第6話
仕事帰り、五橋のカレー屋『キッチンON』へ行くと、テーブル席に磯社長が座っていた。磯社長からカレーを食べようと誘われていたのだ。
「高級なフレンチよりも、学生時代に食べなれたメシのほうが好きだな。たまには、フォーラス地下の南京餃子を貸し切って、名物の一キロつけめんを食べ散らかしたい」
磯社長は、カレーに浸したナンを食べた。ここからすぐ近く、東北大学工学部で学生生活を過ごした磯社長は卒業後、気に入った仙台の街でメーカーを立ち上げた。本社は五橋駅のすぐ隣。工場すらも、仙台市の東、仙台湾の工業地帯に建てた。
「いいじゃないですか。それで、今日は何の用です?」
「話があるんだが」
「それは会社のことですか? それならお答えできません。社長へ直接聞くか、総務部の広報担当へかけあってください」
「違う、違う。君に用があるんだ。うちの会社で、君のことを、引き抜きたいんだ」
磯社長は真剣な眼差しで言った後、チャイをすすった。
「それはだめですよ」
「なんでだ? 奏太くん、聞いたよ。まだ、契約社員なんだってね。そろそろ、正社員になってもいいのにって、思ったことないかい? この前座談会で菅原社長をフォローする君、カッコよかったよ。社長は、それでも君を正社員にしないんだってね? ひどい人だ」
だめだ。やめたくない。まだ、莉久と一緒にいたい。だけど、言えない。磯社長のことだ。すぐ翔に言ってしまうだろう。別の理由を言わないといけない。
「……本気で目指したいことがあるんです。古典文学の研究者になりたい。研究を続けるには、契約社員のままがいいんです」
半分でまかせで言った。磯社長は不敵に笑った。
「へえ、それはおもしろい。けど、学者の道って厳しいよ。私も、大学院で理系の研究者を目指していたから、よくわかる。博士になっても、ほんの一握りの人間しか大学に残れず、他は全部ポイ捨て。食い詰めて、失踪や自殺が関の山。文系なんてもっとひどいんじゃない? それでもなりたい?」
「なりたいです」
「それじゃあ、いますぐうちに来てよ。君って、社長室でよくわかんない仕事をしているんじゃない? うちのところ、社長室はやりがいもあるし、給料も高くできるよ。うちの会社でやりたいことを見つければ、学者になりたいなんて血迷いごと、忘れちゃうんじゃない?」
「すみませんが、この話は見送らせていただきます」
そういった瞬間、磯社長の顔が歪んだ。顔が赤くなる。
「……チャンスを握らせているのに、おじけづく人間って、はっきりいって、クズだよ」
磯社長は財布から一万円札を抜くとテーブルに叩きつけて、店を出ていった。しばらく呆然とした。
「俺は、クズか……」
磯社長の言葉がやたら耳に残って、痛い。
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