第18話

 島田さんのマレーシア工場での応援勤務が今日で終わる。一緒に勤務していたメンバーと、ちょっとした送別会を食堂で行うことにした。

 

『いつも笑顔で挨拶してくれたので、気持ちよく仕事に入れました。ありがとうございました。』

 

 システム部のメンバーから労いの言葉をかけられて、島田さんはメンバー一人一人に握手をして良いか確認してから笑顔で握手をしていた。

 宗教や文化的な違いで、握手ですらも体に触れることをかなり嫌がる人もいるため、島田さんの対応はとても配慮がある。

 

 自分は外国語大学の在学中に、バックパッカーでいろんな国を訪れたので、人並みよりはたくさんの文化を体感してきている方だとは思う。でも、深く人と関わっていくと、触れたくても触れられない部分がどうしても出てきて、結局短い期間では触れないままで別れが訪れていた。

 

 Noraさんと島田さんは抱き合って別れを惜しんでいる。その光景を眺めて、なんだかモヤモヤした気持ちが燻る。

 結婚を前提にお付き合いしているはずだけど、俺はまだ、Noraさんと手も繋いでいない。

 

「片桐さん、お世話になりました。安心してこの地に来れたのは、片桐さんがいてくれたおかげです。日本に戻るときは声かけてくださいね。私もこっちに来るときは声かけます。」

 

 あの時、もし、俺のプロポーズ紛いの言葉に島田さんが難色を示さなかったら、どうなっていたんだろう。もし付き合ったりしてたら・・・。いつ手を繋げばいいのかくらい、分かる気がするなぁ。

 

「島田さんがいなくなると、俺も寂しいなぁ。日本人にしか分からないニュアンスを、分かってくれる人がいなくなっちゃうのかぁ。」

 

「何言ってるんですか!片桐さんには、片桐さんのことをたくさん知りたいって思っている可愛い彼女がいるのに。ニュアンスって、日本人だから分かるものじゃないです。知りたいっていう気持ちが大事ですよ!結婚式には呼んでくださいね。」

 

 まぁ、そうなんだろうけど。

 うまく行かないことがあると、重要なことから目を背けてしまう。

 

 劉さんが呼びにきて、最後に記念写真を撮ると、みんなは帰っていった。

 

『片桐工場長、明日の朝なんですが、30分遅刻しても良いですか?島田課長を空港まで送ってから車で出社します。』

 

 会社にいるからなのか、劉さんはしっかりと役職をつけて名前を呼ぶ。劉さんたちは明日から遠距離か。ちゃんとオンとオフを分けていて、大人だなぁ。

 

『もちろん!公務扱いで大丈夫です。空港で、しっかり見送って上げてください。』

 

 『ありがとうございます。』と返事をする劉さんは、やっぱり寂しさを隠しきれていない。この2人を見てると切ない。

 

 

 

 翌日、劉さんは15分だけ遅刻して出社してきた。

 

『おはようございます。早かったですね。』

 

 何かを早く話したい感じで、『おはようございます。今、お時間ありますか?』と言ってくるので、休憩スペースに移動した。

 

 お茶を飲みながら、どうしたのかと訊ねる。

 

『日本語を、教えて欲しいんです。どのくらいで習得できますか?出来るだけ早く覚えたくて。』

 

『急にどうしたの?日本語は奥が深いから、どの程度覚えたいのかにもよるけど。何かに、必要なんですか?』

 

 プライベートと仕事が混じったような話に、しゃべり方が変になってしまった。

 

『こんなこと会社で話すことでは無いかもしれないんですけど。実は、真悠子さんと婚約したので、日本のご家族に挨拶に行こうと思ってて。日本では8月の中旬と、年末年始に家族で集まると聞いたので、8月に日本に行こうと思ったんです。僕は彼女の家族から見たら外国人だし、きっと警戒されます。日本語が通じれば、僕のことにも少しは親近感を抱いてくれると思うし、彼女にいちいち通訳してもらうのも申し訳ないので、日本語を覚えたいんです。』

 

 はい??

 もうそんなところまで話が進んでるの??

 

『日本語を教えるのは全然大丈夫なんだけどさ。え、早くない?このペースだと俺たちより早く結婚するじゃん。』

 

 ちょっと放心状態になり、フランクな言葉しか出てこなかった。

 

『そうですか?彼女と繋がっていたいし、傍にいたいから結婚する。自然なことだと思います。1度結婚に失敗してるので、真悠子さんと出逢うまでは、結婚することを積極的には考えてませんでしたけど。結婚相手を探した訳じゃなくて、相手が現れたから結婚するというシンプルな流れだと思います。』

 

 まっすぐな人だなー・・・。

 島田さんも結婚には前向きになれないって言ってたのに、劉さんがこの調子で口説いたのかな。


『そうだね。でも、結婚する前に確かめたいこととか無い?』

 

『え、例えばどんなことですか?持病はないのかとか?』

 

 あー、まぁ、それも気にはなる。

 

『体の相性とか・・・。』

 

 会社なので小声で話すと、劉さんは、『あー・・・。そういうのか。』と呟いた。

 

『もしかして、この短期間でそこまで確かめ済みなの!?』

 

『さすがにそこまでは確かめてないですけど。それって、雰囲気でだいたい分かりませんか?ハグとかキスとかで。僕は絶対に真悠子さんと一緒に暮らしたいので、彼女の家族にも胸を張って挨拶に行きたいし、彼女に嫌われるようなこともしたくないです。』

 

 島田さんのことめっちゃ好きなんだな。

 っていうか、ハグとかキスはしたのかよ。

 

『俺なんて、いつ手を握れば良いのかすら分からない・・・。』

 

 え?という表情で俺を見ている。

 

『タイミングが分からないなら、本人に聞けば良いんじゃないですか?相手は異国で育ってきてるんだし、そんなこと聞かないでよ、とは思わないですよ。』

 

 的を獲ている。俺のこんな、くだらない相談にも真剣に答えてくれて、劉さんは、いい人だ。

 

『ありがとう。じゃあ、日本語のレッスンは毎朝1時間、会議室でやるのはどお?日本と時差が1時間あるし、きっとモーニングコールとかするだろうから、早く起きてるでしょ?』

 

 彼は凄く嬉しそうに『はい、お願いします!』と握手を求めてきたので応じる。

 他人の手って温かいよなぁ。Noraさんの手は、どんな感じなんだろう。

 

『あの、手離してください。』

 

『あー、ゴメンゴメン。』

 

 苦笑いをして彼は仕事に戻っていった。

 よし、聞こう!本人に聞くぞ!

 

 

 

 休日にデートを重ね、NoraさんのファーストネームはAnnieで、父親はギリシャ人だということや、弟がいること、J-POPではcheriosというアーティストのファンだということ、日本に旅行したら原宿や表参道に行ってみたいこととかが分かってきた。

 父親がギリシャ人なのは、確かに西洋っぽい顔立ちだし、名前もちゃんと履歴書を見ればファーストネームがあることくらい分かったはずなのにな。思い込みは俺の悪い癖だ。

 

「片桐さん、今日も楽しかったです♡」

 

 日が暮れて、今日のデートも終盤。お付き合いを始めてから1ヶ月以上も経つのに、劉さんたちみたいな恋人感が醸せてないんだよなぁ。

 

「あのさ・・・。こんなこと聞いて良いのか分からないんだけど・・・。」

 

「なんですか?」

 

 Noraさんは笑顔で俺の顔を見て待っている。

 

「手は、いつ頃繋げば良いの?繋いで良いの?あと、出来ればアニーって呼びたいんだけど、まだ早い?俺は宏祐だから、コウスケさんとか、コウちゃんとか、ファーストネームで呼ばれたい。なんか色々、タイミングとかが分からなくて・・・。」

 

 思いの丈をぶつけてスッキリすると、恥ずかしさが込み上げてくる。手を繋ぐことなんて、小学生でも、いや、幼稚園児でも出来る。・・・日本なら。

 無言が続いて、耐えきれずに下を向くと、左手が温かい感触に包まれた。

 そっと、優しく。

 

「覚えてないですか?・・・私、あの時、ずっと手を握ってました。片桐さんが倒れたとき。」

 

 そっか。だからなのかな、安心する。

 

「今から、アニーって呼んでください。私はコウスケさんって呼びますね。手は、繋ぎたい時に繋いでいいです。」

 

 俺の手を握ってニコッと微笑む彼女を見つめる。

 絆されるって、こういうことかな。目が離せない。

 

「・・・アニー。」

 

 照れる!めっちゃ照れる!

 

「コウスケさん♡」

 

 可愛いっ!抱き締めたい!

 

「抱き締めたりキスしたりはまだだめ?」

 

 彼女は、えっ!と言って顔が赤くなった。

 

「宗教警察もいますし、人目のあるところでそういうことはしない方がいいと思います。誰にも見られないところでなら・・・。」

 

 いいんだ!そっか、そうだよなぁ。日本でだって、あまり人に見られないようにする気がする。

 

「じゃあ、次の休日は俺の家でまったりデートで。あ、まったりっていう日本語は、ゆっくりくつろぐことね!」

 

「はい♡楽しみにしてます♡ごはんの準備、持っていきますね!」

 

 今の俺の顔、絶対にデレデレしてる気がする。

 恋人かぁ。そうだよ、この感じ!恋愛中の楽しさって、こういうのだった気がする!

 

「よかった、勇気を出して聞いて。どうして良いのか分からなくて、また劉さんに相談しちゃったよ。」

 

「最近、劉さんと仲良しですよね。朝は会議室で何かやってるんですか?」

 

 劉さんに日本語を教えていることと、教えることになった経緯を説明すると、アニーも驚いていた。

 

「凄いですね!劉さん、行動力も判断力もあるから、スピードが速いです。」

 

 そうか。行動力と判断力があるから速いのか。

 

「やっぱり、速い方が良いのかな・・・。」

 

「人にもよると思います。私は、しっかり納得してから結婚したいです。」

 

「そうだよね!俺も、アニーと同じ気持ち♡そんなに長く待たせるつもりもないけど、このまま結婚して良いのかなって不安になる速さは考えてないから。もし、まだなのかなって思ったら、遠慮無く言って欲しい。」

 

 「分かりました!」とぎゅっと手を握って、離した。彼女の家が見えてきた。

 

「じゃあ、また!後でメッセージ送るね!」

 

「はい!待ってます♡」

 

 手を振って別れ、彼女が家の中に入るのを見届けると、自宅に向かって歩き出す。

 今日は手を握っただけなのに、どうしてこんなに嬉しいんだろう。やっぱり、体温を感じたからかな。

 

 

 

 劉さんに日本語を教えるようになって1ヶ月が過ぎた。

 

「おはようございます。」

 

 彼は簡単な挨拶はすぐにマスターし、日常会話も読み書きはできないけれど会話はだいたい出来るようになった。

 

「劉さん、習得スピードが速いね!俺の日本語教員資格が役立ったかな!」

 

 大学で資格が取れる講座を受けていたので、一応資格を持っている。

 彼は「そうですね・・・」と返事に元気がない。

 

「どうしたの?元気ないね。」

 

 日本語レッスン中は日本語で会話するようにしている。

 

「日本に行くのがnextweekなんですけど。ちょっと難しい。英語でも良いですか?」

 

 深刻そうな悩みに「どうぞ」と言うと、ちょっとため息をついていた。

 

『日本に行く予定が来週で、チケットも取ってたんです。でも、同じ期間に息子が会いに来てくれることになって、どうしようかと・・・。』

 

 ・・・・・え?

 

『息子さんがいるの?』

 

『はい。イギリスで全寮制のパブリックスクールに在学していて、今は3年生です。もう3年くらい会ってないので、会いたいんですけど・・・。』

 

 中学3年生って、15歳くらい?衝撃!

 

『島田さんに相談したの?』

 

『しました。真悠子さん、まだご家族には僕が行くことを言ってなかったみたいで、そっちを優先して良いよって言ってくれました。でも、ご家族に言ってなかったのもちょっとショックだったし、ほっとした様子だったのも気になって・・・。』

 

 めっちゃ分かる。それは俺ってそんなに軽い存在なの?ってなる。でも、島田さんの気持ちもよく分かる。

 

『これはオレの個人的な意見だから気を悪くしてほしくないんだけど、いいかな。』

 

 劉さんは頷いて、真剣に耳を傾けてくれた。

 

『島田さん、ちょっと休憩したいんじゃないかな。劉さんは真っ直ぐな人だから、大好きな大切な人と一緒に過ごすために、手段と方法を考えて一つずつ実行しているだけかもしれないけど、そのスピードに息切れしていて、休めそうなポイントが出来たからほっとしたんだと思う。もちろん劉さんのことを好きな気持ちはちゃんとある思うけど、だからこそ言い出せなくて、島田さんも悩んでいたのかもしれない。今回の件は、深呼吸して歩幅を合わせるいい機会なんじゃない?』

 

『そうですね・・・。そうかもしれないです。僕は何に対してもストイックだと言われてしまうところがあって、ゴールに向けて突き進んでしまいます。仕事上ではそれがプラスに働くことが多いですけど・・・。そうですよね、彼女に対しての配慮が足りなかったかもしれない。気持ちが先走ってしまいました。』

 

『まぁ、コーヒーでも飲もう。』

 

 ホワイトコーヒーを淹れてあげると、カップを見つめて涙ぐんでいるように見えた。

 

『はぁ・・・。逢いたいなぁ。』

 

 見てる方も、胸が苦しくなるくらいに寂しそう。

 

『そのうち本社からお呼びがかかる予定だし、「果報は寝て待て」だよ。』

 

 ちょっと使い方がおかしかったかもしれないけれど、「果報は寝て待て」を説明して今日の日本語レッスンは終わった。


 遠距離、辛そう・・・。

 2人の仲は、物理的な距離に負けてほしくないな。

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