クズどもの価値

眞山大知

第1話

 上京して捨てたはずのクソ田舎。本当に、帰りたくなかった。長いため息が不意に出る。

 仙台市営地下鉄・五橋駅のかすかにアンモニア臭い階段をのろのろと登る。早く歩こうとすると、後ろにいる翔がいらだつのだ。振り返ると、ダビデ像のような面長の深い顔をした翔は、黒くてブカブカのチェスターコートを着て、出口へ向かって指をさした。

「奏太、見ろよ。ひでえ雪。死ねばいいのに」

 翔はガキみたく大げさに舌打ちをしたあと、階段を踏み外して転倒しかけた。うんざりする。図体ばかりデカい、二十七歳児。そんなクズでも腐れ縁の仲。そして、仙台で一番注目されている起業家だ。

「アホかよ。スーツを汚すなんて、それでも社長かよ」

 翔を嘲る。気持ちいい。よろよろと立ち上がる翔の左胸には、金色の社章に憎たらしく光っている。「S」の字の中央に目が一つ。これが、翔の創設した会社・『スガワラ王国』のロゴマークだ。

 会社で扱っている商材は、現実にない架空の国家・スガワラ王国での肩書だ。国営企業の正社員なら三千円、国家公務員なら五千円、社長なら一万円、国会議員は三万円、大臣なら五万円。たとえ子どもでも、公式ウェブサイトから大臣の肩書を購入すれば、一週間後に自宅に辞令が届き、その日から大臣を名乗れる。もちろん、その肩書は現実の社会で価値がない。辞令もただの紙クズ。だが、肩書を買う人間は、スガワラ王国が実在しないことを承知して買っているし、購入規約にも「この肩書は現実の社会では使用できません」と明記されている。

 ただの紙クズも、相手が納得すれば売れるのだ。

 階段を登りきって、五橋のオフィス街へ出る。一面の銀世界。仙台でも、十一月の大雪は珍しい。大粒の丸い雪が絶え間なく、空から降り注いでいた。

 出口の目の前、愛宕上杉通の向かい側には、NTT東日本・東北支社の鈍色で低いビルが立っていて、外壁に掲げられた大型ディスプレイには、スガワラ王国のCMが流されていた。

 

 朝の小学校。男子が教室に駆け込む。男子は勢いよくランドセルを開けると、大臣の任命辞令を取り出し、先生に見せびらかす。

「先生! 俺、スガワラ王国の大臣になったよ!」

「そんなこといいから、早く宿題を出しなさい」

 先生は呆れ顔で注意する。画面の脇から翔が現れて、視聴者へ優雅に語りかける。

「私、菅原翔は、スガワラ王国の国王として、国家の明日を担う人材を募集しています。みなさんも、私の国の一員になりませんか? 『スガワラ王国』で検索!」

 画面の中央に会社のロゴマークが現れる。「S」の字の中央に目が一つ。端には、「※スガワラ王国は実在する国家ではありません」と注意書きが添えられている。


 CMが流れ終わった直後、一台のタクシーが愛宕上杉通りを走ってきた。ボンネットにはスガワラ王国のステッカーが貼られている。ステッカーには「S」の字の中央に目が一つのロゴマークの下に大きく「スガワラ王国・運輸大臣」と書かれていた。ステッカーは、たしか定価で八〇〇〇円だったはずだ。市販の同サイズのステッカーにくらべ、はるかに高額だ。

 その「運輸大臣」のタクシーが目の前を通って雪を撒き散らし、国王である翔のチェスターコートへかかった。

「うわあ、クソ! 雪が着いた。最悪!」

 翔は顔を真っ赤にして、歩道に積み上げられた雪山をウィングチップの革靴で思い切り蹴った。昔から、何も考えず本能のままキレるヤツだ。今も、気の荒さは改善しない。経営者として成功してからはむしろ、悪化している。

「クソ! 死ね!」

 バカみたいに叫ぶ。呆れる。みっともない。

「ほら、さっさと打ち合わせるぞ」

 翔によびかける。叫び終わった翔は肩で息をし、すこし一呼吸置くと「これから打ち合わせをしたい」と言って、出口横のセブンを指さした。

 店に入ってホットコーヒを買って、イートインスペースに座る。コーヒーを飲みながら、二人で資料を読んだ。翔は喋りながら、やや神経質そうにペンを走らせていた。

 店を出る。数ブロック北、東二番丁通と北目町通の交差点近くまで歩くと、白北新聞社の古めかしい本社ビルがある。地元の有力な新聞社で、県内でのシェアは全国紙を抑えて堂々の一位。県内シェアは、約七〇パーセントの高さを誇っている。

 ビルの外観はゴツゴツと角張っていて一面が暗褐色に塗られている。あまりに保守的で面白みがない。仙台の街と同じだ。まったくつまらない。

 エントランスへ入ると、さっそく社員が出迎え、会議室まで腰を低くして案内した。コートを脱いで会議室へ入る。席には既に数人が座っていた。自分たちが最後のようだった。ここにいるのは皆、仙台で活躍する二十代から四十代の起業家たち。新聞社が、仙台在住の若手起業家たちを呼びよせて座談会を開き、各企業のビジネスや東北の経済について議論させ、記事にするという。

「菅原社長、こんにちは。あれ、副社長はどこにいます?」

 家電メーカー社長の磯が話しかけてきた。北欧風の洗練されたコーヒーメーカーがヒットし、有望な起業家として名を馳せている。家が近く、近所の西友やカレー屋で見かけて挨拶をする仲だ。

 いきなり翔が割り込んできて、磯へ話しかける。

「副社長は、別の取材に出て欠席です。今日は代わりに社長室の榎本を連れています」

 磯は納得したように首を縦に振ったが、実は嘘だ。副社長の莉久が欠席しているのは、コスプレの撮影会に参加しているからだ。そもそも、副社長は名誉職。翔が、彼女の莉久へ役員報酬が渡るように就かせているだけだ。

 テーブルに座る起業家たちは皆、表情はニコニコしているが、目つきが据わっていて、瞳の奥は笑っていない。この笑顔はあくまで営業用なのだろう。

 席に座ると、上座にいる司会が挨拶を始めた。

「こんにちは。白北新聞社・地域経済部の會田です。今回は、弊社の企画・『街のイノベーター』にご参加していただき、誠にありがとうございます。それでは、座談会の前に、自己紹介と会社の概要についてご説明よろしくおねがいします」

 司会の會田のことはよく知っていた 真っ白い肌、のっぺりした顔、鷲鼻。高校のころから全く変わっていない。同級生で、バレー部のいけすかないキャプテン。冷酷、無慈悲。一ヶ月前にあった企画の打ち合わせで久しぶりに会ったときはお互い再会を喜んだが、すぐに、高校の卒業式直後に「国立大に行けないのは人間じゃない」と俺と翔へ面と向かって言ってきたのを思い出し、腹立たしくなった。それ以降、距離をとっている。そんなに国立大出ているのがいいのか。北陸の、なんにもない田舎の国立大のくせに。人間性まで否定する権利があるのか。

 そう思って會田を睨みつけていると、途端に翔が立ち上がった。

「私は『スガワラ王国』代表取締役社長の菅原翔です。年齢は二十七歳。出身は仙台市青葉区ですが、本籍は黒川郡大衡村です。出身高校は一応、川内高校です」

 周囲の社長たちが皆、どよめいた。宮城県には、出身高校で人間の価値を値踏みする奇妙な因習がある。県民同士が初めて会うと最初に「高校はどこ?」と聞いて、マウントを取り合う。県庁、市役所、電力会社など地元の大組織には高校の派閥があって、就活のエントリーシートにも「出身高高校を記入してください」という質問欄が、わざわざ独立して設けられている。そんな宮城県の高校でも、川内高校はヒエラルキーのトップに君臨する。県内トップの進学校で、偏差値は七十二。OBは各業界で活躍し、県知事、大学教授、国会議員、中央省庁の事務次官、大臣など国家の重要な役職を経験した者も大勢いる。社長たちがどよめくのも、無理はなかった。

「會田くんとは高校の同級生で、学校帰りによく一緒に広瀬通のラーメン二郎へ行きました。何かの縁だと思い、ここは一番先に自己紹介をさせていただきました。それでは、弊社のビジネスモデルを説明させていただきます。

 私は、昭和に流行した『ミニ独立国』を現代に復活させようとし、四年前に会社を立ち上げました。ミニ独立国とは、地域の商工会議所や青年団、地方自治体などがパロディー化した独立国家を作り、その国家の運営を通して行う地域起こし運動です。この東北地方ですと、福島県二本松市・岳温泉の旅館協同組合が建国した『ニコニコ共和国』が有名ですね。ニコニコ共和国は独自の憲法、パスポート、標準時や通貨を設けていましたが、もちろん、パロディーの国家なので、国際機関に承認されていませんし、現実に日本国からの分離独立を主張していません。本当の意味での独立を宣言したら、井上ひさしの『吉里吉里人』や、西村寿行の『蒼茫の大地、滅ぶ』みたいに日本国政府と戦争をしなければなりませんからね。

 最初のミニ独立国は一九七六年、大分県宇佐市で建国された『新邪馬台国』だと言われています。八一年に、先ほど触れました井上ひさしの『吉里吉里人』がヒット。東北の貧しい村が日本国からの独立を宣言するストーリーに影響され、日本各地でたくさんのミニ独立国が建国されました。八六年には東京都八王子市のミニ独立国『銀杏連邦』が主催となり、五十のミニ独立国が参加するオリンピックが開催。それぞれのミニ独立国同士での交流も盛んに行われました。ですが、九〇年代後半になると活動が沈静化。多くの国が自然消滅したり、日本国への「併合」を宣言したりして活動が停止。現在も活動している国はごく僅かです。

 弊社では、ミニ独立国のアイデアを現代に復活するため、架空の国家・『スガワラ王国』を建国しました。国王は私。女王は副社長の高橋。「領土」は、あすと長町にある本社ビルです。SNSによる広告宣伝が功を奏し、いまでは東北・北海道・北陸・中部地方を中心に登録者数は約百万人。来年春から、本格的に首都圏への進出を計画しています」

 翔は堂々と言い切った。短時間で資料を読み込んで発表するスキルは、いつも舌を巻く。

「菅原社長、ありがとうございます。実は、弟が中学で体育教師をしていて、スガワラ王国でスポーツ省大臣の肩書を買ったと自慢していました。菅原社長のビジネスは広く評価されているようですね。ですが、さきほど話された内容からすると、社長はミニ独立国を金儲けの手段として考えたってことですよね? 私もこの座談会前に社会学の論文を読んでミニ独立国について調べたのですが、ミニ独立国の特徴は五つあるそうです。具体的には、『地域らしさを示すものをシンボルとする』、『活動の目的が明確』、『地域住民を連帯している』、『即効性のある経済的効果を期待しない』、『中核メンバーが確立している』。あなたの会社は、即効性のある経済的効果を期待してミニ独立国を作ったんじゃないですか。それは、本来のミニ独立国ではないですよね? 社長は私の疑問について、どう思われます?」

 會田が早口で質問した。あてつけにしかきこえない。金儲けとは、汚い言葉だ。腹が立つ。昔から會田はこうだった。どっかの権威が言った言葉をそっくりそのまま信じこみ、他人のすることにいちいち茶々を入れて、激怒させるタイプ。

 翔を見ると、眉間にシワが寄っていた。無言で、會田を睨みつけている。テーブルの下に隠した拳が震えている。激しく懲らしめてやらないと。

「社長室の榎本です。金儲けって言い方は、はっきりいって失礼ですね。ビジネスですよ。あくまで我々は昭和のミニ独立国の単なるモノマネでなく、現代にふさわしいミニ独立国をつくろうとしているんです。株式会社は、慈善団体じゃありません。私達の商材を買ってくださるお客様のために、毎日生きるか死ぬかの戦いをしているんです。會田さん、我々の企業努力を『金儲け』って汚くて雑な言い方にまとめられると、大変困るんですがね」

「下品、ってなんですか。私はあなたたちのやり方が汚い金儲けと、本当のことを言ったまでで……」

 會田は声を荒らげた。白い顔が真っ赤に染まる。翔が間髪入れずに口を挟んだ。

「社長の菅原です。私事で恐縮ですが、會田さん、高校の卒業式で『国立大に行けないのは人間じゃない』と私と榎本に向かって言ったこと、覚えていますか? 私立大へ行く、人間じゃない私どもと違って、會田さんは人間ですから、国立大へ行ってしっかり勉強をして、新聞社へ就職し、経済部で活躍されているのだと思います。もう少し、企業活動に物分りがいいと思っていましたが、あまり理解できていないようですね。とても、残念です」

 會田は何も言わず、こちらを凝視した。全身が震えている。翔も顔を歪ませながら、席についた。それから、他の企業家が挨拶し座談会が始まったが、翔の言葉数は少なく、不機嫌そうな表情でメモを取ることにほとんどの時間を費やした。會田の司会は、終始ぎこちなかった。



 白北新聞のビルから出て、五橋駅を通りすぎる。翔は会社に戻らず、そのまま家に帰ってリモートワークをしたいのだという。

 荒町通との交差点まで行くと、翔は突然、指をまっすぐ彼方へ向かって差した。

「ほら、奏太。明日も天気が悪いぞ。テレビ塔が緑に光ってる」 

 指差す先へ目を向ける。広瀬川を挟んだ対岸、低く角張った大年寺山の山頂には、巨大なテレビ塔があり、たしかに緑色にライトアップされていた。テレビ塔の色は、明日の天気予報を表している。晴れならオレンジ、曇りなら白、雨か雪なら緑だ。

「うわ、クソかよ。このままずっと雪かよ。家に引きこもりてえよ」

「いいんじゃね? あと、どうせ家に、莉久がいるだろ? 三人でゲームして、セックスして、ブロンを飲んでキメる。それがいい」

 翔はケラケラ笑うと、カバンから瓶を取り出した。小さい瓶に青いラベル。中身は純白の錠剤。ブロン錠だ。薬局に売っているせき止め薬だが、一気に数十錠、胃袋へ流し込めば、高揚感と多幸感が全身を駆け巡る。早い話、麻薬みたいにキマる。昔は三人でマリファナやMDMAをヤッていたけど、値段が高いし、持っているだけで逮捕される。いろいろ面倒臭い。気持ちよくなれるなら、市販のクスリのほうがいい。欲しいときに薬局へ行けば必ず棚にあるし、ただの市販薬だからどれだけ飲んでも捕まらない。

「おっしゃ、そうするか。夜通し、飲みまくろうぜ」

 翔は周囲を見渡した。雪の中、歩いている人は誰もいない。瓶を開けると口をつけた。そして、中身を一気に口へ流し込んだ。ブロン錠を飲む翔の大きく丸い瞳は、虚無のように黒くて澄みきっていた。口の脇から、錠剤が数粒こぼれ落ちる。雪の上に錠剤が散らばる。純白の錠剤は、雪よりも白かった。

 少しすると翔はキマッてきたらしく、足取りがふらついている。翔を肩で抱いて、滑らないように慎重に歩く。路地を歩き、行きつけのインドカレー屋を通り過ぎると土樋の静かな住宅街に入る。東北学院大学図書館脇の細い坂を下ると、十二階建てのマンションが立っている。ここに俺の家がある。今は翔と莉久と一緒に暮らす。家族はいない。両親は死んだ。

 八〇二号室のカギを開けて入ると、予想通り、リビングには莉久がいた。

 莉久はソファーに寝そべりながら、シーシャを吸っている。鼻と口から大量の煙をだらしなく吐き出している。ソファーの下には、ブロン錠の空き瓶が十個程度転がっていた。

 莉久が、ゆっくり顔を向けてきた。透き通った目、ぷっくりとした涙袋、若干エラの張った頬、真っ白な肌。儚くて、蠱惑的。ちょっと乱暴に扱ったら壊れてしまいそうだ。

 莉久は口から塊上の白煙を吐き出すと、いきなり文句を言ってきた。

「奏太、翔、ブロンがもうないんだけど。早く持ってきてよ」 

 莉久はブロン錠の瓶を見せつけてきた。中身はほとんど残っていない。

「なんだよ。労ってやろうと思ったのに。てめえはブロンより、俺の舌でも口にツッコんでおけよ」

 翔はソファーへ歩み寄り、莉久の手から瓶をひったくって取り上げると、中身をすべて口へ放り込んだ。

「あ、なにすんの! わたしのなのに!」

 莉久が騒ぐ。翔は莉久に覆いかぶさって、ねちっこくキスをした。

 唇を離すと、翔は嘲るように笑った。

「『女王』は国王の夜の相手もお仕事だろ?」

 莉久は株式会社・スガワラ王国の副社長であり、女王の肩書を持つ。肩書の女王は莉久しか使用できない。翔が持つ国王と同じ、非売品だ。

 歯がゆい。翔は、何もかも欲しがって平然と奪う。莉久も、もともと俺の彼女だった。ここから歩いて三十分、川内高校の狭くて汚い文芸部室でダベっていた頃から、あいつは傲慢なヤツだった。一緒にゲームして、ゴミみたいな下手な小説を書いて、お茶を飲んで、ポテチを食べて……。いつの間にか、莉久を奪いやがった。

「おい、なんだ、その間抜けな顔は。文化庁長官?」

 翔が振り向いて呼びかけてきた。俺の身分は所詮、四万円で買った文化庁長官。

 これ以上、見たくない。キッチンへ行く。引き出しを開けると、ブロン錠がある。翔と莉久にバレないよう、瓶を開けて一気に飲んだ。ふわふわする。幸せ。高ぶって、体が浮くようだ。どこまでも、どこまでも遠くへ飛んでいけそう。

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