第13話 冷遇側妃の断罪

 

 とある日。宮殿内のメイド長室に、家政を取り仕切るメイド長や役職付きの上級メイドたち、いじめ加害者のルシアとその他大勢のメイドたちを一斉に呼び集めた。整列したメイドたちが、恭しく自分に頭を下げている光景に少し圧倒されてしまう。


(よ、ようし。昨日まで練習した通りに言えばいいんだから。大丈夫、大丈夫)


 すーはーと小さく深呼吸してから、一同に声をかける。


「顔を上げなさい」

「「はい」」


 大勢の人の前に出ることに慣れていないので、ちょっとだけ声が上擦ったが、及第点としよう。慎ましく礼を執っていた者たちが顔を上げた。目の前に立つ側妃が、しばらく共に働いていた自称新人の下女だったという事実に、多くのメイドたちが驚愕している。


「まずは、皆さんに挨拶させてください。私はリナジェイン・ヴァーグナーと申します。実は、とある調査のためにしばらく下女に扮して皆さんとお話させていただいてました。メイドの皆さんの中には、今私のことを知って驚かれた方もいるかもしれませんね」


 メイドたちは、今から一体何が始まるのだろうかと互いに目配せし合っている。リナジェインは童顔で華奢なので、見た目で舐められがちだ。しかし、昨晩まで鏡の前で練習してきた渾身の威圧顔で皆を牽制した。少しだけ顎を持ち上げ、伏し目がちな表情を浮かべるだけで、威厳を演出することができるそうだ。これはヴィクトリアの教えだ。


「今から断罪を行います」

「……!」

「ルシア・ロナウド。前に出なさい」

「は、はい……。側妃殿下」


 もし、ここで勝手に貴族の令嬢を裁き罰を与えたら、シュナは怒るだろうか。どの道、リナジェインには失うものもないので好きにやるつもりだが。今頭にあるのは、少しでも職場環境を改善して、身分に関係なく宮殿に勤める労働者たちが快適に働けるようにすることだ。そして、ここで権威を示すことで、冷遇されてばかりの自分の立場も改善できれば御の字だと思っている。


 メイドたちの中から、一歩前に出たのは、よく見覚えのある顔だった。先日リナジェインとジニーに水をかけてきたことを思い出す。


「も、申し訳ございません……。まさか、あのときの下女が側妃殿下とは思いもせず……。どうぞお許しください! あれは、別の侍女の命令で……」


 この期に及んで、他人に責任を押し付けるつもりでいるとは、とことん狡い人だ。


「まだ私はあなたに発言の許可をしていませんよ」

「……申し訳ございません」

「とはいえ、今から断罪するのは、そのような瑣末な件ではありません。水をかけられたくらいでは、私は怒りません」


 リナジェインは器の小さな人間ではない。水をかけられるなんて、すれ違う人と挨拶を交わすのと同じくらい、さしたる屈辱ではない。


「水をかけられた」と口にしたら、メイドたちがざわめいた。本来は側妃にそのような愚行は、不敬罪として首を跳ねられてもおかしくはない。しかし、メイドたちは水をかけるまではせずとも、賤民であるリナジェインを内心で見下し、世話を放棄して嫌がらせまで行っている。他人面をしている彼女たちも、同じ穴の狢だ。


「ジニー、証言書を」

「はい」


 そして皆、賤民出身の側妃は、なんの知恵もなく、やられっぱなしで無抵抗でいると思い込んでいる。リナジェインはジニーから書面を受け取り、ルシアに見せつけた。


「これは、あなたの嫌がらせを訴えるメイドたちの署名です。いじめの詳細も詳しく記してあります」


 調査は数週間に渡って行った。下級メイドは文字を書けない者も多く、名前の書き方を教えるところから始めなければならず、多少手間がかかってしまった。おかげで宮殿のメイドたちの顔と名前を半分ほど覚えてしまった。


「まず、酷い暴言の数々です。"目障りだ。田舎に帰って野垂れ死にしろ"、"下級身分にはなんの価値もない"、"賤民は生きるのも恥だと思え"……。なるほど」

「……」

「幼いころから教育を受けてきた淑女とは思えぬ口の悪さですね。私は身分こそ低いですが、このような野蛮な言葉は使ったことがありません。……懸命に生きて参りましたが、賤民で側妃の私も、生きるのは恥なのでしょうか」

「そのようなことは、決して……」


 ルシアは顔を真っ青にして、萎縮している。リナジェインは、メイドたちの証言を次々と音読していった。リナジェインは賤民だが、兄のおかげで文字の読み書きができる。ここは兄に感謝だ。


「それから、ルシアさん。これに心当たりはありますか?」

「どうしてそれを……!」


 彼女に見せたのは、アメジストのブローチだ。それから、金のネックレス、精巧な装飾が施された懐中電灯、真珠の耳飾り……と次々と宝飾品を提示していく。


「これらはあなたの部屋から押収された品物です。――全て、紛失届に書かれメイド長に提出されていた品物。……どうしてあなたの部屋から見つかったんでしょうか」


 聞き取りに及んだところ、ルシアは手癖の悪さに定評があった。メアリーが言っていた証拠もこのこと。下級メイドたちは宝飾品を取り上げられた後、上司やメイド長に訴えた。しかし、彼女たちはルシアを咎めず、ただの失くし物として処理し、紛失届を書かせたという。


「窃盗、暴言、侮辱に傷害……。これは立派な犯罪です。よって、ルシア・ルナウド。あなたを私の権限で懲戒解雇に処します」

「お許しください側妃殿下! どうかそれだけはご容赦を」


 彼女は額を床に擦り付けて詫びた。


 仮にも皇族から直々に懲戒処分を受ければ、たちまち悪評が広がって、本人だけでなく家の名誉も傷つくだろう。名誉は守るより、傷つく方がずっと簡単だ。皇族に不敬を働いた女として、結婚も再就職もできなくなるかもしれない。ルシアもそれをよく理解しているから必死なのだ。


「決定を覆すつもりはありません」

「どうか、お許しくださいませ……」


 ルシアの声は弱々しく震えていた。

 まさか、リナジェインの人生の中で貴族に土下座で謝罪される日がくるとは思わなかった。これまで良民や常民に何度も平伏してきたが、逆に、上から眺めるのもちっとも気分のよいものではない。


「誰か、その者を連れて行ってください」


 ルシアは数人の衛兵に引きずられて部屋を出ていった。……みっともなく泣き喚きながら。


 まだこれで終わりではない。リナジェインは次々と上級メイドの不正を暴き、証拠の書面をばらまいた。些細な庭師の証言から、改ざんされた仕立て屋の領収書まで、次々と床に散らばっていく。罪を犯した者たちを、謹慎や懲戒解雇にしていった。これは、見せしめだ。側妃には、使用人を処分する権限があり、決して馬鹿ではないということを示しておくのだ。そして、不正やいじめの再発を防止するために。


「皆さんは私の管轄下にあるということを、忘れないでください。私は、間違ったことには適切な対応をします。以後、このようなことが起こらないように、願っていますよ」


 本来使用人を統率するはずのメイド長たちが責任を果たしていないなら、それは彼女らの上に立つ皇族の務めだ。


(これで、少しは牽制になったかな)


 メイドたちは、入ってきたときとは違う、畏怖を顔に浮かべていた。ようやくリナジェインのことを、自分が仕えなければならない目上の存在だと理解したのだ。身分社会も貴族のことも憎んできたはずの自分が、上流階級ごっこに興じるなんて、なんの皮肉だろうと思う。


「話は以上です。下がりなさい」


 集めたメイドたちを退出させ、リナジェインは大きく息を吐きた。


(ああ、やっと解放された……緊張した……)


 緊張から解き放たれ、魂が抜けたかのような脱力感がある。心臓はまだ脈動を加速させたままで、指先は震えている。小心者の自分には、他人の前で堂々と振る舞い、断罪するのはハードルが高かった。


「ジニー、ヴィクトリアさん。私、なんとか上手く振る舞えていたでしょうか」

「立派でしたよ……! 昨夜までずっと練習されていましたもんね!」


 ジニーは力強く頷いて労ってくれた。実は、ここまでのセリフはヴィクトリアが用意してくれた台本だ。さながら劇のような威厳ある妃としての振る舞いを、一挙手一投足に至るまで叩き込まれた。数日に渡り練習を重ね、本番前の昨日は緊張しすぎて三回吐いてしまった。泣きべそをかくわ、吐くわでヴィクトリアとジニーには散々迷惑をかけた。しかし、練習をしていなかったら、今頃は頭が真っ白になって失神していたかもしれない。


「終始目が泳いでいましたし、声も震えていらっしゃいました。及第点といったところでしょうかね。ジニーさんは、甘やかしすぎですわ。もう少し殿下には、強心臓になっていただかなくては」

「ですよね……」


 とにもかくにも、リナジェインは小心者なのだ。貴賓としての教育を受けてきた訳でもない。いきなり無作為で妃に選出されたにしては、よく頑張っていると褒めてほしいくらいだ。


「安心したらお腹がすいてきちゃった」

「しばらく緊張してあまり食欲もないようでしたからね。それに、今日の晩御飯は、きっと豪勢ですよ!」

「だといいんだけどね」


 毎日、リナジェインに出される食事は、家畜に出されるようなお粗末なものだ。侍女のヴィクトリアやジニーの方がはるかに健康的な食事を摂っていると知ったときは、いささかショックを受けた。




 そしてその夜。リナジェインの部屋のテーブルには、これまでの比にならないほどのフルコースメニューが所狭しと並べられた。料理人たちが、職務怠慢で罰せられるのを恐れたのだ。


(断罪の効果、てきめんすぎでは……?)

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