第25話 同じ顔のプリンセス
ツィゼルト侯爵家の襲名披露の夜会の日。
リナジェインは正装してシュナと出席した。豪奢な広間に入ると、一斉に視線が集まった。皆、賤民から成り上がった話題の側妃に興味津々だ。
(ど、どどどどうしよう。私、凄い見られてるのでは)
人の目が四方から痛いくらいに刺さる。だらだらと額に汗を流しながら、なんとか前進する。
「おい、手と足が同時に出てるぞ」
「す、すすすすみません。緊張して……吐き気が……うぷ」
口元を抑えてよろめくと、シュナが身体を支えながら耳元で囁いた。
「安心しろ。お前を害そうとするならず者は、もれなく私の手で冥土に送ってやる」
「物騒すぎます」
少しも安心できない慰めに、一層緊張感が高まってしまう。
広間は荘厳豪奢で、頭上にシャンデリアが煌々と輝いている。大理石の床も丁寧に磨き抜かれていて、そこに立つ紳士淑女も芸術品のごとく自身を着飾っている。これまで味わったことのない華やかな世界に、萎縮しきっていた。
「見て? あの方が例の」
「賤民なのに陛下に見初められたと聞いて、どんな絶世の美女かと想像してたけど、地味でぱっとしない方ね。陛下は一体どこをお気に召したのかしら」
「さぁ……でもお二人、揃いの耳飾りを着けていらっしゃるくらいだから、仲はよろしいのね。羨ましいこと」
自分たちを冷やかす噂話が聞こえ、耳を塞ぎたくなった。耳を塞ぐ代わりに耳飾りを指で撫でて呟く。
「……着けてくるんじゃなかった」
彼から渡された日から、肌身離さず身につけている。公然の場でベアの耳飾りは、目立つと分かっていつつも外せなかった。今になって後悔しても遅い。
「そう言うな。私はいつも身につけてくれて嬉しいぞ」
「……!」
まさか、呟きが聞こえていたとは。
身をかがめてこちらを覗き込んだ彼の左耳には、トレードマークの女物の耳飾りが揺れている。リナジェインは火照った顔をふいと逸らした。
オーケストラがゆったりとしたワルツを演奏し始めた。ダンスのレッスンは欠かさず行ってきたが、片足が不自由なので人前で踊る気はない。
(それより、兄さんを探さなくちゃ)
兄に会うことだけが、今日の目的だ。
主催者なのに随分登場が遅い。きょろきょろと辺りを見渡したが、ユーフィスらしき人物は見当たらない。背が高いので、いたらすぐ目につくはずだ。
兄が見つからない代わりに、ひとりの令嬢が目の前に現れた。淡いピンク色のベル型のドレスに身を包む令嬢は、優雅に淑女の礼を執った。その姿を一目見た瞬間、彼女は自分の双子の妹、アージェリアだと確信する。
「まさか、ここでお会いできるとは思いませんでしたわ。皇帝陛下に……側妃殿下」
「……アージェリア嬢」
「ご無沙汰しております」
彼女は花のように可憐に微笑んだ。亜麻色の長い髪に、旧皇家の証である真朱色のつり目がちな瞳。彼女は自分と瓜二つの容姿をしていた。シュナに礼をした後、こちらを見た。
「お初にお目にかかります。私はアージェリア・フォンディーノと申します。ずっとあなたにお会いしたかったのですよ。――将来、同じ方の妃になる者同士ですから」
彼女は、フォンディーノ家とヴァーグナー家の密約を知るからこそ、断言しているのだろう。普通、同じ家の娘を同じ相手に嫁がせることは宗教的に禁忌とされているが、戸籍上リナジェインはフォンディーノ家の人間ではないことになっている。
間違ってリナジェインの方が先に側妃になったが、このままいけば、彼女も契約により妃になるのだ。
聖女ではないアージェリアは、シュナとの子どもを授かることができる。彼女が世継ぎを産めば、フォンディーノ公爵家は摂政として実権を握ることが可能になるだろう。
「陛下。一体いつになったら私のことを皇宮に迎えてくださるのですか? 私、早くあの大きくて立派な宮殿で暮らしたいです。そちらの賎しい娘を側妃にしたのなら、相応の家格の正妃も迎えなければ体裁も悪いでしょう」
優美に微笑んでいるが、言動に怖さがある。
「言ったはずだ。お前を妃にするつもりはないと」
「契約義務に違反すれば、両家の間に軋轢が生じます。それに、今後ヴァーグナー家は聖女を手にすることができなくなりますよ。あなた方は聖女たちを利用し、栄華を築いてこられましたのに」
フォンディーノ家は代々妃を排出したことで、徐々に勢力を拡大している。彼らが反乱を起こせば、敗れることはなくとも、ヴァーグナー家もただでは済まないだろう。彼女はそれを承知の上で挑発しているのだ。
「公爵家の不興を買い、彼らが反旗を翻したなら真っ向から受け止めるまで。聖女の力を欲するがゆえに、旧皇家を見逃した一族の責任だ」
「相変わらず、頭が固くて面白くないお方ですね。賢明なあなたならば、私を正妃にして私の子を後継にする道を選択するべきです。余計な血が流れぬように……」
二人は、両者一歩も引かない様子だ。
アージェリアは、リナジェインを上から下まで品定めするように眺めてから、不敵に口角を持ち上げた。
「陛下に見初められたくらいで、あまり調子に乗らないでくださいね? ――お姉様」
双子ではあるが、どうにも彼女とは馬が合いそうにもない。どこか表情が冷たくて、人を寄せつけない雰囲気があり、相手を挑発するような語り方をするところも好ましくない。彼女は公爵家でどんな風に育てられてきたのだろうか。少なくとも、ようやく会えた姉への愛情は感じられなかった。
彼女はふわりと背を向け、ベルガモットの香りを残しながら颯爽と去っていった。
ふと、シュナの顔を見上げると、今日見た中で一番険しい顔をしていた。それは、皇帝として憂う顔。フォンディーノ公爵家に従い、傀儡となるか。あるいは、彼らを敵に回し、内戦を覚悟するか。重い選択が彼の肩にのしかかっているのだ。
「陛下。私たちも踊り……ませんか?」
少しでも気が紛れたらいいと思い、気づいたら誘いを口にしていた。ついさっきまで嫌がっていたのに、彼の心をほんの少しでも慰められるなら、なんでもしてあげたいと思えてしまう。
「ああ、そうだな」
彼は微笑し、こちらに手を差し伸べた。大きな手に自分の手をそっと重ねる。広間の端っこで踊るが、やっぱり上手くいかなかった。不格好だけれど、シュナが少しだけ笑ってくれた。和らいだ表情を見て、ほっと安堵した。
「こんなに拙い踊りは初めて見たな」
「もう……頑張った姿勢だけは評価していただきたいですね」
「頑張ったのは皇帝の足を踏みつけることではないのか? 五十七度も踏みつけるとは、いい度胸だ」
「大好きな吉数字じゃないですか! 縁起がいいですよ」
「開き直るな」
「ひぅ……」
肩を竦めるリナジェイン。おずおずと顔を上げて、次の瞬間二人で笑い合った。
無理をして踊ったせいで左足の怪我の跡が、ちくちくと傷んだ。天気や気圧の変化があったり、運動したときは決まって痛みを感じる。彼には古傷のことはまだ言っていない。心配させたくないので、これからも黙っているつもりだ。それに、醜い足を、彼にだけは見られたくなかった。
ダンスを終えて、足を何回踏んだか二人で言い合っていたそのとき――。
「リナ」
「…………っ」
自分のことをリナと呼ぶのは、世界でたった一人だ。一番会いたくて仕方がなかった人。一番大好きな人の声。聞き間違えるはずがない。清涼水のように爽やかで綺麗な声に、振り向く。
「にい……さん……」
目の前にその人はいた。沈魚落雁の美貌を持つ貴公子。絹糸のような銀髪に、青い瞳。誰もを魅了する優しい表情で、兄がこちらを見つめている。
今すぐ、その胸に飛び込んでしまいたい。でも、側后という立場である以上は、貞淑でない行動はできないので、思いとどまる。なんとか唇を引き結んで涙も堪えた。
(良かった……良かった。生きててくれた……)
綺麗な礼服を着て、従者まで引き連れて、知らぬ間に立派になったものだ。いや、これがユリウス・ツィゼルトとしての本来の姿なのだ。リナジェインが今まで見てきたユーフィスの方が、仮の姿だった。
ユリウスはこちらに歩み寄り、優しく語りかけた。
「心配をかけたね。俺を探して皇都まで行ったんだって?」
「知ってたの……? そうだよ、急にいなくなったりして、心配で心配で……」
「俺も、お前のことがずっと気がかりだったよ」
必死に我慢していたのに、ほろと瞳から熱い粒がひとつ零れ落ちた。周りの人に見られないように俯く。その横で、妹に優しい表情を見せていたユリウスが、凍えるような目つきでシュナを睨んだ。それは、旧友に対する目つきではなく、明らかに仇を見るかのようなものだったが、リナジェインは気づかなかった。
「陛下。個室を用意してあります。そちらでお話しましょう」
「はっ。そんな殺意剥き出しで、暗殺でも謀るつもりか?」
「まさか。可愛い妹を奪った男に、少しだけ妬いているだけですよ」
「抜かせ」
二人とも笑っているが、その目は全く笑っていない。底知れない威圧感を感じて怯えながら、二人の後ろをついて歩いた。
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