第6話
「真悠子さんがこっちに来てからそろそろ1ヶ月ですね。ここでの生活には慣れてきました?」
総務のNoraさんに誘われて、職場近くのカフェでランチ。3月中旬だけど、南国のこの国は暖かく、寒いのが苦手な私は快適に過ごしている。
ご飯も美味しいし、治安もいいし、不安だった言葉の壁も、英語がほぼ通じるので特に不自由を感じていない。もう、住んでも良いかも、なんてことも少し考えてしまうほどだ。
新規稼働準備中のマレーシア工場は首都ではないけれど大きな都市部にあり、工場の敷地を出て少し歩くと、海の見えるお洒落な街が広がっている。
Noraさんとは休憩時間に話をする機会も多く、気軽に雑談も出来る仲になった。
「Noraさんや周りの皆さんにたくさん助けていただいて、だいぶ慣れてきました。ありがとうございます。こうしてランチをしたりすると、観光しているような気分になりますね!」
「話し方が固すぎです!私、真悠子さんともっと仲良くなりたいです!」
彼女の笑顔は眩しい。同性だけどキュンとしてしまう。懐に入り込むコミュニケーション能力にも尊敬。
「そんな風に言って貰えて嬉しいです!じゃあ、お言葉に甘えて。Noraちゃんは、日本語はどうやって勉強したの?」
名前をちゃん付けにしたら喜んでくれた。
「J-POPが好きで、歌詞を勉強するうちに覚えました。あと、ドラマとかアニメも好き!それと、ファッションも大好きで、表参道の美容室に行ってみたいなぁ。」
「Noraちゃんは表参道の美容室に行かなくてもお洒落だよ!私もそろそろ髪の毛切りたいんだけどなぁ。一人で美容院に行くのが少し不安。」
「私がいつも行ってるとこで良ければ一緒に行きましょう!どのくらい切ります?真悠子さんはハンサムカットがお似合いだと思うんです!女性がイケメン風にカットするの、日本で流行ってるんですよね?」
おすすめの髪型をスマホで見せて目を輝かせている。
髪型に拘りはないけれど、仕事中は束ねられるように、前髪なしのロングヘアー歴が長い。
こんなに短く切ったこと無いけど、ほんとに似合うのかなぁ。
「ほら!見てください!」
Noraちゃんは髪型を変えられるアプリで私がハンサムカットにした場合の画像を見せてくれた。
うーん、まぁ、確かに。良いかもしれない。
「人生一度きりだし、冒険も大事かも。」
「そうですよ!それに、ぜっったい似合いますって!イケメン真悠子さん、見たいです♡」
語尾にハートマークが見える・・・。
熱意に押され、次の休日に一緒に美容院に行く約束をしてしまった。
そして、あっという間に休日になり、Noraちゃんに連れてきてもらった美容院はとってもお洒落なサロンで、表参道の美容院とそう変わらない感じだ。
英語でどういう髪型にしたいのかを説明し、Noraちゃんも画像を見せて美容師さんに説明してくれた。
ヘッドマッサージも丁寧に施術して貰い、眠気と戦う。
ハプニングのような形で訪れたこの地ではあったけれど、すっかり楽園だなぁ・・・。
うとうとしていたらカットが終っていた。
ヘアセットを終え、鏡を見るとイケメン風になった自分が写っていた。
おぉー、こんなに変わるんだ・・・。
「やっぱり!とてもお似合いですね!」
「ありがとう。Noraちゃんのおすすめにして良かった!」
美容師さんに写真を撮っていいか許可を求められ、快諾すると嬉しそうに撮ってくれた。
頭が軽いし気分も良い!
「真悠子さん、メイクはちゃんとしましょうね!ほんとにイケメンと間違えられちゃいますからね。」
はい・・・。
メイクはいつもエチケット程度なのでサボり気味なのを見透かされている。
苦笑いで「頑張る・・・。」と呟いた。
新しい髪型で出勤すると、反響が凄かった。
片桐さんは「えっ!俺よりイケメン!」と言っていて、「片桐さん、自分もイケメンってことをアピールしたいんですか?」とNoraちゃんに突っ込まれていた。
劉さんはいつも対応がスマートなのに、なんか落ち着かない態度になった。
『びっくりしましたか?』
いつもは仕事以外の話はしたこと無いけれど、なんだか申し訳なくなって話しかけてみた。
『はい。とてもミステリアスな雰囲気になって、緊張してしまいます。』
『そんな!実際は全然ミステリアスなんかじゃないので、リラックスして接してくださいね。』
彼の困ったような優しい笑顔が空気を和ませる。
どこで髪を切ったのか訊ねられ、Noraちゃんの行きつけの美容室で、連れていってもらったことを話したら、Noraちゃんとすっかり仲良くなっていることにも驚いていた。
『僕も会社以外で、真悠子さんとお話ししてみたいです。学ぶことが多くて、教えてもらいたいことがたくさんあるので。』
『是非!私も劉さんに教えていただきたいことがたくさんあるので、そういった機会をいただけると嬉しいです。』
私がこのプロジェクトに呼ばれる原因になったシステム開発の巻き返しは順調で、リスケジュールした計画より少し早く進んでいる。
劉さんはメンバーそれぞれの得意分野をよく把握していて的確に指示を出してくれるので、メンバーからも信頼を得ているし、上への報告等もシンプルかつ論理的で卒がない。
マレーシア新工場の進捗会議はウェブで毎週月曜日に行われ、私も参加している。
私の直属の上司の飯田さんも参加していて、飯田さんは普段は真面目な話しかしないのに、私のイメチェンぶりに驚いたのか個別チャットで「最初、誰か分かりませんでした」と送られてきてびっくりした。
「気合いをいれました。」と返事をしたら、「戻ってくる頃の成長が楽しみです。応援してます。」と励まして貰えて、嬉しい気持ちになった。
4月からうちの課に新人が入ることになったことも連絡があった。
鈴木くんたちはうまくやってるかな。飯田さんも穏やかな表情だし、きっと大丈夫だろう。
会議が終わり、何となく窓の外を眺めるとスコールが降っていた。日本のゲリラ豪雨のような強さで、短時間で止む。
『雨は嫌いですか?』
劉さんに話しかけられて振り向くと、ブラックコーヒーを差し出され、お礼を言って受け取る。
こっちでは甘々のコーヒーが人気のようなので、私がブラックコーヒーを飲んでいることを知っているなんて、よく見ているんだなぁ。
劉さんはよく紅茶を飲んでいるようだ。
『雨、好きですよ。でもこんなに激しく降る雨じゃなくて、日本のしとしと降る感じの優しい雨が好きです。』
「しとしと」に当てはまる英単語が思い浮かばず、「slow」とか「soft」とか、一生懸命伝えようとしていたら、優しく微笑んで「Got it」と返ってきた。
劉さんの肩の力が抜けた話し方に、少し距離が近づいた感じがする。
『僕も好きです、雨。真悠子さんと似ていて、こういう強い雨じゃなくて、柔らかいsoftな雨。イギリスに留学していたんですが、イギリスの霧雨が特に好きです。日本の雨も気になりますね。いつか訪れてみたいので、その時に真悠子さんの好きな雨が降ると良いな。』
『じゃあ、来日されるときはおもてなしするので声かけてくださいね。』
まだ日本には来たことがないらしい。
イギリスに留学していたのは、彼の崩さない英語の形からも納得だった。
それから、劉さんとも雑談を出来る仲になり、週末の夜に食事に誘われたのはマレーシアに来て2ヶ月頃のことだった。
同じタイミングで片桐さんにも食事に誘われたけれど、先約があることを伝えて延期してもらった。
「島田さん、すっかり馴染んでメンバーとも仲良くなってるし、全然心配すること無かったですね。」
「ほんとに皆さんいい人ばかりで、ありがたいです。こんなに英語が通じるなんて知らなかったので、嬉しい誤算でした。もちろん、片桐さんがいるという安心感もありがたいですよ。」
「それは良かったです。いつでも困ったときは相談してくださいね。それにしても、劉さん、プライベートは謎って感じなのに、島田さんには心許してる感じなのかな。打ち解けてて良いことだけれど。」
「仕事の話がメインだと思いますよ。彼、ほんとに真面目で卒がないですよね。」
片桐さんは、劉さんにはシステム開発の虚偽報告発覚の時にほんとに助けられたと強めに教えてくれた。でも、プライベートは謎なのね。あれだけのスキルがあればどこでも通用しそうなのに、うちの会社に来た経緯も気になる。
週末、就業時間が終り、システム開発メンバーの帰宅を見届けると、劉さんと一緒に工場の門を出た。
劉さんのおすすめのレストランに連れていってくれるらしく、ワクワクする。
『なんだか、嬉しそうですね。』
『顔に出てますか?おすすめのお料理が気になってワクワクしてます。』
微笑んでくれてはいるけれど、劉さんの私に対する印象が食い意地張ってるキャラになってしまわないかちょっと心配。
劉さんが足を止めて『ここのレストランです。』と紹介してくれたお店は、雑居ビルの2階に入っている中華料理店だった。
店内は怪しげな内装で、所々に天井から吊られている中国の提灯がなんともエキゾチックな光を灯している。
劉さんはよく来るのか、ごく自然にテーブル席に進んで椅子を引いてエスコートし、おすすめの料理をオーダーしてくれた。
キョロキョロしていると、『こういうお店は苦手ですか?』と不安そうに聞いてきた。
『いえ。異国!って感じで楽しいです。一人だと絶対入らないお店だと思うので、連れてきて貰えて嬉しいです。』
ホッとしたような表情で、メニューを見せて料理の説明をしてくれた。
マレーシアはマレー系を筆頭に、中国系・インド系など多数の民族が混じり合って暮らしていて、それぞれの食文化がこの地で融合・発展し、美食の国に進化を遂げたという歴史的背景があるそうだ。
マレーシアの中華料理は特に美味しいというのはネットの記事にもあって知っていた。
このお店は高級ではなく、カジュアルでリーズナブルで美味しく、気軽に入れるので、劉さんはよく来るらしい。
『お友達と来るんですか?』
『はい。あとは、一人です。僕は独身でお付き合いしている人もいないし、この歳になると友人たちも家族優先になりがちで。』
『そうですか。よく分かります。』
じっと見つめられ、遠慮がちな声が届く。
『真悠子さんも、独身なんですか?』
『はい。1度は結婚したことあるんですけど、うまく行かず・・・。』
『僕もです。離婚を機に転職しました。』
なんと、劉さんにも離婚歴があり、意気投合した。
プライベートな話はまた追々することにして、仕事の話に移ると白熱した。
冷静でスマートな劉さんでも、退職した前任のリーダーには憤りを感じていたらしく、愚痴が溢れ出る。
『だいたい、なんなんだよ虚偽報告って。ビジネスマンとしてあり得ないだろ。』
ムカつきながら海老の尻尾を剥く姿がなんだか可愛い。
『ほんとですよね。でも、お陰で私はここに来れたので、少しだけ感謝してます。会社には内緒ですよ。』
劉さんはビールを飲んで少し酔っているのか、目がうるうるしてきた。
『真悠子さん。そういうとこ好きです。僕もあなたに会えたので、まぁ、ちょっとは感謝することにしますよ。』
英語だけど、そういう発言はドキドキしてしまう。きっと恋愛とかそういう観点じゃない発言なんだろうけど、LikeじゃなくてLoveを使ってくるところにグッと来てしまった。
閉店時間が近づきお店を出ると、宿泊しているホテルまで送り届けてくれることになり、夜風に当たりながら並んで歩く。
『また、誘っても良いですか?』
『もちろん!とっても楽しい時間で、勉強にもなりました。』
『いつもはこんなに酔わないのにな。恥ずかしい。』
暗くてよく見えないけど、照れているのが伝わる。
『可愛い一面が見れました。』
後ろからバイクが通りかかり、劉さんは私の肩を引き寄せてやり過ごす。
香水の良い香りが微かに鼻を掠め、不意に胸が高鳴る。
ホテルの玄関に到着し、食事のお礼とおやすみの挨拶をしたらハグをして去っていった。
しっかりした胸板の感触と、あの香水の良い香りに異性を意識してしまう。
恋愛にはしばらく縁がなかった私にとって、この出来事はかなりの衝撃で、その夜はなかなか寝付けなかった。
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