第10話 専属侍女が決まりました

 

 ヴィクトリアとジニーに、メイドに扮していた経緯を説明した。ヴィクトリアは礼を執り、畏敬の念を示した。


「申し訳ございません。まさかあなた様が側妃殿下とはつゆ知らず……。ご無礼をお許しください」

「とんでもありません。むしろ非があるのは身分を隠していた私の方です。どうか顔をお上げください」


 恐縮する彼女をなんとか宥めて、顔を上げてもらう。彼女はスカートの裾を摘んで、片足を引き、優美にお辞儀をした。


「申し遅れましたが、わたくしは、ヴィクトリア・クラウゼと申します。侯爵家の次女で、この度知人の侍女長の推薦を受け、側妃殿下の専属侍女候補として参りました」

「専属侍女候補ですか? 私の侍女は、マリア様にリアンナ様、アン様の三名だったはずですが」


 ヴィクトリアの名前は初めて聞いた。彼女曰く、上記の三名は側妃に仕えるのが嫌で辞職願いを出しているという。貴族の娘たちは、気位の高さゆえに、自分よりはるかに格下のリナジェインに従事することを許さないようだ。


 そこで、今度はシュナが侍女長に、「品行方正で職務に誠実に務められる者を推薦せよ」と指示し、ヴィクトリアの名前が挙がったそうだ。確かに、彼女はその条件によく当てはまる。誠実さは実際にこの目で確かめた。


「わたくしを採用するかどうかの最終決定権は、妃殿下にあります。どうぞご検討ください」


 お試し期間としての一週間が設けられているそうだが、既にリナジェインの心は固まっていた。


「いえ、ぜひあなたを採用させていただきたいです。何かと至らない点ばかりで、ご迷惑をかけるかもしれませんが」

「謹んでお受けいたします」

「これからお世話になります」


 彼女になら、安心して任せられる。どこかの国のお姫様のような、優れた女性の傍で過ごせるなんて、なんだか夢見心地だ。


 一方、ジニーはいたたまれない様子でこちらの顔色を窺っている。


「本当に申し訳ありません。あたし……知らなかったとはいえ、妃様に色々と失礼なことを……」

「ううん、謝らないで。私、ジニーに仲良くしてもらえて凄く嬉しかったよ。さっき庇ってくれたときも、凄く」


 宮殿の外にいたころは、攻撃されることはあっても、ああして誰かに守ってもらうことはなかった。


「ジニー、あなたも私の侍女に……なってくれないかな?」

「ええ! 私なんかが専属侍女ですか!?」


 下級メイドが、皇族の専属侍女に抜擢されるなど、大出世だ。けれど、その分やっかみも出て、これまでにない悩みも増えるだろう。


「あっ、でも無理にとは言わないから、ゆっくり考えてね」

「いえ、ぜひやらせていただきたいです! 妃殿下と親しくなれて、凄く嬉しかったんです。あたし……」


 ジニーはまごつきながら、必死に思いの丈を伝えてくれた。彼女の両親は教師をしているらしく、まっすぐで正義感が強い性格は、親譲りらしい。そんな彼女のことが好きだ。リナジェイン周りには、同じ年頃の友達はいなくて、生まれて初めての友人がジニーだった。


「私もジニーともっと仲良くなりたいな。これからも、リナって呼んでくれないかな?」

「……! は、はい! では、リナ様と」

「ありがとう」


 和やかな空気になり、ヴィクトリアも微笑ましげにリナジェインとジニーのやり取りを眺めていた。


 これで、ありがたいことに侍女二人を確保することはできた。けれど、まだ問題はある。使用人の多くは依然側妃のことを舐めている。宮殿の外でも謗りを受け続けてきたのに、側妃になっても不当に扱われるのはもう御免だ。


 そしてもう一点気がかりがある。それは、使用人同士で横行しているいじめ問題だ。ジニーの話では、陰湿ないじめで心を病み、施設に入った人もいるとか。誰かが動かなければ、劣悪な労働環境は変えられない。


(……このいじめの件を上手く利用すれば、皇宮内の私の立場も変えられるかもしれない)


 使用人を統率する人事権は皇妃にある。しかし、皇妃が不在の今、側妃であるリナジェインが実質的な最高権を握っている。――皆、リナジェインが権力を行使する能はないと思っているだろうが、それほど浅はかではない。


(身分を理由に謗りを受ける人が、一人でも減るように、できることをやろう)


 今まではなんの力もなかったが、今はある程度の権力を行使できる地位にある。ならば、助けられる範囲で手を差し伸べるのが地位ある者の義務だろう。


「ヴィクトリアさんにジニー。私はまだしばらく下女として働くつもりなので、正体は黙っておいてください」

「もう一人の侍女をお選びになるからですか?」

「それもあるけど、使用人たちの労働環境を調べたいの。いじめが横行していると聞いたから」


 ヴィクトリアとジニーは、リナジェインが何をする気なのだろうと顔を見合せていた。


 それからリナジェインは、ジニーと共に汚水を下水溝に流して、洗濯に戻った。先輩の下女に「戻るのが遅い!」としばらく叱られてしまった。リナジェインが怒鳴られる横で、ジニーは血相を変えていた。



 ◇◇◇



 一日の労働を終え、私室へと戻った。侍女長に、専属侍女二人を決定した旨を伝え、ジニーは下女から侍女に昇進させた。上等の侍女服に袖を通したジニーは、感激して目を輝かせていた。


「妃殿下、靴はこちらをお履き下さい」

「……」

「殿下?」


 ヴィクトリアが着替えを手伝ってくれて、ようやくドレスを上手く着れると安堵したのも束の間。新たな問題に直面していた。


(この足を見せるのは……)


 リナジェインは靴を履き替えるのを躊躇った。正確には、今履いている靴を脱いで、左足が晒されること――だ。


「ヴィクトリアさん。私の足を見たら、びっくりさせてしまうかもしれません……」


 そっと使用人の履き物を脱ぐと、小指と薬指が欠損し、足の三分の一が歪に変形した左足があらわになる。


「……!」


 ヴィクトリアは痛ましい怪我の跡に僅かに目を見開いたが、分別のある人なので、すぐに平静さを取り戻した。ジニーは顔をしかめ、口元を両手で覆っている。


 この怪我は、十歳のころのものだ。指を欠損したせいでバランスを取りずらく、よく転ぶし、走ることができなくなった。歩き方も違和感がある。怪我をした当時は、もう二度と歩けなくなるかもしれないと言われるほど酷い有り様だったので、ここまで回復しただけでありがたく思っている。リナジェインには治癒の力があるが――自分を癒すことはできなかった。


 そしてこの怪我の原因は、厄介な良民に絡まれ、「前を歩いた」というただそれだけのことを咎められ、折檻されたせいだ。リナジェインが人一倍気弱で小心者になった要因はその出来事にあり、今でも、血を見ると失神したり吐いたりしてしまう。初めてシュナに会ったときもそうだった。


 事情を少しだけ二人に打ち明ける。ヴィクトリアは悲しげに眉を寄せた。


「なんてひどい……。幼い子どもにこんな惨い仕打ちをするなんて……」

「外ではよくあることです。命が助かっただけ幸いでした」


 彼女のように同情してくれる人さえもいないのが現実だ。この国に染み付いた身分制度が、多くの悲劇を引き起こしてきたのだ。リナジェインは痛みを知るからこそ、弱い人への理不尽ないじめを見逃すことはできない。


「……ヴィクトリアさんに調査していただきたいことがあるのですが――」

「なんなりとお申し付けください」


 調べてほしいのは、いじめにより心を病み、施設に入ったという侍女についてだ。外部の調査は彼女に任せて、リナジェインはいじめの具体的な内容を調べるために聞き取りを行うつもりだ。


 指示を出そうとした直後、部屋の扉がノックされた。一体なんの用かと思いながら中へ促すと、メイドの一人が恭しく入室して言った。


「――まもなく、陛下がお見えになるそうです」

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