第9話 産まれたての側妃

 

 上級メイドに詫びながら、シュナに「妃らしい振る舞いを」と再三念押しされていたのを思い出した。しかし、目上の人の怒りを買ったとき、弱い者はただこうして詫び、許しを乞うのが定石だ。


「謝って済む問題じゃないわ」

「分かっております。度重なる非礼、お詫びのしようもございませんが、どうかこの者だけはご容赦ください。罰は全て私が受けます」

「へぇ、お友だちのために、どんな目に遭っても構わないというの?」

「はい」


 隣でジニーが、「そんなのだめよ」と半泣きで訴えたが、リナジェインは彼女を制した。


「名前。教えなさいよ。メイド長にしっかり告げ口してあげるから」


 女はこちらに詰め寄って顔を覗き込んだ……リナジェインは俯きながらだらだらと汗を流していた。心臓も大きく音を立てている。


(怖い怖い怖い怖いどうしよう……!)


 こんなに性根の曲がった女は珍しい。常民や良民は横柄だが、同じ賤民の仲間は互いに助け合い、和気あいあいとしていた。田舎での平和な暮らしが恋しい。


「わ、私の……名前は……リ、リ……」

「リ……? さっさと答えなさいよ」

「ひっ」


 威圧的な眼差しに萎縮し、言い淀んでしまう。もうこれは、正体を明かして逃げをうつしかない。せっかく専属侍女を探す計画も水泡に帰すか――そう思ったときだった。


「おやめなさい」

「……! あ、あなたは……!」


 リナジェインを庇ったのは、それはそれは美しい女だった。華やかなドレスを身にまとい、赤い髪が波打つように広がっている。エメラルド色の切れ長の瞳も品があり、お姫様のような凛とした佇まいをしている。


 すると、上級メイドたちが急にかしこまって頭を下げた。


「……ヴィクトリア様」

「ルシア嬢、お久しぶりですわね。その者たちはわたくしの友人ですの。悪いけれど、今回は見逃してくださいまし」

「も、もちろんです」


 ヴィクトリアは鋭い眼差しで女たちを見て、片眉を持ち上げた。


「新人さんに意地悪をなさっては駄目ですわよ? ……誰もが最初は新人なのです。大目に見て差しあげて」

「……はい」

「さ、早く仕事にお戻りなさい」


 上級メイドたちは悔しげにこちらを一瞥してから退散していった。ヴィクトリアはあっという間にこの場を収めてしまった。ただただ、その優雅さに圧倒される。すると、彼女がこちらを振り返って、リナジェインの濡れた顔をハンカチで拭いてくれた。


「あらあら、こんなに震えて。お可哀想に。怖かったでしょう? まだ産まれたてほやほやのヒヨコさんに意地悪を言うなんて、あんまりですわよね」


 ――ピヨ?

 完璧な淑女からしたら、リナジェインは産まれたてのヒヨコ程度の矮小な存在である。


(なんか、良い匂いがする……)


 リナジェインは美しい女に、うっとりとしていた。


「濡れたままではお風邪を召してしまいますから、早く着替えた方がいいですわ」

「はい。ご親切にありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」

「ふふ、いいのよ。お気になさらないで?」


(わ……笑顔も可憐だ……)


 彼女の美貌と優しさに心を鷲掴みにされていると、彼女はジニーにも声をかけた。


「あなた。忖度のない正直さは身を滅ぼしかねませんわよ」

「……はい」

「でも、ご友人を庇う姿はとても格好良かった。勇敢ですのね」


 どうやらヴィクトリアは、一部始終を見ていたらしい。本当に、彼女が来てくれなかったらどうなっていたか分からない。ヴィクトリアはそれから、宮殿内の人間関係を話してくれた。あの上級メイドは、子爵令嬢のルシア・ルナウドといい、下級メイドに執拗に嫌がらせをしているという。宮殿内のいじめは他にも横行しており、心を病んで辞めてしまう下女も出ているのに、上は看過しているとか。


 熱心に話を聞いていると、ヴィクトリアはリナジェインの姿をじっと見つめて首を傾げた。


「あら、あなた珍しい瞳をなさっているわね。真朱色の瞳は旧皇家の者のみに現れ、神聖の証と言われているのですよ」

「……そうなんですね」

「ええ。お綺麗な顔立ちによく似合っていますわ。大切になさってください。あなた、どこ出身の方? 名前は?」


 助けてくれた恩人の彼女には隠す必要もないだろうと思い、正直に答える。


「西の貧しい村から来ました、リナジェインです。……今は、ヴァーグナーの姓を名乗らせていただいています」


 ヴァーグナーは、アンデルス国の皇家の姓だ。そしてリナジェインという名前の人物は、賤民でありながら皇帝に見初められ、初めての妃として後宮入りした、今世間を最も騒がせている女だ。そんな女が、あろうことか下女の真似事をし、恥じらうことなくメイドに頭を下げていたのだから、さぞ驚きだろう。


「へ?」


 ヴィクトリアは美しい目を大きく見開いて、絶句した。

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