第8話

 アルバイトの最終日。

 篠田さんが復帰し、工場の空気が更に明るくなった。

 

「木下くん、慣れない工場作業でも真面目に取り組んでくれてありがとう。お陰で治療に専念できて、もうほぼ治ったよ。」

 

 松葉杖も要らなくなっていて、見た目では骨折は分から無くなっていた。

 篠田さんとは工場ではほとんど一緒に働いていないけれど、ネットゲームの対戦仲間になり、週に1回くらい一緒に遊んでいるので普通に会話できる。

 

 今日でこの工場も卒業か。

 ちょっと切ないような、ちょっと大人になったような。本気で就職活動頑張るか。

 

 少し前までの自分が持っていなかった自信をもらったことで、前向きな気持ちが湧いてくる。

 

 お昼休憩をはさみ、昼礼が終わると、なぜか斎藤工場長に呼び出された。

 工場の事務所に入ると、初めて見る優しそうなおじさんが一緒に座っていて、対面の椅子に座るように指示があった。

 

「失礼します。」

 

 一礼をして椅子に腰を掛けると、斎藤工場長はにこやかに話し始める。

 

「木下くんは正社員希望で就職活動をしようと思ってると聞きましたが、職種はシステム管理とか開発とか、情報技術系を希望してますか?」

 

「はい。大学では情報工学を学び、卒業研究ではアプリ開発を行いました。出来れば大学で学んだことを活かしていきたいですし、研究室でのアプリ開発は特に楽しく取り組むことが出来、自分に合っていると感じたので、出来ればそういった情報技術に携われる職種に就きたいと考えています。」

 

 この工場に引き留められるのかな?

 でもやっぱり、工場作業じゃなくて情報系が良いな。

 

 なんで呼び出されたのか良く分からないままとりあえず笑顔を保っていると、工場長のとなりに座っている優しそうなおじさんが口を開いた。

 

「私はこの会社のシステム部の部長をしている飯田と言います。今、我が部の新規開発課の人員に不足が出ていまして、さらに海外への応援要請に対応していて実質的に2名欠員状態でして、困っています。先日、この工場でシステムの不具合が出たときにすぐに対応出来なかった理由を斎藤工場長にお話をしたところ、あなたの話を聞いたので、ぜひお会いしてお話しをしたいと思い、急ですがこの場を儲けていただきました。正社員での就職を希望されているとのことで待遇面はこちらにまとめました。是非、弊社への入社をご検討いただけませんか?」

 

 思ってもみなかった申し入れに、「はぁ・・・」としか応えらなかった。

 とりあえず、渡された労働条件通知書に目を通す。

 

 え、給料良い・・・。

 

 前に新卒で働いていた会社よりも良くてビックリした。

 しかも年間休日も多いし、退職金規程もちゃんとしてそうだし、システム部にも職場手当があるの嬉しい。

 

「木下さんは国家資格をお持ちなので、資格手当もあります。」

 

 飯田部長の念押しが刺さる。

 

「木下くんが気に入ってた食堂も、今までと同じように使えるよ。」

 

 斎藤工場長の念押しも刺さる。

 ここの食堂、マジで美味しかった。

 

 いやいや、食堂は大事だけど、それで就職先決めちゃダメだよな。

 

「あの、人間関係とかはどのような雰囲気でしょうか?前職を辞めた理由としては人間関係のウェイトが大きかったので、気になります。」

 

 飯田部長はニコニコと相槌を打って、嬉しそうに話す。

 

「うちの部は仲良くアットホームな雰囲気ですよ。新規開発課は課長が女性なんですが、彼女が上手にまとめてくれています。今は、先ほど話に出した海外からの応援要請でマレーシアに行っているので、彼女の面接は省略になりますが、心配することはないと思いますよ。それに、他のメンバーもみんな優しいです。」

 

 ほんとに大丈夫かな。

 でも、こんな良い条件で希望職種の部署に入れる会社なんて、これを逃したらもう無いかもしれない。

 この工場の人たちもいい人ばかりだったし、きっと同じ会社なんだからシステム部もいい人ばかりであると信じよう。

 

「あの、正式な試験や面接を受けるにはどうすればよろしいでしょうか?」

 

 前向きに捉えることにして次のステップへの意思を伝えると、衝撃の返事が返ってきた。

 

「木下さんの入社の意思が確認できれば、この場をもって採用とします。」

 

 え!?こんな会話で、いいの!??

 

 驚いているのが伝わったらしい。

 

「前職は大手の企業ですし、その入社試験を突破しているという実績もありますからね。後は人柄の部分で採用を判断するところですが、アルバイト中の勤務態度も優秀とのことですし、この場での受け答えもしっかりしてますし、ぜひご入社いただきたいと思いますがいかがでしょうか?こちらの都合で申し訳ないのですが、出来れば本日お返事を戴けると、4月1日の入社日に準備が間に合うので、少し急いでます。中途入社は1日か15日の入社日と決まってまして・・・。」

 

 今までの経験は無駄じゃなかったんだな。

 めちゃめちゃ頑張って入った、前職の入社試験も考慮されてることに気持ちが暖かくなる。

 

 出来れば持ち帰って熟考するところだけど、4月1日はもう再来週だし、新年度開始と同時に入社できるのは再スタートにぴったりな感じがするし、断る理由も見当たらない。

 

「こんなに有難いお話しを戴けて、感謝しかありません。是非、御社の一員として働きたいです。よろしくお願いいたします。」

 

 なんだか涙が込み上げてくる。

 

「よかった!では、入社手続きの書類一式を総務に作成してもらいますので、また終業時間ごろにこちらに参りますね。これから、よろしくお願いいたします。」

 

 自分も深々と頭を下げると、飯田部長は軽い足取りで工場を出ていった。

 

「突然のことで驚かせちゃったかな?これから、部署は違えど同じ会社の社員として、よろしくね。特に、うちの工場のシステムトラブルの時は優先的にね!」

 

 わははっ、と笑いながら斎藤工場長は握手を求めてきたので応じると、思いの外強くぎゅっと握られてむず痒い気持ちになった。

 

 

 

 工場の持ち場に戻ると、鈴木さんがなんの話だったのかと興味津々だった。

 入社することになった詳細を伝える。

 

「システム部かぁ。木下さん、パソコン詳しいだけじゃなくて専門的に学んでたんだね。あ、その部署に僕の兄貴がいるからよろしくね。ちょっと調子いいけど良いやつだよ。」

 

 そうなんだ。兄弟で同じ会社で働いてるとか、気まずくないのかな。自分にも兄がいるけど疎遠だからピンと来ない。

 鈴木さんは兄弟仲良さそうだし、鈴木さんのお兄さんならいい人そう。

 期待に胸が膨らむ。

 

 

 終業時間になり、20代後半くらいの男性社員が呼びにきた。めっちゃ笑顔。


「あ、あれが俺の兄貴。紹介するね。」

 

 鈴木さんがお昼に言っていた、システム部にいる鈴木さんのお兄さんが迎えにきてくれていて、お互いに紹介してくれた。明るくていい人そう!

 

 鈴木さんをはじめ、工場で一緒に働いた仲間と斎藤工場長、篠田さんに改めてお礼を言い、システム開発部に入ることになったと伝えると、みんなは祝福してくれて、飲み会にも誘ってくれると言っていた。

 

 ロッカーで全ての荷物を片付け、鈴木さん兄と一緒に本社社屋へと向かう。

 総務課に案内してもらう道中で簡単に自己紹介と挨拶をして、鈴木さん兄の雰囲気を読み取る。

 すごく話しやすい雰囲気で、上手くやっていけそうな気がする!

 

「今日の午後に突然部長から話があって、みんなビックリしてたけど、歓迎ムード一色だよ。安心してね!」

 

 そうなんだ、良かった。

 でも、業務は猫の手も借りたいくらい忙しいのかな?

 ブラックじゃないと良いけど。

 鈴木さん兄は疲れきってる感じでもないし、大丈夫そう。たぶん。

 

 鈴木さん兄が工場の鈴木さんと兄弟で呼びにくいので、鈴木先輩と呼んで言いか聞いたら、恥ずかしいと言いながらも承諾してくれた。

 

 総務課に到着すると個室に案内され、鈴木先輩とはそこでお別れだった。

 個室の中には総務課の入社担当の方が飯田部長と一緒に待っていて、早足で入社に必要な書類や健康診断の説明を受ける。

 

 ほんとに入社するんだという実感がじわじわと湧いてくる。

 システム部も作業ジャンパーを着用するようで、バイトで支給されたものをそのまま使ってくださいとのことだった。しっかり洗おう。

 

 入社の説明が終わり、付き合ってくれていた飯田部長に改めてお礼を言ってお辞儀をする。

 

「こちらこそ、ありがとう。入社までの短期間だけど、うちの部のことを少しでも知っておいた方がいいと思って、年間計画とメンバー表を資料として作ってきました。会社用のケータイ電話の番号とメアドも入っているので、なにか質問があれば気軽に連絡ください。あ、連絡しなきゃっていう変なプレッシャーも不要なので、質問がなければ大丈夫です。入社まで、元気に過ごしてくださいね。」

 

 何もかもが有り難く感じる。

 飯田部長にもう一度お礼を言ってお辞儀をすると、ふわふわしたような感覚で本社社屋のエントランスを出た。

 改めて社屋を外から見上げる。

 

 今日はなんだか、不思議な日だったなぁ。

 これからの未来を良くするのも悪くするのも自分次第だし、せっかくの縁で繋がった会社だから頑張ろう!

 

 

 

 帰り道も少し笑顔だったかもしれない。

 家に帰るとお母さんとお父さんも帰ってきてた。

 

「ただいま。」

 

 声のトーンが明るく、笑顔だったようだ。

 お母さんから「何か良いことがあったの?」という言葉を掛けられて、何故か涙が溢れてくる。

 

 お父さんも優しい性格なので、ティッシュを渡してくれた。

 

「お父さん、お母さん。今日、アルバイトに行っていた会社のシステム部から正社員で働かないかって声をかけてもらって、入社が決まったんだ。たくさんの人に気にかけてもらって、そのみんなの気持ちが嬉しくて!お父さんとお母さんには心配も迷惑もかけてばかりだったけど、やっと新しくスタートをきれると思う。本当に今までありがとう。」

 

 父と母は顔を見合わせて、嬉しそうに「そうか!奏汰がやりたい仕事が出来そうで良かった。」と、うんうんと頷いている。

 

 そんな両親の顔を見て、自分もほっとした。

 フリーターの期間は不特定の女性と不純に遊んで、何日も家に帰らなかったり、前職を辞めるときも俺のメンタルがどん底で鬱病になるんじゃないかとか、ほんとに心配ばかりさせてしまったことに背徳感があった。

 やっと親孝行の入り口が見えてきたような気がする。

 

 

 ご飯を食べてお風呂に入り、今日1日の出来事を思い出す。

 昨日まで、いや、今日の午前中までは職探しをどうしようと考えていたのに、就職活動することもなく職が決まった。

 

 そして、だんだん不安になってくる。

 

 こんなにとんとん拍子で決まるなんて、なにかあるのかも。死亡フラグ的な?

 

 お風呂から出てひと息つくと、入社手続きの書類や飯田部長が作ってくれた資料を机に出す。

 

 なんとなく気になっていたシステム部の資料を見てみる。

 

 メンバーは自分を含めて全員で5人、部長、課長、係長以下はいないようだ。

 少人数で動きやすそう。

 

 鈴木先輩は流星りゅうせいという名前らしい。おしゃれな名前だなぁと思いながら、他のメンバーの名前も眺める。

 

 役職のない課員は鈴木先輩の他に柴田茜さんという女性がいるようだ。どんな人かな、楽しみ。

 課長も女性って言ってたな。

 

 ・・・・・・・ん?

 

 課長の名前を見た時に息が止まった。

 

 『島田真悠子』・・・・・・・。 え?

 

 漢字の活字になるとピンと来なかったけど、もう一度ゆっくりと名前を再生する。

 課長の名前は『しまだまゆこ』さん。

 

 

 居酒屋バイトを辞めた日、辞めると店長に言った少し前の時間の記憶を一生懸命掘り起こす。

 

 あの時、まゆさんは部下の鈴木くんの人生相談に乗っていた。たしか、部下の鈴木くんはまゆさんのことを「島田課長」と呼んでいた。

 

 今日会話した鈴木先輩はあの時不倫で悩んでた、まゆさんの部下の鈴木くんってこと・・・?

 

 確かに、思い出してみると鈴木先輩=鈴木くんかも・・・。

 いや、そんなにはっきり覚えてないって!

 

 

 え・・・、嘘でしょ?

 こんな偶然、嘘でしょ??

 

 

 

 冷静になろう。深呼吸。

 

 そもそも、まゆさんからブロックを外してもらいたいからバイトを辞めてフリーターを卒業したわけだし、まゆさんがいるからって就職先として避ける理由にはならない。むしろ好都合なのでは?

 ただ、ストーカーとして疑われる気がする。

 その時は篠田さんとの出会いから順を追って説明するか。

 信じられないくらいミラクルな話だけど、これが現実だ。

 

 やっぱり、とんとん拍子で事が運ぶときは何かあるんだな。

 まゆさんと会える日が楽しみのような気まずいような。少しは見直してもらえると良いな。

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