第12話 横行するいじめ
翌日もお仕着せを来て働きに出た。ヴィクトリアには、「揉め事に巻き込まれないように」と念押しされている。昨日のような事態が起きたら、今度はきちんと謝罪に謝罪を重ねて凌ぐつもりだ。
(土下座なら私の十八番みたいなものだし)
妃として相応しい行為かどうかはさて置いて――だ。
今日は外ではなく、宮殿内の清掃を手伝い聞き取りを行う。ほうきを手に、客間の埃を掃いていく。下女と雑談をしながら。
「宮殿では、使用人同士のいじめなんかもあるんでしょうか」
リナジェインは新人という体で、ベテラン下女に尋ねた。十年ここに勤めているという彼女は、重厚なカーテンを外しながら答えた。
「そんなのは日常茶飯事よ。宮殿に限らず、どこでもね」
「……そうですよね」
上級メイドが下級メイドを虐げるように、宮殿の外の一般社会でも、上の者が下の者を虐げるのはよくあることだ。どこに行っても、人は集団の中で上下関係を作る。
「特に、子爵家の令嬢とかいうルシアさんは本当に底意地が悪くてねぇ。しばらく前に嫌がらせを受けた子が病んじゃってここを辞めていったし、ここ最近は新しい標的を見つけて酷いことしてるらしいのよ」
「その話、詳しく聞かせていただけますか?」
「ああ、構わないよ」
最近目を付けられているのはメアリーという名前の侍女だそうだ。没落した元貴族家の娘で、真面目で控えめ。とても愛らしい容姿をしているが、顔に大きな傷跡があり、それが原因でいじめを受けているという。
(……気の毒に)
身体的な問題は、本人の意思ではどうしようもないのに、それをあげつらうのは非常識だ。話を聞いている内に、左足の古傷が疼いた。リナジェインの場合、幸運にも目に見える傷跡はないが、顔に傷跡があることが、どんなに辛いことかは想像にかたくない。年頃の娘なら尚のこと。
◇◇◇
下女の情報を聞いて、メイド長に今日メアリーが担当している場所を確認し、書庫へ向かった。室内をひと通り探したが、メアリーと思しき侍女はいない。
(……掃除でもして待とう)
暇潰しに窓を拭いて、本棚の隙間に積もった埃を払う。入れ代わり立ち代わりに文官らしき人が出入りしたが、リナジェインには目もくれない。目の前で掃除している下女が、側妃だとは誰も夢にも思わないだろう。
窓の外には、整えられた庭園の景色が広がっている。石造りの噴水が中央に佇み、それを囲うように道が設けられている。茂みは美しく整えられ、花壇には色彩豊かな花が植えてある。
(……綺麗。お城みたい)
ここは正真正銘の皇帝が住む宮殿なのだが、リナジェインは掃除に夢中になりすぎてそれを忘れていた。
窓を開けて風を浴びる。そよ風が吹き込み優しく肌を撫でた。
美しく景色を見ていたら、頬に涙が伝った。いつも思い浮かべるのは兄のことばかり。思い出す度、心配で心配で堪らなくなる。できるだけ心穏やかに過ごそうと思っても、やっぱり無理だ。
(兄さん……ちゃんとご飯食べてるのかな。ちゃんと眠れてるかな……?)
一体どこで何をしているのか。何十回、何百回と心の中で尋ねたが、誰も答えてはくれない。田舎にいたころも、年頃の友だちはおらず、リナジェインの頼りは兄だけだった。
誰かに酷いことをされていないだろうか。笑っているだろうかか……。
心配の気持ちが、熱いものに変わって頬を濡らしていく。
「これをお使いくださいませ」
「……!」
ふいに、目の前にハンカチが差し出された。花の刺繍が施されたそれを受け取り、涙を拭って振り向くと、茶髪の女が心配した様子でこちらを見ていた。整った顔には、右の頬から首にかけて大きな傷跡がある。
(この方が――メアリーさん)
メアリーは何も言わずにリナジェインの隣に並んで、窓の外を眺めた。
「ありがとうございます」
「いいえ。どうして、泣いておられたのか伺ってもいいですか?」
「行方不明になった兄を案じていたんです」
「……まぁ、それは難儀ですね。一刻も早くお兄様が見つかりますように」
川を流れる清水のような透明感のある柔らかな声。慎ましやかで、とても優しい雰囲気の女だった。そして、彼女が横に立った瞬間――強烈な"死の匂い"を感じた。その横顔は、リナジェインよりもずっと憂いを帯びていて、今にも消えてしまいそうだった。
「世の中ってどうして辛いことばかりなんですかね。私もたまに消えたくなるんです。どうにもならない状況から逃げ出して、楽になりたいって」
喉の奥に詰まるような匂い。吸った瞬間に息苦しさを覚え、むせ返りそうだった。リナジェインは首を片手で抑えながら顔をしかめた。死の匂いは、死因や死期によって変わる。死期が近ければ近いほど強く、惨い死に方であるほど悪臭がする。
(……この方、自分で死ぬつもりだ)
今本人にその気があるかは分からないが、近い内にそうなる。リナジェインには分からなかった。どうしたらメアリーを繋ぎ止めることができるのか。もしかしたら、辛い思いをしている彼女に生きろという方が残酷なのかもしれない。
それでも、彼女を繋ぎ止めるための言葉を紡ぐしかなかった。
「ハンカチを使うべきなのは、あなたの方でしたね。……メアリーさん」
「え……どうして名前を……」
リナジェインはメアリーに向き合って挨拶をした。
「私は訳あって使用人の労働状況を調査している、リナジェイン・ヴァーグナーと申します」
「そ、側妃殿下……!?」
「私にメアリーさんのお力にならせてはいただけませんか? あなたの涙を拭って差し上げたいんです」
「…………!」
それから二人は図書館の椅子に座って話をした。メアリーから打ち明けられたのは、陰湿ないじめの全容だった。
いじめの主犯は子爵令嬢であり、上級メイドのルシア・ルナウド。彼女はメアリーの不名誉な噂を吹聴し、孤立に追い込んだ。メイドたちはメアリーを毛嫌いし、頬の傷を見て嘲笑い、目の前で「死ね」などと悪口を言うようになった。仕事を押し付けられ、無視される毎日に耐えてきたそうだ。しまいには、物を隠されたり、制服を汚されたり、暴力を振るわれたりもした。
(人事権は私にもある。加害者には然るべき処分を下さなければ)
ルシアに限っては、懲戒解雇でもいいだろう。かつて何人もの下級メイドを、心が病むまで追い込んできたというのだから。ルシアは貴族家の娘ということで、上司やメイド長からも非道を黙認されてきた。ならば、彼女の蛮行に対処できるのは、皇宮でリナジェインだけだ。
「メアリーさん、ここを辞めて転職はできないのですか? このまま働いていたら、心身ともに持ちませんよ」
「この通り、私には傷があるので……。何度かメイド長に次の働き先の斡旋をお願いしているんですけど、なかなか難しくて。それに、病気の弟の治療費を稼がなければならないので、我慢するしか……」
やむを得ない事情だが、既にメアリーはかなり憔悴している。これ以上無理をしたら、いつ何の弾みで命を絶ってしまうか分からない。
「ではひとまず、この件は私に任せてください。あなたは静養を。休業手当もお支払いしますから。新しい仕事場も私が探します」
「そんな……側妃殿下に手間をおかけする訳には参りません。なぜ私なんかにそこまで……」
もうすぐあなたが死んでしまうかもしれないから、なんて言えるはずもなく、曖昧に微笑む。
「ハンカチを貸してくださったお礼ですよ。いじめを行った者たちには、相応の対応を取ります。皇室の者として、雇用者を保護するのは義務ですから、何も気負わないでくださいね。メアリーさん。いじめの証拠になる物は何かありませんか?」
すると、彼女は真剣な表情で頷いた。
「あります。証拠なら」
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