第11話 皇帝陛下に、餌付けされています

 

 皇帝が訪れるということで、給仕はティーワゴンを持ってきて、メイドは急に部屋を整え始め、せっせと出迎えの準備をしている。リナジェインには冷遇するのに、この手厚いもてなしはなんだ。変わり身の速さに呆れていると、その十数分後にシュナはやって来た。


 シュナは、後ろに控えているヴィクトリアの姿を視界に捉えた。


「お眼鏡に適う者が見つかったようだな」

「……私には勿体ない素晴らしいご令嬢です。あの、陛下が采配してくださったようで……感謝しています」

「私は侍女長に指示しただけだ」


 彼はヴィクトリアを見据え、「妃の教育を頼む」とひとこと言った。彼女は品のある態度で「お任せください」と承諾した。


 ジニーのことも紹介するが、彼女は皇帝の前ですっかり恐縮しきっていた。リナジェインは初めて会ったとき卒倒したので、彼女の方がまだマシかもしれない。それを思うと、ヴィクトリアは、たおやかでありながら豪胆で、彼女の方が妃に相応しいのではと思ってしまう。


 それから、シュナは侍女を退出させた。部屋に二人きりになり、気まずい。


(というか、なぜ用件をおっしゃらないの?)


 ソファに脚を組んで座り、仏頂面でこちらを黙って見てくるだけ。その鋭い眼差しを向けられたら、顔に穴が空いてしまいそうだ。そっと視線を逸らしながら尋ねてみる。


「……ご用件は」

「妃に会いに来るのに、理由が必要か?」


 妃といっても、あくまでお飾りの妃だ。逆に問いたい。お飾りの妃に会ってなんの意味があるのかと。


「随分迷惑そうな顔だな」

「ひぇっ、そそそそそんな、とんでもございません! 陛下にこうしてお目にかかれて、光栄至極です、ほんとに」

「空々しいぞ。まことに嘘が下手だな」


 呆れた顔をさせてしまって、反省する。


「う……すみません……」


 彼は、そこにいるだけで迫力があるので、対面しているだけで精神がすり減ってしまう。冷や汗を浮かべながら俯いていると、しばらくして再びメイドが入室し、テーブルの上に様々なお菓子を所狭しと並べた。フルーツがふんだんに使われ、透明なアプリコットジャムで艶出しされたタルトに、雪のような粉砂糖がかかったガトーショコラ。どれも、これまでに目にしたことがないような品々だ。氷の皇帝に見られていることも忘れ、目を輝かせる。


「……美味しそう」

「好きなだけ食べろ」

「い、いいんですか!?」

「ああ。そのために用意させた」


 しかし、急にこんな美味しそうなものを差し入れてくるなんておかしい。きっと何か裏があるはずだ。訝しげに彼を見ていると、彼は呆れながら言った。


「邪推はよせ。要らぬというなら、返してもらうが」

「いえ! いただきます!」


 この宝石のように輝くお菓子をみすみす逃す訳にはいかない。「いただきます」と手を合わせて、そっとナイフを入れ、ひと口運ぶ。ふわふわしたスポンジ生地とタルトのクッキー生地が二層になっていて、舌に贅沢な甘みが広がる。実家にいたころは、滅多に砂糖なんて手に入らなかったし、こんなに美味しいお菓子を食べたのは初めてだ。


(美味しい……兄さんにも食べさせてあげたいな)


 よく、兄が奉公先からお菓子のお土産を持って帰ってくれたことを思い出した。


「食べ方が綺麗だな。マナーを学んだことがあるのか?」


 賎民は、ナイフの扱いもテーブルマナーも知らないのが普通だ。シュナの問いに、兄が教えてくれたのだと答える。


「お前は地方出身の割に訛りもなく、流暢な公用語を話す。それも兄の教えか?」

「はい。兄は貴族のお屋敷に勤めておりましたので、そこで話し方を矯正させられたみたいです」


 両親はかなり訛っている。ユーフィスは、発音が綺麗な方が将来のためにいいだろうと、リナジェインに綺麗な話し方を教えた。ユーフィスは貴族の屋敷に勤めていたので、礼儀作法やマナー、教養が染み付いていた。しかし、よく思い出してみれば、ユーフィスは奉公に出る前から家族の中で一人だけ綺麗な話し方をしていたような……。


「有能なんだな」

「……とても」


 皇帝から身内を褒められ、つい嬉しくなってしまう。しかし本当に、ユーフィスは有能で優秀だ。探究心が旺盛で、独学で経済や法律、政治経営まで習得しているほど。


「なんでもできて、優しくって、自慢の兄です」


 平日は貴族家で働き、休日はリナジェインに勉強を教えてくれた。本当に、素晴らしい兄である。彼ならきっと、どんな仕事にも就けただろうし、どんな方面でも活躍していただろう。――賎民でさえなければ。能力にも容姿にも恵まれたが、唯一身分だけは恵まれなかったのが惜しいと思う。


(兄さんは今、何をしているの?)


 ふと、ユーフィスの笑顔が脳裏に思い浮かぶ。――早く会いたい。元気に笑う姿を見せてほしい。そんな切々とした思いが込み上げてきて、甘いケーキで明るくなった表情に影がかかる。こうしている間に兄が辛い思いをしていたらと思うと、胸が引き裂かれてしまいそうだ。


「案ずるな」

「え……」

「既に部下たちに捜索させている。必ず見つかると、ただ一心に信じていろ」


 シュナに尋ねられ、ユーフィスの特徴や年齢などの情報は伝えている。彼はそれを元に、わざわざ捜索班を作って動いてくれていた。ロイゼの話では、行方不明者や発見された遺体の報告書を国中から集め、ユーフィスと一致する者がいないか自身も調べているとか。


(……本当にありがたい)


 交わした約束は守る主義だという言葉は偽りでなかったようだ。律儀にも、リナジェインが提示した願いを叶えようとしてくれている。そして、甘いお菓子を差し入れて、不器用ながら励ましの言葉までかけてくれた。


「お前が絶賛するのだから、そう簡単にくたばる程ヤワな男ではないだろう」

「はい。きっとどこかで生きています。私、信じます……!」

「その調子だ」


 緊張がすっと解けて、頬が緩む。


「ありがとうございます、陛下」


 微笑みかけると、彼は少しだけ目を見開いた。


「お前は笑うと……」

「――笑うと?」

「とても、可愛いな」


 ――ブッ。

 突拍子もない言葉に、思わず紅茶を吹いてしまった。


「そのようなことは……。えっと、その……ありがとうございます」


 ほのかに頬を朱に染めると、シュナは愉快げに小さく笑った。きっとからかわれたのだろう。リナジェインはタルトに視線を落とし、もうひと口運んだ。ふた口目のタルトは、ひと口よりも心做しか甘く感じた。

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