第11話

 あー、もう、時間が足りない・・・・。

 

 飯田部長が対応しきれなくなったと思われる案件がこっちに流れてくるようになってしまった。

 想定はしていたけど、量が多い。

 飯田さん、実務はあまり好きじゃなさそうだもんな・・・。

 

 一昨日、片桐さんが倒れたこともあり、本社が時間外労働に目を光らせているので、休日出勤も半日が限界になってしまった。

 そんな中、こっちのシステム構築は来週までには終らせる必要がある。

 日本から製造スタッフが応援に来て、全ての機械を動かすのが再来週と迫っているからだ。

 

『片桐さんの事件は痛手ですね。真悠子さん、ボリュームはどんな感じですか?』

 

 劉さんにタスクリストを共有すると、日本からの案件が多いことに驚いている。

 

『これ、少しは日本に返せないんですか?内容はしっかりは把握できませんが、現場を見たらすぐ終ったりしないのかな。』

 

 確かにその通りだ。リモートで現場の担当者とやり取りしているより、自ら出向いて確認しながら対応した方が速い。

 

『そうです、そうですよ!部長じゃなくて他のメンバーにお願いしてみます!』

 

 一応飯田部長にも許可をとり、他のメンバーに対応してもらえることになった。私から直接指示を出すようにとのことで、みんなのスケジュールを閲覧して負荷を確認する。

 鈴木くんは在庫管理システム導入の対応で負荷がかかっているし、柴田さんは法改正による受注システム更新で大変そう。木下くんは、受け持ってるのは比較的軽い業務だな。

 気は乗らないけど仕方がない。彼にお願いしよう。

 

 社内チャットで「"お疲れさまです。今お時間ありますか?"」とメッセージを送ると、「"お疲れさまです!大丈夫です。"」と返ってきた。

 

 Webミーティングを開いて入ってきてもらい、画面を共有する。

 

「お疲れさまです。木下くんとは一緒にお仕事をしたことが無いけど、評判を聞く限り適任だと思いますので、よろしくお願いします。」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

 

 飯田部長から回ってきたシステム変更申請書を共有し、誰に何を聞いてどの作業をするのかを伝えると、彼はしっかりと「最後は申請者に連絡ですか?」とか、「このファイルは鈴木先輩や柴田さんに聞けば分かりますか?」と具体的に疑問点を確認してくる。打って響いてくれるのは気持ちがいい。

 

「分からないことがあったらチャットとか電話で質問してきてください。ここまでで質問はありますか?」

 

 なんとかなりそうな気配に安堵し、気を抜いていると、「あの、例の解除の方はいつ頃になりますでしょうか。」と然り気無く聞いてきたので焦った。

 

「申し訳ありません、失念しておりました。」

 

「お忙しそうですし、お手隙な時で大丈夫ですので。」

 

 内容は「かなた君」とのやり取りだけど、SNSで話していたときの「かなた君」とはまるで別人のようで、同一人物とは思えないなぁ。

 

「"頼ってもらえたの、嬉しかった"」

 

 音声で誰かに聞かれるのを避けてか、チャットのメッセージが送られてきた。いや、やっぱり、あの「かなた君」だ。不思議な感じ。

 

「"まだ依頼を出しただけで、頼った訳じゃないから。信頼は実績を出してからです"」

 

「"ちぇっ(・ε・` )"」

 

 顔文字付けないでよ・・・。

 社内チャットで何送ってんだか。

 

「それでは、急なミーティングへのご対応ありがとうございました。退出します。」

 

 彼の「ありがとうございました。」を確認してWebミーティングを閉じる。

 まぁ、とりあえず日本の案件はなんとかなりそう。

 

 

 劉さんに、日本の案件はなんとかなりそうだと伝えてお礼を言うと、『とんでもない!真悠子さんも倒れないように無理しないでくださいね。』と、お菓子を手渡してきた。

 

「ん?ビスコ?しかも芳醇バター味!」

 

 見慣れたパッケージに懐かしい気持ちになり、素で日本語が漏れる。

 

『日本から取り寄せたんですか?』

 

『近所のAEONに普通に売ってますよ。日本のお菓子、美味しいですよね。今日はお昼もしっかり食べれてないし、これでも食べて乗りきりましょう!』

 

 この後のお互いの予定を確認し、彼はウィンクをして工場の方へ向かった。

 劉さんは他のメンバーにもお菓子を配っているようで、みんなはポッキーを食べながら仕事をしている。

 

 ・・・気遣いが行き届いてるなぁ。かっこいい!

 

 ビスコを口にいれると、懐かしい美味しさが口いっぱいに広がり、コーヒーとよく合う。はぁ、幸せ。

 

 よし、私も倉庫のシステムを確認しに行かなきゃ!もうひと踏ん張り、頑張れそう!

 

 

 

 金曜日の午後7時。いつものように一緒に残っている劉さんと顔を見合わせる。

 バタバタした日々が過ぎ、ついに、全てのシステムの起動と動作確認が終った。

 休み明けから日本の応援スタッフが工場や倉庫に入り、試運転を行う。その後、現地スタッフへの教育があり、本稼働へと進む予定だ。

 試運転からも修正とかが出てくるはずなので、まだまだ終ってはいないけれど、山場は越えたな。

 

『真悠子さん、「お疲れさまでした」。』

 

『日本語、覚えたんですか?』

 

 劉さんから日本語が出るなんて珍しい。

 

『たくさんは知らないですけど、日本語に興味はあります。「お疲れさまでした」って、いい言葉ですよね。英語にも、マレー語にも、同じ意味の言葉は見当たりません。』

 

 確かに英語だと、帰るときは「See you」だし、仕事が終ったときは「Good job」くらいかな。頑張ったね、ゆっくり休んでね、というニュアンスを表現する一言って、難しいな。

 

『劉さんは気遣いが出来て素敵です。「お疲れさまでした」も、気遣いの言葉だし、この前のビスコも美味しくて、元気が出ました。そういえば、こっちにもAEONあるんですね。行ってみたいです。』

 

 彼は腕時計を確認すると、『今から行きますか?』と言って帰り支度を始めた。

 

『ついでにご飯食べましょう!』

 

 レストランも入ってるのか。楽しみ!

 

『ありがとうございます!行きます!』

 

 上機嫌で帰り支度を済ませてエントランスに向かっていると、片桐さんに出くわした。

 

「片桐さん、お疲れさまです。今日、全てのシステム確認が終りました。来週から試運転に入るので、よろしくお願いします。」

 

 日本語で簡単に挨拶して、「お先に失礼します!」と言おうとしたら、片桐さんは潤んだ瞳で訳の分からないことを言ってきた。

 

「島田さん島田さん、ちょっとさ、1回、俺のこと殴ってくれない?」

 

 日本語だから劉さんには伝わっておらず、フリーズしている私に、『どうしたんですか?』と声をかける。

 

『殴ってほしいって・・・。』

 

「What!??」

 

 とりあえず握りこぶしを作る。

 

『私、空手やってたんですけど、ほんとにいいんですか?』

 

「えっ!グー!?グーかぁ。グーはなぁ、痛そうだなぁ・・・。うーん、やっぱ無理無理、ごめんなさい!」

 

 空手の構えをとると、片桐さんは怖じ気づいた。片桐さんと私のやり取りがだんだん面白くなってきたのか、劉さんは笑ってしまっている。

 

『ははっ、片桐さん。確かに、倒れてから様子が変ですよ。』

 

『やっぱりそうだよね?俺、変だよね??劉さん!話聞いてもらえないかな。島田さんも、この後時間ない?』

 

 結局3人でAEONのレストランに行く事になってしまった。

 

 片桐さんの支度を待っている間、さっきまで雲の上だった気分も降りてきてしまい、溜め息が出た。

 そんな私を慰めるように、劉さんは私の頭をポンポンと撫でて、微笑んだ。

 

『真悠子さん。明日は、何か予定が入ってますか?もしよかったら、一緒に観光に行きませんか?』

 

 彼が身に付けているほのかな香りが、胸をざわつかせる。

 

『貴重なお休みの日を、私のために使わせてしまって、いいんですか?』

 

 きっと気を遣って観光に連れていってくれようとしているのかな。嬉しいけど申し訳ない気持ちもあり、そんな言葉を返したら彼は困ったような表情を浮かべる。

 

『んー・・・、そうじゃなくて。僕が・・・』

 

 次の言葉を待っていると、片桐さんが荷物を持って戻ってきたので、『後でまた、話します。』と、一時中断になった。

 

 

 

 タクシーでAEONに到着し、その大きさに驚いた。広い!

 日本出身のお店もたくさんあって、これならこっちに住んでも寂しくないな、とか考えてしまった。

 

『ここでいい?食後にコーヒー飲みたいし。』

 

 片桐さんの希望で、日本出身の珈琲店で食事をすることになった。自然に劉さんと私が隣に座り、片桐さんと向かい合う。

 それぞれの料理をオーダーすると、劉さんが『話って、なんですか?』と切り出した。

 

『どこから話せばいいのかな。あー、難しいなぁ。』

 

 なんだかモジモジしている。

 この時点で、劉さんも私も、話の内容はだいたいの予想がついていた。

 

『まるで、高校生ですね。』

 

 劉さんと目があって、笑ってしまう。

 

『なになに、察しがついてるの?え?そうなの?』

 

 慌てる片桐さんに、『いえ、何も知らないです。』と答えると、劉さんも、うんうんと頷いた。

 

『まず、何が起こったかというと。Noraさんが俺のことを大好きだって言ってくれてさ。もぅ、ビックリしちゃって!現実を受け止めきれて無いわけ。っていうか、今も夢なんじゃないか、倒れたあの時、俺は死んでしまって、神様が最後にいい夢見せてくれてるんじゃないかって思ったりしてる。俺、生きてるよね?』

 

 料理が運ばれてきて配膳が終ると、私は手を合わせて声を出さずに「いただきます」をして食べ始める。クリームパスタは日本のものと味はそんなに変わらなかった。

 

『さっきの質問ですけど。生きてるとは言いきれませんね。』

 

 劉さんはピラフをスプーンに乗せて呟く。

 そのスプーンをパクッと口に入れると、片桐さんの方を見つめてモグモグしている。

 

『どういうこと?俺はただ、生きてますよって言ってほしかっただけなんだけどな。』

 

『だって、僕たちも死んでいたら、同じ状態な訳で、生きてるか死んでるかなんて分かりません。それより、この世界が夢だとしたら、どうするんですか?Noraさんにどう答えるんですか?』

 

 なんだか、論理的のような空想的のような不思議な理論に引き込まれる。

 片桐さんは少し考えて、照れ始めた。

 

『この世界が夢だったら、Noraさんとお付き合いして、結婚してもらうなぁ。だって、あんなに可愛くて性格良い子と普段の生活も一緒に過ごせるなんて、絶対楽しいじゃん。「想像するとヤバイなこれ。」』

 

 興奮して最後の方が日本語になってる。

 ニヤニヤ顔が面白くて、私と劉さんは笑いを堪えるのに必死だ。

 

『良いんじゃないですか?この世界は夢だと思って、Noraちゃんとお付き合いしてみれば良いと思います。現実かどうかはそのうち分かってきますよ、きっと。』

 

 私の意見も伝えると、劉さんは『そうですよ。現実はそれからです。文化とか宗教とかも違う環境で育ってきてるので、壁にぶち当たると現実が見えてきますよ。』と、具体的な壁を提示した。

 

『そうだよね。その壁とNoraさんの存在、どっちが高いのかって話だよな。そんなのやっぱり、Noraさんだな。好きって言われてから、こっちもどんどん好きになっちゃって、おかしくなりそう。』

 

『いや、もうおかしいですよ。だいたい、Noraちゃんが片桐さんのこと好きなのは、端からみていても分かりやすかったです。気付かないのがおかしいです。』

 

 思わず突っ込んでしまった。

 食後のコーヒーが運ばれてきて、片桐さんは落ち着いたのか、仕事の話に切り替えてきた。

 

『劉さん、重い仕事を引き受けてくれて、そして全うしてくれて本当にありがとう。昇格人事に推薦させてほしいんだけど、良いですか?』

 

 劉さんは笑顔で私の顔を見て、嬉しい気持ちを表情で伝えてくれた。

 

『まだ本稼働してないのでやりきってはいないですけど、評価は嬉しいです。ありがとうございます。それに、真悠子さんが来てくれたからここまで出来ました。彼女にも評価を与えてほしいです。』

 

『もちろん!島田さんにはほんとに感謝です。2人にはこれからもお世話になっていくと思うから、引き続きよろしくお願いします!』

 

 最後は和やかな雰囲気になり、珈琲店を出た。AEONのスーパーも見たかったけど、もう遅い時間だし今日は諦めるか。

 

 タクシーに乗って、まずは片桐さんを降ろすと、劉さんは助手席から後部座席に移動してきた。

 

『今日は3人になってしまいましたね。』

 

『はい。劉さんの「生きてるか死んでるか分からない」っていうお話面白かったです。Noraちゃん、幸せになると良いな。』

 

『結婚が幸せとは限りませんからね。』

 

 顔を見合わせて苦笑いする。

 車が私のホテルに到着し、運転手さんに英語でお礼を言って降りると、劉さんも1度降りてきた。

 

『真悠子さん、中断していた話で、明日のことなんですけど。僕が真悠子さんと一緒に観光に行きたいので、付き合っていただけませんか?時間は、ランチの少し前くらいでどうでしょう。』

 

 胸の奥からジワジワと暖かい何かが広がってくる。

 

『はい!ありがとうございます。誘っていただいて嬉しいです。』

 

 笑顔が押さえきれてないのが分かる。

 劉さんは私の返事を確認すると、『よかった。では、また連絡します。おやすみなさい。』と言ってハグをして、タクシーに乗った。

 手を振ってタクシーが走り出すのを見送ると、顔が熱くなる。

 

 ホテルの部屋に戻ると、明日はどの服を着ていけば良いのかとか、メイクはどんな感じにすればいいのかとか、すっかり忘れていたそんな気持ちが湧き起こってくる。まるで、初めてのデートの前の日みたい。

 

 ん?あ、そうか。デート、デートだ!

 

 勝手に顔がにやける。まさか私にも、こんなにキュンとする場面がやってくるなんて、考えたこともなかった。明日が楽しみだな。

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