第5話

 まゆさんにフリーターには興味がないと言われ、なんだかむしゃくしゃした気持ちも重なって衝動的に居酒屋バイトを辞めて一週間がたった。


 バイトを辞めた次の日くらいまでは再就職に意欲が湧いていたけれど、徐々にやる気が無くなってくる。

 きっとまゆさんは、俺がこんな人間だってことは想像着いてて、だからあんなことを言ったんだろうな。

 


 

 こんな俺だって、最初からこうだったわけではない。

 これでも一応、一度は大手企業に就職した。

 

 そこそこ名の通っている大学の工学部に入り、情報工学を専攻して情報技術系の国家資格も取得した。

 ゼミではリーダーの役割を任され、キラキラしたキャンパスライフだったと思う。

 

 その時くらいまでは、情報技術で人々の暮しを快適にしたい、なんていう純粋な気持ちも持っていた。

 

 就職活動も順調に進み、何の迷いもなく大手商社のシステム管理部門へ就職した。

 

 そして、新卒入社から八ヶ月後、俺は堕ちた。

 堕ちた経緯は思い出したくないから封印・・・。

 

 

 

 実家暮らしなので、俺がフリーターではなくニートになったことは両親もすぐに気付いていると思う。

 でも、叱ってくることはない。

 正社員を辞めるときは残念そうにしていたけれど、理由を正直に話したら分かってくれて、そこからは寛大に見守ってくれている。

 

 そんな両親に甘えた状態で、俺は最近までSNSで年上女性を釣って遊んだりしていたわけで。そんな俺の裏の顔ことを両親はもちろん知らない。

 まゆさんとのリアルでの出会いは、自分を俯瞰で眺めるきっかけにはなった。

 何かが刺さって、あれからはSNSで遊ぶことには急激に熱が冷め、アプリも開いていない。

 

 

 

 それより、これからどうするか。

 ニートになってからも変わらない態度で接してくれる母の姿を見ると、いつまでもこんな状態では申し訳ない気持ちが芽生える。

 気持ちはある。気持ちはあるけれど、行動には伴っていない。

 

 母がパートに出掛け、特にやることもないので通信ゲームで時間を潰す。

 マッチングした人と通話しながら対戦すると、少しは社会から置き去りにされていないような感覚になる。


『今日は休みなの?』

 

 相手からそんな言葉を投げ掛けられる。

 

『うーん、ずーっと休みって感じかなぁ。』

 

 素性を知っている人じゃないと思うだけで、本当のことが言える。

 

『ニートか。楽しい?』

 

 楽しいのかな。

 

『この前までは一応フリーターだったんだけどね。楽しいかって考えてみると、楽しくはないかな。「無」って感じ。そっちは?今日は休みなの?』

 

『「無」ね。だろうな。こっちは長期間の休み。労災で怪我したから療養中なんだ。人手が足りないのは分かってるし、労災とはいえ休んでるのは心苦しいんだけど今のコンディションじゃ戦力にならないし。』

 

 足の骨を折ったらしい。大変そうだな。

 ふーん、と相槌を打っていると思ってもない提案をしてきた。

 

『君、どこ住み?近いならバイト入ってみない?ちょっと肉体労働だけど。』

 

 就労場所を聞くと通える範囲だった。

 

『あの、闇バイトとかじゃないんですか?なんか怖いんですけど。』

 

『全然!健全な大手メーカーの工場作業だよ。俺は機械に足挟んで骨折したけど、ちょっと横着しちゃったから骨折しただけで、普通に作業してれば安全だし!』

 

 途中からゲームを中断し、そのやり取りで時間が過ぎた。

 

 その人とトークアプリでも繋がり、バイトの面接のセッティングをしてもらい、早速明日、面接に行く事になってしまった。

 同行したいとのことで面接時間の30分前に最寄りの駅で待ち合わせをした。

 

 

 

 翌日、いそいそと支度をして家を出る俺の姿を、母は微笑んで見送ってくれた。

 面接なので一応スーツを着てみた。

 

 待ち合わせの駅に着くと、松葉杖のガテン系お兄さんが改札をじっと見ていて、あの人だとすぐに分かった。

 

「篠原慎吾さんですよね?初めまして、木下奏汰きのしたかなたです。」

 

 鋭い目付きでジロッと全身を見られ、ちょっと緊張していると急に笑顔になった。

 

「初めまして!よかったー、変な奴じゃなくて。」

 

 握手を求められ応じると、さりげなく腕の筋肉を確認される。

 

「意外にひょろくないじゃん。ニートって言ってたから心配してたけど、ほっとした。」

 

「まぁ、ちょっと前まで居酒屋バイトで酒運んだりとかしてたんで・・・。」

 

 篠原さんは松葉杖なのに歩くスピードが早い。

 年齢は42歳、奥さんと3人の子どもがいて、役職もある働き盛りを絵に描いたような人だった。


「怪我は厄年だって言ってくれる人もいるけどさ、過信からの事故だよ。あの時の自分が悔しい。いいスピードで治ってるから、来月には復帰出来ると思うんだけどね。」

 

 早く復帰したくて仕方がないらしい。


 

 面接会場に到着すると、話が通っていたので守衛さんからすぐに入門許可証を渡され、篠原さんと一緒に直接工場へ向かった。

 

 工場に入ると篠原さんは職場の仲間たちに声をかけられ、俺のことを紹介する。どんな知り合いなのかと聞かれて、一回しか対戦したことないのに「ゲーム仲間」と答えていた。

 職場の人間関係はとても良さそう。羨ましく眩しく感じた。

 

 面接の時間になり、工場の事務所に通されて履歴書を提出し、面接官の前の椅子に着席した。

 工場長と篠田さんが面接官だった。

 

「アルバイトだし、そんなにかしこまらなくて大丈夫だよ。心配ごとと言えば、体力はあるのかとか、ちゃんと毎日来てくれるのかとか、遅刻はないかとかそんな感じだから。」

 

 篠田さんの明るい声に少し緊張がほどける。

 

「なかなかの学歴ですね。国家資格まで持っているのに、何で就職してないんですか?」

 

 工場長の率直な質問に、正直に答えてみることにした。

 

「新卒で入社した会社では人間関係で色々あり、鬱病になりかけて、家族からの助言もあって退職しました。それからは、正社員として働くことが怖くて、今に至ります。」

 

 あの時のことはあまり思い出したくない。

 

「そうですか。働くことってなんだと思いますか?」

 

 工場長からそんな質問を投げかれられる。

 

「働くことは、自ら生きることだと思います。今は、生かされてると思います。」

 

「アルバイトの面接だからこんな質問はなかなかしないんですけどね。答えは人それぞれだからこれだっていう回答はないんですが。君の考え方でいいと思いますよ。明日からシフトに入れますか?」

 

 工場長は採用を伝えて、「明日から、よろしくお願いします。」と肩を叩いて事務所を退室していった。

 

「俺からも、よろしくね。不思議な縁だけど良かった。」

 

 篠田さんは明日から一緒に働くメンバーに俺を紹介してくれた。みんなすごくいい人そう。

 一番年の近い、鈴木さんに仕事を教えてもらえることになって挨拶をする。俺より1つ年下なのに、既に結婚して子どもが産まれたばかりらしい。まだまだ親の脛をかじって生活している自分を、恥ずかしく思った。

 

 

 翌日から、生活が一変した。

 起床時間は、今までの「お昼頃」から「朝6時半」に変わり、一日中着ていたスウェットを脱いでしっかり身支度するようになった。7時半に家を出て電車に揺られ、8時に会社へ到着。作業着に着替えて8時20分から始業。休憩が10時と15時に10分ずつ、お昼に50分あり、終業は17時半で8時間の労働時間。

 突然規則正しい生活環境になり、太陽の光を浴びて朝のラジオを聴きながら通勤していると気持ちが明るくなってくる。

 作業内容は工場内での製品の運搬作業がメインで、適度な肉体労働は、今まで運動不足だった体に良い刺激を与えた。食欲も増し、夜は自然に眠くなる。

 

「奏汰、新しいアルバイトを初めてから、顔色が良いわね!」

 

 母は笑顔で話しかけてきた。昼間に働きだしたのも嬉しいらしい。

 

「お母さん。心配かけてごめんね。まだアルバイトだけど、少しずつ前を向けそうな気がするから。」

 

 篠田さんや鈴木さんの影響もあり、なんとか自立したい気持ちを母に伝えると、涙を堪えているようだった。

 

「焦らなくても良いのよ。あなたの人生はまだ長いんだから、少しずつでいいの。親はみんな心配する生き物だから。いつでも応援してるからね。」

 

 涙が出そうになり、食べかけの夕飯を急いで食べ終えて部屋に逃げ込んだ。

 

 早く前を向きたい。あの事はもう、忘れよう。

 

 

 

 新しいアルバイトを始めてから三週間がたち、すっかり職場にも馴染んできた。

 朝、作業着に着替えて工場に入ると、工場の隅にあるパソコンの前でガヤガヤしていた。

 

「何かあったんですか??」

 

 近くにいた鈴木さんに聞いてみると、もうすぐ朝礼の時間なのに、今日の伝票が印刷できないらしい。

 

「あの、もし良ければ少し見てみても良いですか?」

 

 ベテランの山崎さんが「木下くん!パソコン得意なの!?」と目を輝かせる。

 パソコンからプリンターを見てみるとオフラインになっていた。

 プリンターの電源は入っているし、あとはコード・・・、とコードを辿ると、LANケーブルが抜けていた。

 

「山崎さん、ケーブルが抜けてました!」

 

 ケーブルを挿し直すと通常通り印刷できる。

 たったそれだけのことだけど、みんなはすごく喜んでくれて嬉しかった。

 

「印刷ができない場合は、この画面を表示させて、プリンターがオフラインになっていたらプリンターの電源と接続を確認!っと。手順書に追加!」

 

 次に同じことが起こった場合に備えて手順をもう一度確認してきた。この工場の人たちは改善意識が高い。

 

 俺の「篠原さんのゲーム仲間のバイト」という情報に、「パソコンが得意」という情報が追加され、パソコンへのちょっとした入力作業も指示されるようになった。


 

 そして、来週から篠田さんが復帰することが決まり、俺は1日だけ篠田さんと一緒に働いたら契約期間満了でまた無職になる。

 でも、なんだか前のニート時代とは気分が違う。少し職種の幅も広げて就活も頑張ってみようかな。


「木下くーん!ちょっと来てくれないか!」

 

 また山崎さんに呼ばれてパソコンの前に行くと、面接をしてくれた工場長の斎藤さんが待っていた。

 

「この工場全体でシステム障害が起こっていて、困っているんだよ。システム部に相談したら今は手を回せないと後回しにされて、君なら原因を突き止められるんじゃないかと思ってね。」

 

 いつから障害が出ているのか聞いたら、今日の午後かららしい。

 一応パソコンからネットワークを見てみる。繋がったり繋がらなかったり、確かに不安定な状態になっていた。

 

「もしかして、今日の午前にレイアウトの変更をした事務所とかってありますか?」

 

 斎藤工場長はすぐに心当たりの事務所まで連れて行ってくれた。

 

「出荷倉庫のレイアウトを変えたんだけど、なにか分かるかな。」

 

 出荷工場にいる女性社員にジロジロ見られながらパソコンの裏を確認する。すると、原因と思われるものがあった。

 

「たぶん、これです。ループしてます。」

 

 LANの出力と入力に同じケーブルが挿してあった。正常な繋ぎ方をしたら、数分後にはシステム障害は落ち着き、斎藤工場長に有り難がられた。

 

「もうすぐ辞めてしまうの、勿体ないな。」

 

「ありがとうございます。ここでの経験は糧になりました。両親も心配しているので、もう一度正社員希望で就職活動をしてみようと思ってます。」

 

「そうですか。それは応援しなくてはいけないね。君ならきっと大丈夫だよ。うちの工場としては残念だけど、頑張って!」

 

 工場長に励まされ、自信が出てきた。

 

 

 

 あの日無くしたものは、正社員としての職と、他人を信じる勇気と、恋と、自信。


 無くしても、また取り戻すことが出きるということを教えてもらえた気がした。 

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