第21話 浮上した兄と思しき人物

 

「それで陛下は、男性の拳を避けずに受け止めて――」

「殿下。そのお話はもう十回目です」

「えっ」


(私、そんなに話してた?)


 私室で紅茶を嗜みながら、侍女二人とお喋りしていたのだが、気づかない内にシュナのことばかり沢山話していたようだ。ヴィクトリアは微笑ましげに笑った。


「ご実家にお帰りになってから、陛下のことばかりお話しですわ。お二人にとって、有意義な時間になったのでしたら幸いでございます」

「……はい。とても良い時間でした」


 気恥ずかしく思いながら小さく頷く。

 色々あったが、リナジェインにとっては良い時間だった。彼との距離も少し近づいたような気がする。たわいのない言葉を交わし、ただ隣に座っているだけで安らぎ、鉄面皮の奥に潜む本当の人となりや優しさが見え隠れする度に、彼をより深く知れたようで嬉しくなる。なぜだかはよく分からない。


 宮殿に来てからというもの、ヴィクトリアやジニーという友人ができて、毎日美味しいものを食べ、綺麗なドレスを着て、以前の自分には考えられない豊かな日々を過ごしている。ここに兄がいたら、どんなに幸せだろうか。


「私、こうやって二人と楽しくお喋りできて、凄く楽しいです。ここに兄さんがいたら、もっと楽しいだろうなって思います。二人にも、兄さんを紹介したいな」

「殿下……」


 ユーフィスは、実の兄ではなかった。しかし、たとえ血が繋がっていなくても、彼が大切な兄であることに差異はない。


(産みの両親は、どうして私を父さんと母さんに預けたんだろう)


 果たしてそれは本当に、リナジェインをヴァーグナー家から守るためだったのだろうか。賤民として生きることは、大抵の貴族にとっては屈辱以外の何物でもなく、命の保証もない。そこに実の娘をぽんと預けてしまうなんて、愛が感じられない。もしかしたら自分は――捨てられたのではないか。そんな気がしている。しかし、仮に捨てられたのだとしてもなんとも思わない。捨てられたおかげで、今の両親や兄に出会えたのだから。


 深く思いに耽けっていると、ジニーが言った。


「きっと、陛下がお兄様のことを見つけてくださいますよ! そのときはきっと、私たちにも紹介してくださいね。リナ様にとって一番素敵な殿方だそうですから、会えるのが楽しみです」


 すると、ヴィクトリアが悪戯に言った。


「一番は、陛下ではないのですか?」

「うーん……。やっぱり、一番素敵なのは、兄さんです」

「あら。陛下が聞いたら妬いてしまわれますね」

「ふふ、まさか」


 昔も今も変わらず、この世で最も素晴らしくて尊敬する人はユーフィスだ。誰かと比べるようなものではないが、兄を一番だと思いたいのが妹心なのだ。


(陛下は素敵だとかそういう言葉には当てはまらない、もっと別な……)


 考えてみたが、シュナを表す適切な語彙は思いつかなかった。


「ますます気になってきました。しかも、お兄様は内面が優れているだけでなく、とっておきの美男子なんですよね!」

「うん。背が高くて筋肉質で、顔立ちは役者さんみたいに綺麗なの。絹糸のような銀髪に、青い瞳をしていて、目の下にほくろがあるのがまた儚げで……」


 兄を語るときは、ちょっぴりいつもより饒舌になる。リナジェインは自他ともに認めるブラコンだ。ミーハーなジニーが、興奮気味に相槌を打っている。すると、話を聞いていたヴィクトリアが口を挟んだ。


「以前から思っていたのですが、社交界にユーフィス様の特徴に酷似した有名な方がおられますわ」

「へえ、どんな方なんです?」

「"華の貴公子"の名高いユリウス・ツィゼルト様です。銀髪碧眼に右目の下にほくろがあって、麗しく紳士的な方ですの」

「世の中には三人同じ顔の人がいるなんて言いますし、ぜひひと目お目にかかりたいですね」

「その内機会もおありでしょう。彼は陛下の旧友でもございますから」


 華の貴公子とはなかなか格好いい二つ名だ。たとえそのユリウスという人がどんなに素敵な人であろうと、やっぱりリナジェインの一番は兄だが。

 それからリナジェインたちは、互いの家族の話をしながら一緒にお菓子を食べた。主人が侍女と共に茶を嗜むことは普通はあまりしないが、リナジェインたちは友人のように親しくしている。すると、扉がノックされて、メイドが「陛下がお呼びです」と言伝を告げた。



 ◇◇◇



 彼女に案内されて、執務室に足を運ぶ。執務室にはシュナの他にロイゼがいた。


(もしかして、断罪のことを咎められるのかな? それとも他に何かやらかしたかな?)


 まさか、昨日お菓子を食べすぎて宮殿の貴重な食糧を減らしてしまった件についてだろうか。あるいは一昨日、賤民の分際で昼まで惰眠を貪ってしまった件についてだろうか。自分の失態をあれこれと思い出しながら縮こまっていると、シュナがため息をついた。


「リナジェイン」

「は、はいぃっ!」


 おどおどしながら顔を上げると、シュナはなぜか寂しげに言った。


「そう怯えずともよい。ようやく少しは慣れてくれたかと思ったが、私は思い上がりだったか」

「え……」


 どうしてそんな、寂しそうな顔をするんだろう。まるで、リナジェインに怖がられることが辛いことのように。


「いえ……。ただ、突然呼び出されて、何か失態を咎められるのではないかと案じていました」

「違う。まさか、何か失態でも犯したのか?」


 完全に墓穴を掘ってしまった。


「滅相もございません! 私はこの通り! 潔白です!」


 両手を掲げて無実を主張する。訝しげにこちらを見ている彼に、もう一言付け加える。


「今はもう、陛下のことを恐ろしいとは思っておりません。むしろ……」

「……むしろ?」

「放っておけない人だなって、思います」


 確かに彼は立っているだけで威圧感があり、近寄り難いが、決して悪人ではない。たまに圧倒されることもあるが、以前より少なくなってきた。

 気恥しげに頬を染めて、まごつきながらそう伝えると、シュナは目を見開いた。


(はっ。私ったら、何を偉そうに……!)


 自分ごときが"放っておけない"とは、大きく出てしまったものだ。リナジェインは両手を振りながら言い訳した。


「わっ、いやっその、決して陛下を侮辱している訳ではなく、親しみを持っての意味で……。弟みたいな!」


 すると、ロイゼが眉間に皺を寄せて、「陛下を弟呼ばわりするとはなんたる狼藉か!」とがみがみ怒鳴った。一方、シュナは口元に手を当てて、くくと笑った。


「ははっ、私はお前の弟になった覚えはないが」

「す、すみません……」

「謝ることはない。ただ、おかしかっただけだ」


 面白そうに笑うシュナに、心がときめいた。氷の皇帝と恐れられる彼も、こんな風に笑うこともあるのか。シュナはひとしきり笑った後、咳払いして言った。


「お前を呼び出したのは、報告があるからだ。お前の兄と思しき人物が判明した」

「……!」


 シュナ曰く、まだ確定はしていないが、ほぼ高確率でユーフィスだと推測されている男の名前は――ユリウス・ツィゼルト。ついさっきヴィクトリアから話を聞いていた華の貴公子がユーフィス本人だなんて、今ひとつ信じられない。


(ツィゼルト侯爵家って、私の地域の大領主様だよね?)


 兄だと思っていた相手が、雲の上のような高貴な存在だったなど、非現実的だ。しかし、自分が実は旧皇家の末裔だったという前例があるので、ありえない話ではない。


 それから、シュナにリナジェインの本当の生家であるフォンディーノ公爵家の黒い真実についても聞かされた。公爵は娘のアージェリアを皇妃に据えることに躍起になっており、皇帝の子どもを産めない聖女のリナジェインを邪魔に思って捨てた可能性が高いというのだ。また、リナジェインの母親である夫人の方は、早くに公爵と決別しており、屋敷を追い出されているとか。


 もはやリナジェインも、権力社会の陰謀の渦に、生まれたときから巻き込まれていたということだ。側妃にならずに田舎にいたとしても、公爵家にとって不都合になった途端に処分されていてもおかしくはなかった。そう思うと、背筋が凍りそうになる。


 ユリウスはフォンディーノ公爵家と縁深い家の息子であり、リナジェインに関する何らかの役を与えられていたのではないかとシュナは推測していた。


「最短で奴に会うなら、三週間後の侯爵邸の夜会がいいだろう」

「夜会ですか?」

「ああ。新当主の襲名披露のための場だ。私も招待状を預かっている。――お前も来るか?」

「はい……!」


 ようやく兄に会えるかもしれない。彼が本当の家族ではなくとも、誰であっても構わない。ただ会えるというだけで、舞い上がってしまいそうだ。悲願が叶う予感に、目頭が熱くなった。


「本当にありがとうございます、陛下。本当に……」


 指で涙を拭いながら屈託なく笑いかけると、シュナも――


「よかったな」


 また、笑った。彼の笑顔は、なかなか咲かない蕾がようやく咲いてくれたような感動がある。同時にまた、胸の奥がきゅうと甘く締め付けられた。

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