第7話

 システム開発の虚偽報告発覚による他の業務への影響を調整し、やっと一段落したところで島田さんを食事に誘ったら、先約があるとのことで延期になった。

 

 しかも、先約はあのとき助けてくれた劉さんらしい。

 仕事が出来る彼は、このプロジェクト発足時の現地求人に応募してきてくれた、古参のメンバーだ。

 

 前任のリーダーは年齢も経験も彼より豊富だったためにリーダーにしてしまったけれど、今思うと劉さんの方が断然適任だったと思う。

 

 ・・・タラレバだけど。

 

 気になって劉さんの経歴を見返してみると、イギリスでの留学経験、あと就業経験もある。

 彼の紳士的な振る舞いはそこで身に付けたものなのだろうな。

 

 それより、島田さんとはもう良い感じになってるのかな。

 どこに行ってどんな話したのかな。

 職種も一緒だと話も合うだろうし。

 なんだか先を越された気分。

 

「片桐さん、溜め息なんてついて、何かあったんですか?」

 

 Noraさんはよく人のことを気にかけてる。

 Noraさんも劉さんと同じく古参のメンバーだ。

 

「Noraさんは劉さんと同期だよね。雑談とかする?」

 

 え?と頭をかしげて思い出す仕草があどけない。

 

「仕事以外の話はそんなにしないですね。独身みたいですけど、すごく落ち着いた雰囲気なので、みんなで行くような食事の場でちょっとお話しするくらいです。あ、いい匂いします!扉を開けて待ってくれたりしたとき、ふわっと香るんですよね。たぶん男性用じゃない香水だと思います。もしかすると香油かも。あれは女子ウケ良いですよ。」

 

 いい匂い?俺、何もつけたりしてないけど大丈夫なのかな・・・。

 

 そして「女子ウケ」という日本語どこで覚えるんだろう。

 

「Noraさんにはウケてないの?」

 

 ウケるの使い方、これで伝わるかな。

 

「劉さんは大人の男性って感じで紳士的だし素敵な方だとは思いますが、私のタイプではないです。」

 

「そうなんだ。どんなタイプが良いの?」

 

「ふふっ、ナイショです♡」

 

 だいぶ慣れたけど、最初は彼女のこのあざと可愛い振る舞いにどう接して良いのか分からず狼狽えていた。

 

「あ、俺みたいなタイプってこと?ありがと♡」

 

 こんなの日本でやったらセクハラで訴えられるかもしれない。とは思いつつ、Noraさんはノリが良いので、こういう対応の方が好きだと思う。

 

「そういうことですよ!ご飯ご馳走してくれる人、大好きです!ふふふ♡」

 

 俺みたいなおやじへの対応も上手だな。

 美人だし、若くて肌もピチピチだし、頭も良いし性格も良いし、愛想も良い。きっと素敵な彼氏がいるんだろうな。

 まぁ、でもおねだりされたらご飯くらい奢るか。

 

 


 延期した島田さんとの食事の日を迎え、そろそろ恋しくなってきたであろう日本食のお店に連れていくことにした。

 

 タクシーを捕まえてお店が入っているホテルまで移動する。

 ホテルに入ってるお店と聞いて、島田さんは少し緊張しているようだ。

 

 お店に到着して予約を伝えると、海が見えるカウンターに案内された。

 

「凄いですね。こんな畏まったお店、日本でもなかなか縁がないので、緊張します・・・。」

 

「そうなんですか?この前、劉さんとはどんなお店行きました?」

 

 エキゾチックな中華料理、と嬉しそうに教えてくれた。お店も料理も気に入ったらしい。

 

 料理が運ばれてきて、お寿司や天ぷらに舌鼓を打つ。日本に比べると少し高いけど、引けを取らないクオリティ。

 島田さんも美味しそうに食べててほっとした。

 

「やっとあと2ヶ月で工場稼働です。島田さんには窮地に応援にきていただいて、ほんとにありがとうございました。稼働後の確認まではもう少し滞在期間が必要ですが、よろしくお願いしますね。」

 

 気持ちを込めて感謝を伝えていると、掌を横に降って「そんなそんな!」と恐縮してしまった。

 

「こちらこそ!なかなか出来ない経験をさせていただいて有り難いですよ。会社には申し訳ないですけど、虚偽報告をした前任リーダーにちょっとだけ感謝です。この前、その話を劉さんともしました。そしたら、彼はかなり憤りを感じていたみたいなんですけど、ちょっと感謝することにするそうです。」

 

 島田さんは何事も前向きに捉えられるポジティブな考えが出来る人なんだなぁ。

 そして劉さんとそんな話を出来る仲になったのか。劉さんにジェラシーだけど、島田さんにもジェラシーを感じてしまう。

 劉さんとは俺の方が付き合い長いのにな。

 

「片桐さんはこの先もずっとマレーシア勤務なんですか?」

 

「まだはっきりとは決まってないんですけど、ここでずっと働きたいと進言すれば通ると思います。ここでの暮らしももう3年を超えて、すっかり居心地が良いんですよ。嫁さんとか子どもとか、家族計画が未定ですけどね。」

 

 ぶっちゃけ、もう日本に帰る理由が見当たらない。両親は兄や姉が面倒みてくれるだろうし。たまに帰るくらいが良いかな。

 

「片桐さんは独身だったんですね。私も独身ですよ、バツイチですけど。ここの居心地の良さは、私も感じてます。もう、住んでも良いかも、なんて。」

 

 バツイチだったのか。

 

「お子さんはいないんですか?」

 

「はい。仕事しすぎちゃいまして・・・。」

 

 これは、かなりの好条件だな。

 冗談目かしてジャブを打ってみよう。

 

「だったら、俺と結婚してここに住むのもありですね!」

 

 渾身の笑顔で反応を待つ。

 

「・・・ほぉ。」

 

 ほぉ・・・?

 

 イケメンで涼しげな目元から、少しだけ呆れたような視線を感じる。

 

「片桐さん。」

 

 しっかりと目を見据えて放たれる言葉は真っ直ぐに届いてくる。

 

「手近なところで妥協しようとしてますよね。この歳で夫婦になるってことは、勢いだけじゃ乗り越えられないこともあるんです。日本人とか歳が近いとか、ここに住んでくれそうとか、それだけで判断すべきじゃないですよ。冗談やめてください。」

 

 なんか、全部見透かされてる。

 それに久しぶりにしっかりと怒られた気がする。

 

「大変な失礼をお許しください。焦ってしまって。」


 残念な気持ちでビールを口にすると、いつもより苦く感じた。

 

「お気持ちは分かります。子どものこととか親の歳とか考えると、年齢が進むに連れて焦りますよね。私は一度失敗しているので、結婚には前向きになれません。片桐さんは明るくて楽しい空気を作れる方なので、きっと素敵な出会いがありますよ。私じゃなくて。」

 

 要するに、脈無しってことですね・・・。

 

「セクハラとかで訴えないでほしいんですけど、島田さんは笑顔が素敵だし、性格も、仕事に対する熱意も逞しさも、良いなって思ったんです。そこだけは妥協とかじゃなくてほんとの気持ちですから。フラれちゃいましたけど。」

 

「フッてないです!そういうのじゃなくて、私なんかじゃなくて、もっといい人がいるからもったいないって言いたかっただけなんです!」

 

 さっきよりも更に恐縮させてしまった。

 

「実は、こっちに赴任が決まったときに当時付き合っていた彼女にプロポーズをして、フラれたんです。やっと傷心が癒えてきて、嫁さん探しにも前向きになってきたところで島田さんが現れたので、ついその気になっちゃいました。いい人、現れるんでしょうか。そろそろ独り身のままここで生活する計画を立てようかな。」

 

「青い鳥と一緒で、身近にいて気づかないだけかもしれないですよ?」

 

 だったら何かしらのサインを出してくれないかな。意識していれば見えてくるかな。

 

 

 少し変な空気になってしまったけれど、島田さんはすぐに話を切り変えてくれて、その後は楽しくお話ししながら食事を楽しむことができた。

 仕事が大好きなようで、マレーシア工場の細かい部分にまで質問があり彼女の豊富な知識にも驚ろかされた。

 嫁さんではなく仕事仲間として大事にしておきたい人材だったな。

 フラれて良かったのかもしれない。

 

 

 

 新工場稼働まで2ヶ月を切り、建設工事では最後に残っていた外構工事がやっと終わった。

 

 機械は既に搬入されているので、システムを入れての試運転と、新しく入ってくる社員への教育とか食堂の試運転とか、稼働日の前日に行われる開所式と入社式に向けてやることは山積みだ。

 

 1ヶ月前からは本社からも人材教育課や各製造部から応援がきてくれる。

 その応援者の宿泊場所やらの手配もある。

 

 

 

 今までで一番の山場を迎え、確認作業に追われて疲労が蓄積してしまったかもしれない。

 来週から本社からの応援が来るというところで、今日は朝から体調が悪い。

 発熱しているのでとりあえず解熱剤で抑えて出勤した。

 

「片桐さん、体調良くなさそうですね。今日は早く帰って休んでください。」

 

 残業の日が続き、今日ももう夜の8時。

 Noraさんは一緒に残って作業をしてくれているのに文句も言わず、心配そうに気遣ってくれる優しさを有難いと思いながらも、そうは言ってられない現実が追いかけてくる。

 

「ありがとう。薬飲んできたし、大丈夫だよ。Noraさん、お願いしていたホテルの予約変更は出来てる?それに、もう遅い時間だし、君こそそろそろ帰った方がいいよ。夜道は危ないからね。」

 

 彼女の仕事はいつも完璧だ。度重なる変更にも迅速に対応してくれるし、他のメンバーへのフォローも手厚い。


 ホテルの予約変更を確認するためにパソコンの画面に視線を移したとき、目の前が暗くなった。

 

 あれ?停電??

 

 でも、誰も何も言わないなぁ。

 それに、停電だったら無停電装置でパソコンはついてるはず。


 

 不思議に思っていると、今度は体が地面に倒れた。

 

 え???地震???

 

「かっ、片桐さんっ!!!」

 

 いつになく大きな声で俺の名前を呼んでるNoraさんの声が聞こえた。

 

 彼女の身に何かあったのか?

 

 早く声のする方へ、と思っても体が重くて動かない。

 彼女の声がだんだん小さくなっていき、俺は意識を失ってしまった。 

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