似合いだよね。付き合ってないのかなぁ。」

 

 付き合ってるよ。結婚するらしいよ、って言いたい・・・。

 

「ね。英語が出来るようになったら、劉課長にも教えて欲しいことがたくさんあるし、頑張らないと。」

 

 微笑みながら見つめ合う。

 ・・・なんか、空気が甘くないか!?

 それに、心臓がムズムズするような懐かしい感じ。これは、堕ちてしまったのかもしれない。

 

 

 マグカップのコーヒーが無くなり、リカ活を見せて貰えることになった。

 部屋の角で撮影を行っているらしく、人形も、ミニチュアの家具も綺麗に収納されて大事にされている。

 

「次は、冬の装いで撮影しようと思ってるんだぁ。クリスマスに、彼と一緒にイルミネーションの街を歩くの。どんな服にしようかな。何が流行っているのかも情報を集めなくちゃ!」

 

 自分は怖い思いをしないようにお洒落を制限しているから、人形で発散してるのかな。ワクワクした表情で微笑みかけてくる。

 

「可愛い・・・。」

 

 無意識に心の声が漏れていた。

 

「このリカのこと?秋の装いね。プリーツスカートでレトロに仕上げたの。この可愛いさ、分かってくれた?」

 

「うん・・・。撮影の手が足りなかったら手伝うよ。」

 

 「可愛い」の矛先が柴田さんに向けられていることには気付かれていないらしい。とびきりの笑顔で「やったぁ!本当に呼んじゃうよ?」と人形を片付けている彼女はマジで可愛いし、キラキラして見える。

 

 やっぱり、これはたぶん、リライトされちゃったな。忘れたかった昔の恋心はゴミ箱にも残ってない。

 

「良いよ?泊まり込みでも対応できます。でも、俺だけにしてね、部屋に入れるの。」

 

「まず、木下さんしか無理。へへ、嬉しい!」

 

 ダメだ、キュンが・・・。でも、部屋に入るときにかけられた呪いで、俺は手を出せない。

 気付かれないように深呼吸をして、状況を整理する。俺はたぶん、柴田さんに恋心を抱いてしまった。じゃあ、柴田さんは?やたら俺に懐いてるし、もしかして俺のこと好き?

 いやいや、脈はありそうだけど、違ったら気まずい。

 会社では毎日顔を会わせて話をするし、土曜日は一緒に英会話に行く。今日はけっこう仲が深まってタメ語にもなったし、何気なくチャットを送っても不思議じゃない。

 気長に行こう。彼女の気持ちに確信が持てたら、告白しよう。

 

 時計を見たら、もう午後の5時だった。兄貴が帰ってきてるし、両親は夜ごはんを家族揃って食べたいだろうな。

 

「長居しちゃってごめん。そろそろ帰るね。」

 

「あれ、もうそんな時間?こちらこそ、引き留めちゃってごめんね。駅まで・・・」

 

「いいよ、心配になるから見送りは玄関までにして。ありがとうございました。気が重くても、まっすぐ家に帰るよ。」

 

 なんか寂しそう。抱き締めたい衝動に駆られるけど、ぐっと掌を握ってやり過ごした。

 

「お兄さんがいるからって言ってたけど。家に帰るのが気が重い理由も、聞いてもいい?チャットでも良いし。」


「聞いてくれる?この後送るね。じゃあ、お邪魔しました。」

 

 扉を閉めると、ふぅーっと息を吐く。

 まさか、こんなことになるとは・・・。

 自覚した恋心はどんどん膨らんでいって胸が苦しい。

 

 家に帰るのが気が重い理由を伝えるチャットは、柴田さんの最寄駅で電車を待つ時間から開始した。

 それから、柴田さんのお姉さんの話に移り、兄弟あるあるとか、世間話に話題が遷移していき、気を遣わない返信スピードで、日曜日にもラリーが続いた。

 ずっと繋がっていたくて、途切れないようにいつもより時間をかけて言葉を選んだ。

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ふられてふって惹きよせられて ぽにこ @poniko

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