第10話
目を覚ますと、泣き腫らした目で見つめるNoraさんが隣にいた。
回りを見渡して状況を整理する。
気付いたら病院のベッドの上だった、っていうやつか。情けない。
まぁ、でも、自分が倒れただけで、停電でも地震でもなく、Noraさんの身に何かあった訳じゃなかったんだな。工場も無事だろうし、ホッとすると体が重たく感じた。
「片桐さん、聞こえますか?」
涙声のNoraさんは、俺が死ぬと思ったのかな。
「ちゃんと聞こえてるよ。迷惑かけてしまったみたいで、ごめんね。」
お医者さんが入ってきて俺の様子を見ると、起き上がれるかと聞かれたので起き上がった。
『脳貧血ってところでしょうね。発熱もあるので、一応解熱剤を出しておきますが、よく休めばすぐに回復するでしょう。今日は点滴が終わったら帰って良いですよ。』
入院にならなくてよかったー!
Noraさんはホッとした様子で、「脅かさないで下さいよ!」と、少し怒ってしまった。
「ごめん、ちょっと無理しすぎちゃったかな。しっかり寝て、挽回しないとね。今何時?Noraさんは、ずっと付いててくれたんですか?」
「今は夜の10時です。私だけじゃなくて、劉さんと真悠子さんも部屋の外にいます。真悠子さんは日本の人と連絡取ってます。」
これは、まずい・・・。
時間外労働はとっくに80時間超えてるし、ヤバイかも。
劉さんと島田さんが部屋の中に入ってきて、元気そうな俺の姿を見ると胸を撫で下ろしていた。
「もぉ、ほんとに冗談ばっかりやめてくださいよ。今回ばかりは焦っちゃいました。田川部長が、落ち着いたら連絡ほしいそうです。」
・・・ですよね。
もうすぐ稼働なのに!仕事はやりきりたい!
大目に見てほしい!
早速電話すると、田川部長はホッとしたようだった。
「片桐くん、気持ちは分かるけど、今までの努力が無駄になるような無理は駄目だぞ。入院とかにならなくてほんとによかった。上への報告は上手いことやっておくから、しっかり寝て、回復してから復帰してください。ご家族にも一報を入れてしまったから、すぐにでも直接連絡を入れて下さいね。来月には私も応援に行くし、島田さんにもフォローを頼んだから、それまでは持ち堪えるようにお願いします。」
丁重にお礼を伝えて電話を切る。
とにかく、何とかなりそうでよかった。
それに、島田さんに頼んだフォローって何かな。
実家に連絡が入ってしまったのは仕方ないけど、連絡入れるのめんどいな。
『片桐さん、僕が徹夜したときはあんなに寝るように促してたのに、自分も寝ないと駄目じゃないですか。僕にも出来ることがあれば言ってくださいね。』
劉さん、マジで優しい。
『機械の動作確認は俺の立ち会い無しで良いから進めてもらえると嬉しいな。エビデンスだけしっかり残して下さい。ほんとにありがとう。』
劉さんとは、島田さんが来るまではマレー語で会話していたけど、英語の方が話しやすくなって最近は英語で会話をするようになった。
それから少し、心の距離も近づいている気がする。
劉さんは「Yes,Sir!」と笑顔で返してくれた。
「私は田川部長から、片桐さんが無理していないか気に掛けてほしいとお願いされました。」
そういうフォローだったのか。
「私はフロアも違うし側にいる時間が少ないので、観察はNoraちゃんにお願いして、田川部長への報告だけ、私が引き受けますね。」
「そこまで良いのに・・・。」
倒れておいて申し訳ないけど、手間掛けさせたくない。
「良いのに、じゃないです!家でも仕事してないか見に行きたいくらいですよ。倒れるとき、私の名前を呼んでいたので、気が気じゃなかったです。」
Noraさんにはほんとに申し訳ないことしたな。いつも心配してくれて、良い子だなぁ。
「ごめんごめん。体に力が入らなくなった時に揺れたような感じがして、Noraさんが俺の名前を呼ぶ声が聞こえたから、地震だったら早く助けに行かなくちゃって気持ちだけ先走ってたんだと思う。自分が倒れてたのかよっ!って、恥ずかしいなぁ。」
自虐話をしたのに、Noraさんはまた泣き出してしまって、島田さんが優しく抱き受けている。
『あなたは、罪な男だ。』
劉さんの意味深な発言に、島田さんも『まったく、その通りです。』と英語で追い討ちを掛ける。
いや、意味がよく分からない。何が罪なの?
忘れかけていた実家への電話を済ませる。
向こうはもう夜中の11時過ぎだ。申し訳ない。
「もしもし?俺、
呼び出し音が鳴るとすぐに母親が出た。俺が喋ると、懐かしいでっかい声がスマホから漏れる。
「心配するに決まっとるやろうもん。海外やけんこげん時にすぐに駆けつけれんし、いつまでも独り身やけん、傍に支えてくれる人がおらんと思うと心配ったい。たまには顔見せに帰ってこんね!」
はいはい、と言って電話を切る。
工場が軌道に乗ったら一回帰るかな。
「ご出身は九州ですか?」
日本人ならすぐ分かる方言からの出身地。
「はい。実家は福岡の久留米なんです。大学から東京にいたので、普段は博多弁は出ないんですけど、実家とか地元の友達と話すと出ちゃいますね。」
Noraさんと劉さんは、日本の方言が物珍しいようで、島田さんに質問していた。
病院の会計を住ませ、皆と一緒にタクシーに乗り込む。
点滴のお陰でだいぶ気分が良い。
まずは俺が住んでいるコンドミニアムへ回ってくれることになった。
みんな、方向は同じようだ。
「おぉー、なかなか良さそうなとこに住んでますね。」
コンドミニアムは日本の高層マンションのような建物で、プールとかジムもついている。しかも高い階の部屋でオーシャンビューだ。
俺が借りている物件は築年数が少し古く、家賃は月6万円くらいでお手頃価格。
島田さんは興味津々という感じなので、『今度、皆で遊びに来てよ。』と誘うと、『稼働の打ち上げやりましょう。』と劉さんが提案してくれた。
皆にお礼を言ってタクシー代を劉さんに渡し、部屋に入ると綺麗に整ったベッドへ横たわる。
今日はハウスキーピングが来てくれる日だったか。
やっぱり、こっちでの暮らしは快適で、日本に帰りたいという気持ちが湧かない。
かといって、さっきの母親の言葉も胸に刺さる。
支えてくれる人はいる。今日だってみんなに支えてもらって、有り難かったな。
でも、こうして1人になってしまうと、家族がほしいな、っていう気持ちも顔を出してくる。
そんなことより、今はとりあえず、しっかり寝よう。
寝巻きに着替えて布団に入ると、すぐに眠りについた。
翌日、まだ微熱があったので、大事を取って仕事を休むことにした。休みたくないけど仕方がない。
まずはNoraさんに電話をかけると、すぐに応答した。
「おはようございます!具合はどうですか?」
「昨日は本当にありがとうございました。お陰で気分は良いんだけど、まだ少し熱があるので今日はお休みします。連絡はいつでもとれるから、何かあったらすぐに連絡してください。」
昨日の大泣きした彼女の顔を思い出すと、なんだか胸が苦しくなる。
「回復していて良かったです!食べるものとかはあるんですか?必要なものがあれば持っていくので、外に出て無理しないでくださいね!」
いつも外食ばかりなので、食べ物らしい食べ物は無い。ここで遠慮してまた悪化したら、また彼女を悲しませてしまうだろう。ここは大人しく、彼女の親切に甘えることにして、仕事が終ったら食べ物を持ってきてもらうことにした。
田川部長にも電話連絡し、劉さんと島田さんにはメッセージアプリで連絡を入れておいた。
寝るのにも飽きてきたけど、寝ないと治らないのでベッドに横になって目を閉じる。
たまには音楽でも聴くか。
日本にいるときはずっと聴いていたバンドの曲をかけると、当時付き合っていた彼女のことを思い出した。今ごろ、結婚して幸せに暮らしてたりするのかな。
急にマレーシアについて来てほしいなんて、酷な話だったよな。彼女はデザイナーを目指して頑張っていたし、俺との結婚のために自分の夢を犠牲にすることは出来なかっただろう。別れという選択は正解だったんだと思う。なるようになったのかもな。
ぐだぐだとそんなことを考えていたら結構深く眠っていて、チャイムの音で目を覚ました。
はっとしてスマホを見ると、もう午後の6時。会社から連絡が入った形跡はなく、ホッとした。
インターホンを覗くと笑顔のNoraさんが映っていて、玄関ホールのドアを開ける。
一応ささっと身なりを整え、部屋のチャイムを鳴らした彼女を迎え入れた。
「ありがとう、至れり尽くせりで。Noraさんには本当に世話掛けてばかりで、頭が上がりません。」
昨日の姿とは打って変わり、彼女はとても上機嫌だ。
「ほんとに、無理はだめですよ!お世話はお任せください!」
キッチンを使って良いかと聞かれ、設備は自由に使って良いと答えると、彼女は微笑んで料理を始めた。
まさか手料理を作ってくれるなんて思ってもみなかったので、嬉しい気持ちと、異国の家庭料理を受け入れられるのかという不安が入り交じる。
リビングでしばらく大人しく待っていると、ダイニングに呼ばれ、ドキドキしながらダイニングテーブルに近づく。
「すごい、美味しそう!」
そこにはお粥のセットが用意されていた。
マレーシアではお粥はチェーン店があるほどメジャーな料理で、外食で食べることはあるけど、手料理だとどんな感じになるんだろう。
食べて良いか聞くと、笑顔で「もちろん!」というので、「Noraさんもぜひ一緒に食べましょう。」と誘った。
2人で向かい合って、レンゲに掬ったお粥をフーフーして、ハフハフ言いながら食べる。
鶏ガラベースの味がしっかりついていて、めちゃくちゃ美味しい。
「こんなに美味しいお粥を食べれるなんて、倒れて良かったかも。」
ほっこりした気持ちになって、そんなことを口走ってしまった。
「大袈裟ですよ!いつでも作りに来ますから、呼んでください♡」
いつものあざと可愛さが今日はかなり響く。そんなこと言われたら毎日呼んじゃいますよ、と言いたくなる。
「そんな、毎日呼んだら彼氏に悪いし。」
心の声が漏れていた。
「彼氏?私のですか??いないですよっ!」
またまたぁ。
疑いの眼差しを彼女に送る。
「こんな可愛くて出来た子、男性たちが放っておかないでしょ。」
Noraさんは昨日のように泣きそうな表情になり、何か気に触るようなこと言ったか?と思考を巡らす。
「放っておかれたくない人に、放っておかれてるんです。」
片想いしてるのか?きっと辛いんだな・・・。
「そうなんだ。ちゃんと気持ちを伝えないと、相手も分からないかもしれないよ。Noraさんほどの女性なら、うまく行くと思うんだけどな。」
泣きそうな瞳が、俺の目をじっと見つめる。
「じゃあ、放っておかないでください!」
・・・・・・・・・・・・・え?
状況が整理できずに、暫くフリーズしてしまった。
「・・・お、俺??」
「鈍いにも程があります!気持ちを伝えて傍にいられなくなるのが怖くて、今まで言葉では伝えませんでした。でも、昨日、片桐さんがいなくなってしまうんじゃないかって思ったら、すごく辛くて、気持ちだけでも伝えておけば良かったって思いました。私は、片桐さんのことが、大好きです!もっと近づきたくて、日本語もたくさん勉強しました。可愛いって思ってもらえるように、美容もファッションも頑張ってます。日本人じゃないし、歳もちょっと離れてるけど、片桐さんの傍にいたいんです。私じゃ、ダメですか?」
顔が熱くなってるのが自分でも分かる。
こんな可愛い子が、俺のこと好きとか、想定外過ぎて気持ちに整理がつかない。
「ほんっとに鈍くて申し訳ないことしてしまって、ごめんなさい。Noraさんのご好意は正直に言って嬉しい。でも、全然頭に無かったから、どうして良いか分からなくて、少し整理する時間を貰えないかな。必ず、返事はするから。」
Noraさんは微笑んで、「そうですよね。とりあえず、すぐに断られなくてホッとしました。気長に待ってますから。それに、仕事中は今まで通り接してください。」
彼女の言葉にも救われる。
じわじわと照れが込み上げてきて俯いていると、そろそろ布団に入って寝た方がいいと促されてベッドに入った。
Noraさんは後片付けも完璧に済ませ、「明日は出勤できると良いですね!しっかり休んでくださいね。」と優しく声をかけてくれて、帰っていった。
緊張から解放されると、一気に鼓動が速くなる。
Noraさんは、若くて肌もピチピチで、美容やファッションもセンス良いし、頭も良いし、愛想も良いし、ナイスバディだし、非の打ち所がない。
そんな子が、何で俺・・・?
10歳も歳が離れてて、最新のファッションとか全然知らない普通のおじさんだよ?
やっぱり、現実感がないなぁ・・・。
もしかして、さっきのは、幻だったんじゃないか・・・?
これは俺も、再起動が必要だな。
1回寝よう。
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