第22話 家庭教師に嫌われているようです

 

 行方不明の兄を確かめるため、侯爵家の襲名披露の夜会に参加することになった。ツィゼルト侯爵といえば、リナジェインが暮らしていた地域の大地主だ。そんな偉い人の会に行くということで、プレッシャーから胃の痛む毎日を送っている。リナジェインはどんなガラス細工より繊細なのだ。


「リナ様、どうかお食事はしっかり食べてください。最近またお痩せになりました。せめてあと一口だけでも……」

「心配かけてごめんね。分かってるんだけど、どうにも私の胃はストレスに弱くて……」


 スプーンを置いて小さくため息をつく。ジニーはそんなリナジェインを見て眉をひそめた。どうしても、喉の奥に食べ物が突っかかって上手く飲み込めない。夜会に備えて礼儀作法やダンスを学んでいるが、三週間ぽっちの期間では付け焼き刃もいいところだ。それに、足の障害のせいで、歩き方はどう足掻いても不自然だし、踊ることは困難だった。練習が始まって一週間だが、既に心が折れそうだった。


(まさか、私が淑女教育を受ける日が来るなんてね)


 つくづく、人生とは分からない。しばらく前までは人の目につかないように背を丸めて歩いていたのに、今では背筋を伸ばして胸を張り歩かなければならないのだから。


「妃殿下。本日は、午前中にマナーレッスンを受けた後、午後に宝石商の方がいらっしゃるそうです」

「分かりました」


 夜会のドレスは既に注文してあり、納品は夜会の直前になる。

 しかし、宮殿に訪れた仕立て屋の待遇はひどいものだった。まず、喪服として使われ、公の場ではマナー違反とされる黒色をやたらと勧めてきた。それから、布面積が少なく肌の露出が多いデザインや、どこぞの民族衣装のような奇抜なデザインばかりを提案してきた。二件目に依頼した仕立て屋はまともだったのでよかったが。


 今日はドレスに合わせた宝飾品を選ぶのだが、宝石商が善良な人であることを願いたい。また、宝石の善し悪しなどまるで分からないので心配だ。たった一つの宝石で、賤民の生涯年収を軽く凌駕してしまうこともあるらしいので、そんな恐れ多い品は間違っても選ばないようにしなければ。



 ◇◇◇



「社交の場で最も重要なのは、自分の存在を周囲にいかに誇示するかということです。所作は大袈裟にして、権威を知らしめましょう」

「……」


 礼儀作法の指導のために与えられた家庭教師キャサリン。彼女は伯爵夫人で、これまで多くの若い令嬢たちに礼儀作法を教えてきた敏腕教師だ。彼女は眼鏡を指で持ち上げながら、声高に言った。


「まずは歩き方です。つま先を外側に向けて大股に! 膝を曲げながら、肩を揺らして歩いてください。さあ、私を真似て?」


 キャサリンは、重心が定まらないだらしない歩き方を披露した。まるで不良のような歩き方だ。どこの世界にこんながに股で歩く淑女がいるだろうか。いくら身分が低いからといって、彼女の教えが間違っていることくらいは分かる。彼女は、リナジェインが賤民だからと侮り、公の場で恥をかかせようと考えているのだ。

 彼女がこれで人気のマナー講師とは呆れてしまう。自分の気に入った相手にだけいい顔をするなんて、他人に礼儀を教える前に、道徳を学んだ方がいいのではないか。


(これで……三人目)


 彼女は三人目の家庭教師だ。二人目までの家庭教師たちもまた横柄な態度で、まともに教える気がないのが見え透いていたので、一日で替えてしまった。キャサリンは二人目までとは違うタイプで、熱心に稽古すると見せかけて間違ったことを生徒に教える巧妙な悪徳教師だ。


「何をぼんやりなさってるのです?」

「す、すみません……」


 言われた通り、つま先を外に向けて姿勢を崩しながら歩く。キャサリンは口元に微笑を浮かべながら、「お上手ですよ」と幼子を褒めるように手を叩いた。


「きゃっ……」


 ハイヒールの靴を履かされていたため、バランスを崩して転ぶ。公の場では、七センチ以上のヒールを履くのが常識なのだと彼女から教えられたが、リナジェインにヒールを履きこなすのは難しい。キャサリンは、晒された左足の醜い怪我の跡を見て、怪訝そうに顔をしかめた。


(もう、最終手段を取るしかないか)


 これ以上、キャサリンの茶番に付き合うのは不毛だ。リナジェインは靴を脱ぎ、自分の手で両足のヒールを折った。突然の奇行にキャサリンが「えっ」と声を漏らし、困惑している。リナジェインは破壊した靴を床に投げ捨てた。


「それ、拾ってくださいますか?」


 自分で投げ捨てておいて、白々しく命令する。これまで言われるがままに大人しくしていたリナジェインが豹変し、キャサリンは驚きながら頷いた。


 リナジェインは、靴を拾おうと身をかがめたキャサリンの耳元に顔を近づけて囁いた。


「首の痕、どうされたんですか?」

「……!」


 キャサリンはびくっと肩を跳ねさせ、手で首の充血跡を隠して後ずさった。リナジェインは無表情のまま詰め寄る。


「先生、文官のゼイス様と不倫なさっているそうですね」

「……! な、なぜそれを……」


 宮殿の使用人たちは、宮殿の色恋沙汰に敏感だ。それも、許されざる恋なら尚更。キャサリンとゼイスの不倫は、ジニーが下女から聞いてきた話だ。首筋に口付けられている現場を目にした下女がいるとか。


 そこで、三人目の家庭教師キャサリンも職務怠慢していると知ったヴィクトリアが、ある策略を考えた。


(いじめの処断をしたときといい、ヴィクトリアさんっておっとりしているようで、人を追い詰めるのが上手いんだよね……)


 ヴィクトリアに仕込まれた通りのセリフをキャサリンに言う。


「先生? 確か公の場では、大口を開けて笑い、できるだけ大きな声で喋るのがマナーなんですよね」

「それは……」

「もしかしたら私、先生の首筋の怪我のこともうっかり喋ってしまうかもしれません。大声で」


 キャサリンは、見くびっていた賤民の側妃に足元をすくわれ、青ざめながら深々と頭を下げてた。


「大変申し訳ございませんでした。どうか、そのことだけは内密にお願いいたします。これまで働いた無礼、お詫び申し上げます……」

「無礼? 一体なんのことでしょうか。先生は世間知らずな私に、夜会で恥をかかないために指導してくださっただけでしょう?」

「……」

「これからもお世話になりますね。先生?」


 リナジェインはヴィクトリアの描いたシナリオ通りに微笑む。


「靴、壊れてしまったので新しいものを持ってきてくださいますか?」

「も、もちろんでございます。次は、ヒールのないものを」

「……ヒールの高さの規定があったのでは?」

「私が勘違いしていたようです! すぐにお待ちしますので、少々お待ちを」


 彼女は恭しく礼をして、転がるように部屋を出ていった。その後ろ姿を見て、肩を竦める。


(悲しいな。こうまでしないと、賤民はまともに教育も受けられないなんて)


 しかし、ヴィクトリアの策略は今回も見事成功した。もしかしたら、彼女は怒らせたら一番怖い人なのかもしれない。「やられたら叩き潰すつもりでやり返すべき」と柔和な笑顔で話していた彼女を思い出して、背筋が凍りそうになる。彼女は作家なんかが向いていそうだ。



 この日からキャサリンはリナジェインに誠心誠意仕えた。そして、社交界でも顔が広い彼女は、「側妃殿下に舐めてかかると痛い目を見る」と周囲の人たちに話したらしい。

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