第16話

 鈴木先輩と食堂で昼食をとっていると、マレーシア出張から帰ってきた篠田さんが同じテーブルに座ってきた。

 鈴木先輩は笑顔で席をつめて、篠田さんを迎え入れる。

 

「マレーシアはどうでした?暑かったですか?」

 

「いやぁ、良いとこだったよ。気候もちょうど良いし、ありゃ帰りたくなくなるよ。」

 

 マレーシア工場での写真を見せてくれて、新築の工場の綺麗さ、広さに羨ましくなる。

 マレーシアではどの料理もおいしく、外れがなかったらしい。

 

「食堂も美味しくてよかったよ。島田ちゃんと一緒に食べて、向こうの工場長と総務の主任とシステムの課長とも話した。良い人たちだったよ。っていうか、島田ちゃんにはほんとに感心したよ。全部英語なのに普通にコミュニケーションとってるし、向こうのシステムの課長さんの劉さんとはだいぶ打ち解けてる感じだったな。」

 

 その劉課長が写っている写真を見せてもらう。マレーシア人と言っても中華系で、見た目は中国人。背が高く爽やかな笑顔で、中国映画に出てくるようなイケメンだった。

 

「島田さん、早く帰ってこれそうですかね。」

 

 鈴木先輩は限界が近いらしい。

 飯田部長から鈴木先輩への当たりの強さは、日に日にパワハラチックになってきていて、俺でも通報を考えてしまう。

 

「修正の対応があるみたいで、早めるのは難しそうだったけど、延びないようには頑張るって。あと、鈴木くんに、キツかったら仮病で休んじゃえって言っといてってさ。後はなんとかするって言ってた。」

 

 仮病で休めって言う上司なんているんだなぁ。

 きっと、鈴木先輩は不真面目に休んだりする人じゃないことを分かっているから、そういう発言も出来るんだと思う。

 

「休まないけどさ。そうやって寄り添ってくれるの、ほんとにありがたい。島田さんにはいつか恩返しをしたいなぁ。」

 

「そうか。そりゃお前、早く一人前になって、島田ちゃんを支えてやらなきゃな。」

 

 篠田さんは鈴木先輩の背中を優しく叩いた。

 この会社の人たち、いい人多いなぁ。

 

 昼食を食べ終わり、篠田さんに挨拶をいれて席を立つ。

 お昼休みは休憩コーナーで食後のコーヒーを飲むのがルーチンになった。


 休憩コーナーには誰もいなくて、なんとなくホッとする。

 

「それにしても、飯田部長はなんであんなに鈴木先輩にだけ当たりが強いんですか?」

 

 鈴木先輩はスマホの待受画面を見せてきた。

 

「たぶん、これだよ。」

 

 奥さんらしき人と安産祈願の御守りが写真に納められている。

 

「今の俺の奥さん。もともとはこの会社で働いてて、うちの課にいたんだ。妊娠して、木下くんが入ってくるちょっと前に辞めたんだけどさ。飯田部長は新卒で入ってきた彼女のことを可愛がってたし、娘のように思っていたのかもしれない。俺は、彼女と不倫をして、子どもを授かったから前の奥さんと離婚して再婚した。そういう無秩序なとこが気に入らないんだと思う。飯田部長は愛妻家だからさ。」

 

 居酒屋バイトの時に聞き耳立ててたから不倫のことはだいたい知ってたけど、そういう経緯があったのか。

 

「なんで不倫したんですか?前の奥さん、嫌いだったんですか?」

 

 なんとなく思ってしまったことを聞いてしまった。

 

「嫌いとまでは思ってなかったけど、好きでもなかったかな。向こうも、俺のことを好きっていう感じじゃなかった。ただの同居人みたいな。今思うと、別れてから付き合うべきだったんだよな。今の奥さんと再婚したことは後悔してないよ。一緒にいると楽しいし、会社が辛くても家族のために頑張ろうって思える。」

 

 そうなんだ。やっぱり不倫は、最終的に幸せになれる可能性はかなり低そう。

 

「こんな先輩嫌だよな。」

 

 鈴木先輩は背中を丸めている。

 

「そうっすね。背中を丸めて自信無さそうに項垂れてる鈴木先輩は、嫌です。」

 

 「え?」と言って、丸めていた背中を背もたれにつけてきた。

 

「大事なのはこれからですよ。不倫は良くないことかもしれないですけど、それでもしてしまう気持ちも分かるし、それで救われた人だっていると思うんですよね。だって、結婚したら豹変する人、いるじゃないですか。そんな相手を選んでしまった人は、自然に心の拠り所を求めてしまうと思います。」

 

「なんだよ。なかなか理解があるんだな。でも、経験者から言わせてみると、やっぱり不倫は良くないよ。もう俺はやらない。」

 

 まぁ、そうだよな。俺も、もうやらないと思う。

 

 

 午後の業務が始まり、また慌ただしく時間が過ぎていく。

 柴田さんが更新した、法改正対応後の受注システムの動作確認のため、出荷倉庫のパソコンで作業していると、事務のお姉さんに声をかけられた。

 

「システム部に新しく入った木下さんですよね?この前まで工場でバイトしてました?」

 

 ギャル感を押さえきれていない感じの人で、事務服を着ている。

 

「はい!あのアルバイトからご縁があって、システム部にと声をかけていただいて入社しました。よろしくお願いします!」

 

 印象は良い方が仕事もしやすい。ビジネススマイルで対応すると、彼女は俺に興味を持ったのか、歳とか彼女はいるのかとか聞いてくる。

 これはちょっと、ウザいな・・・。

 

 柴田さんから社内スマホに着信があり、彼女に断りを入れて応答した。

 

「確認の方はどうですか?そこにいる事務の人、年下キラーと呼ばれているので気を付けてくださいね。ちなみに既婚です。」

 

 そうなの?左手の薬指に指輪はしていない。

 個人情報が保護されている今、既婚かどうかとか、それ以外からどこで見分けろと・・・。

 

「確認はあと2項目で終わります。通話のまま作業して良いですか?」

 

 インカムを繋いで柴田さんと通話しながらの作業に移った。ちょっとしたこともすぐに質問できるので、効率よく進む。

 事務の人は、少し席をはずしたようだ。

 

「確認作業終わりました。毎回、完璧ですね。」

 

 彼女が更新したプログラムの動作確認は何度か行ったけれど、1度もエラーが出たことがない。

 

「ありがとうございます。完了の挨拶をして戻ってきて下さい。また鈴木さんが怒鳴られてます。」

 

 最後の方は小声だった。飯田部長、そろそろ通報しないとかもな。

 

 事務のお姉さんに完了の挨拶を入れて、自分のフロアに戻ろうとすると、呼び止められた。

 

「パソコンの調子が悪いとき、呼んでも良い?」

 

 甘えるような声で、男心をくすぐってくる。

 色気のある仕草に、昔の俺なら「いつでも呼んでください」とか言ってた気がする。

 

「症状によっては管理課の管轄になるので、1度内線入れていただけると助かります。」

 

 内線番号を教え、急いでる風で出荷倉庫を出た。

 ああいうお姉さん、はまると沼だよな。こわっ。

 


 戻る途中で、俺が入社するときに手続きをしてくれた入社担当の人とすれ違い、挨拶をした。

 

「どうですか?会社には慣れましたか?」

 

「はい、お陰さまで鈴木先輩をはじめ、皆さんによくしていただいて馴染んできました。」

 

 笑顔で返すと、「そうですか。よかったです。」と言った後、廊下の影に手招きされた。

 

「飯田部長の様子はどうですか?」

 

 総務部にも話が入っているのか。ここはうちの課の最大の悩みを打ち明けるべきだな。

 

「実は、今も鈴木先輩を怒鳴っているみたいで、柴田さんから早く戻って来るようにと連絡があって・・・。怒鳴り始めると長いんで、いつもは僕と柴田さんで適当な口実を作って邪魔をするんですけど、最近は話しかけるのも一苦労というか・・・。」

 

 俺の話を聞いて、彼女は「ちょっと待ってて」と言って総務部の部屋に戻っていくと、すぐに誰かをつれて戻ってきた。

 

「コンプライアンス企画担当の森です。現場を押さえたいので、一緒についていって良いですか?」

 

 40歳くらいかな。しっかりとネクタイを締めて、姿勢が良くてキリッとした感じの男性だ。

 フロアのドアを社員証で開けると、早速怒鳴り声が聞こえてきた。

 

「私はここから証拠動画を納めた後に飯田部長へ声をかけます。あなたは仕事に戻って下さい。」

 

 分かりました、と軽く頭を下げてデスクに戻る。俺が席に座ると柴田さんはほっとした様子だった。

 飯田部長のねちねちした叱責は終わりが見えず、鈴木先輩も聞き流してはいるようだけど、俯いて目が死んでいる。

 

「あのー・・・」

 

 話を遮ろうと思い、書類を持って鈴木先輩に声をかけようとしたけれど、なかなかタイミングが掴めず話しかけられない。飯田部長も俺を一瞬見たけれど、話をやめない。

 

 ため息をついてデスクに戻り、さっきの森さんの姿を見ると、撮った動画を確認しているようだ。

 となりの席だけど柴田さんに社内チャットを送る。

 

「"コンプラ企画の人が来てる"」

 

 柴田さんはチラッと俺の方を見て、「"救世主キタ!"」と返してきた。

 彼女はチャットだとけっこう素が出るので面白い。

 

 森さんは動画がちゃんと撮れていることを確認したのか、無言で鈴木先輩の隣に並んだ。

 

「飯田さん、少しお時間よろしいでしょうか?」

 

 森さんが首から下げている社員証を飯田部長に見せると、部長はすぐに黙った。

 

「ここでは何ですので、会議室の方へ。」

 

 まるで警察に連行されていくように見える。

 フロアじゅうに漂うのは、なんとも言えない重い空気。

 飯田部長の姿が見えなくなると、鈴木先輩は自席の椅子に座って、「ふぅーっ」と深く息を吐いた。

 

「木下くんが連れてきたの?」

 

「違いますよ。なんか、総務部に話が入ってたみたいですよ。」

 

 誰かが通報したんだろうな。

 同じフロアの隣の島にいるシステム部管理課の宮本課長が鈴木先輩に近づいてきた。

 

「大きなお世話だったかもしれないけど、私が話をしました。同じ部で、明日は我が身だし、放っておけなくてね。」

 

 宮本課長は50代くらいかな。島田課長と比べるとだいぶベテランな感じがする。

 もしかして、部長の座を狙ってたり・・・?

 

「すみません、ありがとうございます。」

 

 鈴木先輩は余力でお礼を言っているようで、ぐったりしている。

 宮本課長が席に戻るのを見届け、柴田さんが「大丈夫ですか?」と声をかける。

 

「大丈夫じゃないかも。ちょっと、医務室行って胃薬もらってくる。」

 

 ヨロヨロと医務室へ向かう鈴木先輩を柴田さんと一緒に見送る。

 

「かなりダメージ受けてますね。」

 

「うーん・・・。飯田部長があんな感じになった理由って鈴木さんから聞きました?」

 

 大まかには本人に聞いたことを伝えると、柴田さんは何か話したいことがあったのか、嬉しそうだった。

 

「鈴木さんの今の奥さんの中村さん、私の2年後輩で入ってきたんだけど、凄かったんですよ。」

 

 何が?気になる!

 普段はあまり口を開かない柴田さんは、慣れた間柄になってくると普通に話してくれる。

 彼女は話す時の間の取り方が独特で、次を聞きたくなるような話し方に、のめり込むように話を聞いてしまう。

 

「鈴木さんへのアプローチというか、好きっ!っていう愛情表現が。鈴木さんも、なんか満更でもなさそうで、不倫にならなければいいな、って心配はしてたんです。結局不倫してて、略奪婚に発展しましたけどね。だから、怒鳴られるなら中村さんも怒鳴られるべきなんです。」

 



 鈴木先輩の奥さんからの猛アタックだったのか。

 

「あの、鈴木先輩が既婚者だということは、その中村さんは知ってたんですか?」

 

「え?・・・あっ、最初は知らなかったかも!年末調整あたりで配偶者がいることを知って、ショック受けてた気がします。」

 

 鈴木先輩も結婚指輪してないもんな。金属アレルギーって言ってた。

最初に既婚者だと知らなくて仲良くなり、途中から既婚者だからなんて言われたって、火が着いてしまっているものはすぐには消えない。

 

「僕も今日、柴田さんからの助言がなかったら、出荷倉庫のおねえさんにひっかかってたかもしれないです。彼女、指輪してなかったし、既婚かどうかなんてすぐには分からないじゃないですか。助かりました。」

 

「そんなにすぐに引っ掛かるもんなんですか?」と柴田さんは軽く笑っている。

 

「いやいや、笑い事じゃないんですよ。実際に引っ掛かったことありますし。僕、誘われるとチョロいんで・・・。」

 

「・・・・・・まじか。」

 

 あの柴田さんから「まじか。」という単語が出て、親近感を抱く。

 

「僕の場合は一応バレずに終わりましたけどね。フラれて、傷ついて、その後はしばらく、倫理とかも分からなくなっちゃって。あ、今はちゃんと不倫はダメって分かってます。」

 

 呆れられてるかと思ったら、クスクス笑っている。

 

「好きだったんですね、不倫相手のこと。」

 

 どうだったっけ・・・。

 どうして付き合ってたんだっけ?

 思い出そうと思えば思い出せる気がするけど。

 

「もう、忘れたことにしてるんです。記憶も、完全消去出来ればいいですよね。」

 

「リライトすればいいんじゃないですか?ゴミ箱にも残らないですよ。」

 

 表現も、ちょっと笑ってる感じも面白い。

 

「ちなみに、柴田さんは独身ですか?これ、セクハラじゃないですから。必要な情報ですから。」

 

「私、彼氏いない歴27年ですが、なにか。」

 

 ちょっとムスッとしているけど、特にそれを引け目に感じている空気は無い。

 

「いえ。・・・これ以上この話に突っ込むとセクハラの域に入るのでやめておきます。」

 

 彼女はニコッと満足げに微笑んで、パソコンの画面に視線を戻した。

 

「あ、コンプラ企画からメール来てます。」

 

 自分のメーラーを確認すると、コンプラ企画からのメールが届いていて、鈴木先輩や柴田さんと一緒に宛先に入れられていた。

 事実確認の事情聴取が行われるらしい。

 物々しいな・・・。この後、どうなるのかな。

 たぶん飯田部長がシステム部から離れることになる可能性は高い。

 

 鈴木先輩が席に戻ってきて、メールが来ていることを伝えると、ふぅっ、と短く息を吐いて気合いを入れた。

 

「とにかく、島田さんが帰ってくるまでは持ちこたえないと。」

 

 その1分後くらいに島田課長からWebのグループ通話着信があり、新規開発課の全員が自席で応答した。

 

「コンプラ企画からメールが来たんだけど、どうしたの?」

 

「えっと・・・、画面共有します。」

 

 柴田さんが気を利かせて、画面にテキストを表示し、経緯を文字で伝えてくれた。

 

「そんなことになってたのね・・・。まさかそんなに酷く怒鳴ったりしているなんて思わなくて。鈴木くん、ごめんなさいね。もし辛かったら少しお休みしてもいいよ?」

 

「いえ、大丈夫です。島田さんに迷惑かけたくないです。心配してくださって、ほんとにありがとうございます。」

 

 島田課長は「そぉ?無理だけはしないでね。」と気遣っている。

 

「こっちの業務も目処が付いて、帰国を早められそうです。どのくらい早めるかを海外事業部とも相談しますね。たぶん、1ヶ月くらいは早められると思うので。」

 

 鈴木先輩も、柴田さんも、ぱぁっと笑顔になる。

 

「ってことは、再来週には戻られるんですか?」

 

「飛行機次第だけど、その方向で考えてます。こっちの業務をリモートで応援するかもしれないけど、その方が私も気が楽だし。この後、常務が入ってシステム部の今後の体制についての会議があると思うから、とりあえずは各々で出来る業務を進めておいて下さい。」

 

 具体的にどうなるのか、何をすればいいのかを示してもらえると気持ちが軽くなる。

 

 いよいよ、「まゆさん」と対面か。

 結局まだ、メッセージアプリのブロックは解除されていないし。

 

 早く逢いたい。

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